A DAY IN MY LIFE

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2004/04/30/Fri.
▲晴れ。連休谷間の平日。
▲早稲田。ビジュアルアーツギャラリー・東京へ。歩いて行ける距離なのに足を運んだことがなかった。吉川卓志写真展「花環」(〜今日まで)をやっていた。6×7だろうか、おそらくカラーネガで撮影し、インクジェットで出力した大伸ばしプリント二十数点。被写体となっている仲間のたそがれた表情がいい。底明るい陰鬱とでもいおうか、青春だなと思う。記憶に残るカットは、病院のベッドの女のこの身の置き所のない表情や、イラク炎上の新聞のうえでメモ書きをする若者の写真。会場に置かれていた同じ写真家のポートフォリオ(コニカフォトプレミオ入賞作品)はご近所を撮ったものらしかったが、意外と古いものを丁寧に撮っていて手堅い。
▲ほかに、ロビーで3人の展示があった。写真がたくさん見られるのは楽しい。
▲大学から戸山公園のほうへ歩いた。散歩日和なり。
▲明治通り添いのダイソーでロートとか保存タンクとか、暗室用品を買う。ところが、帰っていざ、現像と思ったら、温度計が見つからない。引っ越して以来、一度もプリントをしていないので、どこに入っているのか見当もつかない。現像は明日に順延。
▲イラク日本人人質事件の被害者のうち、2人が記者会見。会見内容は、予想した通りで、とくに面白いところはなかった。2人とも、もうすっかり、普通の日本人に戻った感があった。これにてこの話題も終了だろう。


2004/04/29/Thu.
▲晴れ。みどりの日。
▲クスリが効いたのか、体調はかなりよくなった。
▲午後、新宿へ出て、ヨドバシカメラの暗室コーナーでお買い物。以前は西口本店地下にあったが、いまはフィルム館の2階。売場の規模も小さくなり、客足も減っている。フィルムの時代の終焉が近づいていることを実感できる。まあ、でも、そんな時代だからこそ、モノクロが面白い、とアマノジャクのぼくは思う。
▲柳原慧『パーフェクトプラン』(宝島社)。昨日読んだ『ビッグボーナス』(宝島社)に引き続き、第2回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作品。こちらは「大賞」。こちらも予想外(失礼)に面白かった。文章はいささか荒っぽく、奇想ともいえる設定にリアリティは感じないが、奇想による誘拐事件で終わりにせず、実はそこから物語が始まるところがなかなかやる。
▲「歌舞伎町の女王」と呼ばれたこともあったホステスの良江は、容色衰えてから、代理母として子供を生むことで報酬を得ていた。4人目を妊娠中の良江は、臨月の腹を抱えて、最初に生んだ子供の様子を見に行く。俊成という名前のその男の子は、母親から手ひどい虐待を受けていた。見かねた良江は、俊成を発作的に誘拐する。良江と浅からぬ因縁のあるキャバクラの店長・幸司、ポーカー喫茶店長・赤星、元株屋の龍生は、良江ともどもエニグマと名乗り、身代金を1円も要求しない誘拐を立案、実行する。しかも、誘拐で得る報酬は5億円。
▲俊成の父、俊英は、独立系の投資信託会社を営んでおり、金融工学のプロだった。俊英に企業情報を流し、特定の株価をつり上げ、利ざやを稼ぐことがエニグマの目的だった。パートナーが作った損失に頭を抱えていた俊英にとっても、渡りに舟だった。かくして、誘拐犯と被害者の利害関係は一致し、被害者のいない犯罪になるはずだった。ところが、その両者の動きを逐一ハッキングしている男がいた。ヨシュアと名乗るその男は、この事件に関わったすべての人間をつぶすべく、動き始める……。
▲アラを探せばいくらでも見つかりそうだが、筆に勢いがあるし、キャラも立っている。虐待の家から子供を誘拐、卵子のなかのES細胞を使った若返り、生さぬ仲の父子の愛、歌舞伎町の疑似家族などなど、親子、家族についてのネタをつっこんで、まとめあげた苦労のあともうかがえる。 ハッキングに詳しい美貌の女刑事、鈴村馨もオタク美女という設定がそそる。ぜひシリーズ化してほしい。ただ、『ビッグボーナス』同様、こちらのタイトルもいかにも凡庸なのが惜しい。応募時のタイトル『夜の河にすべてを流せ』というのもどうかとは思うが、『パーフェクトプラン』じゃあ、あまりにもそのまんまだ。


2004/04/28/Wed.
▲晴れ。
▲病院でのどと熱のクスリをもらって帰る。今日は一日おとなしく寝ていることに。
▲天童荒太『贈られた手 家族狩り第3部』(新潮文庫)『巡礼者たち 家族狩り第4部』(新潮文庫)を続けて読む。第5部(完結編)が出るのは来月。待ち遠しい。ゆったりとしたリズムで物語が進んでいるので、ほんとに次の1冊で終わるのだろうかといぶかしく思うほど。単行本の『家族狩り』(新潮社)はもっとスピーディーで切迫感があったように記憶している。それだけ作者の作品に対する考え方が変わったということだろう。
▲風邪で学校を休んで、蒲団のなかで本を読むのが好きだった。そんなときには、ミステリとかSFとか、面白い「お話」が読みたい。というわけで、未読のままになっていたミステリを本棚から引っぱり出して読む。ハセベバクシンオー『ビッグボーナス』(宝島社)を一気読み。第2回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞作だが、ペンネームとタイトルがひどい。まともな本読みなら絶対に手にすらとらないだろう。ところが、読んでみると意外に面白い。B級映画の面白さというか、Vシネマでぜひ映像化して欲しいタイプのスピード感がある。最初のページから「客(もしくはカモ)」とのトークで読者を引き込む。パチンコ攻略情報を販売している「トリプルセブン」の実質的ナンバーワン東(あずま)が主人公。パチンコメーカー時代の上司が金主になって攻略情報会社を起こし、客に99パーセントのガセネタと、1パーセントの攻略情報を売りつけている。攻略情報をめぐって客(ギャンブル中毒者たち)との駆け引き、ライバル会社との情報の取り合い、ヤクザが絡んでの脅し等々が描かれる。主人公がSM好きだったり、ヤクザが出てくるわりには、描写はあっさりとしていて、気分が悪くなるような「リアリティー」はない。公募作品なので、シロウトっぽいところもあるけれど、元気がいい。単行本1600円は高いが、文庫ならモトが取れるという感じか。昨年の第1回「このミステリーがすごい!」の受賞作(タイトル失念)は文章もストーリーにもついていけず途中で挫折してしまったが、今年は最後まで読めてよかった。受賞作はもう1冊あるので、そっちにもチャレンジしてみよう。


