A DAY IN MY LIFE

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2003/08/31/Sun.

▲晴れ。暑い。
▲青山。パワフルかつユーモラスな「珍景」を集めたサイト、珍スポ大百科珍寺大道場の管理人さんご一家からお話をうかがう。「チーズプラザ」(秋号)の特集が「旅」なので、子連れ旅行の極意などを教えていただく。
東急百貨店東横店 8階催物場『第11回 東急渋谷大古本市』(〜9/3)をのぞく。椎名誠『海を見に行く』(本の雑誌社)と『世界童話宝玉選』(佐藤春夫・監修)を購入。『世界童話宝玉選』は世界の童話200編をてんこ盛りした分厚い本で、装幀とイラスト、活版の文字が懐かしくて買ってしまった。検索してみたら、89年に全国障害者解放運動連絡会議の「差別表現がある」との指摘で絶版になっている(ちびくろさんぼのちいさいおうちより)。
▲眠くてしょうがない。別に寝不足ではなく、脳みそが溶け出すくらい寝てるんですけど。そこで気合いを入れるために『ドカベン』を1巻〜20巻まで一気読み。岩鬼に山田が冒頭でケンカをふっかける理由。「俺の弁当よりデカい弁当を持ってきたから」。やっぱり昔のマンガのほうが面白いと思う。


2003/08/30/Sat.
▲晴れ。暑い。
▲バスで新宿西口まで行く。郵便局で冊子小包を出し、小田急百貨店で乳首、大久保まで歩いて薬局でアリエールジェルウォッシュを買う。バスで帰る。
▲来年4月に子供が産まれる予定だというヤダくん、シミズさん来宅。イクヤに楽しいおもちゃをたくさん持ってきてくれた。二人は明日入籍とか。おめでとうございます。
映画『私は二歳』(1962年・大映 市川崑監督)をビデオで。
▲団地住まいの夫婦(山本富士子・船越英二)が子育てに奮闘するというお話。核家族化が進んだ高度経済成長期を背景に、集合住宅での子育てや、世代間のギャップが広がるばかりの姑VS.嫁の子育て戦争などが描かれる。なんとも情けないお父さんを演じる船越英二がいい味を出している。山本富士子の現代劇は珍しいが、意外や、現代的なお母さんを熱演している。
▲原作は当時ベストセラーになった松田道雄(医師、育児評論家)の育児書だが、その『私は赤ちゃん』(岩波新書)『私は二歳』(岩波新書)がいまだに版を重ねて一般書店で流通しているというのはすごい。たまたま『私は赤ちゃん』をいただいたので読んでみたが、赤ちゃんの一人称で親や医師の誤った対応を指摘するといった内容だった。映画『私は二歳』にも赤ん坊のナレーション(中村メイ子)が入る。そういえば、『ベイビートーク』なんて映画もあったな。見てないけど。
▲映画『私は二歳』は市川崑にしてはケレン味もなく、正攻法の演出。公開当時はベストテンの上位にランクされ、映画賞も取っているはずだが、いま見るとそれほどの映画とも思えない。公開当時は赤ん坊の視点で文明批評をやってみせたところがウケたのだろう、たぶん。今となっては、批評すべき対象の「文明」などありはしない。あるのはただ欲望のままに肥大した商業主義だけだ。
▲大野明子『子どもを選ばないことを選ぶ』(メディカ出版)読了。『分娩台よ、さようなら』(メディカ出版)の著者による「出生前診断」をどう考えるかをテーマにした本。出生前診断とは、羊水検査などによって胎児に染色体異常などの障害がないかどうかを調べ診断すること。著者は自然に近い分娩、医師と妊婦との密なコミュニケーションをモットーとしている産科医。『分娩台よ、さようなら』にも出生前診断について触れられているが、著者によれば前著を執筆した当時には出生前診断への考え方が曖昧だったが、あるダウン症の女の子の出産と成長を間近に見ることではっきりしたのだという。答えはもちろん「No」である。本書では、自らの考え方を披露するだけでなく、著者がナビゲーターとなり、臨床遺伝医との対話、ダウン症の子どもを持つ親たちへのインタビューなどが収録され、出生前診断の是非という問題のみならず、障害を持つ子供たちの育児まで広がりのある内容になっている。また、『分娩台よ、さようなら』でも印象的だった宮崎雅子撮影のモノクロ写真も魅力的だ。


2003/08/29/Fri.
▲晴れ。暑い。
▲茗荷谷→四谷三丁目→新宿。
映画『魂のジュリエッタ』(1964年・イタリア フェデリコ・フェリーニ監督)をDVDで。フェリーニ初のカラー作品。とてもヘンな映画だった。予備知識がまったくなく、ジュリエッタ・マシーナとフェリーニといえば『道』というイメージしかなかったので、タイトルから想像していたのとぜんぜん違った……。
▲ジュリエッタ(ジュリエッタ・マシーナ。私生活ではフェリーニの奥さん)はブルジョア家庭の中年奥様。子供はいない。旦那の浮気を疑い、悩まされるというお話なのだが、そこに盛り込まれているのが、西洋版こっくりさんや、精神分析的手法による過去の体験の再現、鮮やかな幻想シーン、ブルジョアたちのパーティーシーンなどなど。奇妙奇天烈なイメージが乱舞するが、内容は実に真面目。フェリーニは相当熱心に心理学関係の本を読み込んだのではないか? そして、それはきっと私生活でジュリエッタ・マシーナと揉めていたからに違いない……と思ったら、やっぱり『カリビアの夜』撮影時に冷え切った関係になっていたらしい(とDVDの解説にあった)。自分で悩んだことを映画にしてモトをとってしまうという……芸術家だなあ。にしても、よくこういう内容の映画に映画会社がお金を出したと思う。『甘い生活』や『81/2』のような圧倒的なスケールの大きさはないが、インパクトの強さにおいては比肩する珍作。ニーノ・ロータの音楽が素晴らしい。サントラもgood!


2003/08/28/Thu.
▲晴れ。暑い。
▲内田春菊『いつの日か旅に出よう』(中央公論新社)読了。お昼の時報は「これはこれはこれはこれはこれは」。夕方の時報は「さすがさすがさすがさすがさすが」。この国を支配するむじゃき大王の生声がスピーカーからがなり立てる。アル中のベビーシッター、買い物中毒の奥様、高級牛乳宅配店の牛田夫婦などなど、作者一流の「自分は正しいと信じている人たち」が登場し、勘違いなバトルを繰り広げる。ネジの外れた世界を描く奇妙な味の長篇小説。装幀は櫻田宗久。
▲カミゾノ☆サトコ女史と調布で「チーズプラザ」記事2本分の打ち合わせ。特集テーマは旅。連載(「写真中毒患者」)はデジカメVS.銀塩でと決まる。


