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2004/06/30/Wed.
▲晴れ。
▲今日、東京に帰る。早めにホテルをチェックアウトして荷物を預け、昨日と同じくタクシーで農連市場へ。今日はカミさんと代わりばんこでイクヤを連れて歩くと決めておいたので、1人で歩くことができた。100円で2本出てくる、あるいは50円の飲み物が出てくる自動販売機があり(何が出てくるかはわからない。同じ機械でふつうの缶ジュースも売っている)、半信半疑で100円入れてボタンを押すと、ちゃんと2本出てきた。沖縄の会社が作った「さんぴん茶」と「日本茶」だった。味もきわめて普通。なぜ2本で100円? 謎。
▲商店街へ出る手前に飲屋街があった。なかなか風情がある。しかし、いずれも風前の灯火という印象。今度来るときには再開発されているのではないか。今回は、家族連れなので、夜、飲み歩けないのが残念だった。
▲農連市場のなかにもあったが、アーケードの中にアジアハウスというバックパッカー向けの安宿があり、やっぱりここは日本ではなく東南アジア、中国文化圏南部の一部なのではないかと思う。沖縄的なものが浸食していくと面白いと思うんだけど。
▲薄暗い市場に洋品店が並ぶ。閉店しているところもある。「不景気」という言葉を連想する。そういえば、那覇で一番繁華なはずの国際通りでも空き店舗が目立った。
▲公設市場近く「田舎」という店に1人で入ってみた。店の前には張り紙がべたべたと張ってある。なぜか、ボブ(・サップ)なるゴリラのぬいぐるみもある。ソーキソバ1杯350円。
▲ソーキソバと焼酎(食べ物を頼んだ人は200円)、卵焼き30円。奨められて、「てびち」(豚足)。ソバの麺は細かった。宮古そばの麺だという。「2番目にうまい店」というキャッチフレーズは、一番はおふくろの味だから。ちょっとイイ話。
▲国際通りでカミさんとイクヤと待ち合わせて、公設市場の2階で昼飯。尚さんはゴーヤ・チャンプルー。俺はイクヤと島豆腐を食う。
▲カミさんは買い物へ。俺はイクヤが乗ったバギーを押して、商店街をぶらぶら。いったんホテルへ戻ってから空港へ。飛行機のなかでイクは一睡もしなかった。後ろの席のおねえさん2人組に愛想をふりまいていたが、後部座席に身を乗り出そうとするので、かなわない。結局、大半の時間を抱っこして歩き回った。そんなお父さんがほかにももう1人いて、お互い苦笑してしまった。
▲羽田からうちまでの時間がちょうどラッシュにあたり、へとへとになって帰宅。倒れるようにして寝てしまった。


2004/06/29/Tue.
▲晴れ。
▲ホテル近くの洋風食堂でタコライスを初めて食べた。意外と旨い、というのが感想。カミさんは黒糖ぜんざい。沖縄で「ぜんざい」といえばかき氷のぜんざいだということを初めて知った。
▲タクシーで農連市場へ。タクシードライバーと話す。沖縄にも郊外型ショッピングセンターができて、商店街が不景気になっていること。道路は立派になったけれど、沖縄を走ってるクルマは中古ばかりだということ。
▲農連市場は盛りの時間をすぎてしまっていたが、道ばたで野菜を売っている人もいる。木村伊兵衛が撮影した沖縄の市場の風情がそこはかとなく感じられる。
▲ゆいレールに乗り、首里城近くの駅で降りる。タクシーをつかまえて首里城へ。那覇のタクシーは初乗り450円。リーズナブル。
▲首里城、真新しかった(1990年代初頭に再建される前は廃墟だったとのちに聞いた)。琉球独立の精神的支柱になる場所だろうから、日本政府はその扱いに苦慮したに違いない。再建されたということは、精神的にも「日本化」が完了したという証左だろうか。しかし、首里城も含めて、那覇を歩いていると、ここは「日本」だろうか? と不思議な気持ちになる。むろん、多様な文化がゆるやかに存在することを認める国であったほしいのはいうまでもないが。
▲タクシーでホテルまで帰る途中、古道をちらりと見る。歩いてみたいと思ったが、バギーを押しては歩けない。ところで、今回は0歳児(いま11カ月)連れだったのだが、ゆいレールにはバギー、車椅子用のエレベーターが完備されているし、首里城ですら、車椅子コースを通って上まで上がれるようになっているから、東京にいる時よりも赤ん坊を連れ歩きやすい。夏の那覇ということで路面からの照り返しがきついのが心配だったので、長時間続けて歩かないようにはしていたけど。
▲ホテルで休んでから、県庁近くの「まんじゅまい」へ。まんじゅまい炒め(パパイヤの炒め物)、ソーミンチャンプルー、ゆしどうふ。ラフテー。もりもり食べる。イクヤは、東京から持参した市販の瓶詰めの離乳食をいやがってあまり食べない。ふだんはカミさんが作っているので、味が違うからいやなのか。それとも暑さで食欲がないのか。頼んだ料理の中から、豆腐など食べられそうなものを食べさせると、ちゃんと食べたので、離乳食よりもイクヤが食べられそうなものを頼んで食べさせたほうがいいだろうという結論になる。よく考えると、8月で1歳。おっぱいも卒業が近づいている。早い。


