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2003/09/30/Tue.
▲秋晴れ。
▲終日『オリンパスE-1』のマニュアル記事作り。取扱説明書の要素をバラバラにして、再構築する。めんどうくさい作業だけど、カメラの設計思想の一端が見えてくるので興味深いところ。夜は編集部で金門飯店へ。


2003/09/29/Mon.
▲秋晴れ。
▲八王子にあるオリンパスの石川開発センターでオリンパスのデジタル一眼レフカメラ「E-1」の開発者取材。インタビュアーは『使うオリンパスOM』(双葉社)という著書もある写真家の赤城耕一さん。開発のプロジェクトリーダー、画像処理、ボディーのメカニズム設計、レンズ設計をそれぞれ担当された方々にお話をうかがう。OMシリーズ後期から、ヒット作のμシリーズなどに携わってきた方々が、プロ仕様の本格的なデジタル一眼レフカメラの開発に挑んだ。その裏話など。極上カメラ倶楽部『オリンパスE-1』(仮・双葉社スーパームック・11月下旬発売予定)に掲載されます。
▲G・M・フォード 三川基好訳『憤怒 FURY』(新潮文庫・明日発売)読了。この秋、新潮文庫1押しの文庫オリジナル。発売前に宣伝用の校正綴じを読むことができた。すぐに映画になりそうな小説。テンポもいいし、味わいもある。
▲シアトルで起きた連続レイプ殺人事件。犯人として逮捕された男は幼児への性的暴行の常習犯で、死刑が確定したあともマスコミに悪態をつきつづけているような性格破綻者。誰もが男の死を望んでいた。しかし、あと6日で死刑が執行されるという時に、犯人逮捕のきっかけになった被害者が証言を撤回する。連続殺人事件の犯人を「生け贄」として死刑にかけたい一般市民と、メンツを重んじて保身に汲々とする市警の怒号が飛び交う中、被害者の証言を記事にしたジャーナリスト、コーソは事件の核心に迫っていく。探偵役となるコーソと、その相棒になる女性カメラマンのドゥアティのコンビがいい。それぞれ、苦い過去を持った二人がお互いに信頼関係を築きながら事件を追う。死刑を目前にした男が、無垢な存在ではなく、社会の「敵」であるところもひねりが効いている。


2003/09/21/Sun.
▲秋晴れ。
▲今日は休み。イクヤを抱いて近所を散歩してみる。おおげさなオンブひもで吊して抱いて歩いたのだが、腕が疲れた。その気になって見ると、公園には子供がたくさん遊んでいて、意外といるもんだなと思った。これまで興味がなかったから見えてなかったんだろう。そう考えると、見ているようでいて見えていないものってたくさんあるんだろうな。
▲徳山喜雄『報道危機』(集英社新書)読了。「個人情報規制法」が最初に法案として成立しそうになったとき、マスコミは大同団結してこれに反対した。しかし、その時に一般市民のどれだけの人が、そのキャンペーンに共感し、賛成しただろうか。むしろ、マスコミの「やりすぎ」に規制をかけたほうがいいと感じる人が少なからずいたのではないか。それくらい、昨今のマスコミの報道と、一般市民の感覚にはズレがあると、最近よく感じる。本書は、マスコミが抱える問題点をあげ、その背景を解説し、さらには今後の記者教育のあり方までが書かれている。本来、権力に対するチェック機構として存在するはずのマスコミが、いつしか権力への批判を弱め、一般市民も眉をひそめる「弱い者イジメ」ばかりを繰り返すようになったのはなぜなのか。「9.11」以後、翼賛化してしまった米ジャーナリズムの例も取り上げながら、世界レベルではじまっている情報統制の現実を描く。この種の本としてはわかりやすいうえに示唆に富んでいて読み応えがある。


2003/09/27/Sat.
▲秋晴れ。
▲忘れていましたが、いま書店に並んでいる雑誌「一枚の繪」の特集「自画像」の中で、インタビュー記事を2本手がけています。店頭で立ち読みしてみてください。藤原新也の新連載もスタートして、今月号からリニューアルがスタートしています。あまり美術に関心のない人でも楽しめるんじゃないかと思います。
▲安原まゆみさん、眞琴さん、びーへさん来宅。昼間からイクヤを肴に飲む。
▲赤ん坊の「見方・ほめ方」作法ってあろうだんろうか、とここ数日考えている。先日、うちにイクヤと月齢の近い赤ん坊が来たのだが、いまひとつピリッとした赤ん坊の味わい方、褒め方ができなかったような気がして心残りだったのである。『編集バカとバカ編集者』(坂崎靖司著・二玄社))という本のなかで、その本の著者、あるいは編集者から本をできたての本を見せてもらう(あるいはもらう)時の「作法」が書かれていて、冗談半分には違いないが、なるほどと思ったことを思い出す。うろ覚えだが、カバーをはずして表紙を見て、奥付、あとがきに目を走らせ……、ポイントを抑えた「ほめことば」を返すというものだったと思う。これまで赤ん坊を見に行く機会もあまりなく、見たとしても「はあ」、とか「へえ」とかしか感想がなかったのだが、これから何人か赤ん坊が身近に生まれる予定があることだし、褒めるべきところを褒めて両親を喜ばせてあげるべきではないか? と思うのである。


2003/09/26/Fri.
▲晴れ。
▲極上カメラ倶楽部『ライカ新時代 ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・10月20日発売予定)印刷入稿完了。校正出校待ちのあいだに、極上カメラ倶楽部シリーズの次なる1冊『オリンパスE-1』の操作マニュアル原稿を書く。


2003/09/25/Thu.
▲雨。
▲極上カメラ倶楽部『ライカ新時代 ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・10月20日発売予定)印刷入稿終了せず。で、編集部で飲みに行く。盛り上がって終電を逃す。新宿TSUTAYAに借りていたビデオとDVDを返す都合があったので新宿にタクシーで行き、TSUTAYAによってから、ついでに「かぼちゃ」に行く。新宿で飲むのは2カ月ぶりくらいなんじゃないか。陽さんとハルちゃんがいた。酔っぱらっていたので話の内容は覚えていないが、楽しかったような気がする。