2003/08/27/Wed.
▲晴れ。暑い。
▲TSUTAYAを出てケイタイで電話しているところで、写真家の大倉舜二さんとお会いし、お茶を飲む。ごぶさたしていたので近況報告など。
映画『A』(森達也監督)をDVDで。オウム真理教(現アレフ)の広報副部長荒木浩を主人公に、地下鉄サリン事件の翌年、1996年3月〜1997年4月までオウムの内部からビデオカメラを回した異色ドキュメンタリー。衝撃的な映像、発言の連続に画面に釘付けになり、夢中で見てしまった。
▲先に『「A」撮影日誌』(現代書館)(のち『A』(角川文庫)に)を読んでいたのだが、不思議とこの本の印象は薄かった。国を挙げてのオウム・バッシングに異論を唱えるドキュメンタリーということを頭でわかった気になってしまったからかもしれない。うろ覚えだが、『「A」撮影日誌』でははじめテレビのドキュメンタリー番組として企画されたが実現せず、映画として製作したが資金回収のめどもたたないので、本にして出そうということだったのではなかったか。文章で読むと、なるほどそうかと思うだけだったが、映像で見せられると、こちらの感受性まで揺さぶられる。これまで森達也は書き手として素晴らしい人だと思っていたけれど、遅ればせながら、ドキュメンタリーの作り手としての凄さがよくわかった。
▲ナレーションはなく、一切を映像で見せる。そこに安易な「解説」はなく、見る者が自分の判断で、映像と言葉を受け止めていかなくてはならない。まず、オウムの内側にカメラが入ったことによって、信者たちをどう見るかが突きつけられる。彼らの論理は、社会の価値観に真っ向から対立する。彼らの言っていることには一見、理屈が通っていると感じる部分もある。現代社会へのアンチテーゼとして有効な部分もある。しかし、こと麻原のこととなると「尊師しかいない」と判断停止、盲目的になる。冷静なようでいて、どこか壊れていると感じざるをえない。
▲次に、マスコミの強引な取材方法が淡々と撮影されている。詭弁を弄してでも、ウソをついてでも、強引に取材しようとする彼らの姿勢に強い違和感を感じる。商売だと言ってしまえばそれまでだが、その姑息さには倫理観のなさばかりが目立って感じられる。
▲さらに、警察。この映画のクライマックスともいえる場面に、オウム信者と警察のトラブルがある。警察官がオウム信者を職務質問しようとして抵抗に遭い、自分から仕掛けておきながら、「被害者」として公務執行妨害と傷害罪をオウム信者に適用しようとするのだ。その一部始終がカメラによって捉えられている。ドキュメンタリー番組のディレクターとして、森はこの映像をオウム側、警察側、どちらにも渡したくないという中立の姿勢を取っていたが、明らかな冤罪であるにも関わらず、書類送検しようとする警察の強硬な姿勢に対して無関係ではいられなくなる。最終的に、森は映像をオウム側に供与することを約束する。そして、そのことが警察に伝えられるやいなや、警察はオウム信者を釈放する。そのわかりやすさたるや、厚顔そのものだ。
▲そして最後は、オウムの施設付近の住民のおばちゃんたち。オウム信者に「頭がいいんだから、社会の役に立ちなさいよ!」「(施設があったことで)住民に迷惑を掛けたんだから謝れ!」と口々にオウム信者を説教する。ぼくも含めて多くの観客の立ち位置はこのおばちゃんたちと同じ所にいると思うのだが、この映画を見ていると、その言葉がまったくオウム信者に届いていないことに虚しさを感じた。「出家」してしまっている信者たちに俗世間の理屈は通用しないからだ。
▲この映画に登場する人々のあいだにあるディスコミュニケーションの凄まじさには唖然とさせられるほかはない。これがぼくたちが住んでいる社会の現実なのか。
▲たしか、『「A」撮影日誌』では、オウムの中でも比較的こちらの社会に近いポジションにいる人物として荒木広報副部長を主人公に選んだと書いてあったと思う。しかし、映画では荒木の存在感は薄く、むしろ、ほかの登場人物(オウム信者、マスコミ、警察関係者、一般住民)の濃さばかりが際だっていた。続編映画『A2』も引き続き見てみたい。


2003/08/26/Tue.
▲晴れ。暑い。
▲「チーズプラザ」(秋号)の編集作業がにわかに本格化。イラストのラフのチェックを戻したり、打ち合わせの件をメールしたり。
▲「一枚の繪」(11月号)掲載予定の記事のために、千葉に取材に行く。初めてアクアラインを通った。空いていた。モトが取れるとはとても思えない道路。トンネルを抜けると千葉だった。取材は齊藤けさ江さんについて。
▲けさ江さんは長く農家の嫁として家と畑を切り盛りし、60歳を過ぎてからから孫に教えられて字を書くようになった。その字の味わいに目を留めた、息子の書家、五十ニ(いそじ)さんと、五十ニさんの友人でやはり書家の岡本光平さんのすすめで書を始めた。さらには絵も描くようになり、個展も数回開いている。今年は、けさ江さんの書画集も私家版で出版された(監修:齊藤五十ニ 企画編集:岡本光平 並製本=3500円、上製本=4000円 発行:齊藤五十ニ 〒292-0402 千葉県君津市西原1090)。書画集にはけさ江さんの日常生活を活写した写真が盛り込まれていて、見応えがある。けさ江さんの「作品」(という意識はご本人にはないと思うが)も、なんともいえぬ魅力がある。作家意識が皆無で、素朴な「民芸」的テーストというか、計算がされていない、無意識の美しさがある。書画集を見て面白いと思ったが、実物はさらによかった。「一枚の繪」で、けさ江さんの書画を使って来年のカレンダーを作るそうです。
▲取材は五十ニさんと岡本さんに、けさ江さんの半生と書画を始めることになったいきさつなどをうかがい、けさ江さんご本人にもお会いすることができた。NHKのテレビクルーが半年間密着しているとかで、やたらとにぎやかな取材になった。記事のために撮影するカメラマンのほかに、けさ江さんをずっと撮っている写真家の方もいて、撮影もカメラが複数登場するといったあんばい。しかも、そのカメラも、ローライ、ハッセル、キヤノンF-1と、マニュアルカメラばかりだったので、タイムスリップした気分になってしまった。けさ江さんのご自宅は裏山がある農家なので、子供の頃、祖父母の家で過ごした夏休みを思い出した。
▲ヤギさんと娘のアキミちゃん、當麻妙さん来宅。イクヤの顔を見に来てくれた。アキミちゃんが「お母さん、弟か妹産んで〜」としつこく繰り返していたのがおかしかった。ヤギさんがイクヤをお風呂に入れてくれた。さすがに上手だった。