2004/06/28/Mon.
▲晴れ。
▲旭橋近くのバスターミナル前のバス停から「糸満」行きのバスに乗る。
▲糸満はさびれていた。市場も閑散としていた。ガイドブックに乗っていた店のシャッターも閉まっている。腹が減った。
▲とりえず、町の外に向かっている幹線道路を歩いていくと、Y食堂という店がある。店の中をのぞくと、薄汚れたゲームテーブルが並び、人っ子1人いない。カウンターに貼られたメニューのなかから「中身汁」という言葉だけが浮き上がって見えた。よどんだ空気におそれをなして退散。振り返ると、おばばが店から顔をのぞかせ、こちらをにらんでいた。
▲照りつける陽光にふらふらになりながら歩くと、ファミレス風の和風レストランがあり、昼飯にありつくことができた。沖縄ソバと豆腐チャンプルーを頼んだのだが、どちらも量が多くて吃驚した。そばに載った角煮旨かった。
▲腹ごしらえもできたので、タクシーをつかまえて「名城ビーチ」まで。これまたさびれきった海水浴場。客もわずかだったが、一軒だけあるレストハウスも閉まっている。ビーチのゲートは米軍のR&Rの名残だろうか? 大人450円の入場料をとるが、代わりにシャワーがある。売店でアイスを買って木陰でぼんやりとした時間をすごした。
▲那覇に戻って夕飯は国際通りで沖縄料理。ふーちばじゅーしー、イクヤも喜んで食べていた。
▲ホテルの近くのネットカフェでし残してあった仕事をちょっとだけ。友人2人から、野沢尚死去をメールで知らされる。『Vマドンナ大戦争』のときから、ずっと注目していた脚本家だった。鶴橋康夫演出の『手枕さげて』、もう一度見たい。


2004/06/27/Sun.
▲晴れ。
▲那覇にきた目的の一つに白井明大くんと當麻妙さんとの結婚式と披露宴への出席があった。式の会場は世界遺産にも指定されている名跡識名園で、新郎新婦が琉装しての琉球式の結婚式である。支度に手間取って、着いたときにはもう式は始まっていた。通りすがりの観光客が「ホンモノ?」と聞く。「ホンモノです!」。日差しが強烈だった。思えば、新婦はランドスケープ写真家。晴れ女である。
▲識名園から披露宴会場への移動で乗ったタクシーで、ドライバーが「私も琉装の結婚式なんて見たことないですよ」って言ってた。地元の人はやっぱりウェディングドレスか。そんなもんかもしれない。
▲披露宴はイタリア料理店で。沖縄の食材でイタリアンというコンセプトで、美味しかった。
▲スピーチを頼まれていたのだが、気の利いたエピソードが思い浮かばず、無理矢理、ちょうど今関わっている中島らもさんの話を引用するなどしてかっこうをつけた。シライくん、トーマさん、おめでとう! スピーチの真打ちはFちゃんの「ぼやき」スピーチで、おかしいやら泣けるやら。
▲イクのほかにもう一人近い月齢の赤ちゃん(鉄郎くん。やっぱり『銀河鉄道999』ですか? とツッコミを入れるのを忘れてしまい、ザンネン)がいて、同じくらいの時間にむずかり、同じくらいの時間に寝ていたのがおかしかった。
▲飲んで食ってホテルに帰り、前日からの疲れもあって、家族揃って倒れるように寝てしまった。夜になってめざめても、何かを口に入れようという気にはなれず、ぼーっとしてすごす。まだかけらも那覇の町を見ていない。


2004/06/26/Sat.
▲晴れ。
▲日本初の怪談専門雑誌『幽』の創刊を記念したイベント「第14回怪談之怪"怪談百物語会"」を取材しに外苑前のお寺のホールへ行く。イベントは大盛況(チケットは発売直後ほどなく完売する人気だったとか)で、ゲスト10人にBSで放送した『怪談新耳袋』の上映まであるという充実振り。オンライン書店bk1のセレクトショップ<怪奇幻想ブックストア>店長でもあり、『幽』の編集長も務める評論家でアンソロジストの東雅夫さんを司会役に、ゲストの怪談に京極夏彦さんが絶妙なツッコミを入れるという実に楽しいイベントだった(追記:詳しい内容については、bk1にレポート記事を書いたので参照されたし)。
▲取材にはバギーを引っ張っていき、羽田空港でカミさんとイクヤと合流。無事、飛行機に乗ることができた。イクヤは少しだけ寝た。おおむねおとなしかったが、斜め後ろの席の若い女性たちに手を振ってもらってご機嫌。スチュワーデスさんにも愛想を振りまいていた。思えば、このあたりからイクヤのテンションが上がり始め、以後、旅行中、女性を見れば手を伸ばして大喜びの0歳11ヶ月となる。誰に似たのやら。
▲行き先は沖縄県那覇市。さすがに暑い。もう夜だ。ゆいレールでホテルの近くの駅まで行き、歩いてチェックイン。ゆいレールに乗ってきた十代の女の子たちの色の黒さと派手さに「いかにも南国」と思うが、翌日、町を歩いてみればそんな娘ばかりではなかった。ちょうど遊びに行くところだったんだろう。
▲ホテルのフロントの人たちは派手な開襟シャツを着ている。のちに「かりゆしウェア」という一般的なワークウェアだと知る。ゆいレールの職員もバスの運転手もこれである。
▲東京から送った宅急便の荷をとく。赤ん坊のおむつ、着替えなどなどけっこうな荷物になるので、ホテルに送りつけておいた。
▲もう11時近い。夕飯を食い損ねたので、ホテル近くのコンビニでちょっとした食べ物と酒を買い込む。赤ん坊を連れて居酒屋へ行く気力は残っていなかった。店の棚には泡盛の小瓶、さまざまな銘柄がずらりと並んでいた。ほかに「さんぴん茶」というお茶のペットボトル、ミネラルウォーターを買う。かの地では「さんぴん茶」はポピュラーで、その後しばしば飲んだ。ジャスミンティーのようだが、メーカーによって内容は多少違うようだ。ポッカは、うこん・グアバ・よもぎをブレンドしていた。そのうち、東京でも流行るのかな。コンビニには沖縄限定ものの商品が充実していた。
▲ツインベッドを移動してくっつけ、イクの寝返り対策にする。イクヤは寝相が悪く、気がつくといつも布団から飛び出して床で寝ている。今夜はベッドから落ちることはなかったが(翌日以降は、何度か落ちた。幸い、起きて動いているときで、頭は打たなかったが)、夜中に起きて激泣きする。寝ぼけて知らないところにいたから心細くなったのか? そんな高度な理解力はないかもしれないが。