2003/09/24/Wed.
▲雨。
▲昨日、さんざん寝たはずなのに、まだ寝たりないのかずるずると眠り続けてしまう。午前中は家のかたづけと掃除で終わってしまった。入稿のあとは、家中が泥棒に入られたようなありさまになる。
▲イクヤより1ヶ月早く生まれたヒロムくんとそのご両親とふーさんが来宅。赤ちゃん対決。しかし、結局二人とも自分の世界にしか興味がないので、寝るか、泣くか、手足を動かすか、ミルクを飲むか。対決になんかならない。写真を見せあったり、世間並みの親バカ話。イクヤ以外に同じくらいの赤ん坊を見たことがないので、興味津々で観察する。同じ頃に生まれても、個体差が大きい、というごくあたりまえのことを実感する。「ふつう」なんてないんじゃないか、と。
▲茗荷谷良心堂で『ぼくたちのM型ライカ』の入稿を……と思ったのだが、諸般の事情で明日に延期。何しに行ったのだかわからなかった。
映画『君さえいれば 金枝玉葉』(1994 年 香港 監督: ピーター・チャン)を久しぶりにビデオで見た。当時、香港で大ヒットを飛ばし、作品的にも評価が高かった作品だが、ぼくはあまり買っていない。しかし、ラストシーンのアニタ・ユン(袁詠儀)の走りっぷりだけでも、再見する意味はあった。なぜもう一度見たかというと、亡くなったレスリー・チャン(張國榮)が劇中で歌う歌を聴きたいと思ったからだ。CDを持っているので歌そのものはいつでも聴けるのだが、劇中、どういうシチュエーションで歌われたのかが気になったので。
▲国民的スター歌手ローズ(劉嘉玲)のパートナーであり音楽プロデューサーのサム(張國榮)が新人の男性歌手を育てようとしてオーディションを開くのだが、そこで女装したウィン(袁詠儀)が選ばれてしまう。ローズとサムの関係は冷え切っていたが、ローズはサムを諦めきれない。二人の大ファンであるウィンはその事実を知って驚くが、いつしかサムに惹かれていく。そしてまた、サムも自分がゲイなんじゃないか?……と恐れながらも、ウィンに心を開いていく。少女漫画のようなストーリーでテンポもややゆるいが、張國榮、劉嘉玲、そして、エリック・ツァンの怪演など、見所は多い。張國榮ファンにとってはたまらない映画だろう。
▲ニュースで、登下校中の女子高生を狙った暴行犯が捕まったことを伝えていた。36歳、名前は宇宙太(うちゅうた)。なぜ、両親はそんな名前をつけたのか。気になって仕方がない。


2003/09/23/Tue.
▲快晴→曇り。秋分の日?
▲明け方入稿を終えて、泥のように眠る。眠くて眠くてしょうがない。朝9時頃、ハービー・山口さんから原稿の直しが来て、寝ぼけながら赤字を入れる。結局、午後まで起きあがれず。
▲ハービーさんからもらった赤字をもとに原稿を直してデザイナーにメール。一仕事終えた後なので、おだやかな気分。
▲夕べ、版元から文字校正が戻ってこなかった分がファックスされてくる。データを修正して、送付し、完了。うちのマンションの隣にある韓国料理屋でささやかな打ち上げ。いまのところ、イクヤを気兼ねなく連れていける唯一のお店だ。


2003/09/22/Mon.
▲曇り。風。台風は関東を逸れた模様。
▲「チーズプラザ」の文字校正を揃えてバイク便で版元に送る。そんなこんなで午前中が終わる。
▲小林紀晴の長篇小説『9月11日からの僕のこと』(講談社)読了。あまりにもそのものズバリのタイトル、それもあまりにもナイーブな感じがちょっと……と思いつつ読みはじめたのだが、読み終えてみるとこのタイトルがピッタリだということがわかる。小林紀晴は写真家、ノンフィクションの書き手として知られてる。たしかにそちらの仕事も充実しているが、ぼくは小説家としても小林紀晴にも注目している。写真と写真に関わる人たちを描いた『暗室』(情報センター出版局)と『写真学生』(集英社)も面白いが、瞠目したのは『国道20号線』(河出書房新社)だ。なにか、奇妙な闇のようなものをあやふやなままに描いているというか、小説でしか描けないような不思議なテーストの短篇集だった。『9月11日からの僕のこと』にもその「味」は引き継がれている。小林紀晴自身、ニューヨーク同時多発テロ当時にかの地に滞在していて、そのことはすでに写真でも文章でも発表している。しかし、この『9月11日からの僕のこと』は小林が体験したこととはまったく別のことを、しかも自身の体験と写真や文章と微妙に重なり合うようなかたちで描いている。
▲ファンは19歳の少年。中国人の母と日本人の父との間に生まれ、10歳まで上海ですごした。その後日本で暮らし、さらにニューヨークへ一人で移ってきた。気の合わない従兄弟たちと部屋をシェアしながら、英語学校へ通い、スシ屋のバイトをしている。ファンは9月11日のテロに遭遇する。10歳以上年上のヒロさん、偶然知り合った日本人の裕福そうなおばあさん、クラスメイトでガールフレンドの韓国人の少女ユン、同じスシ屋でバイトしているヒスパニックの青年ミゲール。ファンの周囲にいる人たちのニューヨークでの生活と意見と、同時多発テロが交差したとき、彼らには何が「見えた」のか。多くの民族がそれぞれのライフスタイルをとっていることでは世界でほとんど唯一といえる規模を持つ大都市ニューヨーク。そこには、それぞれの事情で、風に吹かれるように集まってきた人々がいる。そこで起こったテロは、街をどう変質させたのか。
▲小林紀晴はノンフィクションでは書かず、小説でだけ書こうとしていることがあるような気がする。例えば恐怖。これまで小林が書いてきた小説にはどれも、身の置き場がないような、居心地の悪い恐怖が描かれていたように思う。そして、この『9月11日からの僕のこと』は、存在の恐怖を超える暴力が不意に現れる。19歳の少年は、この悪意と憎悪にどう立ち向かうのか。最後まで気を抜けずに読んだ。
▲茗荷谷良心堂で『ぼくたちのM型ライカ』のポジ入稿。夜になって、ハービー・山口さんから最後の原稿がファックスで届く。入力したテキストのプリントアウトをファックスして電話で細部の確認を。若干、原稿に手を入れていただくことに。その後、焼肉を食べに行くはずだったのだが、「チーズプラザ」の入稿が今夜いっぱいということで、泣く泣く諦める。
▲帰宅して、産休中のカミさんも動員して初校の直し。ポジの整理と指定紙づくり。昨晩に引き続き、夜中騒がしいので興奮しているのか、イクヤも起きてバタバタ手足を動かしている。時折むずかるので、そうすると抱いて立ったまま修正ゲラのチェック。立って抱いているぶんにはおとなしいのだが、椅子に座ったとたんに泣き出すのである。ふだんは「夜泣き」しない赤ん坊なので、そのうちに寝入ってくれた。明け方入稿準備を完了させて、版元から来るバイク便に乗せた。「家業の夜」だった。


2003/09/21/Sun.
▲晴れ。台風。
▲台風のため、予定されていた「撮影会」がキャンセルに。残念だが、結果的には、仕事のことを考えると「恵みの雨」だったのかも。
▲「チーズプラザ」のデジカメレビューの原稿を書いてカミさんに相談しながらレイアウト。ぼくが編集&原稿書きで、カミさんがデザイナー(今号の「チーズプラザ」は産休)なので「家業」なのです。
▲第2次小泉内閣。安倍晋三幹事長が話題に。安倍サン、顔がヒットラーに似てるなあ、といつも思う。
▲仕事の合間合間に読んでいた『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』(岩田博著・無明舎出版)が面白くて面白くて。ちびちび読もうと思っていたのに結局、ほとんど一気に読んでしまう。岩田書院は歴史、民俗学系の学術書専門出版社。名著出版の編集者だった著者が独立して一人で始めた出版社だ。以来、10年、社員は一人も雇わず、年間ニ十冊以上の本を出版し、雑誌も取り扱い、年商1億円に。ただ、本書はそのサクセスストーリーが書かれている本ではない。というか、「サクセス」な感じがぜんぜんしないのだ。本書は、新刊が刊行されるたびに宣伝用に配られる「新刊ニュース」の裏に書かれた「裏だより」(1〜267)をまとめたものだが、書かれているのは専門書出版をめぐる厳しい事情である。それも、具体的に部数、コスト、売り上げを公開して説明している。興味のある方は読んでいただきたいが、出版をめぐる現実が赤裸々に描かれている。ただし、その文章にはユーモラスな味わいがあり、著者が生きることと本を出すこととを不可分のものとして苦労しながらも楽しんでいることがわかる。