2003/08/25/Mon.
▲晴れ。暑い。
▲写真家の木村直軌さんの事務所へ伺い、原稿チェックをお願いし、作品をお借りする。お借りした作品以外にも、モノクロの家族写真シリーズ(撮影はライカ)を見せていただく。木村さんの仕事写真は雑誌、CDジャケットなどでのタレント、ミュージシャンのポートレートだが、家族の写真はまったく個人的な作品。両者はほとんど別人が撮ったのではと思うほど毛色の違う作品だ。方やコマーシャルベースでのカッコイイ写真、もう一方は、60年代〜70年代のコンポラ写真風というか、牛腸茂雄や島尾伸三を連想させる、古風にすら感じる日常のスナップショットである。木村さんの作品世界の奥行きに触れたという印象。
▲極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック)の発売が10月20日に決まった。デザインへ渡す材料を揃える。オリンパスの新しいデジタルカメラ「キャメディアE-1」の本を手伝うことになり、その打ち合わせも。こちらも「極上カメラ倶楽部」シリーズの1冊。発売は10月末頃の予定。
▲さっそく「E-1」のデモ機を借りて帰る。シャッター音は静か。手にも馴染む。もうちょっと小さくしてほしかったが、それ以外は予想を上回る好印象。しばらく使ってみるつもり。
映画『名もなく貧しく美しく』(1961年・東京映画 監督・脚本:松山善三)をビデオで。敗戦後まもない日本で、聾唖者の夫婦(高峰秀子、小林桂樹)が困難を乗り越えながら生きていく姿を描く。子供の頃、昼のメロドラマで島かおり、東野英心が同じ役を演じたドラマシリーズを見ていた覚えがある。戦後の復興と、二人の人生を重ね合わせることで、公開当時の観客の心をつかんだのではなかろうか。いま見ると、可哀想な話、というよりは、過酷な状況の中でも明るさを失わない二人の前向きな姿勢に感心させられる。セット(中古智、狩野健)、撮影(玉井正夫)も戦後間もない時代背景を丹念に映像化していて、60年代の日本映画の技術陣の充実ぶりがうかがえる。こういうお話は、いまの日本でリメイクしても絶対にリアリティを獲得できないだろう。「戦争」も「差別」もあってなきがごとしの存在になってしまったからだ。そこにあるのに描かれない。そういう存在になってしまった。話を映画に戻すが、どうしても納得がいかないのがアキラ(加山雄三)の存在。見た人ならわかると思うが、死神としか思えない。ちなみに、ヒロインの耳が聞こえなくなったのは「3歳の時に枝豆を食べ過ぎてお腹をこわし、高熱が出たから」。枝豆恐るべし。


2003/08/24/Sun.
▲晴れ。暑い。
▲洗濯して、メシ食って昼寝して、少し仕事をして……というだけで1日が終わってしまう。
テレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年・TBS)15話〜17話。ついに最終回。最終回収録のDVD第9巻には脚本を書いた長谷川和彦のインタビューが収録されている。17話という中途半端な回数(当時は2クール=26話が普通だったと思う)で終わってしまったのはやはり視聴率低迷のせいだったらしい。たしかに、お茶の間にはまったく不向き。よくこういうドラマが、たとえ途中打ち切りとはいえ全国放送で流されていたなあ、と思う。
▲とりわけ、三億円事件の犯人、可門良(沢田研二)と、良に対してホモ的な愛情を注ぐ、孤児院時代からの兄貴分だった野々村(藤竜也)を主軸にしたBL(ボーイズ・ラブ)的な世界は好きな人にはたまらないのでは? 荒木一郎のダメっぷり、若山富三郎の堂々たるハミ出し刑事ぶりなど、脇役も充実。死傷者もなく、リスク回避のために海外の保険会社へも保険が分散されていたために、誰一人傷つくことはなかったといわれている三億円事件。その痛快で、謎めいた事件の犯人を想像力を膨らませて描いたこのドラマは、いま見ると気恥ずかしいほどのロマンに溢れている。良は三億円を「自分の青春」とまで言い切るのだから。物語のクライマックスは、犠牲者がいなかったはずの三億円事件なのに、次々に血が流れる。DVD巻末のインタビュー中で、長谷川和彦は「世話物が得意の久世さん」とプロデューサー・演出の久世光彦を評しているが、さながら歌舞伎の様式美にならったごとく、三億円に魅入られた人々が倒れていく。視聴率が良ければ時効成立までドラマを引っ張ったはずだったらしいが、結局、時効まで描かれなかった。しかし、性急な終わり方が、妙にこのお話にマッチしているとも思うのだ。長谷川和彦がジュリー主演で『太陽を盗んだ男』を監督するのは、こののちの話である。


2003/08/23/Sat.
▲晴れ。
▲草野さんとマツケンさん来宅。草野さんに抱っこしてもらって、イクヤごきげん。マツケンさんはおそるおそる触ってましたが。
▲マツケンさんに橋本照嵩写真集『瞽女』(アロン書房)を見せていただく。1974年刊行の同名写真集(日本写真協会新人賞受賞)の復刻版。門付けをして歩く瞽女(ごぜ・盲目の旅芸人。三味線を弾いて歌を歌って生活していた)に同行し、その暮らしを撮影した写真集。モノクロ、ハイコントラストの映像は、60年代〜70年代のコンポラ写真の影響を感じさせるが、いま見ると、若い写真家が強烈な存在感を持つ被写体に対して闘いを挑むような気持ちで撮影し、プリントしていたのではないかと空想させる。作品の1部は橋本照嵩公式ホームページでも見ることができる。また春風社のサイト橋本照嵩のポストカードを連載中。
テレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年・TBS)13話〜14話をDVDで。記憶喪失とか……凄い事になってきている。


2003/08/22/Fri.
▲曇り。
デイズフォトギャラリーで写真家の小林紀晴さんを取材。「チーズプラザ」次号のため。旅特集の巻頭写真家インタビュー。旅と写真の話、そして、デイズフォトギャラリー主宰に至るまでのことなど。小林さんは新刊『デイズニューヨーク』(平凡社)を出されたばかりだが、続けて、9.11をモティーフにした小説を出される予定だという。写真と文章、さらにフィクションと、あるモティーフをいくつもの方法でねばり強く表現していくところに、小林さんの真骨頂がある。ご本人は「小説は難しい」とおっしゃっていたが、ぼくは『国道20号線』(河出書房新社)がとても好きだった。
▲オンライン書店bk1から9月9日に創刊されるメールマガジン<幻妖通信>(東雅夫責任編集)のプレ版をフィックス。
▲ここまでで今日は終わりにして、まだ明るいうちからうちでビールを飲む。やっと夏らしい陽気になったなあ、と思う。赤ん坊の泣き声も蝉みたいに聞こえる。