2004/06/25/Fri.
▲晴れ。
▲明日の晩から旅行に出ることになっているので東京で片付けておかなければならないことでてんやわんや。これはいつものとおりのことで、学習能力のなさにあきれてしまう。精神的余裕ゼロ。


2004/06/24/Thu.
▲晴れ。
▲あまりも暑くて、午後は仕事にならなかった。ビールが飲みたい、が明るいうちから飲み始めると脳みそがどろどろと溶け出しそうな暑さなのでやめておく。夜涼しくなってから、残っていた仕事を片付ける。フィルム現像する気力はなかった。
▲ビデオに録っておいたテレビドラマ『愛し君へ』を見ていたら、泉谷しげるが藤木直人をかきくどくシリアスなシーンで、イクヤ(11ヶ月)が大爆笑。文字通りゲラゲラ笑い出した。泉谷の顔がよほど面白かったのか、謎。


2004/06/23/Wed.
▲晴れ。
▲電話取材やら、茗荷谷での打ち合わせやらで一日が過ぎる。夜、フィルム現像。なぜか、一本だけ現像ムラが起こり、リールへのフィルムの巻きつけが失敗していたらしいことがわかる。がっかり。しかし、「現像ミス」の見本になるだろうと、取っておく。


2004/06/22/Tue.
▲晴れ。暑い。
▲早起きして午前中から出かける。仕事は夕方で切り上げて、家族でデパートへ買い物に行く。俺とイクヤだけ先に帰り、イクヤにメシを食わせ、ビールを飲みながらテレビを見る。野球は、中日が優勢だった。
▲織田淳太郎『巨人軍に葬られた男たち』(新潮文庫)読了。「巨人軍に葬られた」とは穏やかでない。「常勝」を義務づけられ、球界の「盟主」でることを宿命づけられた巨人。その巨大な歯車のなかで圧殺されたドラフト第1位投手をはじめ、巨人から冷たい仕打ちを受けた男たちのエピソードがつづられる。最後は監督を追われた王貞治のエピソードまで。川上哲治の「監督至上主義」やフロントの派閥抗争(正力VS務台)などの実態が明らかにされているとはいえず、ことをすべて巨人の奢りに結びつけるのもややムリがある。しかし、巨人が抱えている体質の一端を知る上では興味深い。プロ野球選手の光と影の「影」にスポットを当てたノンフィクションでもある。


2004/06/21/Mon.
▲台風。曇りからどしゃ降りに。
▲五反田で打ち合わせ。こないだも雨だったな。いったんうちに帰って荷物を置いてから新宿。
元田敬三写真展「STREET PHOTOGRAPHY SHOW」Photographer's gallery 〜6月29日)を見に行く。6×7フォーマットのモノクロ、ストリートスナップ。ワイルドな顔の方々が多数登場するストロングスタイルのスナップ写真。元田節健在なり。なぜかカラーがほんの1.2点入っていたのだが、なぜ? 被写体への共感がうかがえ、元田さんの「優しさ」が伝わってくる。しかし、その優しさに対して、写真家自身が決して肯定的ではないような、何かわだかまった屈折を感じる。その「引っかかり」がまだまだ爆発していないと思ってしまうのは、見る側の勝手な思い込みか。
▲毎週恒例のワークショップ後、いつものように飲んで帰る。飲み屋で「カッター殺人」加害者少女の精神鑑定が話題になる。小六少女の殺人の動機が理解できない。理解できないとなれば、それは「病気」、というのが今回の「精神鑑定」である。きわめてわかりやすい。つまり、精神の「病気」の何割かは、社会がその人間の行為を理解できなくなったときに押し込めるブラックボックスである。したがって、治療→社会復帰の過程もまた不明瞭。ブラックボックスを作って、そこに人間を押し込めることで社会から見えなくする。見えなくなれば、社会は忘れる。そういう構造になっている。