2003/09/20/Sat.
▲晴れ。台風が近づいている。雨と風。
新宿ニコンサロン。小林紀晴写真展「ホワイト・パニック 9.11からの日々」を見に行く。エレベーターが来ない。ランプも消えたし……と思ったら地震だった。新宿Lタワー28階がニコンサロン。エレベーターを出たところで小林紀晴さんとバッタリ会う。
▲ニューヨーク同時多発テロに遭遇した写真家が、「何を撮れるのか」と自問しつつ、「9.11」から炭疽菌事件にいたる恐怖の日々を淡々と撮影した異色シリーズ。事件そのものは撮影されていない。しかし、その事件が街に落とした影は強烈なまでに写真に焼き付けられている。職業的なジャーナリストがメディアのために撮影した写真ではなく、一人の異邦人、写真家としてシャッターを切った写真だからこそ、説得力をもって当時のニューヨークを感じることができる。自分にとっての「9.11」からの日々を考えさせられてしまった。22日(月)まで。
▲四谷三丁目Days Photogallery。小林紀晴写真展「days new york」。こちらは、写真集『days new york』(平凡社)と連動した作品展。8×10サイズのカラープリントをかたまりのようなかたちで見せていく。写真集は一直線に最初のページから最後のページまで見せていくものだけど、写真展では、こうしたまとまりによる見せ方ができるんだなあ、とあらためて感じた。「days」のタイトル通り、日々を重ねていくようにシャッターを切っていった様子がよくわかる。そして、「ホワイト・パニック 9.11からの日々」でブローアップされていた作品も挿入されており、展示の文脈の違い、キャプションの有無によって違った見え方をしてくることに面白さを感じた。
▲帰りしな、Days Photogalleryを小林紀晴さんと主宰している浦井美弥さんに小林さんへの取材原稿の文字校正を託して帰る。
▲今朝、コンタクトレンズを片方なくしてしまった。メガネも古くなったので、まずメガネを作ることに。眼鏡屋の店員、白川義員に似ていた。どうでもいいけど。
▲イイヌマさん一家来宅。以前、お宅にうかがったときにはベビーベッドの中にちょこんと収まっていたミサコちゃんが人間らしくなっていて吃驚する。1歳ちょっと? なのかな。言葉もちょっと出てきて、ご両親とコミュニケーションが取れている。泣き声がすさまじくデカい。あと1年経つとイクヤもあんな感じになるのかな。小さい子供を可愛いと思ったことなんかなかったのだが、イクヤが生まれてからは人様の子供でも可愛いと思うようになった。不思議。


2003/09/19/Fri.
▲晴れ。
▲「チーズプラザ」の特集記事「高倍率ズーム付きデジカメで旅を撮る」の原稿を仕上げてデザイナーへメール。
▲見るとはなしに見ていたドラマ『誰にも言えない』の再放送最終回。その前は、『ずっとあなたが好きだった』(とドラマタイトルではピンとこないと思うが、「冬彦さん」を佐野史郎が演じてブームになった)。二つとも、今をときめく脚本家、君塚良一(『踊る大捜査線』)の作品で、『ずっとあなたが好きだった』のヒットを受けて『誰にも言えない』が作られたことは知っていた。佐野史郎、賀来千香子、野際陽子のトリオが引き続き出演している。で、何をくだくだ書いているかというと、この二つの作品、最終回で「サーガ」だったことが判明するのだ。『ずっとあなたが好きだった』の冬彦さん(佐野史郎)と美和(賀来千香子)の次世代の話が『誰にも言えない』なのである。ンなアホな(笑)。シリアスドラマとは思えないアホぶりが嬉しくなってしまった。メロドラマを狙ったのに、制作者の意図とは裏腹に「冬彦さん」の濃いキャラクターがウケてしまった『ずっとあなたが好きだった』から、「冬彦さん」方向へシフトした確信犯の『誰にも言えない』(こちらはそれほどヒットしなかったはずだが)。不思議な姉妹作品だと思う。
▲茗荷谷良心堂。極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・10月20日発売予定)の文字校正の赤字をまとめ、一部をデザイナーに戻す。残りは月曜日。
▲帰りに東京駅で人身事故があり、山手線が止まっていた。
▲「チーズプラザ」の特集記事「旅で出会った人を撮る」(写真、原稿は晴日[Haruhi]さん)の原稿整理。デザイナーへメールして今日の仕事は終わり。


2003/09/18/Thu.
▲晴れ。
▲富士吉田撮影紀行の写真選びと、原稿の大まかな流れを考える。考えにつまって、区役所のブランチと郵便局とセブンイレブンとオリジン弁当を回って帰ってくる。汗が吹き出る。9月も半ばだってのに、この暑さ。
▲坂木俊公『死体洗いのアルバイト』(イーストプレス)読了。病院、病気に関する都市伝説を医師が腑分けしてみせる「医療都市伝説解体新書」。著者は医療に関する都市伝説のサイト(『死体洗いのアルバイト』(イーストプレス))を主宰している人で、本業はお医者さん。したがって、都市伝説の真偽を医学的見地から論評している。雑学的に理解していたことが、けっこう、都市伝説だったりするのが面白かった。「朝勃ち」のメカニズムって、おしっこが膀胱にたまって刺激するからだと思ってました。違うんですね。などなど。(ん?)
▲オンライン書店bk1で定例会議。出産祝いのお返しを持っていく。