2003/08/21/Thu.
▲曇り。
▲品川で打ち合わせ。
▲松久淳、田中渉『天国の本屋』(かまくら春秋社)、『うつしいろのゆめ―天国の本屋〈2〉』(木楽舎)を続けて読む。いい話だとは思うけど、ぼくはターゲットじゃないみたいです。途中で絵本の文章が引用されたりすると逃げ出したくなる……ピュアハートってのがダメなんです。ポイントはイラストと造本。商品としてよくできている(できすぎているくらいに)のは間違いない。松久淳はエホンバタケさんも8月21日日記で触れている『男の出産』(新潮文庫)が面白かったなあ。
▲深作欣二、山根貞男『映画監督 深作欣二』(ワイズ出版)に刺激されて映画『軍旗はためく下に』(1972年・新星映画社、東宝 深作欣二監督)を見る。当時の「キネマ旬報」年間ベストテンの第2位に輝き、深作欣二の評価が決定的になった出世作。反戦映画と一口で括ってしまえばアナクロと思われるかもしれないが、この映画には、そこからハミ出していく生々しさがある。しかも、描かれていることは現在まで何も解決されていない。それどころか、この映画に描かれている戦争の姿と、戦争から帰ってきた人間がいかに戦後を生き抜いたかということが、すっかり忘れられてしまっていることが恐ろしい。深作欣二といえば、『仁義なき戦い』だが、実は、現代の日本人が見るべきなのはこの『軍旗はためく下に』であり、『仁義〜』の脚本・監督コンビの『県警対組織暴力』なのではないかと思う。
▲夫(丹波哲郎)を戦争で亡くし、女手一つで娘(藤田弓子)を育て上げた主人公(左幸子)は、毎年終戦記念日に厚生省へ陳情に行く。自分の夫は終戦直前に脱走兵として処刑されていて、「戦死」にならなかった。恩給もなければ、毎年の戦没者慰霊祭で天皇から花を手向けられることもない。しかし、自分の夫が脱走などするはずがない。書類もいい加減だから、ぜひちゃんと調査をして欲しい、と。持て余した厚生省の役人(いまのお役所とまったく変わっていない体質)は、同じ連隊だった連中の住所を渡し、自分で会いに行くようにと言う。夫が死んだのはニューギニアの密林。もっとも過酷な戦場だった。そこでは想像を絶する飢えと、恐怖が兵士たちを襲った。主人公が会いに行った元兵隊たちは、自分を正当化するためにウソをついたり、忘れたふりをしたりするが、やがておぞましい真相が明らかになる。
▲物語のスジ運びはミステリー。見終わった後には、怒りと哀しみが残る。戦前と戦後、日本人の精神構造は変わったのか? 戦争の本当の責任者は誰だったのか? そして彼らは本当に責任を取ったのか? 戦後58年経って、ますます断層が広がり、歪みが大きくなっている日本。ともすれば、戦争容認のムードさえ出かねない現在の日本人は、『軍旗はためく下に』を見て、戦争が誰を利するのか、を考えるべきだと思う。ニューギニアの戦場から帰って、戦後の経済成長から取り残されてしまった養豚場の男(三谷昇、怪演!)こそ、いまの日本人が思い出すべき存在ではないか。深作欣二は、直木賞を受賞した原作小説(結城昌治)を読み、自分のカネで原作料を払い、権利を買ったという。その心意気が画面から横溢している。深作欣二初期の大傑作!


2003/08/20/Wed.
▲曇り。
▲細々とした事務作業で半日が潰れる。夕方からbk1で恒例のミーティング。9月9日創刊のメールマガジン<幻妖通信>(東雅夫責任編集)の内容についてなど。深秋から年末にかけてはミステリーの特集も予定されているので、そのへんのことなども。
▲北川悦吏子『おんぶにだっこ』(角川文庫)読了。これももらいもの。「週刊文春」連載の出産&育児エッセー。このジャンル、いろんな人が書いているもんだ。冒頭2ページ目の「恋愛の神様と言われた私ですが、何の因果か子宝に恵まれて、ご懐妊してしまいました。」という一文でうんざりして投げ出したくなったが(「神様」「達人」を自称する人間にロクなやつはいない)、そこは人気脚本家の手練手管があって、最後まで読ませる。腎臓に持病があって子供をあきらめていた仕事一筋の人気脚本家が「妊娠万歳」「出産万歳」という世間の風潮に反発しひねくれた意見を述べつつ、その意見を伏線に、あらためて子供を持つ喜び(と大変さ)を描くという「物語」。葛藤を描くのがとても上手い。それに、読者に嫌われないように、距離を取るのも。しかし、このジャンルの本は、どんなバカ話、つまんない話でも、ふんふんとうなづいて読める。つまり、人の話を読みながら、自分の子供のことを思い浮かべているわけだ。というわけで、このジャンルの本はこれからもどんどん出版されていくでしょうな。


2003/08/19/Tue.
▲曇り。
日本銅センター発行のPR誌「銅」(そのまんま……)のためのエッセーを仕上げる。銅をテーマにって言われても……と思ったのだが、探せばネタは見つかるものだ。
▲安原顯さんのお墓参り。新盆である。版画家の牛尾篤さん、翻訳家の井上真希さんと安原家を訪ねる。未亡人のまゆみさんにいつものようにご馳走になってしまう。牛尾さんの次回個展は高知市の星ヶ丘アートヴィレッヂで9月5日(金)〜15日(月)まで。井上さんはこの秋発売予定の訳本『ジャン=ピエール・メルヴィルの映画術』(仮)の追い込みでい忙しいとか。今時メルヴィルとはシブいが、とにかく、この孤高の映画監督についての本が出るというだけで嬉しい。メルヴィル(1917〜1973)は『仁義』『サムライ』などのアラン・ドロン主演映画、リノ・ヴァンチュラ主演の『影の軍隊』などで知られるフランスの映画監督。ノワール(暗黒街)映画の巨匠と言われているが、そのセンスはヌーベルバーグの映画監督たちにも大きな影響を与えた。現在では忘れられつつある映画監督だが、その独得の映像美、乾いたタッチは映画ファン必見。この本の出版を期に、メルヴィル熱が高まってほしい。


2003/08/18/Mon.
▲曇り。
▲4時半起床。「日記」を書く。9月創刊のメルマガ<幻妖通信>(オンライン書店bk1怪奇幻想ブックストアから発信されるメルマガ)のプレ版ver.1を作って東雅夫店長ほか、各氏に同報メール。
▲洗濯機を回す。朝食。食器を洗う。洗濯物を干す。掃除。洗濯機をもう一度回す。嫁姑問題の再現ドラマを見る。義母さん来宅。
▲今日は銅のことで頭がいっぱいだった。小学6年生のお正月にお年玉で買って以来大切にしている江戸川乱歩全集(講談社・昭和54年初版・市川英夫装幀・箱入り1冊定価950円は当時も安いと思った・全25巻)を久々に引っぱり出し、子供向けに書かれた「青銅の魔人」を20数年ぶりに読む。イメージの中では西洋の騎士風のルックスだったのだが、乱歩の描写を読むと「大仏」だ。装画家の確信犯的「誤読」だったのかしらん。ポプラ社版の少年探偵団シリーズを端から読むのが楽しみだった小学生の頃を思い出す。現在もポプラ社のシリーズは健在だが、カバーが現代風のイラストに改められ判型も大きくなり、内容も差別語が撤廃されるなどの変更がなされているようだ。30代の人なら覚えていると思うが、あの時代錯誤の装画、挿絵と、死語が連発されるからこそ、面白かったんだと思うけどなあ。
▲藤森照信・文、増田彰久・写真『看板建築』(三省堂)を探して池袋ジュンク堂へ。さすがジュンク堂、しっかり在庫していた。看板建築とは、路上観察学会の一員としても有名な建築史家の藤森照信が命名した建築様式。1階がお店になっている商店の表面に銅板やタイルでデザインが施されたもの。関東大震災後に流行し、その後廃れた。今でも、下町の商店街に散見される。とくに青銅のそれが印象深かったのだが、本書によれば、防火のためと、当時は銅が意外と安かったためのようだ。
テレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年・TBS)第10話、11話を見る。DVD。11話は急転直下、3億円が盗まれてしまう! この重要な回の演出はプロデューサーも務める久世光彦自ら。ポイントは若山富三郎がかぶるソンブレロ。日本人でこれほどこの帽子が似合う人は見たことがない。
▲銅についての原稿を下書きして寝る。