2004/04/27/Tue.
▲雨。ほとんど嵐。
▲町田。加納朋子インタビュー。著書のイメージ通りの優しい雰囲気の女性だった。インタビューはオンライン書店bk1に掲載されます(付記:というか、もう掲載されてます→加納朋子インタビュー)。
▲横浜線で桜木町へ。体調は悪いし、加納さんの写真を撮るために持っていったカメラは重いしで、帰ろうかどうしようかかなり迷ったのだが、結局行くことにした。春風社におじゃまし、写真集『九十九里浜』(小関与四郎)『九十九里浜』の写真原稿を見せてもらう約束があったのである。『九十九里浜』は昭和30年代〜40年代にかけての、海の男たち、女たちの息づかいが聞こえてくるような迫力ある写真。小関は、時には男たちについて波しぶきの中に突進して撮っている。おそらくカメラが水をかぶって壊れたこともあったのではないか。身体ごと被写体に向かっていくような一面がある反面、モダニズムの影を感じさせる構成的かつ叙情的なスナップもある。聞けば、木村伊兵衛の推挙で雑誌に写真を載せたこともあるというから、当時、全国にアマチュアカメラマンのネットワークを張り巡らせていた巨匠(写真家として高名なだけでなく、アマからカリスマ的な人気のあった文字通りの「巨匠」だった)の耳に聞こえるだけの評判が聞こえていたということなのだろう。小関は地元で写真館を営みながら、ひたすら九十九里を撮り、ほとんど自費に近いかたちで出版した同名の写真集によって写真協会新人賞を受賞しているが、アマチュアカメラマンの地方風物を撮った写真からは頭抜けた迫力(ある種、異様な)があったからだろう。
▲写真原稿をすべて見せてもらってから、和田誠のデザインによるゲラを見せてもらう。すると、オリジナルプリントと比較して、写真が実によく「動く」。映画監督しても高い評価を受けている和田誠だけあって、カットカットのつなぎが写真を生き生きとさせている。和田の構成には、小関から異議が出されることもあったというが、旧版の写真集(これも見せてもらった)とも異なり、オリジナルの写真とも異なる、しかし、写真家のパワフルな撮影ぶりにはこの流れこそがふさわしいのではないかと感じさせるスピード感が見事に出ている。
▲いわゆる写真業界と関わりのない出版社から、写真界の主流とは距離を置いて活動してきた写真家の写真集が出版される。介添人たるデザイナーが和田誠、推薦文を寄せているのは、写真評論とは直接関係ない、学識者、著名人たちである。この写真集を、写真を本職にしている人たちがどう受け止めるのか、あるいは無関心を決め込むのか。興味深いところだ。


2004/04/26/Mon.
▲くもり。
▲午後、所用あって新宿に出るが、体調が徐々に悪くなっていった。のどが腫れて痛い。
▲最後に取っておいた加納朋子の最新刊『スペース』(東京創元社 5月27日刊行予定)を読み終える。『ななつのこ』(創元推理文庫)『魔法飛行』(創元推理文庫)に続く短大生の「駒子」を主人公とするシリーズ第3弾。『ななつのこ』『魔法飛行』を読んでない方はこの作品は読まないほうがいい。というか、前2作を読んでから『スペース』を読むべし。前2作は2年間に相次いで刊行されたが、今回の3作目まで11年の月日が流れた。しかし駒子ちゃんはあいかわらず短大生で、時代背景も90年代前半頃。しかし、時代風俗は描き込まれていないから、三作通して読んでも古くささは感じない。何しろ前2作抜きには語れない作品なので細かくは紹介できないが、ファンを裏切るようなできになっていないことだけは保証できる。いよいよ充実した仕事ぶりである。


2004/04/25/Sun.
▲晴れ。
▲牡丹が見頃ということで、今年もうちの近くの薬王院へ行く。しかし、牡丹という花はなんとなく野暮ったいですな。ティッシュペーパーでできているみたいと思う。年輩の方でにぎわっていた。デジカメ、ニコンF80などで牡丹を撮っていた。
▲雑司ヶ谷の方へ歩き、久しぶりに鬼子母神にお参りし、早稲田の方へと歩く。
▲加納朋子『コッペリア』(講談社)読了。加納朋子といえば、日々の暮らしに埋没しているふつうの人々を主人公に、さりげなくミステリアスなストーリーをつむぐ巧みさに定評がある。「日常の謎」を題材にしているので、殺人事件や犯罪とは縁がない。子供から大人まで読める「絶対安全」なミステリとでもいおうか。しかし、加納朋子の小説に毒がないというわけではない。ミステリというジャンルが嘘と騙しで成り立つ分野であることには変わりなく、これまでの作品にも、小さな悪意はしっかりと描かれていた。しかし、多くの加納ファンにとって、小さな悪意は作品に加えられたスパイスであり、決して主役となるような味わいではなかった。
▲ところが、昨年刊行された『コッペリア』では、著者としてはほとんどはじめて、明確な悪意を剥き出しにする人間や、社会から逸脱したエキセントリックな登場人物を登場させ、まったくの虚構のなかに物語を構築するという挑戦を試みている。強烈な個性を持った人形を作る女性人形作家の作品に魅せられた青年と、その人形にそっくりな顔をした小劇場の女優とが出会う。物語は複数の登場人物の視点で語られ、ミステリ的な仕掛けも施されているが、読みどころはこれまでの加納作品とひと味違う硬質な文章と、人形に魅せられ、人生を狂わせていく人間たちの姿だろう。作品の完成度については賛否あるだろうし、後段の展開の落としどころについて一言言いたくなる読者もいると思う。ぼく自身も前半、大きく期待した分、後半ではやや肩すかしという感想を持った。しかし、自身の得意とする世界を端正に描いてきた作者が、あえてこれまでの作風を変えた勇気を評価したいし、また、作者の本質に、こういう物語を描きうる資質があるようにも思う。加納朋子の新たな一面が垣間見られる作品として興味のある方はぜひご一読を薦めたい。


2004/04/24/Sat.
▲晴れ。
▲モノクロ写真教室の2回目。今日のお題はフィルム現像。プリントはしたことがあったが、恥ずかしながら、自分でフィルム現像をやるのは初めて。現像タンクを譲ってもらってあったに、せっかく撮ったフィルムをダメにするリスクを思うとなかなかやろうという気になれなかった。リールにフィルムを入れるのがなかなか難しくて、練習用フィルムで何度も練習する。フィルムを巻き終わったあとも、ちゃんと巻けたか、真っ暗闇のなかで不安になる。
▲現像、停止、定着、水洗。この作業はプリントと同じだが、金属製のタンクは液を入れると重くて、振るのがなかなか大変。振って止めて、トントン(気泡取り)、を時計を見ながら繰り返す。秒単位で繰り返すのでけっこう複雑だ。
▲現像完了後は乾燥機で乾かしてもらって、ベタ焼き(密着。全カットを1枚の印画紙に焼き付け一覧できるようにする)を作る。久々に伸ばし機をいじった。楽しい。おおむねうまくいった。ほかの参加者のベタをのぞくと、リールにフィルムを巻くときに歪んでしまい、一部分現像が失敗している人もいた。それなりに難しいということだろう。
▲新宿。ピッチーファーでタイ料理を食べて帰る。帰宅後、さっそくうちにあったマスコの現像タンクでリールにフィルムを巻く復習。マスコのタンクは教室で習ったLPLのタンクとはちょっとだけ違うようなので説明書を読む。攪拌効率に絶対の自信を持っていることがよくわかる立派な解説書。実際に現像してみるのは明日以降にする。
▲加納朋子『レインレイン・ボウ』(集英社)読了。『月曜日の水玉模様』(集英社文庫)の主人公、陶子がふたたび登場する。しかし、単独の主人公ではなく、彼女が高校時代にキャプテンを務めていたソフトボール部のチームメイトたち(ぞれぞれ社会人として生活している)がそれぞれのお話の主人公となる連作短篇集。物語の発端は、しばらく会っていなかったチームメイトの知寿子(チーズ)が心不全で亡くなったという報。同級生、同窓生の死をきっかけに、久々に再会を果たすという設定はよくあるが、『レインレイン・ボウ』では、彼女の死の周辺をぐるぐる回りながら短篇が連作されていき、「死の真相」へと直線的に進むミステリ的な構造は取っていない(しかし、短篇それぞれに謎と解はきちんと用意されているのはいつもの加納ワールド)。読者も、謎解きよりも、高校時代からさほど遠くはないが、決して近くもない二十代の女性たちの心の動きに面白さを感じるだろう。取材しているのか、身近にモデルとなるような女性がいるのか、主人公たちの社会生活にリアリティーがあり、ミステリ的な興趣に劣らず楽しめる。