2003/09/17/Wed.
▲晴れ。
▲「チーズプラザ」の小嶋宏彰さん・真理子さん夫妻へのインタビュー記事を書く。お二人は人気サイト珍スポ大百科を主宰し、国内外の珍スポット、珍寺を紹介している。パワフルなサイトなり。
▲市川。「チーズプラザ」のテーマ別投稿写真ページの選考会。今回の選考は写真家の中里和人さんにお願いした。テーマは「ふれあい」。家族と動物の写真が多いのはいつものことだが、とくにテーマが表現しやすかったのか、いつもより投稿数は多かった。しかし、表現しやすいということは逆に似たような写真になってしまう危険性があるわけで。
▲中里さんに案内されて、珈琲ギャラリーREIで嶋田源三写真展「8mm high」を見に行く。パーコレーションを写し込んだ、8ミリの映像数コマをカラープリントしたシリーズ。結婚式とか、旅とか、人とか、身近な日常をモティーフにしたものだが、動画のある瞬間を切り取ってきているので、その前後を想像させる。ふつうの写真は現実を前にして任意の瞬間を切り取るわけだが、この作品の場合は、任意の時間を切り取った後に、さらに瞬間を切り取っている。ぼくたちが生きている時間がだらだらと流れていること。いま、この瞬間も、フィルムの1コマに過ぎないんだ、という無常感……を感じたが、それは見る側の勝手な妄想かもしれない。ただ、そういう妄想を刺激するというところが、この作品の力である。嶋田源三は1973年東京生まれ。95年にシングル8のカメラを手に入れた。東京写真文化館「須田一政ショートゼミ」を修了し、現在は須田塾に学んでいる。最近、須田一政門下の作品をよく見かける。
▲極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・10月20日発売予定)の文字校正がやっと出てくる。取材をお願いした写真家の方々、座談会にご出席いただいた方々にファックスするが、なぜかうまく送れず、手こずってしまう。
▲沢木耕太郎『一号線を北上せよ』(講談社)読了。『深夜特急』ファンのために編まれたような紀行文集。装幀も同じ平野甲賀(版元は違うけど)。昨年出た『イルカと墜落』(文藝春秋)を読み終えたときに、「もう沢木耕太郎の新刊は読まなくてもいいかも……」と思ったので買いそびれていたら、ほどなくしてアカギさんがくれた。しかし、もらってからも何となく読む気が起こらなかった。「象が飛んだ」って前にも本で読んだ、とか、ベトナム紀行などは、『深夜特急』をなぞっているだけじゃん、とか、一時期かなり熱心な読者だったこともあって、いろいろと半畳を入れたくなる。しかし、どれもそう長い文章ではないし、場所も、時期も、目的も違う旅についての文章なので、予想よりはずっと楽しめた。とくに檀一雄のエピソードが織り込まれたポルトガルへの旅(「鬼火」「記憶の樽」)は、いつかもう一度ポルトガルに行くときに読み返してみたいと思った。ぼくが沢木耕太郎の新刊に、最後に感動したのが『檀』(新潮文庫)だったからということもあるけど。
▲「チーズプラザ」の小林紀晴インタビューの原稿を仕上げる。久しぶりに『アジアン・ジャパニーズ』(情報センター出版局)を読み返す。最新刊『days new york』(平凡社)までいい意味で変わらないスタンスを保っていると思う。『アジアン・ジャパニーズ』は、ぼく自身も2、3カ月アジアをあてなくほっつき歩くような旅行をしていたこともあって、刊行当時見ずてんで買って読み、かなり興奮したことを覚えている。同世代のすごい書き手が現れたなあ、と。以後、小林紀晴の本はほとんど読んでいるが、もう一度驚かされたのが、小説家としての才能だ。『暗室』(情報センター出版局)、『写真学生』(集英社)も面白かったが、あまり評判にならなかった『国道20号線』(河出書房新社)が素晴らしかった。小林さんに会ったときに、そう伝えたら意外な顔をされたけど(笑)。小説家としての最新刊、『9月11日からの僕のこと』(講談社)も出たばかり。タイトルがかなりヤバいような気がするが……bk1で注文した。


2003/09/16/Tue.
▲晴れ。
▲「一枚の繪」の齊藤けさ江さんの記事を仕上げてメールで送る。
▲午前中にバスで新宿西口のオリンパスへ行き、レンズ返却。帰りに小滝橋のいなげやで買い物。歩いて帰る。途中であんみつを買う。
▲ミノルタに行き、「チーズプラザ」でレビューするデジカメを借りる。
▲茗荷谷良心堂。極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・10月20日発売予定)の文字校正を見に行ったのだが、出てこない。
▲沢木耕太郎の新刊『無名』(幻冬舎)読了。一時期は大好きな書き手で、繰り返し読んだ本が何冊もあるが、ここ数年、新刊を読むたびに失望させられてきた。もう、新刊は読まなくてもいいかな……と思っていたのだが、この本は著者の父親の死を題材にしていると知って読んでみたいと思った。著者はじめての小説『血の味』(新潮文庫)を読んだときに、父親へのこだわりが強く出ていたことに意外の感があったからだ。しかも版元は幻冬舎。安原顯さんが生前、幻冬舎の見城社長と『血の味』をめぐって激論を交わしたと安原さん自身から聞いたことがあった。安原さんの評価は×だったのだが、見城さんは「傑作!」という評で、安原さんに何を言われようとも、がんとしてその評価を変えなかったという(そのエピソードは安原さんの日記にも書かれていたはずだ)。だから、沢木耕太郎が父のことを書いた本が幻冬舎から出ているということにピンときたのだ。なぜ見城さんが『血の味』に感動したのか。そのポイントはやっぱり「父」だったのかな、と。
▲『無名』は最近の沢木耕太郎作品の中では面白く読めた。文章の端々に感じるいい気なナルシズム(以前の沢木作品ではそのナルシズムも魅力の一つだったのだが、なぜか最近の作品ではそれがいやでしょうがない)には引いてしまいそうになるが、「父」の前で一人の「息子」になってしまう沢木耕太郎の姿に久々、瑞々しい魅力を感じた。『血の味』は、沢木ファンの一人として失望させられた記憶があるが、この『無名』を補助線として読み返すと、また別の読み方ができるのかもしれないと思ったりもした。


2003/09/15/Mon.
▲晴れ。敬老の日。
▲新宿に郵便物を出しに行く。四谷三丁目トライデントに遅れていた『ぼくたちのM型ライカ』の原稿を届ける。
▲「一枚の繪」の齊藤けさ江さんの記事を一通り書く。