2003/08/17/Sun.
▲雨。
▲友人夫妻が来宅。奥さんのほうと仕事の打ち合わせがあったのだが、主な目的は、来年1月に赤ちゃんが生まれる二人に、うちの赤ん坊を見せて経験談などを話す、というもの。
▲バスに乗って新宿西口へ。郵便局へ行く途中、「新宿の目」で撮影中の庵野秀明監督を目撃。「新宿の目」の前に座っている、コスプレっぽい格好の女は……佐藤江梨子か。『キューティーハニー』の実写版て庵野監督だったのかあ、と思う。そのまま通り過ぎて郵便局へ寄ってから、もう一度通りかかったら、風のように消えていた。撮影といっても、あまり大きくないカメラ(ムービーについて知識がないので、よくわからない)と、スタッフ3〜4人だった。
▲TSUTAYAに寄って帰る。
テレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年・TBS)第9話を見る。DVD。
▲桜沢エリカ『今日もお天気 誕生編』(祥伝社フィールコミックス)を読んだ。自宅出産した売れっ子マンガ家が、どんな出産、育児をしたか、という本。あっというまに読める。いちいち「カリスマ助産婦」とか「カリスマ○○」が登場するセンスはいかがなものかと思うし、金持ちマンガ家ならではの余裕のある出産、子育てがどの程度ふつうの人の参考になるのか? とは思うが、理想の出産、育児が描かれた「あこがれ」本なのかもしれない。もちろん、なるほどと思うことも書いてある。2002年4月発売。『すくすく編』もあるそうです。
▲まついなつき『笑う出産』(情報センター出版局)。これももらいもの。桜沢エリカの本が「セレブの出産・育児」(オエッ)なら、こちらは庶民である。94年に刊行された本で、著者が出産したのは92年。今読むと出産についてはちょっと古いような気がする(出産にもトレンドがあり、10年前より今のほうが「自然」志向が強くなっていて、病院の「サービス」も向上する傾向にある)。しかし、育児についてはトレンドに左右されようがない部分があるから、体験談として今も読み継がれているのだろう(もらった本の奥付は2001年。65刷!)。著者は売れっ子というほどではないマンガ家、イラストレーター(当時。『笑う出産』で売れっ子に)、旦那はカメラマンという、こちらもフリーランスカップル。ミソは、整体でからだの大切さに気づいた著者が、妊娠、出産を経験するところ。一見、バカ話の連続に見えて、その背景にあるのはからだの「気づき」である。そのへんの深度がこの本をベストセラーに押し上げたのではないか。ようするに、ヤンキーからインテリまで読める本なのだ。


2003/08/16/Sat.
▲雨。
▲林田直樹『読んでから聴く厳選クラシック名盤』(全音楽譜出版社)読了。著者曰く、クラシック音楽の世界では「解体」現象が起きているという。クラシック、ポピュラー、ジャズといった素朴な分類は大昔の話。世界中のあらゆる音楽を楽しめる現代の日本では、クラシックというジャンル自体が古くさい思いこみの上に成り立っているものなんだろうと、ぼくも思う。この本はクラシック音楽というジャンルの解体をさらに促進させるようなCDガイド。映画音楽や、現代音楽も取り上げ、クラシック的なるものが現代においてどう拡散しているかがよくわかる仕組みになっている。と、理屈っぽく書いてしまったが、内容はきわめて平易。200枚近いCDを短いテキストで次々に紹介していく。ぼくのようなクラシック音楽と無縁な人間も興味を持って読めた。著者の林田直樹さんは大学時代にお世話になった先輩。音楽之友社を経てフリーランスに。『ぴあ オペラワンダーランド』の監修も務めている。評論家として、編集者として、さらには音楽イベントなどのプロデューサーとして今後の活躍が期待できる方です。
『はちみつ わっ、おいしいレシピ』(主婦と生活社)。副題に「料理&ドリンク65点+ハンドメイド・グッズ」。ちょっと前に、友人からハチミツをいただいた。そのハチミツはとっくに食べきってしまったのだが、以来、おいしいハチミツのことが気になっている。巷でもハチミツブームなのか。『はちみつ わっ、おいしいレシピ』は版画家の牛尾篤さんのイラストがあしらわれた料理&ドリンク本です。
▲深作欣二、山根貞男『映画監督 深作欣二』(ワイズ出版)読了。読み出したらやはり止まらなくなった。映画評論家、山根貞男がインタビュアーとなり、深作欣二が全監督作品(テレビ含む)について語った大著。インタビュー期間は、断続的ながら10年に渡っている。デビュー作『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』(1961年)から、遺作となった『バトル・ロワイアル 特別編』(2001年)まで、61本の劇場公開作品と、『キイハンター』、『傷だらけの天使』、『阿部一族』などのテレビドラマについて、軽妙な調子で語っていく。「巨匠」というイメージの深作欣二だが、本書を通読すると、ちょっとイメージが変わる。娯楽映画の潮流の中で、決して主流にいた職人監督ではなかったが、さりとて、巨匠監督としてはハミ出す部分が多すぎる。『仁義なき戦い』で「実録」路線を確立し、生々しい暴力の世界を描く一方、丸山(美輪)明宏主演の『黒蜥蜴』を監督したり、後年は『宇宙からのメッセージ』などの怪作も作る。職業的映画監督としてのチャレンジ精神というか、いっちょうやったるか的な腰の軽さが深作欣二の面目躍如たるところだ。しかも、自分の「任」かどうかを考え、自分流の切り口を見つけて、題材と格闘、深作欣二的世界を作る。その方法論は、深作より上の世代である黒澤明、小津安二郎などとはまったく違う。とりわけ、撮影所システムが崩壊してからのちは、出来不出来はともかく、できるところまでやってみる……そのしたたかさがものをいった。深作欣二のバイタリティーは、ともすれば晩年寂しくなりがちなフィルモグラフィーを華やいだものにしている。映画『仁義なき戦い』の脚本家、笠原和夫のインタビュー本『昭和の劇』(太田出版・笠原 和夫、荒井 晴彦、すが(糸編に圭)秀実著)と合わせて読みたい。
▲映画『ミスター・ルーキー』(2002年)をDVDで。ビール会社のサラリーマンが、夜は覆面ピッチャーに変身して、弱小阪神タイガースのストッパーとして大活躍する……というお話。バカ話なら、それで押しまくって欲しかったのだが、監督の井坂聡(『FOCUS』は良かった)の「任」ではなかったのか、ホームドラマの要素を盛り込むなど、シラケる。クライマックスの「隠し球」の登場と、その演出もピリッとしない。全体にテンションが低いのだ。鶴田真由の小賢しい芝居にもうんざり。竹中直人扮する主人公の上司(熱烈な阪神ファンという設定)のみ印象に残る。
映画『青空娘』(1957年・大映)をビデオで。増村保造監督と若尾文子コンビの第1作。祖母に育てられた有子(若尾)は、高校卒業と同時に父母兄弟の住む東京へ移り住むことが決まっていた。しかし、祖母はいまわの際に、有子は父と愛人の間に生まれた子だと告げる。東京の家につくと、母の達子(沢村貞子)、兄(品川隆二 )と姉(穂高のり子)、弟(岩垂幸彦)誰もがみな冷たく、いじわるだ。この家の娘としてではなく、家政婦として働くように言いつけられる。家政婦の八重(ミヤコ蝶々)だけが味方だった。出張から帰った会社社長の父(信欽三)は、達子との結婚は望んだものではなく、有子の母と結婚したかったと話すが、有子の窮地を救うことはできない。有子は高校時代の恩師、二見(菅原謙二)を頼って、アパートを訪ねるが、そこには二見の恋人を名乗る女がいて追い返される。故郷に戻った有子は、本当の母親が自分を訪ねてきたことを知り、東京に住んでいるという母を捜し出そうと決心する。
▲原作は源氏鶏太。主人公の有子はいつも心に青空を持っている「青空娘」だ。ブルジョワ家庭で家政婦扱いをされたり、高校時代の恩師と姉の見合い相手の御曹司(川崎敬三)との恋の鞘当てがあったり、本当の母を捜す母恋物語の要素があったりと、道具立ては古いがサービス満点。哲学的なアフォリズムを口にする魚屋が登場するなど、細部にも凝っている。脚本家、白坂依志夫と増村保造はドライなタッチで戦後派を代表する映画を作っている名コンビ。この『青空娘』も題材こそ古くさいが、テンポの良さは古びていない。1950年代のハリウッド映画風のウソっぽさもあり、日本映画の黄金時代の華やぎがある。