2004/06/20/Sun.
▲晴れ。台風前の高気圧。風、ときどき強し。
▲起きたときから調子がなんとなく変だった。寝不足がよくなかったのかもしれない。三多摩LOMO会の例会で神楽坂から高田馬場まで、バギーを押しながら歩く。ひたすら。何度か意識が遠のきかけたが、早稲田のモス・バーガーまでたどりついてほっと一息。ところが、それが悪かった。冷房で身体が冷えてしまい、思考能力が著しく衰える。高田馬場まで行くのがやっとで、カミさんを残して飲み会はパスする。イクヤと帰宅して爆睡。親父がダウンして暴れ甲斐がなかったのか、イクヤもじきに寝てしまった。


2004/06/19/Sat.
▲晴れ。
▲夕べは飲みすぎたようだ。頭が痛くて、布団から起き上がるのが大変だった。開き直って、起きないことにしたのだが、我が家の怪獣(さいきん、イクヤザウルスと呼んでいる)が上ってきてたたいたり、引っ張ったりする。
▲昼間、何もできなかったので、夜、プリント作業をする。なぜか快調なペースで焼けた。


2004/06/18/Fri.
▲晴れ。
▲珍しく午前中から打ち合わせ。続けて、午後、先日の中島らも取材の写真を納品。とりあえずここまでは編集Y氏の期待を裏切らずにすんだようだ。もっとも、まだ取材は後半戦が残っている。
▲夜、市ヶ谷「「酒菜屋かみや 」で会社員だったころの上司、同僚と飲む。のどもと過ぎればなんとやらで、いつのまにかサラリーマン時代を「楽しかった」「すてきな仲間に恵まれた」と思っていたのだが、そうじゃなことが次々思い出され、思い出し怒り。ほんと、ロクなもんじゃなかったです(笑)。とはいえ、いまさら、ひどいこと言い過ぎたかもしんない。反省。もう二度と会うことはないかもしれないが・・・。
▲ところで、お店の「かみや」店主も元上司の一人で、お店を始めて健康的になったという人。お店の料理は美味しい。これはほんと。市ヶ谷へ起こしの際はぜひ飲みに行ってください。ぼくもまた行きたいと思います。


2004/06/17/Thu.
▲晴れ。
▲終日PCに向かって仕事。特徴のない一日。
▲中島らも『寝ずの番』(講談社文庫)。短編小説集。表題作は戦後、関西落語を復興させた咄家橋鶴が亡って、そのお通夜に弟子たちが故人をしのぶというお話だが、落語家だけに笑えるエピソードが飛び出す。とくに橋鶴師匠が病床にあって「そそが見たい」とつぶやき、弟子たちが実現してあげるエピソードのオチは電車のなかで声をあげて笑ってしまった。「寝ずの番II」は橋鶴の一番弟子橋次が、「寝ずの番III」では橋鶴のおかみさんのお通夜がそれぞれ舞台になるが、いずれもからりとおもしろいお話。とりわけ、「III」の春歌合戦は圧巻(らもさんに直接聞いたところによると、100曲以上の春歌を集め、その中から「厳選」したものだとか。選曲と並べ方も実に上手い)。
▲ほかに、GSで鳴らしたミュージシャンが場末のキャバレーに流れてくる人情話「えびふらっと・ぶるぅす」、日本人プロレスラー「ミスター・ヒロ」がカナダで悪役レスラーとして人気を得、ついに熊と闘う物語「逐電」、義眼の広告マンを主人公にした「グラスの中の眼」、劇団の楽屋で繰り広げられるゲームのあほらしさが楽しい「ポッカァーン」、人気作家がクローンを作ってみたらどうなったのか? 近未来ナンセンスSF[仔羊ドリー」、ギョウチュウ検査と初恋「黄色いセロファン」とバラエティーに富んだ作品が収録されていて、満足度が高い。小説の登場人物やエピソードは中島らものエッセーに書かれているものもあるが、小説にすることで、エッセーとは違った陰影がつけられているのはさすが。おもろうてやがて悲しき、という関西伝来の味わいがあるというか、織田作的なものを感じた。


2004/06/16/Wed.
▲ちょっとした集まりがあって、新大久保屋台村へ久々に行く。写真関係者の集まりだったので、話題は写真と芸術、写真で食べていくには? などなど。


2004/06/15/Tue.
▲晴れ。
▲パターソンのユニバーサルタンクで初めて120フィルムを現像したら現像ムラになってしまった。現像液、定着液の分量が足りなかったのである。なぜそういうことになってしまったかというと、ユニバーサルだけに135フィルム2本、127フィルム1本、120フィルム1本と同じタンクで複数種類のフィルムを現像する。その際の液量がそれぞれ違うということに思い当たらなかったのである。しかも、蓋がちゃんと閉まらないので、タンクを振っているとぽたぽたと液がこぼれてくるし。もっとも、この蓋問題はLPLでもマスコでも同じ。タンクの口にかぶせるだけなのである。なぜそうなっているのか? 理由は2、3見当がつくが、今度調べてみよう。
▲中島らも『砂をつかんで立ち上がれ 』(集英社文庫)読了。書評、文庫解説など、本についての話題を中心としたエッセイ集。シュルレアリスムにはまっていた青年時代から、好きな作家へのオマージュまで幅広い本が紹介されている。中島らもといえば、元コピーライターで劇団を主宰したこともあり、役者としても舞台に上がるし、シンガーソングライターでもある。「作家」という枠には収まらない人だが、本書を読むと、やっぱり本を読むこと・書くことに対して特別の思い入れがあることがわかる。東海林さだおの書評に顕著だが、本の「おもしろさ」を見抜く眼力も鋭い。