2004/04/23/Fri.
▲晴れ。
▲品川。神宮妙子写真展「Transgender?第3の性」再春館ギャラリー 〜4月28日)を見に行く。「日本カメラ」の口絵で見たときには、いわゆるトランスジェンダー、日本で認知されている言葉でいえば、性同一性障害の「女性」(社会的には男性)を撮影した作品として、ごくあたりまえの視点で描いたドキュメンタリー写真なのかなあ、と思っていた。ところが、写真展ではまったく違った印象を受ける。ごくふつうの生活を送る一人の女性の姿が淡々と、丁寧に思い入れを持って撮影されている。「彼女」が元は男性だということを見る側は予備知識としてわかっているが、写真は視覚的にその思いこみをくつがえしていく。その距離感の取り方に、親しさの中にも、相手を尊重する繊細さを感じた。温黒調のプリントからは、アメリカ郊外の土臭さが香ってきて、ドキュメンタリー写真にありがちな、テーマ主義に陥ることから逃れている。一枚いちまいの写真に多くのもの(読みとり、受け止めるのは見る側である)が盛られていると感じた。カメラ雑誌では、作品を短いページで紹介する都合、トランスジェンダーの「彼女」を強調する写真が選ばれたのだろう。その「わかりやすさ」と、実際に写真家が表現しようとした姿勢とには大きな解離があると感じた。写真展紹介としばしば揶揄されるカメラ雑誌が陥りがちな誤謬だとも感じた。
▲京急北品川駅前商店街は予想外に立派な商店街で歩いていて楽しかった。東京の南側のほうを歩く機会があまりなかったので、新鮮だった。
▲新宿。第29回木村伊兵衛写真賞受賞作品展『澤田知子写真展「Costume」+「cover」』コニカミノルタプラザ 〜4月30日)を見る。エンターテイメント的な面白さのある作品。シンディー・シャーマンや南伸坊、森村泰昌という先達と比較すると、澤田の作品の魅力とは、すなわち作者自身のタレント性だと思う。写真に写った自分は美人だと思う、という旨の発言からも明らかなように、作者は自分に一番関心がある。いかにもいまふうでわかりやすいけれど、だからなんなのよ? という、身も蓋もない感想を抱いた。
▲夜は新宿御苑でOさん、Iさんとさくら鍋をつつき、いつものように歌舞伎町に流れる。


2004/04/22/Thu.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1で定例ミーティング。新宿経由で西荻窪へ。
▲秋に写真展を予定しているKさん(ホームページで「写真展への道」を連載中)の写真を見せてもらう会。これまで焼いたプリントと、直近のベトナム旅行のベタを見せてもらう。まずはプリントの上達ぶりにびっくりした。 次に、写真も以前よりも断然良くなっている。個人的な感想を勝手に書いておくと、6×6にしてから、サイゴンを散歩している感がより濃厚になってきている。おそらく、その歩みのスピードがゆったりとしたことで、物事をよく見るようになったことと、頭を下げて写真を撮影するスタイルが被写体との関係性を変えていったんだと思う。写真展を開こうという目的意識が生まれたことも大きいと思う。サイゴンの路地を歩くKさんの姿が彷彿とするような写真だった。見応えのある写真展になりそうだ。ぼくも微力ながらお手伝いするつもりでいる。


2004/04/21/Wed.
▲晴れ。
▲今夜は浅草。行くつもりだった店が休みで、谷佳代さん、大池直人さんには悪いことをしてしまった。谷さんのモノクロプリントを見せてもらい、大池さんがアドバイス。谷さんの猫の写真、家族の写真はセンスがあると思うし、もっともっと撮って欲しいが、人ぞれぞれ人生の都合というものもあるので、写真写真とばかりいっていられないのも仕方のないことなのか。何事もそうかもしれないが、結局、続けた人しか生き残らないんだと思うんだけど。うーん。


2004/04/20/Tue.
▲晴れ。
▲いたさんと新宿歌舞伎町「かっぱ」で飲む。といっても、当方は体調があまりよくないので酒はやめておく。イラク日本人人質事件の会見を見ていたとき、飲み屋で見知った顔にそっくりな人がいたので「他人のそら似とはいえよく似てるなあ」と思っていたら、本人だった。3人のうちの1人の親戚らしいが、ちょっと笑った。
▲加納朋子『魔法飛行』(創元推理文庫)読了。『ななつのこ』(創元推理文庫)の続編。『ななつのこ』の主人公、駒子ちゃんが再び登場する。『ななつのこ』には、連作短篇の前提をくつがえす「仕掛け」がしてあり、その続編となると、内容を紹介するのにもいろいろと差し障りがある。『魔法飛行』でも、各短篇のあとに、一見、その短篇と無関係に見える(が、関係がありそうにも見える)謎の手紙が添えられており、最後まで読むと、ちゃんと大技がかけられていることがわかるという仕組み。さて、この『魔法飛行』から11年ぶりに登場する続編『スペース』(東京創元社 5月27日刊行予定)はいったいどうなるのか。楽しみだ。


2004/04/19/Mon.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>のメールマガジン幻妖通信の配信作業。まだ登録されていない方はぜひ! 無料です。今回の号で、東雅夫<怪奇幻想ブックストア>店長が書いている巻頭コラムは「追悼 松田修」。異端の日本文学研究家として、ぼくも名前くらいは知っていた。大学時代、サークル(いろんな大学の人がいた)の先輩Kさんが女性が法政大学で私淑していると聞いたのがきっかけだった。そういえば、Kさんともずいぶん会っていない。
▲加納朋子『ななつのこ』(創元推理文庫)読了。第3回鮎川哲也賞(1992年)に受賞した作者のデビュー作を表題とする連作短篇集。執筆当時20代半ばだったというが、いい意味で落ち着いた「文学少女」の香りがする。『ななつのこ』という短篇集に出会って感動した女子大生の駒子が作者にファンレターを送る。すると、駒子が書き送った日常のささいなできごとの謎を作家が鮮やかに解いてみせる、という趣向。しかも、最後まで読むと、この構造自体にも謎が仕掛けられていることがわかるという、とても凝った構成になっている。物語のなかの『ななつのこ』のストーリーも素朴ななかにもちゃんとミステリが織り込まれてい。さらに、その物語とシンクロするように、駒子の周辺のできごとに不思議なことが起きる。それだけでも手が込んでいるのに、駒子の毎日が、いかにもありそうな、ありふれていて、どこか懐かしく、愛着のわく世界として丁寧に描かれているところも見事。正直、30半ばのぼくが読むとついていけないところもあるのだが、好きな人にはたまらない世界だとも思う。熱烈なファンがつく理由もよくわかる。「後を引く」シリーズである。ちなみに「駒子」シリーズは、『魔法飛行』(創元推理文庫)という続編があり、5月には3作目となる『スペース』(東京創元社)が刊行される。