2003/09/14/Sun.
▲晴れ。
▲新宿。郵便を出してから中央線で大月。富士急行に乗り換えて月江寺(げっこうじ)で下りる。富士吉田市の中心地。ここで「『まち』がミュージアム!」というアートイベントをやっていて、それを見に来たのである。ついでに、ちょうど流鏑馬をやっていたので見物し、浅間神社では屋台が出て、奉納舞いもあった。古い町並みや、入り組んだ路地がところどころに残っていて、いい味わいのある町だった。「チーズプラザ」のために写真を撮るという目的もあったので午後いっぱい歩き回ってシャッターを切った。
▲夜はエンディング・パーティーで写真家の中里和人さんとお会いする。中里さんはこのイベントに去年、今年と連続で参加していて、今回のタイトルは「土の蔵闇」。空き部屋を利用して、真っ暗闇の空間をつくり、わずかな光だけで写真を見せる。その写真も、闇がテーマの写真。いわば体験的写真展。富士吉田の町に流れている時間のゆったりとした流れともあいまって魅力的な展示だった。ほかに印象的だったのはネクタイ作家あさこの奇抜なデザインのネクタイ。古いアパートの一室に造形物を置いた金憲鎬の展示も見事にマッチ。しかし、そのほかの作品は、残念ながら、富士吉田の町が重ねてきた時間の堆積に負けているというか、会場(廃屋だったり、空き部屋だったりする)を生かし切れていないというか。町とアートって、意外と難しいんだなあ……と思った。面白いことができそうな気はするんだけど。
▲旅気分で行き帰りに読んだ本。
▲松本賢吾最新刊『凶劇』(学研ウルフ・ノベルス)。祥伝社ノン・ノベルでシリーズ化されていた「警視庁別係 突きの剣」が帰ってきた! ノベルズの正しい読み方というのは、旅の行き帰りに一気読み、だと思う。このシリーズはまさにその王道をゆく。「突きの剣」の異名をとる相羽はハミダシ警部補。「別係」に属しているが、部下はいない。しかし、ひとたび事件が起きれば、同期の「相羽軍団」を召集して事件解決に当たる。たとえその事件が警察内部のダーティーな部分に関わろうとも、相羽の剣はにぶらない。今回は、相羽軍団の召集はなく、各署のハミダシ刑事を集めて、公安と右翼が連携する「刑事ゴロシ」を解決する。Vシネマでぜひ映像化、シリーズ化してほしい。
▲宮嶋茂樹『不肖・宮嶋史上最低の作戦』(文春文庫PLUS)。自衛隊、地獄の同行取材が主な内容。どんな題材でも、何を書いても不肖・宮嶋。「不肖・宮嶋」ブランドが確立された時点で、何をやっても何を書いてもおもしろいという、希有な存在。
▲小林泰三(こばやしやすみ)『目を擦る女』(ハヤカワ文庫)。ホラー短篇集と思いきや、超絶トリックのミステリーがあったり、タイムマシンが登場するSFがあったり、遊び心が楽しいエンターテインメント作品集だった。引き出しのたくさんある作家。初めて読んだが、ほかの作品も読んでみたい。津原泰水(つはらやすみ)と「Wやすみ」というところか。注目作家です。


2003/09/13/Sat.
▲晴れ。
▲母来宅。
▲彩さん、ヤヨイさん来宅。
▲西荻窪。散髪。新宿経由で帰宅。
▲藤原新也『なにも願わない手を合わせる』(東京書籍)読了。兄の死を契機として、四国へ旅立つ著者。これまでも肉親の死に際して、四国を巡ってきたという。宗教的な、定型化された祈りではなく、ただ手を合わせるということ。いちいち腑に落ちる言葉が続き、ページをめくることが楽しかった。写真もとてもいい。藤原新也は、以前はとくに好きな写真家でも書き手でもなかったのだが、この1,2年、強く惹かれるようになった。ご本人にお会いしてお話をうかがった(2002年6月。オンライン書店bk1でインタビュー)ということもきっかけの一つではあったと思うのだが、なにか、一冊ごとに新しい藤原新也像が立ち現れるという感じ。新刊が楽しみでならない。この本も、さりげなく、さっと差し出されたようでいて、新鮮さがある。ある種の境地に至っているというか……興味がある方は読んでみて下さい。


2003/09/12/Fri.
▲晴れ。暑い!
▲田園調布。スタジオでモデル撮影の立ち会い。極上カメラ倶楽部『オリンパスE-1』(双葉社スーパームック・11月中旬発売予定)の記事のため。撮影は赤城耕一さん。
▲三軒茶屋。写真展「ビビンパ!」を見に行く。image box東中野 作品制作ゼミ(講師:飯沢耕太郎)の第2期生19人による卒業制作展。たまたまそのうちの2人と面識があったので見に行ったのだが、予想以上に面白かった。個々の展示作品はスペースが限られているせいもあり、写真作家としての決定打を放つ、というわけにはなかなかいっていないが、一人ひとりの作品作りへの情熱がうかがえて、興味深く見た。また、この写真展の魅力は、19人それぞれが写真に対する考え方も大きく隔たっいることだ。モノクロ、ドキュメンタリーな犬の成長記録(東谷貞子「あした てんきに なあれ」)があるかと思えば、人体を写真によって解体させ、そこに情念を込めたコンセプチュアルなアート作品(北國雅一「復刻」)もある。ひたすら感性を表出している気持ちのいい写真(湯浅はるか「夏の海の近くで」)もあれば、ひたすらシャッターを切り続けることで何かを掴もうとしている作品(柿本紀伊「誕生」もある。抽象的なイメージをモノクロプリントで展開しいている作品(原田壮基「はじまりについて」)も。作者の抱える問題を写真にすることによって捉え直そうとしている、痛々しくも瑞々しい作品(金子葉月「皮膚と檻」)もあった。とにかく、それぞれ方法論をしっかりと持って作品作りに挑む姿勢がまぶしい。作品の完成度という点では、展示スペースの制約もあって、感動させられる……というところまではいかなかったが、とにかく多彩。この「作品制作ゼミ」は月に1度開かれ、各人が作品を持ち寄り、厳しい批評にさらされる……という形式らしいが、それぞれに作品にするまでの苦労のあとが感じられた。写真を撮ることは誰にでも簡単にできるけど、公に発表するというのは、カラオケで歌うのとステージに上がるくらいの違いがある。しかも、面白いことに、正装してステージに立った、作品として展示されている作品以上に、彼らが会場に置いているポートフォリオが面白かった。カラオケボックスを出て、ストリートで歌っている感じ。まさに途上にある人たちが、写真の面白さに夢中になっているといった印象。熱気が伝わってくる。少ない人数の中に、これだけ違う要素が出て来るというのは、写真て本当に面白い。
▲写真展としてもよく考えられていて、「イントロダクション」というファイルには、各人のプロフィールが載っている。写真展に行くたび、この人はどういう人なんだろう……と思ってしまうぼくのような人間には親切だ。また、各ポートフォリオに感想を書く欄を設けている人もいたし、アンケート用紙もあった。見に来た人とコミュニケーションを取ろうとする姿勢に感動した。名刺ファイルも用意されていて、興味のある人が持ち帰ることができるようになっている。〜14日(日) 11:00〜20:00三茶近辺にお立ち寄りの際にはぜひ。
▲茗荷谷良心堂。『オリンパスE-1』のスケジュールと台割についての打ち合わせと、『ぼくたちのM型ライカ』のためのアクセサリー商品撮影など。