2004/06/14/Mon.
▲晴れ。
▲家人の仕事(グラフィック・デザイン)がせっぱ詰まってきて、イクヤの子守が今日の俺の仕事。つかまり立ち、つたい歩きで目が離せないし、おむつ交換、離乳食、ミルクと世話が焼ける。昼寝をしてくれたので、そのあいだにちょっとだけ自分の仕事もした。
▲夕方に打ち合わせが入っていたので外出し、そのまま毎週月曜日の写真ワークショップに参加する。
▲新宿。フォトグラファーズ・ギャラリーで写真展を見た。写真家の名前は失念。元田敬三さんの写真と見違えた。場所がフォトグラファーズ・ギャラリーだという理由もあるにせよ、ある作家とそっくりな写真を撮ると思われるって、写真家にとってどうよ? と思う。しかも、元田さんの写真のほうがずっと端正。
▲駅のホームで、白いブルゾンの男が女性に大声で人を呼ばれ、駅員に引っ立てられていった。女性のスカートの中に携帯をつっこんで写真を撮ろうとしたらしい。哀れ。


2004/06/13/Sun.
▲イクヤと留守番。子守をしている時間というのはまず、何もできない。このうえなく無為な時間だなあ、と思う。そういう時間が自分の生活に生まれたことがなんだか不思議なことのように感じる。
▲夜は暗室。夕飯後から明け方まで。だんだん楽しくなってきた。
▲中島らも『空のオルゴール』(新潮社)読了。フランスの奇術師ロベール・ウーダンの史料を求めてパリに渡った大学院生のトキトモは、大学時代の友人リカと再会する。リカはチャイナドレスを着て奇術師になっていた。彼女の師匠がウーダンについてよく知っていると知り、ゆっくり話を聞く機会を得るが、その師匠が殺される。さらに、次々に奇術師たちが殺されていく。キリスト教原理主義の過激派から命を受けた殺し屋集団の仕業だった。トキトモたちが暗殺集団と闘うために一致団結するが……。奇想天外なエンターテインメント小説。ただし、物語の展開は粗っぽく、文章のテンションはゆるゆる。らもさんは眼圧が高くなり口述筆記をしていた時期があるということだが、そのときに書かれた本ではないかと思った(のちに直接らもさんに尋ねたところ、口述筆記だったとのこと)。しかし、粗くてゆるくても、読者を楽しませるサービス精神は旺盛。殺し方、殺され方に工夫があるし、奇術師集団のキャラの立ち方、軽妙なセリフのやりとりはいつもの通り。


2004/06/12/Sat.
▲晴れ。
▲暗室教室。プリント。ノートリミングでも焼いてみる。今回は、「硬すぎる」とのことで1号、1.5号という軟調フィルターを掛けてプリント。写真に興味を持った当初は、白と黒がはっきりと分かれたコントラストの高い(硬い、とモノクロプリントでは表現する)写真のほうがパリッとしてかっこよく感じたのだが、次第に感じ方が変わってきた。白と黒の間のグレーの豊かさこそモノクロプリントの魅力だとわかってきた。しかし、軟調に焼くとぼんやりしてしまうネガもあり、程度が難しい。白と黒の間の「程度」を決定することが案外難しいのである。今日はプリントの最終回だったのだが、それなりに上達したという実感が得られた。
▲うちに帰ってから、127フィルム(ベスト判とも言う)のモノクロ現像に挑戦する。英国パターソン製のユニバーサルタンク(輸入元は浅沼商会)は、リールの幅が可変式になっていて、35ミリから127、120・220(ブローニー)まで対応している。ぼくは127フィルムを使う4×4カメラに凝ったことがあり、記事を書いたこともある(「季刊クラシックカメラ 18号 特集ローライ」)。なので、このタンクの存在は知っていたが、モノクロの自家現像は初めて。最初、リールの幅をどう変えるかわからず、難儀した。助けてくれたのはインターネットの暗室サイトである。フィルムはクロアチア製のefke。フィルムの箱に書いてある現像処方にはefke製の現像液のほか、イルフォードのID-11のデータが載っていた。efkeの現像液は日本では売っていないので、ID-11でデータ通りに現像することに。驚いたのは前浴した水がグレープジュースのような濃紺だったことだ。かぶり防止のため、フィルムベースに色素を使うというのは知識で知っていたが、こんなに強烈に使っているなんて。さすがクロアチア製。よほど製造法が古いのではないか。結果としては問題なく現像できたが、どういうわけか定着むらができてしまい、翌日定着し直した。