2004/04/18/Sun.
▲晴れ。
映画『CUBE』(1997年・カナダ 監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ)再見。先日、未知の方からメールをいただき、映画の結末について質問を受けたことがきっかけでもう一度見直してみることにした。最近、この映画の続編(?)が公開されたとも聞いたことだし。どんな映画かは、以前書いた感想を参照下さい。
▲以前見たときにはラストに割り切れない思いが残ったが、今回は腑に落ちた。おそらく、こちら側の個人的な事情だろう。以前はこの手のゲーム的な物語に対して、「オチ」なり「理由」なり「黒幕」なりを求めてしまい、どこか納得のいかない思いをしていたのだが、それは見当違いで、完結された世界で繰り広げられるゲームの鮮やかさをこそ楽しむべきなのだと理解できるようになったためだと思う。そういう意味で、『CUBE』は先駆的な作品だったのではないかとも思う。
▲イラク日本人人質事件の被害者3人が帰国したが、PTSDによる心身の不調で、帰国後記者会見はパス。おそらく、その「ストレス」は拘禁状態にあったことではなく、国民感情の悪化を知らされたことと、そのことの重大さを日本のマスコミの大歓迎で思い知らされたことによるものだろう。自分で蒔いた種とはいえ、同情を禁じ得ない。この3人への批判は「村八分」という言葉を想起させる。


2004/04/17/Sat.
▲くもり。昼過ぎから雨になる。
▲美術評論家の大嶋浩さんと写真家の永沼敦子さんと新宿で。大嶋さんとは写真とはまったく関係のない仕事で以前から存じ上げており、永沼さんの写真展で手にしたフリーペーパーの発行人が大嶋さんだと知って吃驚した。たしかに聡明かつ博識な御仁だったが、美術、写真評論もものしているとはまるで知らなかった。たとえば『死体のある20の風景』(伊島薫写真集 光琳社 絶版)にテキストを寄せているのが実は大嶋さんだったとか。なんで今まで気づかなかったんだろう。大嶋さんとゆっくり話をするのは初めてだったが、氏の「写真批判」は新鮮だった。永沼さんの作品は初めて見た時からその人間離れした視線が好きだったが、ご本人も作品に負けず魅力的な女性ナリ。
▲加納朋子『螺旋階段のアリス』(文春文庫)読了。夢見がちな中年男に読まれるべき連作短篇集(だと勝手に言ってく)。会社を早期退職して探偵事務所を開いた男の前に、少女の面影を残した探偵助手志願の女性が現れる。日常のささいなできごとの中にある不思議をあざやかに解き明かす作者一流の手腕はいつも通りだが、探偵コンビのあいだにそこはかとないエロスの香り(あくまでほのめかし程度だが)が漂うところが新鮮。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の登場人物や、エピソードが毎回登場するあたり、キャロル好き、アリス好きにはたまらないだろう。作者の作品はわりと女性向けという感じがするのだけれど、この本は期せずして(?)男性が楽しめる小説になっている。


2004/04/16/Fri.
▲晴れ。
▲加納朋子『沙羅は和子の名を呼ぶ』(集英社文庫)読了。90年代、幅のある期間に書かれた短篇を集めたもので、ファンタジー、ホラーのテイストが感じられる。殺人や犯罪などに依らない「日常のミステリ」を得意とする作者にとっては異色の作品集。加納朋子ファンよりも、そうでない人にとっての人に受け入れられやすいかもしれない。表題作は「生まれたかも知れなかった子供」が現実に介入してくることで起こるサスペンス。作者の作品は、一見、不思議な現象だが、実はトリックがあるという「ミステリ」だが、そういうリアルな世界から離れてしまった時の身の軽さのようなものがあり、ぼくはわりと好きな短篇集だ。


2004/04/15/Thu.
▲晴れ。
『処女☆伝説 オール・アバウト辛酸なめ子』(洋泉社)読了。話題のアーティスト・作家のすべてを徹底解剖したファン必携の一冊。盛りだくさんの内容で満足度が高い。三十路突入記念の「30年完全ヒストリー」を読んでいたら、ぼくがずいぶん前に写真と原稿を載せたムックに辛酸なめ子女史もマンガを寄稿していたことが思い出された。『簡単プロなみ写真術』(特集アスペクト21・1997年)という本で、考えてみるとぼくにとって初めて写真関係の仕事をした本だった。
▲ところで、辛酸なめ子といえば、都築響一と六本木ヒルズ森美術館のオープニング記念展「ハピネス」に作品を依頼され、出品した作品が「メメント・モリビル」。タイトルから想像できる通り、現代のバベルの塔のごとき、六本木ヒルズを皮肉ったダークな作品だったそうだが、主催者側に出品を拒否されたという。作品は「SPA!」に掲載されたので、ご覧になった方もいるかもしれないが(ぼくは見てないんだけど)、のちにかの地で起きた不幸な事故を思うと、作家の「直感」の恐ろしさを感じます。


2004/04/14/Wed.
▲くもり。昼過ぎから雨になる。
▲人形町で打ち合わせののち、京橋で下車。進藤万里子写真展「bibo」ツァイト・フォトサロン 〜15日)。大型モノクロ19点。
▲人の身長より大きく伸ばされたモノクロ写真は、どういう処理なのか不明だが、粒子はなめらかなのに、像がぼやけて曖昧、化学反応を起こしたような奇妙な抽象写真である。近寄っても何も見えず、かろうじて、ビルやら、馬やらがぼんやりと見える写真があるなと思い、こういうのはわけがわかんなくて苦手だなあ、と最後に振り返ると、不思議なことに、最初の1枚が「見えてくる」。だまし絵のような抽象写真。「写真表現」への果敢な取り組みに敬意を表したい。
▲京橋から銀座へ。伊ヶ崎忍写真展「Varna(ヴァルナ) ー色ーin Kathmandu,Nepal」ニコンサロン 〜24日)モノクロ60点。
▲タイトルの「色」とはカースト、他民族の「色々」の「色」なのだそうだ。そういう、ちょっと力の入った前書きにちょっと引いたが、肝心の写真はとても良かった。ネパール唯一にして最大の都会、カトマンドゥに暮らすさまざまな社会的階層の人々の写真を丹念に撮影して迫力満点。ハッセルブラッドで撮影されたモノクロームの写真がたっぷりと展示されている。モノクロ60点は、あの会場のサイズでは欲張りなほうだが、サイズ、並べ方の強弱の付け方がうまく、「多い」とはまるで感じなかった。
▲写真はグレートーンを貴重にしており、底明るいポートレート、スナップ写真である。かといって、単なる優しい、人の良い写真というわけではなく、彼らが置かれている過酷な状況も真っ正面から捉えている。その正面から、という姿勢が、明るい印象を与えている側面もある。隠すことで暗くなる。見せることで明るくなれることもあるのだ、というような。むろん、正面から被写体を見据えるためには、撮る側も自分を見せなければならない。写真家と被写体との間に心の交流があったことが見る者に伝わってくる。
▲伊ヶ崎 忍(イカザキ シノブ)は1976年生まれ。99年から2003年までネパールに留学経験があるが、会場にいたご本人にお聞きすると、留学時にはデジカメでしか撮っていなかったという。今回の写真展に展示されている写真は、昨年に、2度、計5週間ほどカトマンドゥに滞在した折りに撮影したとのこと。留学時代に頭に入っていた場所と人を最大限に活用することで、密度の高い写真を制作することが可能だったのだろう。とてもいい写真展だった。
ライカ・ギャラリー東京。あいかわらず、このギャラリーのやる気のなさには呆れる。表に開催中の写真展の案内すらない。ギャラリー内には一応、説明書きがあり、アンドレア・ホイヤー(Andrea Hoyer)というドイツ生まれ、ニューヨーク在住の女性写真家の写真展だとわかった。昨年度のバルナック・ライカ賞を受賞したという。黒海沿岸、旧ソ連諸国を取材した作品だそうだ。
▲こういう写真を見ると、「ガイジンは写真が上手いなあ」と思ってしまう。ライカM6に21ミリ、28ミリ、35ミリという3本の広角レンズで撮影されたスナップ写真だが、人物の顔の切り方、画面の傾斜角度、光と影を演出するシルエットなど、いちいちカッコイイ。プリントもトーンを大事にしつつ、コントラストをつけるところではビシっと。西洋の写真教育を受けた写真家の、お手本のような写真。25日まで。
▲新宿に出て紀ノ国屋本店で写真集ハンティング。
▲気になっていた報道写真雑誌「DAYS JAPAN」の創刊号が平積みされていたので、手に取った。「世界を視る、権力を監視する写真中心の月刊誌」というキャッチフレーズで、フォトジャーナリストの広河隆一が責任編集を務める雑誌だ。ネットで年間予約購読者と募金を募ってスタートした。見ずてんで申し込もうか迷ったのだが、予約購読者のみ販売と銘打っても、おそらく都内の一部書店には置かれるだろう踏んで、実物を見てから考えようと思った。
▲懐かしのグラフ誌の体裁、迫力ある写真はいいとして、文字が大きくてテキストの量が少ない。正直に言って、あれで820円は高いと思う。カンパの気持ちがなければ買わないのではないか。全体にボリューム不足なのは、製作費の問題なのかもしれないが、であるならば、イラク、アフガン、ハンセン病患者(創刊号の大きな記事)と欲張らずに、イラク一本で良かったのではないか。いま、巷には写真も情報があふれている。だから、「DAYS JAPAN」には、フォトジャーナリストが現場で見たものを、大マスコミとは違う視点で見せて欲しかった。あふれる情報をどう読むか? どう見るか? を「フレーミング」してこそのフォトジャーナリストではないか。マスコミがとりこぼしたところ、報道できない部分を写真で撃ってほしい。まだ創刊号1冊を見ただけなので、今後の記事の充実に期待したい。