2003/08/15/Fri.
▲雨。気圧の変化で、頭の調子が良くない……というのは言い訳か。
▲平凡な一日。赤子のおしめを変えるとき、両足をお腹のほうに押しつけて尻のまわりを拭くのだが、お腹が圧迫されて、さらにぶりぶり、と……。なるほど、道理だ、とか、そういうことに気づいていちいち感心したりしている。今日は義母さんが帰ったあとで、夫婦二人だけでお風呂に入れてみた。洗う順番は頭に入ったし、泣きわめくタイミング、身体のひっくり返し方などはわかってきたが、入れた後の手際が悪く反省。若葉マーク付きデス。
テレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年・TBS)第7話と第8話。DVD。藤竜也とジュリーがいきなり靴を脱いでシャツを着たままプールに飛び込んだり。やおい的エロ炸裂。若山富三郎演じる「白戸警部」が帰ってきて、いよいよジュリーを追いつめる。わざわざフィルムで撮影した回想シーンなど、凝った演出が楽しい。
▲ニューヨーク〜カナダに渡る広域大停電。送電のバックアップができないなんて、「危機管理の国アメリカ」じゃなかったのか? 原因特定もまだ。街は混乱しているようだが、仕事はしないとあきらめて寝るしかないだろう。ニューヨークは人種のサラダボール。各エスニック・コミュニティでストレス耐性が違うような気がする。
▲今日は敗戦記念日。靖国神社以外に慰霊施設を作ることへの賛否、どちらの意見も、その背景に心が感じられない。ようするに、政治的に戦争犠牲者を利用しているだけだ。どこぞの政党、団体とつながった組織同士が「代理戦争」やってるだけじゃん、と思ってしまう。第一、彼らの言葉が響いてこない。全国戦没者追悼式での小泉首相のスピーチの空虚さとなんら変わらない。「英霊」とか「戦没者」とひとくくりにされてしまった霊魂は悲しい。自分の祖先とか親戚とか、血のつながりのある個々人をイメージできない言葉を使って議論しても虚しいだけだ。戦後は遠くなりにけり。マジで今は「(来るべき次の戦争の)戦前」なのかも。


2003/08/14/Thu.
▲雨。
▲また梅雨に戻ったみたい……というよりは、すでに秋の気配。キエフの雨を思い出す。
▲福本博文『リビング・ウィルと尊厳死』(集英社新書)読了。リビング・ウィルとは「生前発効の遺言書」。病気や事故で死に瀕した時、意識を失った患者は治療について自分の意思を医師に伝えられない。そこで、元気なうちにどこまで医療行為を希望するかを書き残しておくことだ。たとえば「植物状態になった時には生命維持装置を外してほしい」などという意思を表明することである。患者の意思表明ができなければ、選択は家族と医師が行なうことになる。医師は職業倫理として、患者の延命を第一に考えるのが普通だ。しかし、快復する可能性は穂ほとんどなく、意識のないまま延命されることが患者にとって幸福なのか。また、家族にとっても、経済的負担と同時に、可能性の薄い希望にすがり続けなければならない苦痛が待っている。しかし、だからといって、本人以外が死を選択することは、精神的に大きな苦痛でもあるだろうし、犯罪に直結する可能性だってある。
▲本書は先進国の中でもいち早く「安楽死協会」(現在は日本尊厳死協会)が設立された日本の事情を取材すると同時に、アメリカで起きた尊厳死裁判や、尊厳死が法的に求められているオランダの例を引きながら、世界的な尊厳死の潮流をわかりやすく紹介している。医療技術が発達する一方で、患者の意思はどこまで尊重されるのか。安易に死を選ぶことは決していいことではないが、医療によって「生かされている」状態が果たして自然なのか。自分だったら、と考えると、末期ガンなら緩和ケア(痛みを抑えるケア)だけで自然死を待ちたいし、植物状態だったら生命維持装置を外して欲しいと思う。しかし、家族がそういう状態になった時、かんたんにあきらめられるだろうか。生き方の選択のみならず、死に方の選択も必要な時代になったとつくづく思った。著者はノンフィクションライターなので、尊厳死賛成派、反対派、両方の視点を紹介し、それぞれの問題点を探っている。まさに「新書」的な良書。ある程度の年齢の「大人」は読んでおいたほうがいい本だと思う。
▲義妹来宅。午後はおとなしかった模様。10時就寝早朝4時30分泣き出す、というパターン。こっちもその生活パターンに合わせることに。