2003/09/11/Thu.
▲晴れ。暑い!
▲富士プレゼンテックに「チーズプラザ」デジカメレビュー用の機材を借りに。
▲デザイナーの千登勢さん来宅。「チーズプラザ」のデザインアップ分を受け取り、写真原稿を渡す。
▲体調を崩していたお義母さんが久々に来てくれて、豪華な昼食&夕食に。カミさんの産後、週に4日、午後から夕飯まで家事を手伝いにきてもらっていた。今日はその最後の日。お疲れさまでした!
▲新宿西口マップカメラで『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・10月20日発売)用に、ライカ用のオリジナル商品を借りてくる。ついでにカメラバッグを買ってしまった。ほかにヨドバスカメラでズマロン35mmF3.5(L)のフード(再生品)やMマウントリアキャップ(ミノルタ製)など購入。デジカメのxDカードも。
▲渡部さとる『旅するカメラ』(エイ文庫)読了。写真・カメラについてのエッセーと写真。読みはじめたら止まらなくなってしまった。
▲クラシックカメラブームも一段落して、蘊蓄本や解説書のたぐいが出尽くした感がある。それまで情報に飢えていたファンの欲求も満足して、カメラ本はお腹いっぱい……そんなところに登場したこの『旅するカメラ』は新鮮な魅力を持っている。
▲著者は、スポーツ新聞社を経てフリーのカメラマンになり、雑誌中心に活躍する一方で、プライベートで撮りためた南の島の写真集『午後の最後の日射 アジアの島へ』(モール)を出している。ライカやローライなどのクラシックカメラとの出会い、撮影現場での試行錯誤、写真の面白さなど、写真家が書くエッセーとしては定番ともいえる内容で、新味はそれほどないはずなのに、なぜかとても面白い。たぶん、著者のカメラや写真に対する姿勢、「スタイル」がいい感じだからだ。
▲著者の渡部さんには、ぼくが編集した『使うローライ』(双葉社)でインタビューさせていただいた。「季刊クラシックカメラ」のローライ特集号では作品と原稿を寄せてもらっている。『旅するカメラ』のもとになった原稿が載っている渡部さんのホームページSutadio monochrome on the webも時々のぞいていたので、 渡部さんのことは少しは知っているつもりだったのだが、こうしてあらためて一冊の本になったものを読むと、よりはっきりと渡部さんの世界が見えてくる。『旅するカメラ』は趣味の世界に関する本を集めた文庫の中の1冊だが、そのシリーズ、判型、分量、デザイン、どれをとってもうまくハマっていて、カメラ・写真関係の本を作っているぼくから見て、見事な仕上がりだと思う。あとは、ぜひ増刷して、2、3あった誤植を直してもらえれば……(人のことは言えないですが)。カメラとどうつきあって、どう写真を撮っていくか、ということを平易に書いているので、写真を撮ってみたいと思っている人、カメラについてちょっと興味のある人にはおすすめします。


2003/09/10/Wed.
▲晴れ。暑い。
▲早起きして茗荷谷良心堂。雑事を片付けて、うちに帰ってイクヤと留守番。カミさんは病院で定期検診。
▲京橋。寺田真由美写真展(Base Gallery)。がらんとした部屋をモノクロで撮った写真なのだが、よくよく見ていると、どこかリアリティーを欠いている。作り物めいて見える。実は、ミニチュアの「ドールハウス」を作り、その部屋に自然光を招き入れ、モノクロで撮影した写真だ。ミニチュアは作り込むことで現実に近づく。写真も現実を模倣する(が、現実そのものではない)ところが似ている。現実を模倣したミニチュアと、現実を複写する写真。二つをつなぐリンケージとなるのが本物の「光」だ。自然光の持つ生々しいリアリティーが写真を生き生きとさせている。生きているものと死んでいるもの、本物と偽物。写真の前でしばし思いにふけってしまう。寺田真由美は作品集『明るい部屋の中で』(求龍堂)を刊行したばかり。〜9月26日(金)11:00 - 19:00 日曜祝日休廊 入場無料
▲つづいてすぐ近くの中里和人写真展「緑の闇」(ギャラリー繭)へ。本日最終日。ここしばらく中里さんが取り組んでいる「闇」シリーズの中から、蛍光灯の光(ポジフィルムで撮ると緑になる)で浮かび上がる闇のシリーズを展示。ほかに、中里さんのライフワークともいえる「小屋」(そのものズバリ『小屋の肖像』という写真集をメディア・ファクトリーから刊行している)をギャラリーの中に設置し、その中に入るとピンホールカメラになっていて、ギャラリの外がスクリーンに映し出されるという趣向まであった。限られたスペースの中で、ここまでやる人ってあんまりいない。
▲中里さんは、今月、ほかにも2つ作品展を開く。一つは開催中の写真展「土の蔵闇」(〜9月14日 山梨県富士吉田市本町通りの土蔵)。もう一つは、写真展「逢魔が時」(9/13日〜23日 浦和・ギャラリー楽風(らふ)。いずれも、ダブる作品は1点もないという。また、10月上旬には写真本『逢魔が時』(写真・中里和人/文・中野純 PIE BOOKS)も刊行される。中里さんご本人がいらしたので、立ち話。『逢魔が時』の刷りだし見本を見せてもらう。とてもいい感じで、出来上がりが楽しみだ。
▲銀座まで歩き、上乗康秀(じょうじょうやすひで)写真展「NEVER TO BE FORGOTTEN ―同時多発テロ2年の時を経て―」(銀座ニコンサロン)。「9.11」にニューヨークにいあわせた報道カメラマンが、事件を風化させまいと、その後のグラウンド・ゼロをモノクロームで撮り続けた写真。「9.11」のその後、というと、テレビでも新聞でも雑誌でもさんざん取り上げられているような気分がある。しかし、こうして一人の写真家の眼を通して見ると、メディアが取りこぼしてしまっているものがたくさんあるんじゃないか……と思えてくる。情報量が増えれば増えるほど、「見た気」「わかった気」になってしまうのかもしれない。なぜ魚眼? とか、展示方法をもうちょっとわかりやすくして欲しかったとか、点数が多すぎるんじゃないかと思ったりもしたが、とにかく、現場に行かないと写真は撮れないんだ! という迫力がある。会場で販売していた写真集『NY崩壊 2001−09−11』(エクスナレッジ)を上乗さんご本人から購入。「この本、知ってました?」と聞かれたので「いいえ……」「2年前に出た本なんですけどね」。充実した内容で、なおかつ2400円は安いと思うけど。
▲「9.11」本といえば、写真家集団マグナムによる決定版的な写真集『ニューヨークセプテンバー11』(新潮社)があり、そちらはすでに見ていたが、あちらは複数の写真家による総合的な写真記録。ゆえに、突出した数枚の写真をのぞけば、どうしてもどこかで見たような写真に感じられて仕方がなかった。そこで、マグナムのような「立派な」写真家集団の作品ではなく、写真家一個人のまなざしをじっくり見てみたいと思ったのだ。また、いま、ニコンサロンのもう一つの会場(新宿)では、小林紀晴写真展「ホワイト・パニック」(開催中〜22日まで)が開かれている。小林紀晴も「9.11」当時、ニューヨークに在住していたが、そこでは「何も見ることができなかった」という。先日、小林さんに取材した折りに、「ホワイト・パニック」は、その「何も見られなかった」ことをテーマにした写真展なのだと語っていた。また、小林紀晴は今年の夏になって、ニューヨーク滞在当時の記録を写真集『Days New york』(平凡社)にまとめている。見て写真を撮った写真家と、見られずに写真を撮った写真家。二人の対照的なあり方に興味を持った。写真展「NEVER TO BE FORGOTTEN ―同時多発テロ2年の時を経て―」は〜9月13日(土)10:00〜19:00。