2004/06/11/Fri.
▲晴れ。
▲ラボから上がった写真を選ぶ。対談5つ分。けっこうな量になった。
▲池袋ビックカメラで林家ペーを目撃。地下から1Fへの階段の踊り場で携帯電話で話していた。おそらくラボにフィルムを出しにきたのだろう。ビックカメラのポイントが大量にたまるという話を雑誌の記事で読んだことがある。
▲中島らも『西方冗土』(集英社文庫)読了。「関西人はすぐに『関東VS.関西』のような考え方をするけれど、それは関西人だけが一人でいれこんでいる一人相撲にすぎない」と関西人への冷めた視点を持ちながら、大阪に事務所を構えて関西で仕事を続けている中島らもが「この本の出版をもって、関西論や関西の人、物に関することは以降、一切書かないことにする」と断っている「最後の関西本」。名著『なにわのアホぢから』に比べれば「薄い」が、その力の抜け加減が読んでいて気持ちがいい。らもさんのエッセーを読んでいると同じ話が何度か出てくることがあるが(小説のエピソードとして転用されることもある)、何度出てきてもそのたび面白いと感じるのは、その「話芸」の巧みさにある。「アイディアの墓場・関西」というエッセーはそのタイトルがすでに言い得て妙だが、関西論としても秀逸と思う。吉村智樹撮影による関西のヘンな看板写真も最高。


2004/06/10/Thu.
▲晴れ。
▲パティーさん来宅。イクヤの出産祝いに甚兵衛を貰う。着せてみると、赤ちゃんというより子供という感じで、大きくなったなあ、と思う。いまにも歩き出しそうだが、まだつかまり立ち&つたい歩き。おねえさんに遊んでもらってキャッキャと喜んでいた。
▲中島らも『逢う』(講談社文庫)読了。親本は96年刊。対談集。登場するのはチチ松村、山田風太郎、松尾貴史、ツイ・ハーク、井上陽水、山田詠美、筒井康隆。


2004/06/09/Wed.
▲くもり。
▲家人が買い物にいっているあいだ、イクヤと少しだけ昼寝。
▲駒沢大学前駅からほど近いbar-closedで、中島らもさんと松尾貴史さんの対談。劇団リリパット・アーミーにも参加していた松尾さんとらもさんのつきあいは長い。二人のやりとりは掛け合いの妙があり、話が転々とすることそのものにおかしみがある。開店前から始まった対談は4時間におよび、終わったころにはバーはお客さんでいっぱいになっていた。この対談で、『なれずもの』の前半戦は終了。
▲『なれずもの』の編集者、屋田氏から、氏の最新の仕事『壁女』(松山ひろし著 イースト・プレス)をいただく。大ヒットした『3本足のリカちゃん人形』(松山ひろし著 イースト・プレス)に続く「真夜中の都市伝説」第2弾である。熱帯夜に読みたいコワ〜イ一冊。


2004/06/08/Tue.
▲曇り。
▲恵比寿東京都写真美術館の4Fライブラリで、英国の写真家マーティン・パー(Martin Parr)の写真集を数冊見る。とくに気に入ったのは『The Last Resort』。副題はPhotographs of New Brighton。昔からのリゾートとして知られるブライトン・ビーチをカラーでスナップした写真集。腐りかけたリゾートのうまみが見事に捉えられてて、しびれる。別の写真集では、日本では東武ワールドスクエアを撮影するなど、風景の「いやげもの」感のある写真を撮っている。今年のアルル国際写真フェスティバルではディレクターを務め、日本から金村修、川内倫子、松江泰治を指名している。
▲代官山。本上まなみさんの事務所で、中島らもさんと本上さんの対談。らもさんは、本上さんを絶賛、歌を捧げていた。2曲目だそうだ。本上さんはオリンパスペンFTというハーフサイズカメラを使っていると知っていたので、ぼくが編集した『使うハーフサイズカメラ』(飯田鉄著 双葉社)を進呈する。ローライもお使いだそうだが、最近はなかなかゆっくり撮影する機会もなく、HP更新のためにデジカメをお使いだそうだ。ぜひフィルムカメラも愛でていただきたいです。
▲中島らも『なにわのアホぢから』(講談社文庫)読了。らもさんがコピーライターだった頃にひさうちみちお、鮫肌文殊ら、一筋縄ではいかない面々を集めて作った「大阪本」。大阪に関する、虚実交えた「ネタ」をぶちこんで、バカバカしいことこのうえない。電車のなかでは読めない抱腹絶倒本。巻頭の「座談会」の脱力ぶりからしてすばらしい。とくに大阪の質屋に飾ってあった「ストラディバリウス」の値段を店主に尋ねるくだりは何度読んでも笑える。「沈没都市除霊紀行」と題し、大阪の奇妙な飲食店を紹介したり、「大阪フライデー」なる章は架空の大阪事件簿。「何故、大阪ばかりが犯罪にもてる」なる、トンデモ考察もある。この本の存在そのものが大阪を雄弁に語 っている、と評したら、大阪の人たちに怒られるかな?