2003/08/13/Wed.
▲晴れ。蒸し暑い。
▲「チーズプラザ」次号の打ち合わせ。神保町「魚山堂」(写真集専門古書店)を冷やかす。藤原新也『少年の港』7800円ナリ。マジっすか。もう持ってるからいいけど。ローライで故郷を撮ったモノクロ写真集です。
▲中目黒ナダールTOKYOA-chang写真展「暑い日」。ナダールTOKYOは大阪のフォトギャラリー「ナダール」のブランチ。初めて行ったが、マンションの1室がギャラリーになっている。A-changは「季刊クラシックカメラ 特集オリンパス」の号の若手写真家ページに登場してもらった。ふだんは音楽雑誌などでミュージシャンのポートレート撮影を中心に仕事をしているA-changだが、表現の根っこにあるのは「撮り歩き」。日々、アンテナにひっかかった光景に向けてシャッターを切っている。その徹底した無目的ぶりは驚きだ。目的はないが感性はある。そうしたカラープリントがキャビネサイズで336枚(数えた)展示されている。ほかに、同様のカラープリントも閲覧可能になっており、合計すると1000枚近い写真が会場の中にある。
▲会場で久しぶりにA-changに会うことができた。1000枚近い写真は販売も行なっており、「自分だけのお気に入りの一枚を選んで欲しい」とは本人の弁。てんでバラバラのイメージのどこを入り口にするかは見る人に任されている。昨年、写真集「Picture」(CONNECT)を刊行したA-changだが、「Picture」は堆積した思いを込めた、やや重たい(そこが魅力でもあるのだが)写真集だったが、今回のシリーズはより無意識過剰な方向へと突き進んでいる。A-changは佐内正史の助手を務めていたこともあり、佐内師匠のスナップ群を連想する写真も散見できたが、A-changの作品のほうがより超能力的かも。A-changが3日前にライカM6を買ったというのでライカの話なども。雑誌「H」に連載を始めたとのことなので、見て上げて下さい。写真展は8月17日まで。
▲恵比寿まで歩いて、東京都写真美術館ミック・ロック写真展「ROCK'N ROLL EYE」。ジギー・スターダスト時代のデビッド・ボウイ、イギー・ポップ、そして、彼らが咲かせたグラムロックの華々しい時代に活躍したシド・バレット、ルー・リード、そしてクィーンらミュージシャンたちを被写体にした写真を撮り続けたミック・ロックの写真展。世代的にはグラムロックは完全な後追いで、個人的にはケバいルックスになじめなかった。しかし、こうしてまとめてみると、あの時代には、ミュージシャンとビジュアル・アーティストとのコラボレーションが最先端のアートだったことがよくわかる。ミック・ロックは写真家ではあるが、ウォーホールに影響を受けたアートワークや、写真プリントを独得のやり方でコラージュした作品を作っている。さらに、それらはすべて、超人気ロックスターたちのプロモーションでもあったわけで、アートと商業主義の幸福な蜜月時代を象徴しているともいえる。写真展会場には被写体となったミュージシャンたちの曲が流れ、キヤノンの協力を得て出力した巨大プリントが並ぶという躍動感のある写真展。楽しめた。写真展は8月28日(木)まで。
▲ミック・ロック写真展には若い人から、グラム世代の方々まで、という若やいだ雰囲気だったが、2Fはがらりと客層が変わって、お年寄りが目立つ。白川義員写真展「アルプスから世界百名山へ」。巨匠写真家の最新作「世界百名山」に、過去の代表作を合わせて展示した規模の大きな写真展。「神々しい自然の姿」を撮影することに(比喩ではなく)命を懸けている写真家の壮大なスケールの写真群。セスナやヘリを飛ばし、空撮で日の出、日の入りを狙って赤や青紫に照明された恐ろしいほど美しい山の姿を捉えている。
▲酸素マスクを付けながら、ペンタックス6×7や、4×5のリンホフを操る。写真はその場へ行かなければ撮れない。その真理を体現するかのように、過酷な現場へ赴き、撮影を続けている。何が写真家を動かしているのか? ぼくは一度だけ白川さんにインタビューしたことがあるが、下界の人間とはひと味違うスケール感を持った人だった。南極での長期ロケでは撮影助手が精神的な健康を害し、白川さん自身も空撮の事故で九死に一生を得ている。CGで色をいじるとか、そういう世界とは別世界の写真。世界的にも著名なネイチャー・フォトグラファーだが、日本ではモティーフのせいか、なぜかお年を召した方々にしか知られていない。ちょっと日本人離れした写真家だと思うのだが。ちなみに、展示はやや詰め込みすぎの感があり、美的な調和に欠けていたのが残念。ミック・ロック展とは対照的な、ダサい写真展になってしまっていた。写真展は9月3日(水)まで。
▲友だちが面白いスレッドを教えてくれたので、紹介します。陣痛の最中言ってしまった言葉! 。笑いました(笑)。うちの場合は、面白い言葉はなかったなあ。


2003/08/12/Tue.
▲曇り。蒸し暑い。
▲11時退院。助産婦さん、看護婦さんに挨拶。助産婦さんは今年で3年目という若さだが、堂々たる仕事ぶりで感心してしまった。この病院(聖母病院)の助産婦さん、看護婦さん、どの人もトレーニングが行き届いていて技術(コミュニケーション能力も含めて)の平準化が図られていて立派。説明も懇切丁寧だった。ほかの病院と比較したわけでないのですが、ぼくたちは満足しました。近所だし、小児科もあるのでしばらくお世話になりそう。
▲極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・発売日10月中旬に)の原稿をデザインに入れる。第1弾。ほかの企画との同時進行になったので、やや巻きを入れないと。先週から、どうも仕事に身が入らず。反省しきり。
▲渋谷で画家の小山大輔さんに文字校正をチェックしていただく。大藪先生からも丁寧な朱筆の入った文字校正のファックスが北海道のアトリエから届く。
▲BUNKAMURAで先日購入した牛尾篤さんの版画を引き取る。
▲オリンパスOM用のレンズ、マクロ90ミリF2を買う。小さい手や足、あまりにもよくできているので写真に撮りたいと思ったから。友人に、子供が産まれたことを口実(?)にニコンF5を買った人がいる。その人に比べれば……。
▲カミさんと義母さんと3人でお風呂に入れる。Yさんからいただいたベビーバス、バス用パッドが役に立つ。感謝。入れ方のほうはというと、マニュアル本と首っ引きで。そういえば、今日、へその緒が取れた。
▲風呂に入れてからはご機嫌で、しばらく抱いていたら眠った。おかげで仕事のはかがいったのだが、初めて一緒に夜をすごすので、なんとなく不安で、何度も顔を見に行ってしまった。疲れ切ったカミさんはグースカ寝てる。結局、明け方までぐっすり眠っていた様子。
▲大著『映画監督 深作欣二』(ワイズ出版)を読みはじめる。映画評論家の山根貞男が生前の深作欣二にロングインタビューを繰り返し、完成させた労作。『仁義なき戦い』などで深作欣二とコンビを組んでいた脚本家、笠原和夫へのロングインタビュー『昭和の劇』(大田出版)と対になるような一冊で、装幀もともに鈴木一誌さん。そもそもは、山根が深作へのインタビューを続けていると聞いた脚本家の荒井晴彦らが、監督ばかりでなく脚本家にもスポットを当てるべき──と『昭和の劇』を企画したというから、やはり2冊読み比べなねば。しかも、二人とも語り終えたのちに、前後して亡くなってしまった。『昭和の劇』はほとんど一気読みだったが、『映画監督 深作欣二』はどうだろう。とりあえず、少年時代のくだりを軽く読んで残りは明日。