2003/09/09/Tue.
▲晴れ。残暑。
▲待ったなしの原稿、書いてはメールで送る。
▲お義父さん来宅。イクヤはごきげんで手足をバタバタさせるなどしてお義父さんを喜ばせたらしい。動いているだけで喜ばれているってのも、人生でこの時期だけなんだろうな。俺は別室で仕事してた。
▲新宿。オリンパスにレンズを借りに。高田馬場で赤城耕一さんにレンズを渡す。
▲松久淳+田中渉『恋火』(小学館)読了。好きじゃない。面白くないといいながら読んでしまう「天国の本屋」シリーズ。好きな人にはたまらないと思うが、ぼくはこの本のターゲットからは外れている。「本の朗読をしてくれる本屋さん」、勘弁して欲しい。ピュア・ハートの持ち主にお勧めしたい。しかし、竹内結子主演で映画化ってのは、ハマりすぎ! 映画のほうが面白そうだ。


2003/09/08/Mon.
▲曇り。秋っぽい日
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>から、メールマガジンが創刊されます! 東雅夫店長のコラム、新着記事情報から、読者から募集した書評まで、盛りだくさんの内容です。明日(9日)創刊! というわけで、編集担当をやっております。登録はこちらから。
▲オリンパスからレンズを借り受けたほかは、終日原稿。
▲イクヤの1ヶ月検診。とくに問題なしとのことでホッとする。体重の伸びがやや鈍いらしいが、ほかの子と比べようもないので気にしないことにする。
▲佐藤秀峰のマンガ『海猿』(小学館)の1〜3巻まで。『ブラックジャックによろしく』(講談社)の人という予備知識しかなかったのだが、面白い。海上保安庁の新米保安員が海難事故に立ち向かっていくお話。『ブラックジャックによろしく』を読んでいても思うのだが、マンガが上手い、と思う。絵が、ではなく、マンガが。読者を引き込んで、感動を呼ぶ腕前が見事。ドラマ化済みで、映画化もされるというが納得。


2003/09/07/Sun.
▲晴れ。
▲午後からイクヤと留守番。仕事はかどらず。イクヤにつきあって夕寝。ここ数日、眠くて眠くてしょうがない。夜眠れないわけではなく、たっぷり寝ているのだが、昼間も眠い。たぶん、秋だから。


2003/09/06/Sat.
▲晴れ。
▲彩さん来宅。お昼を持ってきてくれる。彩さん、5歳児の母なのだが、突然、母乳が出る。?? そこまではまだ了解可能なのだが、彼女によれば男でも母乳(っていうか父乳?)が出ると『だれでもできる母乳育児』(ラ・レーチェ・リーグ・インターナショナル著・メディカ出版)に書いてあったとか。マジかよ。ちなみに『だれでもできる母乳育児』は彩さん1オシ母乳本だそうです。
▲カミさんが彩さんのクルマで買い物に行く。ほんの1,2時間のことだったが、カミさんがイクヤと離れるのは初めて。当然、俺もイクヤと二人きりというのは初めてなのでちょっと緊張する。珍しくイクヤがよく泣き、やっぱり母親がいないことがわかるのかなあ、と思ったけど、ミルクを作ってあげておしめを替えたら寝てしまったので、こっちの勝手な思いこみだったかも。
▲テレビドラマ『白線流し』スペシャル。面白いとドラマだとは思わないのだが、なんとなく見てしまう。てっきり前作でおしまいだと思っていたのに、なぜかまた制作された。そのせいか、なんとなく尻切れトンボの印象。また続きをやるのかな。このドラマでしかお目に掛からない人が何人かいるので、出演者の年の取り方が見所。2時間ちょっとの話で主要登場人物すべての近況エピソードを盛り込むのは難しいのか、遊井亮子の出番が申し訳程度だったのは残念。馬渕英里何の何かふっきれたような表情が印象的。
▲松井るり子『可愛がられるために来た』(学陽書房)を拾い読み。児童文化の専門家が書いた、絵本と育児をテーマにしたエッセー。文章も、書かれている内容も好みではないが、あまりにも自分と無縁の世界が広がっていて、新鮮だった。いつも自分が読んでいる本がドロドロのコールタールだとすれば、この本はピュア・ウォーターな感じ? 自分がなんで絵本オンチなのか、わかったような気がした……。読んだきっかけはかみぞの整体のサイトでこの本が紹介されていたから。感謝します。


2003/09/05/Fri.
▲晴れ。
▲郵便局とスーパーへ行った以外は家で仕事。
▲アマゾンから注文していたCDが届く。林田直樹『読んでから聴く厳選クラシック名盤』(全音楽譜出版社)を読んで欲しいと思ったミシェル・ルグラン演奏の『ジムノペディ〜サティ/ピアノ作品集』は、意外や、ケレン味のないサティ。ルグランというと、映画『シェルブールの雨傘』の印象が強いが、林田さんの評通り、きわめて正統的なピアノ作品集だった。ほかに、映画を見て欲しくなったニーノ・ロータ『魂のジュリエッタ』(奇妙な味わいのノンジャンル・ミュージック)、『悪魔のようなあいつ』の余韻冷めやらず、ジュリー+ショーケンという豪華タッグ(岸部修三 現・一徳も参加)『PYG!』も。
▲映画『壬生義士伝』(2003年・滝田洋二郎監督)をDVDで。浅田次郎原作のベストセラーを映画化。当初は故・相米慎二監督で映画化されるはずだった。相米が時代劇、それも浅田次郎のかなり保守的な人情ものをどう映画化したのかと思うと、実現しなかったのは残念だった。
▲幕末。新撰組に新たに入隊してきた吉村貫一郎(中井貴一)は、剣術の腕前は立つものの、田舎侍そのものといった野暮ったい男だった。故郷南部の美しい自然を語り、残してきた妻と子を自慢する。血に飢え、死に急ぐ新撰組に居心地の良さを感じていた斎藤一(佐藤浩市)は、吉村の明朗さに生理的な嫌悪感を持つ。二人は対立するが、やがて斎藤は吉村の真の姿を目の当たりにすることになる。
▲南部盛岡の田舎侍に秘められた、家族への愛、武士としての誇りがこの映画のテーマだ。藩に忠義を尽くすのが武士の本道とは分かっていても、禄が少なければ家族が苦しむ。そこで脱藩した吉村は、新撰組で得たカネをせっせと故郷の家族へ送金する。守銭奴と軽蔑される一方で、武士としてのプライドは決して捨てていなかった。そこに感動が生まれる。浅田次郎の筆を持ってすれば、おそらく原作小説は涙で活字が読めません……という状態なのではなかろうか(読んでいないけど)。しかし、映画は残念ながら「泣かせ」がうまくいかなかった。
▲一番の問題は「貧困」が伝わってこないことだと思う。こういうシリアスなリアリズム的な時代劇は東宝のお得意だったが、黒澤明でも小林正樹でも、お金がないということがいかに人間を追いつめ、苦しめるかということをもっと徹底してやっていたと思う。ところが、この映画に描かれている貧しさには迫ってくるような悲惨さがない。平成不況の妙な明るさ、軽さの反映だろうか。主人公がサラリーマンの単身赴任にしか見えなかった。その結果、主人公の人間くささ、その中にある崇高さが伝わってこなかった。新撰組の場面はまだしも、舞台が南部に移るともうダメ、という感じ。力作だと思うが、空振りという印象。映画『独立少年合唱団』(2000年・緒方明監督)の主演コンビ(藤間宇宙、伊藤淳史)が出ていたのはちょっと嬉しかった。中井貴一と佐藤浩市はNHKドラマ『ある日、嵐のように』(マキノノゾミ脚本 ファンサイトもある)での共演もうまくハマっていて、なかなかの名コンビ。そういえば、『ある日、嵐のように』にはこの映画にも出ている夏川結衣も出ていたっけ。そういう意味ではいろいろと楽しめたけど。