2004/04/13/Tue.
▲曇り。寒い。
▲ジャンクな味が恋しくなり、コンビニで買った『渡る世間は鬼ばかり』の「幸楽」焼きそばを食べる。変わった味。架空の味だからか。昨年はホテルでディナーショーも開いた『渡鬼』、凄い勢いで商品化が進んでいる。そのうちテーマパークができるかも。
映画『レスリー・チャンの恋はあせらず 錦繍前程 THE LONG AND WINDING ROAD』(1994年 香港)。レスリー・チャン(張國榮)が亡くなって早いもので一年が経つ。その間に、アニタ・ムイ(梅艶芳)まで若くして亡くなってしまったのだから、香港映画の黄金時代が完全に終わったことを痛感せざるをえない。この映画は94年制作の日本未公開作品をDVD化したもの。93年に『さらば、わが愛・覇王別姫』『キラーウルフ 白髪魔女伝』、94年には『君さえいれば 金枝玉葉』『楽園の瑕 東邪西毒』がそれぞれ公開されており、レスリーが香港映画の枠を越えて、アジアのトップスターとして国際的評価を不動のものにしていた。そんな華やかな活躍の一方で、この映画のようなコメディータッチの軽い映画にも主演しているところがいかにも香港スターらしいところ。
▲保険会社をクビになったレスリー・チャンはちゃらんぽらんな自信家で、親友のレオン・カーフェイ(梁家輝)がいつも尻拭いをしている。それどころか、カーフェイの妹は、レスリーがフラれると帰ってくる都合のいい女状態。失業中で意気消沈していたレスリーだが、喫茶店で見かけたキャリア・ウーマンのロザムンド・クァン(關之琳)を利用して不動会社に潜り込むことに成功する。ところが、その会社の社長はロザムンドを愛人にしているカネの亡者。社長に気に入られたレスリーはカーフェイがつとめる老人ホームの地上げを命令され……。
▲どんな題材でもこなしてしまう強靱な胃袋を持ったプロデューサー兼監督のバリー・ウォン(王晶)がプロデュース。男同士の友情コメディーとして意外によくできていた。水準作のレベルが高いということが、当時の香港映画の勢いを感じさせる。久々に香港映画を楽しんで、懐かしくも嬉しかった。


2004/04/12/Mon.
▲晴れ。
春風社の内藤くんから電話をもらう。今度、春風社から出る写真集『九十九里浜』(小関与四郎)の話を聞く。サイトの写真ギャラリーを見る限り、バリバリのドキュメンタリー写真、それもネオリアリズモ風の古典的な作品で、現代の写真の状況を鑑みるに、まったくの「反時代」写真。こういう、時代に棹さすような出版をしちゃう春風社って会社もそうとう変わっている(もちろん、褒め言葉)。装幀レイアウトは和田誠、推薦人には錚々たる文化人多数。ちょっと面白い存在の写真集になるかもしれない。見本ができたら見せてもらいに春風社まで行くことを約す。


2004/04/11/Sun.
▲晴れ。
▲風邪気味なので終日うちでおとなしくしていた。
▲イラク日本人人質事件。昨夜午前3時に「24時間以内の解放」がファックスでアルジャジーラに届いた。昼までに解放される、という情報も飛び出す。しかし、解放ならぬまま、夜になった。
▲本橋信宏『欲望の迷路』(洋泉社)読了。副題に「体験取材ノンフィクション」と銘打たれているように、テレクラ、デリヘル、人妻風俗、出会い系サイト、お見合いパーティーなどを「実体験」してレポートするという企画。初出は「フライデー別冊」で、取材費は青天井だったとか。アンダーグラウンド世界の怪しいビジネスの実体を探る。手練れのライターが書いた気楽な読み物としても面白いが、貴重な風俗記録としても読める。
▲マイ・シューヴァル、ペール・ヴァール 高見浩訳『笑う警官』(角川文庫)読了。スウェーデンを代表する推理小説作家夫婦による、警察小説の古典的名作(刊行は68年)。刑事マルティン・ベックシリーズの白眉とされている。雨の日のストックホルム郊外で起きた凄惨な殺人事件が起きた。バスの運転手と乗客8人が軽機関銃とおぼしき銃で皆殺しにされ、犯人の姿は消えていた。犯人の目的は何だったのか。殺された乗客の中には、ベックの年若い同僚の刑事も含まれていた。野心家の彼は、同僚にも黙って個人的な捜査をしていた形跡があったのだが……。
▲マルティン・ベックはヒーローではなく、あくまで警察官のワン・オブ・ゼム。しかし、それゆえ、事件への取り組みにリアリティーがある。ストックホルムという街にはなじみがないが、いわゆる先進国の大都市の雰囲気は普遍的で、60年代っぽく、都市文化への批判精神も感じられる。等身大の警官の日常をさりげなく描き込んでいるあたり、ずいぶん昔に読んだきりだが、エド・マクベインの警察小説シリーズを思い出した。大都市における犯罪捜査ものの先駆的作品で、初々しさがある。マルティン・ベックシリーズ全10作。過去にはすべて角川文庫に収録されていたが、今では『笑う警官』を含めて、4冊ほどが「生きて」いる程度。ベックシリーズについて興味のある方は、Bookends(「旅歌的楽天生活」のログ倉庫+α)に全十巻の書評が載っているので参考にするといいと思う。
▲谷亮子が結婚後、初の大会出場で格の違いを見せつける勝。相手の北田はヤワラちゃん不在の間、複数の大会で優勝してきた期待の選手だったが、ヤワラちゃんの前ではヘビににらまれたカエルのごとく、精彩を欠いた。一方、ヤワラちゃんの顔には気迫が漲っていたね。おそるべし。