2004/06/07/Mon.
▲晴れのち雨。
▲安部譲二さんのご自宅へうかがい、安部さんと中島らもさんの対談の様子を撮影する。昨日と同じく『なれずもの』(イースト・プレス 今秋〜冬刊行予定)の対談。らもさんが到着する前に少し時間があったので安部さんとお話したのだが、ぼくが持っていったローライを見てたいへん懐かしがっていらしゃった。若いころ、カメラマンになりたかった時期があったとのことで、コレクションのカメラを見せて貰う。グラフレックス、イコンタといった蛇腹式のカメラだ。当時、ローライが欲しかったが、ドイツのカメラ屋にすすめられてツァイスのイコフレックスを買い、使いづらくて売ってしまった話などをうかがう。マーガレット・バーク・ホワイトのアシスタントを三木淳とともにつとめた話には仰天。報道カメラマンのアシスタントをしていたこともあったとか。そのときの感度はたったの「ASA6」だったらしい。ローライで撮影すると、作家になって初めて、と喜んでもらった。らもさん到着後はじまった対談では、安部さんの話術が冴え渡り、らもさん、大爆笑。楽しい対談だった。
▲タクシーで移動。らもさんとリトル・モアの竹井正和社長との対談をリトル・モア社内で。竹井さんとは以前写真展のパーティーで挨拶だけはしたことがあった。その時の印象よりも少年っぽさが増量された感じがする。なんとなく。安部譲二さんの対談とは反対に、らもさんのトークに竹井さんがバカうけしていた。
▲今回の『なれずもの』の仕掛け人、敏腕編集者の屋田氏と外苑飯店で打ち合わせがてら食事をする。最後は雑談になり、新米パパ同士、子供の話などしてみる。


2004/06/06/Sun.
▲雨。梅雨入り宣言。夕方から晴れる。
▲新宿かぼちゃ中島らもさんと柴山俊之さんの対談。今回は珍しく写真撮影のみのオファーを受けた。撮影場所のかぼちゃは新宿ゴールデン街の古びた味わいのあるバーである。
▲柴山さんは福岡の伝説的ロックバンドSONHOUSE(サンハウス)のヴォーカリスト「菊」として活躍、SONHOUSE時代から作詞の才能も高く評価され、シーナ&ロケッツやアン・ルイス、ルースターズ、松田優作らに詞を提供している。現在はZi:LiE-YAというバンドを率いている。らもさんいわく「日本で最初にロックの詞を書いた人」。この日の対談は柴山さんが音楽を始めたいきさつや少年時代、グル−プ・サウンズから日本のロックの黎明期へと移行する時代を振りかえる一方で、ロックの本質に迫る話題も。ギター持参のらもさんが弦をかき鳴らす一幕も。濃厚な時間だった。この対談は、今秋〜冬にイースト・プレスから刊行される中島らも対談集『なれずもの』に収録される。お楽しみに。


2004/06/05/Sat.
▲くもり。
▲眠くてしょうがない。
▲イクヤに朝御飯を食べさせて、二度寝。午後2時まで床を出られなかった。
▲高円寺へ。中里和人写真展「闇の境界」(イル・テンポ 〜6月12日)を見た。中里さんとお会いして沖縄のことなどあれこれと聞く。展示されている写真は写真集『キリコの町』『逢魔が時』(中野 純文 ピエ・ブックス)などに収録されているもので、これまでに見たことのある写真だが、やはりプリントにしたときの美しさ、質感には魅力がある。
▲夜はまたプリント。眠くて調子が出ない。結局9時スタート1時終了。20枚に満たない枚数を焼いただけ。ウルトロン35ミリF1.7でTri-X400をISO320の露出設定で撮ったフィルムがイメージに近いことがわかり、今後その設定で撮ることにある。
▲中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 増補版』(朝日文芸文庫)読了。こちらは94年初版だが、集英社文庫版は97年刊なので、集英社版のほうこそ「完全版」なのかもしれない。小学校で神童。灘高には8番の成績で入ったものの、音楽に夢中になっておちこぼれに。高校、大学時代の話など、青春エッセイ。タイトルが絶妙。


2004/06/04/Fri.
▲晴れ。
▲昨晩、かぼちゃで撮ったテスト写真の現像。まあ、なんとかなりそうな手ごたえをつかむ。夜は明け方までモノクロプリント。
▲田口ランディ『富士山』(文藝春秋)読了。富士山をキーワードにした短編集。スピリチュアルなメッセージがややパターン化してきているかも・・・・・・と危惧しつつ読んだが、少年を主人公とした「樹海」のように、これまでの田口作品とはちょっと趣のことなるものもある。4つのお話はそれぞれ興味深い題材(オウムを思わせる新興宗教から社会に戻ってきた青年や、ゴミ屋敷のゴミばあなど)を取り上げて、お話作りのうまさは相変わらず。
▲中島らも『バンド・オブ・ザ・ナイト』(講談社文庫)読了。印刷営業マン時代から、退職後2年間にわたってフーテン生活を送った日々が描かれている自伝的小説。中島らもは自身のエッセーや対談でこれまでの半生をよく語っている。この小説はこれまで断片的に語ってきた「ネタ」をもとにした自伝的小説だが、その「ネタ」の醗酵具合が絶妙で、知っているエピソードでも気にならずに楽しめる。まさに絶妙な「話芸」ならぬ「文芸」の傑作。中島らもといえばアルコール、ドラッグとの関わりが印象的だが、この小説ではラリった状態であふれ出てくる言葉のイメージが自動筆記的に描かれる。シュルレアリスムに傾倒していた中島らも自身の青春時代の残像なのだろう。そこにも懐かしき文学の香りがする。しかし、そのような文学の世界はもうどこにもないのだ、ということを中島らも自身がいちばんよく知っているというのがこの小説のミソである。