2003/09/04/Thu.
▲晴れ。
▲茗荷谷良心堂。打ち合わせその他。新宿TSUTAYA経由で帰宅。
映画『座頭市血笑旅』(1964・大映京都 三隅研次監督)。勝新太郎の座頭市、劇場第8作。劇場版はあらかた見ているはずだが、中でも好きな1本。座頭市が赤ん坊を抱えて旅をしなくてはならなくなるという話なのだが、居合いの達人、市さんに赤ん坊というハンディキャップが加わって、殺陣にヴァリエーションが加わった。おしめを替えている最中に敵に襲われたり、寝た子を起こさないように敵を倒したり。女スリの高千穂ひづると赤ん坊を抱えて、疑似家族的な道中になるというところも好きだ。座頭市は、どこか人を食ったようなユーモアと、なぜか女たちにモテてエロチックなムードが漂っているキャラクターだが、実は「めくらで、ヤクザで流れ者」という日陰の人だ。赤ん坊の日向くささと対照的に、その暗い哀しみが伝わってくるところが『座頭市血笑旅』の優れた点だ。
▲ところで、座頭市といえば、このページが詳しいです。マニアック!
▲戸苅 創文 宮崎雅子写真『ベビーサイエンス』(メディカ出版)読了。大きめの判型に写真をたくさんあしらって、赤ちゃんの不思議を医学的、科学的な視点から解き明かしていく本。解き明かす、といっても、読んでみると、意外と赤ん坊の「なぜ」は解明されていないということもわかる。例えば、出てきたばかりの赤ちゃんは「胎脂」と呼ばれる脂肪もなぜついているか諸説あるという。したがって、本書は、医学的アプローチも兼ね備えつつ、ユーモアをもって、赤ちゃんの不思議さを描いている点がすばらしい。『分娩台よ、さようなら』(メディカ出版)などに写真を提供している写真家、宮崎雅子の赤ちゃん写真も、いわゆる「かわいい赤ちゃん」ではなく、赤ちゃんの生命力に迫っていて、見応えがある。ユニークな本。


2003/09/03/Wed.
▲晴れ。
エホンバタケのパパさんからプレゼントの絵本が届く。『キャベツくん』(長 新太文・絵 文研出版)『ももんちゃんのっしのっし』(とよた かずひこさく・え 童心社)。読み聴かせ、楽しそうです。
▲ヤダさんからは、ヤダさんが編集した話題の本『死体洗いのアルバイト』(坂本俊公著 イーストプレス)と、『赤ちゃん語がわかる魔法の育児書』(トレイシー・ホッグ/岡田 美里訳 イーストプレス)『赤ちゃん語がわかる魔法の育児書 2 0〜4才しつけ編』(トレイシー・ホッグ/岡田 美里訳 イーストプレス)を送っていただいた。
▲新宿。オリンパス。オリンパス初の一眼レフデジタルカメラ、オリンパスE-1を1冊丸ごと特集したムック、極上カメラ倶楽部『オリンパスE-1』(双葉社スーパームック・11月発売予定)についての打ち合わせ。操作マニュアルや、開発者インタビューのページなどを担当することになったので、その件で。
▲茗荷谷良心堂。『オリンパスE-1』担当分のページ構成を考えたり。
▲デザイナーの中村さんと「チーズプラザ」次号の打ち合わせ。
▲赤城耕一写真事務所を訪ね、『オリンパスE-1』の打ち合わせ。大池直人さんも合流して飲みに行く。「長野県人はなぜ結束がかたいのか」。謎です。


2003/09/02/Tue.
▲晴れ。
▲青山。横木安良夫さんとお会いする。新発売のデジタル一眼レフカメラ、オリンパスE-1、キヤノンEOS Kiss Digitalについてなど。最近面白かった本の話題になり、ベトナムについての著書(写文集『サイゴンの昼下がり』、小説『熱を食む、裸の果実』)もある横木さんに森達也『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店)を薦める。
▲南翔小籠で生煎包を買って帰る。
▲いたさん、にしやん、ミミタ来宅。イクヤ見学。もうすぐ生まれてから1カ月。手足の動きも活発になってきた。目はまだはっきりと見えないようだが、生まれたばかりよりは反応が出てきた。1日1日違う表情が見つかったり、人間の発達過程って面白いと思う。触る絵本、タオルと石鹸、舶来のおもちゃなどをいただく。
▲日記に書き忘れていた本。横山秀夫の最新刊『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋)。横山秀夫らしからぬ横文字のタイトル。殺人事件も起こらない。しかし、横山秀夫節全開の快作。
▲1985年、御巣鷹山の日航機事故が起きた。飛行機が落ちた山中は群馬県。ローカル紙「北関東新聞」は地元紙の意地をかけて取材に取り組むが、社内は一枚岩ではなかった。大久保清事件、連合赤軍事件の取材をいまだに鼻に掛ける編集局の幹部社員と、中堅・若手記者の対立や、広告局、販売局との軋轢が「全権デスク」の悠木を悩ませる。そして、事故がなければともに衝立と呼ばれる岩壁登頂に挑むはずだった山男は、悠木との約束の前に不可解な行動をとりくも膜下出血で意識不明になってしまう。記者の仕事をまっとうしようとする男の矜持と、サラリーマン社会の不合理を描いて一気に読ませる。いわゆるミステリーとはちょっと違うが、男たちの秘めた心のうちはミステリアスだ。そのあたりが、いかにも横山秀夫。人生ミステリーといってしまえば褒め言葉にならないのかもしれないが、「プロジェクトX」的泣かせもありで、意外にも現代にマッチしたエンターテインメントだと思う。自身も地方紙(小説にも名前が登場する群馬県の地方紙、上毛新聞)の記者だった作者が、思いを込めて書いている。1985年は奇しくも阪神優勝の年。さりげなく盛り込まれた当時の事件などが古びた記憶を蘇らせてくれる。少なくとも、群馬県人必読の書。


2003/09/01/Mon.
▲晴れ。夕立。
▲オンライン書店bk1有志の方々から出産祝いをいただく。木のおもちゃとかわいい服。ありがとうございます(泣)。
▲昨日、『ドカベン』を読んだせいか、パワー全開。せわしなく仕事をしてみる。思えばこの夏、どこか上の空で仕事をしていたかも。反省。今日からがんばります。
▲茗荷谷で打ち合わせ。


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