2004/04/10/Sat.
▲晴れ。
▲昨晩、ハービー・山口さんのパーティーでお会いしたヘムレン(ハンドルネーム)さんがホームページのURLをメールしてくださった。ぶらパチ写真館ユーラシア。ヘムレンさんのベッサRブラックは、使い込まれてプラスチックの地まで出ている感動もので、コシナの小林社長に見せたくなったほどだが、そのR2ブラックとライカミニルックスで撮影された世界各地(それも辺境の地が多い)のスナップ写真が満載されたHPを見て、R2のやれぶりも納得した。HPにはハービーさんへのオマージュや、スナップ写真についてのコラムもある。
▲イラク日本人拉致事件。誘拐被害の家族たちのドキュソぶりが2ちゃんを喜ばせている。事件の被害者になって動転しているのはわかるし、家族の行動を支持している家族なのだから仕方ないけれど、いきなり政府に怒りをぶつけて「自衛隊撤退すべし」というのは反感を買っても仕方がない。あくまで勧告を無視して自己責任で行ったのだから、大方の国民は白けるばかりだろう。マスコミは「建前」として、被害者を批判することはできないけれど、普通の人々のホンネは、まず、謝罪すべきでは? というところだろう。まあ、村社会の「礼儀」ってやつか。とはいえ、ともかく、事件が無事解決しないことには何を言ってもはじまらない。事件は実際に起こってしまったのだし、邦人誘拐による政府脅迫という「手法」がありだということが認識されたのだから、次はいつ誰が被害者になってもおかしくない。
▲今日から全6回のモノクロ現像&プリント教室に通うことにした。自己流でプリントしていたのだが、最近、ごぶさたしていたのと、モノクロ写真のスタンダード(常識みたいなもの)をもう一度勉強してみたかったからだ。先日、北井一夫さんにお会いしたときにモノクロプリントについて、「3カ月くらいどこかの教室に通えばだいたい覚えるよ」と言っていただいて、急にやる気になったのである(単純)。今日はその1回目で座学。学生時代と同じく、眠気が襲う。仕方なく、落書きなどしてしまうところなども同じで、我ながら進歩がない。しかし、センセイの語る豆知識は面白かった。
▲妻子と新宿南口高島屋ベビー休憩室で待ち合わせ。奥さんと待ち合わせていたS氏とばったり会い、イクの顔を見てもらった。ご機嫌ななめだったイクも、Sさんの美貌の奥様がいらっしゃってからは上機嫌になり、最後は大はしゃぎ。誰に似たんだか。
▲歌舞伎町の餃子屋で夕飯を食べて帰る。


2004/04/9/Fri.
▲晴れ。
イラクで3邦人拘束、自衛隊撤退要求 イスラム過激派か(asahi.com)。犯人グループの要求は「自衛隊撤退」。これはいくらなんでもムリだろう。一国が誘拐犯の要求を飲むことはありえないし、あってはならない。かといって、誘拐された日本人を見殺しにすることは、国民の生命と安全を守るべき国として取ってはならない行動であることももちろんだ。このジレンマをどう解決するのか。部族社会たるイスラム教徒たちに、あらゆるつてをたどって話し合いを呼びかけていくほかはないだろう。少なくとも、宗教者が尊敬され、部族の中での「掟」が厳然と存在するイスラム圏では軽々と人質を殺すようなことはないと思うが、それも事と次第によってはどうなることか。
▲国内的に危惧するのは、このことが逆に自衛隊の駐留を是とする意見を増やすのではないかということだ。犯人グループの要求を飲んで撤退すべきではないが、かといって、自衛隊が今のイラクに本当に必要とされているのか、という論議は続けなくてはならない。このことがいっしょくたになって、どさくさまぎれに自衛隊の海外派遣が是とされるのはいかにもまずい。
▲また、このことで、ボランティア活動家などへの批判が起こり、またも左翼勢力が人気を落とすことになりそうなのも問題だ。社民党の福島瑞穂は「自衛隊撤退」とかいってるし。ちょっと違うでしょ、それは、と感じるのが一般国民の普通の反応だろう。翻って、2ちゃんねる的な狭量な民族主義に傾斜することが恐ろしい。
▲新宿。島尾伸三写真展「『純粋風景』への試み」(Contemporary Photo Gallery〜10日)を見に行く。
島尾伸三にしては珍しくカラー。デジカメだろうか。「純粋風景」とは何か? という謎をはらんで展開する旅が綴られた言葉は添えられていない、エッセイ風写真。小田急線沿線から奄美までの旅は、あたかも、いま生きているこの世界を手触りで確かめるがごとし。最初の数枚は、古い建築物の内側にある螺旋階段。時間と空間を移動するうちに、撮影されていった写真だろうか。だとすれば、デジカメ(決めつけている)がその伴走者となったことが興味深い。島尾伸三の写真が変わっていく予感かも。ちなみに、最新刊『東京〜奄美 損なわれた時を求めて』(河出書房新社)もこの写真が使われている。「失われた」ではなく「損なわれた」という言葉を選んでいるところが引っかかってくる。読んでみたい。
▲その足で、すぐ近くにあるphotographers' galleryへ。高橋万里子写真展「Spring」(〜16日) 。ビビットな色彩がまず目に飛び込んできて、近づいてみると、料理の写真だろうか? しかし、そこに写っているのは、ぐちゃぐちゃになっている食材と、朽ちかけた花。潰されたB&Bチョコレート。鮮やかできれいだけど、よく見るとグロい。美味しそうでまずそう。美味まずいっていうか……その両極端のせめぎ合いが、薄いピントの中で揺らめいている。シズル感なる広告用語があるけれど、これはそのシズルを紙一重で越えてたり、戻ったりしている境界線上の写真。しかし、その境界線にこそ美があるのだ、と。6×6、六切り。展示サイズが、photographers' galleryという箱にぴったり合っている。
▲帰りがけに出たばかりの「photographers' gallery press no.3」を買って帰る。
▲八丁堀アートスペース モーターへ。ハービー・山口写真展「First journey to Luxembourg」オープニング・パーティー。
ハービーさんがルクセンブルグ政府から依頼されて撮影した「素顔のルクセンブルグ」。ハービーさんの作品としては珍しく、風景を撮影した作品も多数あるが、もちろん、真骨頂はスナップ写真。ルクセンブルグの風景と人とが立体的に感じられる構造の写真展になっている。90年代後半に撮影され、限定版の写真集にまとめられている旧作だが、こうしてプリントを間近に見るとまた印象が変わる。撮影はライカとローライ。カメラが好きな方も、レンズの描写を楽しみにご覧になっては如何。
『使うハーフサイズカメラ』(飯田鉄著・双葉社)にご登場いただいた須田一政さんに久々にお目にかかる。ハービーさんの次にこのギャラリーで写真展(5月3日〜5月16日)を開くという。最近、グループ展、個展を精力的に開いている須田塾の活動などについてもお話をうかがうことができた。昨年の9月、たまたま市川の珈琲ギャラリーREIで見た写真展「8mm high」の嶋田源三さんも須田塾でしたよね、と話を向けると、その嶋田さんの影響で8ミリにハマっているという。ハッセル、ミノックス、オートハーフなど、機材遍歴でも有名な須田さんが向かった先が8ミリとは。意外な反面、妙に納得もする。
▲ハナブサ・リュウさんの感動的なスピーチで幕。ハービーさんがロンドンにいて、ハナブサさんがパリにいた青春時代を振り返ったものだった。
▲パーティーの流れで、大池直人さんと谷佳代さんと沖縄居酒屋に入る。谷さんはハービーさんの教え子でもあり、昨年はグループ展を開いた新進写真家。『ライカ新時代 ぼくたちのM型ライカ』(双葉社)ではハービーさんを囲む鼎談にも出てもらった。今日は久々に写真を見せてもらった。路上の猫や故郷の犬をモノクロで丁寧に撮影した写真がいい。ほかに、彼女自身の東京物語になりそうなシリーズのとば口にあたるような写真も見せてもらった。