2004/06/03/Thu.
▲たぶん、晴れ。
▲Iさんと飲みにいく。新宿「かっぱ」のママさんに懇切丁寧に持参した写真を見て貰った。スナップ写真の面白さは、そこに写っている人たちの「事情」や「生活」はては「人生」まで勝手に妄想を膨らませることだが、客商売を長く続けているママさんだからなのか、事細かな講釈を聞かせてくれて実に楽しかった。
かぼちゃで対談の撮影をすることになり、そのテスト撮影を口実に飲みにいく。照明が暗い店なので、ストロボで光を回してみたり。その後、マスターとほかの店に出かける。


2004/06/02/Wed.
▲天気不明。
▲フィルム現像6本。無事完了。
▲中島らも『アマニタ・パンセリナ』(集英社文庫)読了。読み始めてすぐに「あ、これ、前に読んだな」と思い出した。大学を出て会社員になったばかりのころだ。アシスタントについた先輩社員のHさんが勧めてくれたのである。Hさんは学生時代からアジアのあちこちを長期旅行していて、社会人になってからも長期休暇をとって海外旅行に行くような人だった。ぼくと同じ人種だな、という匂いを感じていたのですぐに気があったから、『アマニタ・パンセリナ』もすぐに読んだ。面白かった。
▲がまの油で「ラリる」ことが可能かどうかというところから話をはじめ、睡眠薬、マリファナ、LSD、覚せい剤からアルコールまでさまざまなドラッグについて自己の体験と薀蓄を述べていく。中島らもは人類が「ラリる」ことに執着するのは、子供がぐるぐる回って酩酊感を楽しむことと共通していると喝破している。そのうえで、覚せい剤を「卑しいドラッグ」と一刀両断する「基準」を示している。「ドラッグ=怖い」と思い込むのではなく、正しい情報が必要だと説いてもいる。ご本人が日本国内でマリファナを楽しんだという罪状で警察に捕まってしまったのは残念だが、マリファナよりももっと悪いクスリがいくらでも手に入ることがこの本を読むとよくわかる。久々に読んだが、よく覚えている話であっても、その名調子に唸らせられる。ところで、Hさんはいまでも中島らもを読んでいるのであろうか? この日記を読んでたら、メールください。


2004/06/01/Tue.
▲くもり。
▲写真展「東京写真月間2004 明日のために 日本のドキュメンタリー写真家」(東京都写真美術館 〜6月3日)
出品作家は石川文洋、今岡昌子、大石芳野、亀山亮、菊池修、桑原史成、長倉洋海、英伸三、広河隆一、福田文昭、三留理男、森住卓、八重樫信之、山本將文。とくに印象的だったのは、八重樫信之が撮影したハンセン病の元患者たちの写真。モノクロ正方形フォーマットで正面から彼らの顔、姿をまっすぐ撮っている。おそらく、見られることそのものに抵抗を覚えるであろう人たちがカメラに軟らかい表情を向けている。それだけで感動できる。それでいて、事実を事実として冷静に伝えようとする写真家の姿勢がうかがえ、考えさせられもした。また、ソ連時代に原爆の実験場だった地域の人々を撮影した森住卓の作品は衝撃的だった。ロシアの核実験地域の汚染問題は聞きかじっていたが、これほどの悲劇が国家ぐるみの「犯罪」によって引き起こされていたとは。写真とテキストがその現実を鋭く告発している。
▲写真の巧拙とは別の問題で考えさせられたのはカラーとモノクロ。長倉洋海と今岡昌子の二人のカラー作品にとくに感じたことなのだが、モノクロの報道写真のなかにおくと、そこだけテレビ画面のように見えてしょうがなかった。いまや、映像のニュースはすべてテレビでカラー映像として目にすることができる。カラー写真は、テレビで見た映像のデ・ジャ・ヴのように感じられる。一方、色彩という情報を取り去ったモノクロ写真は、立ち止まって考えさせてくれるだけの「単純さ」がある。情報量を重視すればカラーの勝ちだが、報道写真家が伝えたいことを伝えるための表現手段としてはまだまだモノクロも十分な価値を持っていると感じた。
東京都写真美術館で、もう一つ写真展を見る。奈良原一高写真展「時空の鏡:シンクロニシティ」(〜7月11日)。奈良原一高のこれまでの道程をたどることができる規模の大きな写真展。とくに初期からヴェネツィアまで(2F)は見応えがある。大学院で美術史を学ぶ学生だった奈良原一高は、たまたま手にしたカメラで作品らしき習作を撮影することに夢中になり、軍艦島まで撮影旅行に出る。「人間の土地」と題された写真展を開くや、一夜にして写真家になってしまう。1950年代、まだ写真がモダンなメディアとして人気を得ていた時代でもあり、また、「アート」に接近した写真が待望されていた時代でもあった。ヨーロッパ、アメリカへの長期間に渡る滞在、ファッション、都市の風景など多岐に渡る題材を奈良原流に消化するその手さばきの鮮やかさが今回の展示からもうかがえる。


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