2004/04/8/Thu.
▲晴れ。
▲高田馬場近辺をうろうろ。授業が終わった学生がぞろぞろ歩いてくる風景がいかにも春らしい。だんだんみんな授業に出なくなり、帰る時間もまちまちになって、人の流れが細くなる。新歓コンパ(って言葉、まだあるのか?)のプラカードが踊っているのも、昔のままでタイムスリップしたような気分になる。久しぶりに古本屋を何軒か冷やかし、前から欲しかった加藤哲郎『昭和の写真家』(晶文社 1990年)と草森紳一『コンパクトカメラの大冒険』(朝日新聞社 1987年)を買う。ほかに1974年に東京国立近代美術館で開かれた展覧会「15人の写真家」のカタログがあり、パラパラとめくる。森山大道荒木経惟篠山紀信、高梨豊、中平卓馬、北井一夫といった、錚々たる写真家たちが出品している。「田村シゲル」名義だった頃の田村彰英さんも。写真家のポートレートがカメラとともに写されているのも興味深い。北井一夫さんがライツ・ミノルタCLを真っ正面に向かって構えていたり、篠山紀信がディアドルフ(だと思う)と斜めを向いて写っていたり、写真家がカメラに対して持っている自意識が見えるようで面白かった。ほかに参加している写真家は内藤正敏、渡辺克己、新倉孝雄、橋本昭嵩、深瀬昌久、柳沢信、山田脩二。まさに錚々たるメンツ。


2004/04/7/Wed.
▲くもり。
▲西荻窪で散髪。
▲新宿TSUTAYAに寄って、『獄門島』(市川崑)と最近発売されたらしい張國榮(レスリー・チャン)の若い頃のコメディー『レスリー・チャンの 恋はあせらず』を借りる。94年制作の梁家輝(レオン・カーフェイ)との共演作。
▲中日逆転サヨナラで巨人を下す。巨人逆転もつかの間、直後に逆転サヨナラ負け(読売新聞)。気分爽快。
▲ドラキチのマツケンさんのことを思っていたら、ご本人から電話がある。新宿で飲んでいるとのこと。留守電を聞き損ねていた。駆けつけ、マツケンさんと、年齢不詳の美女Oさんと朝まで飲む。 マツケンさんの最新刊は「突きの健」シリーズの『殺し屋 捜査一課別係』(広済堂出版)が出たばかり。次回作は時代劇になるとのことなので、期待大。


2004/04/6/Tue.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>に構成と写真を担当した別対談 鏡リュウジ×東雅夫 占星術と神秘学、幻想文学の摩訶不思議な世界記事をアップ。魔女が書いた小説とか……面白い話です。


2004/04/5/Mon.
▲晴れ。
▲午前中ですぐ終わると思っていた仕事が終日かかっても終わらず、原因不明のエラーは起こるしで散々。
連合国暫定当局、イラクのサドル師に逮捕状(NIKKEI NET)。サダル・シティ転じてサドル・シティ。イラクの混乱は続く。サドル師は反フセイン、多数派のシーア派の若きカリスマ指導者とのことなので、ことは複雑。米国が大統領選を前に焦っている政権委譲に大きな影響を与えることは必至。ここまでことをややこしくした原因は米国政府の「傲慢」にある。民主主義でイラク国民を「啓蒙」することが「幸福」なんだという価値観。日本人もおおむねその価値観の範疇にあるので、米国と「心中」する可能性は大。空恐ろしい。
▲お義母さんがくる。夕飯を食べていってもらった。イクヤのために五月の節句の箸置きなどいただく。そういえば、初節句。DMがたくさん届く。役所と病院くらいしか知るはずもない乳児名簿が流出しまくるのはどういうルートなのか。気味が悪い。兜とか、金太郎の人形とか……まあ、こんなことでもなければ見ることもないので一応見るが、欲しいものは一個もない。


2004/04/4/Sun.
▲雨。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>記事更新。東雅夫店長による「ホラー・ジャパネスクの過激な新星――『犬飼い』でムー伝奇ノベル大賞優秀賞を受賞した浅永マキさんに聞く」。
▲旧知の(といっても顔見知りの域を出てないんだけど)芸術評論家の大嶋浩さんと、ちょっとしたことでメールのやりとり。きっけけは、4月1日にオープンした大嶋さんが主宰する「Art Collective Media Declinaison」。
▲「Art Collective Media Declinaison」とは何か。以下、大嶋さんの挨拶文。
▲「Art Collective Media Declinaison(略称ACMD)は、“表現”のごった煮、寄せ鍋です。Webをインフォーメーションやアーカイブとしてではなく、とりあえず表現メディアとして活用してみようという試みです。何でもありです。コンセプトはありません。自由なコラボレーションの場になればと思っています。各メニューは増えては消え、消えては増えていくことでしょう。「誰も見ないかもしれない自由」。この言葉を積極的に、肯定的に実践していくサイトです。どうなっていくのか、誰も知らないし、分かりません。どこまでも無責任に、ささやかでありながら大胆に、悠々として焦りながら、そんな感じでやっていきます。たまには、お立ち寄りください。」
▲現在のところ、サイトには写真について書かれた文章が静かに増殖しているという印象。教養豊かな大嶋さんの言説、ちょくちょくのぞかせてもらおうと思う。また、「第1回 Special Collaborate」と銘打って、4月25日のPM19:00〜22:00まで、3人の写真家(永沼敦子・元木美由紀・野田陽菜子)が写真によるライブ・セッションを行なうとのこと。忘れないように、スケジュール帳に書いておこう。
▲阪神×巨人戦。開幕3戦目。阪神危なげない勝利。阪神ファンではないが、家人がそうなので、なんとなく応援している。今年は珍しくプロ野球に興味が沸き、セでは中日、パではロッテと日ハムの試合に注目したい。理由は、プロ野球に興味のある人ならわかるだろう。ところで、今日の阪神戦では「4番」金本から第1号HRが出た。金本のホームランといえば、温泉旅行ご招待(金本が超太っ腹プラン!本塁打1本打つたびファンを熱海招待)。去年からいいヤツだと思ってたけど、さらに好感度アップ。


2004/04/3/Sat.
▲晴れ。
▲神田川沿いを歩く。桜満開。
▲小滝橋おばんさい「月」にて昼食。お店の人、お客さんに代わる代わるイクを抱いてもらう。人見知りはしない、っていうか、両親は完全に忘れられていた。
▲中野まで歩く道すがら、「昭和」にタイムスリップしたような小さな商店街と神社の境内で遊ぶ子らと遭遇。夢でも見ているのかと思った。
▲中野から新井薬師までは商店街が続いていて、実際の距離よりもぐっと近く感じる。お薬師さまも桜が咲きほこっていて、ケイタイやデジカメ、一眼レフを向ける人たちでにぎわっていた。仕事柄、カメラウォッチが習い性になっているのだが、今日はニコンを持ったオヤジたちとよくすれ違った。F3,F100。ニコン日和だ。こちらは、ライカM2にいつものズマロン35ミリF3.5(L)と、たまには使ってみようとエルマー90ミリF4を持ち出した。カミさんはライツミノルタCLにミノルタの40ミリF2。90ミリを融通しあいながら、桜を撮ってみたりした。しかし、たいていは現像の上がりを見て、ちょっぴり失望する。花は現物にしくはなし、といつも思うのだ。それでも、カメラを向けてしまう。
▲数日前に届いていた『安原顯 追悼文集』を開く。安原さんの教室での教え子の方々が企画編集した文集で、ゆかりの人からの追悼文も収録されている。ぼくも書かせていただいた。読んでいて、やっぱりおセンチな気分になってしまった。編集されたみなさん、お疲れさまでした。


2004/04/2/Fri.
▲晴れ。
▲高円寺カフェ・ジャンゴでコーヒー豆を買う。
高円寺文庫センターという書店、行ってみようと勇んでいったが、過去にも何度も入ったことのある店だった。店の名前を確認しないことが多いので……。というか、深層心理ではあの店が高円寺文庫センターではないか? とわかっていたような気もする。しかし、自分の脳の中にある高円寺文庫センターのほうがもっと過激でかっこよかった。妄想だけど。
▲とにかく現実の高円寺文庫センターの話。ゴールド出版(ググったが、HPはキャッシュのみだった。どこかに移転? もっと詳しく調べてみることも可能だが、とりあえず、知ってる人教えて下さい)という見知らぬ版元から出ている明らかに自主制作(というか、インディーズっていうのか)の雑誌「ウメゾロジー」に大興奮。立ち読みしただけだが、これ、楳図かずお大先生そっくりの絵柄でいろんなことをレポートしようというマンガ雑誌らしい。第1号の表紙はあの「サンデーコミックス」そっくりで超嬉しかった。楳図御大のインタビューも掲載(たぶん)。絶対買おう、と思ったのに、買い忘れたまま店を出てしまった。
▲高円寺に来た本当の目的である北井一夫写真展 −北京−「1990年代北京」出版記念展イル・テンポ)へ行く。写真家の中里和人さんから北井一夫さんご本人がいる旨伝え聞いて、中里さんとギャラリーで待ち合わせることにした次第。北井さんには『季刊クラシックカメラ No.7 M型ライカの神髄』(双葉社)で取材させていただいたことがある。その折りに北京の撮影に取り組んでいるとうかがっていたので、今回の写真展ではぜひお話をうかがいたかった。今日は北井さんとの出会いが写真家になるきっかけになったという中里さんとともに、北井さんから写真についていろいろとお話をうかがうことができた。
▲写真展は今回出版された写真集『1990年代 北京』(冬青社)に収録した写真の印刷原稿(印刷に使った実際のプリント)を展示・販売するもの。ライカM5、M6にエルマーの50ミリと35ミリをつけて撮影した、どこか懐かしいモノクロームの映像。北井さん自身が「時代に逆行している」と語っていたが、ぼくにはむしろ時代を超えた普遍的な写真だと感じられた。コンテンポラリーな写真の流れに背を向け、悠々とわが道をゆく感がある。スナップがうまいのは当たり前と言えば当たり前だが、そのうまさもノンシャランでさりげない。名人という言葉が思い浮かぶ。写真展では、めいっぱい写真を並べているが、2点ずつ額装するというアイディアでうまく整理して見せている。2点の組み合わせの意味を考えさせる効果もあり、面白いと思った。(とはいえ、上下に二つ額を並べるのは、見る人の目線が上下するので、勿体ないと感じる人もいるかもしれない)。
▲1990年代を通じて、北京は変わり続けた。21世紀に入って北京オリンピックを前にして、そのスピードはますます上がっていると聞く。ぼく自身が北京を訪れたのは97年に1度きりだが、その時の印象よりも、北井さんの写真は、北京の古風な美しさを感じさせる。軒先の鳥かごや、洗面器に泳ぐ金魚、道ばたの水たまりに池で獲った魚を放している子供たちなど、ありふれていると感じるその一瞬だが、その一瞬は、既に北京から失われてしまっているのではないかと思わせる。写真全体から儚さが漂っているのである。
▲しかし、思えば、北井一夫さんが第1回木村伊兵衛賞を受賞した「村へ」(1974年から「アサヒカメラ」連載。伊兵衛賞の受賞は76年)も、あらかじめ失われることが前提とされた「農村」がテーマではなかったか。しかし、そういう失われゆくものを写真に撮っても、「記録」ではなくあくまで「写真」になっているところが北井さんの写真の見事なところだ。
▲「村へ」がベースになっている『1970年代NIPPON』(冬青社)『1990年代 北京』(冬青社)を見ると、そこに写っているのは「今」を生きている人の生々しい瞬間だ。「記録」が過去形の写真とするなら、北井さんの写真は現在形で綴られているような気がする。しかし、現実の風景は確実に失われていく。だから切ないのだろう。
▲北井さんに、この「北京」の写真についての話のほか、生前の木村伊兵衛さんとの中国旅行(篠山紀信、大倉舜二など、錚々たる当時の若手写真家が随行した海外撮影旅行)の話とか、昨今の木村伊兵衛賞についての雑感などを図々しく尋ね、こころよくお話を聞かせていただいた。
▲中野で中里さんと夕食。最近の活動、これからの構想などをうかがう。いつもながら、精力的な中里さんの写真への取り組みに刺激を受ける。
▲せっかく中野まで来たので、西荻窪まで出て、友人のIさんを訪ねる。西荻の南口の飲屋街、ちょっと来ない間に、ずいぶん活気が出た。新宿ゴールデン街並に世代交代が進んでいる印象。カウンターだけの店で飲む。主が亡くなった「Aサイン」も営業を再開していた。


2004/04/1/Thu.
▲晴れ。
▲エイプリルフール。ヤフーでは「YAHOO!ばぶばぶ」なる赤ちゃん向けコンテンツをスタート、というニュースをジョークで流していた。おしゃぶりなどの入力デバイスを用意するという念の入れよう。
▲恵比寿。東京都写真美術館野町和嘉写真展「祈りの大地」を見る。野町和嘉はヴェテランのドキュメンタリー写真家。宗教と人間の営みをライフワークに、『メッカ巡礼』(集英社)『ヴァチカン』(南里 空海文 世界文化社)『神よ、エチオピアよ』(集英社)『チベット〈天の大地〉』(集英社)『ナイル』(情報センター出版局)ほかに『サハラ』(平凡社1978年絶版)『モロッコ』(岩波書店 1987年絶版)などがある。
▲今回の展覧会は、野町のこれまでの仕事を俯瞰できる規模の大きなもの。世界各地の過酷な自然環境の中で暮らす人々を撮影した作品がそれぞれの地域の事情を簡潔にまとめた解説とともに展示されている。キャプションを含めて文字量も適切で、写真とうまくバランスが取れている。いずれの写真もまさにプロフェッショナルの仕事。『ナショナルジオグラフィック』などの一流グラフ誌を連想させるが、実際に、野町自身が『ナショナルジオグラフィック』に寄稿もしている。
▲先日見た藤原新也の写真展(「藤原新也の聖地」)と同様の撮影地別の構成だが、写真の内容はまったく正反対。藤原新也は見知らぬ土地を歩くことで、同時に自身の内面へも旅をする。一方、野町和嘉にとって世界は常に外側にあり、自分の目で見たものを正確かつドラマチックに、その場を訪れたことのない人に伝えるべく苦心している。その土地をどう写すか、何を一枚の写真に込めるかが、作家によってこれほどことなるという好例だろう。
▲ぼくが野町和嘉をはじめて意識したのは写真家の杵島隆さん(戦後の広告写真の先駆者で、「桜田門ヌード」など大胆な作品で社会的に物議をかもしたことがある写真家)のスタジオに取材で訪れた時だ。本棚にドンと大判の野町和嘉の写真集が置かれてあり、野町和嘉が杵島門下だったことが印象づけられた。今回の展覧会でも、その画づくりの美的センスに、植田正治に師事したモダニストでもある杵島隆の薫陶が見て取れた。アメリカ育ちの特攻隊崩れで、アナーキーな精神の持ち主の杵島さんの門下から、野町和嘉のような、破格のスケールで取材を続ける写真家が出てきたことを興味深く感じた。


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