2003/08/11/Mon.
▲快晴。夏らしい暑さ。
▲仕事がたまってしまったので、やらねばと思うのだが、なかなか片づいていかない。
▲病院と行ったりきたり。出生届を出す。2つのうち、どちらにするかで迷った。付けなかった名前は熊のぬいぐるみに付ける。3人娘が見舞いに来てくれて、小さい人はご機嫌。その後、おっぱいくれくれと大泣き。
▲現像済みの取材写真とブツ撮り。選んでスキャニング。お盆で終電空いている。
▲四方田犬彦、斉藤綾子編著『映画女優 若尾文子』(みすず書房)読了。若尾文子の本って、意外とないのだ。そういう意味で即買いだった。評伝かと期待したのだが、四方田、斉藤による「映画の中の若尾文子」論が中心である。若尾文子が演じてきた役柄を分析するという試みは、一見、面白そうなのだが、読んでみると意外と退屈。個別に制作された作品を並べて、主演女優のあり方だけにスポットを当てるという方法は強引すぎるのではないか。若尾文子インタビューも収録されているが、大女優の貫禄にタジタジだったのか、注目すべき発言はない。しかし、若尾文子のフィルモグラフィーと、作品の解説が巻末にあり、これだけで十分に買う価値はある。
▲「映画芸術」の最新号(404)は蔵原惟繕追悼特集。蔵原惟繕といえば、国民的大ヒット映画『南極物語』、『キタキツネ物語』の監督として認知されているが、実は日活のヌーベルバーグともいえる意欲的な作品を多数監督している。浅丘ルリ子を主演に『愛の渇き』(1967年 原作:三島由紀夫)、『執炎』(1964年 のちに『炎の舞』というタイトルで山口百恵主演でリメークされた)という傑作をものし、『俺は待ってるぜ』(1957年)『憎いあンちくしょう』(1962年)などの石原裕次郎主演の異色作品もある。ぼくが見ている日活時代の作品はわずかに『俺は待ってるぜ』『憎いあンちくしょう』『銀座の恋の物語』(1962年)だけだが、いずれも印象に残っている。とくに『憎いあンちくしょう』の手持ちカメラを多用した大胆なカメラワークはもう一度見てみたい。
▲蔵原惟繕は若尾文子作品を多数監督した増村保造と同年の生まれ。若尾と浅丘も同世代だと思うが、蔵原・浅丘コンビの作品は現在では忘れられかけている。浅丘ルリ子の代表作が何で、どんな映画によって「大女優」なのか、即答できる人は稀なのではないか。増村・若尾コンビの作品は現在、再評価され、主要な作品はビデオ化されている。蔵原・浅丘の映画ももっと評価されてしかるべきだ。
▲ところで、増村保造は1本だけ浅丘ルリ子主演映画を撮っている。『女体』(1969年)がその映画だが、浅丘のスマートなセンスが台無しにされた怪作となっている(『映画女優 若尾文子』収録の若尾文子論に足りないのは、同世代の女優たちとの比較検討ではないかと思う。時代の匂いのしない評論はつまらない)。いずれにせよ、蔵原惟繕映画が見られる環境になってほしい。


2003/08/10/Sun.
▲台風一過。快晴。
▲掃除と洗濯。病院にパジャマとバンテリンを届けてから新宿TSUTAYA。返却。
▲四谷三丁目デイズフォトギャラリー永沼敦子写真展『bug train in KOREA』。先日コニカフォトプレミオ特別賞を受賞した新鋭写真家の写真展。デジタルカメラを使い、電車内を盗撮。車内でオーラを発している人の「顔」や、身体のパーツを極端なアップで仕留めた写真。前回、コニカプラザギャラリーで見て気に入った「にせものトレイン」と手法は同じ。ただ、今回は撮影場所が韓国の地下鉄である。ところを変われば車内の様子も変わる。ジュース、牛乳片手の客、パーマおばさんなど、かの地を訪れたことがある人にはおなじみの光景が大きく伸ばされたカラープリントに展開される。今回の新機軸は、永沼自身の姿も写真の中に写し込まれていること。旅をしている自分自身をも車内の「登場人物」の一人に数えている。いま、この人の写真ほどデジカメ的だなと思う人はいない。この手法で世界各地を撮ってほしい。写真展は今日が最終日。もっと早く来てこのコーナーで紹介すればよかった。ちなみに、デイズフォトギャラリーの次回展示は「海のひとたち写真展」。オブジェ作家・木暮奈津子による海の生き物をモティーフにした作品を、海辺に持っていって撮影したもの。8月19日(火)〜24(日)まで。
▲そうか。もう今週、お盆なんすね……。
▲デイズフォトギャラリーは写真家・作家の小林紀晴さんが主宰するフォトギャラリー。小林さんとお会いすることができたので、「チーズ・プラザ」次号のためのインタビューをお願いし、快諾をいただく。小林さんが実家で撮っているというカラーネガのシリーズを見せてもらった。日本のカントリーサイド。いま、夏休みだからということもあるけど、子供の頃、田舎ですごした時間を思い出す。
▲おふくろと目白で待ち合わせて病院へ赤ん坊の顔を見せに行く。オレも予定日をだいぶすぎてから難産で生まれてきたガキだった……という話を聞かされる。何度も聞かされてきた話のような気もするけど、今聞くとまた違った受け取り方ができる。ちなみに、オレの誕生時の体重、3700グラムありました。おふくろさん、たいへんだったねえ。すんません。
▲赤ん坊は、おっぱいと睡眠にしか興味がない状態。ただ、むずかったり、笑ったり、という表情がちょっとずつバリエーション豊富になってくる。寝ながら笑ってる顔を見ると「何かそんなに楽しいんだ?」と不思議に思う。 あと、よく「落っこちる」夢を見るのか、両手をわらわらとさせている。仕事柄、よそさまの赤ちゃん写真を大量に見る機会があるのだが、そのたび、「よく撮るなあ」となかば呆れていたのだが、さすがにその気持ちがわかりました……。
▲おふくろを駅まで送ってから、少し仕事をする。夜、もう一度病院へ。バナナを届ける。うちの近所の病院なのでラクチン。寝る前にタイで買ってきたタイ映画のVCDをちょこっと見て寝る。タイトル不明。ナイトマーケットで小商いをしているハンサムな青年と『フォレスト・ガンプ』風の青年の親友二人と、ダンサーをめざす美女。男女3人の青春もの。


2003/08/9/Sat.
▲台風。夜には過ぎる。
▲病院。
▲茗荷谷で写真家の中里和人さんの取材。極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・9月下旬発売予定)のため。使い込まれたライカM6(初期ロット)。中里さんは現在、写文集『逢魔が時』(文=中野純・ピエブックス・10月発売予定)を制作中。夕暮れから夜へと移行していく「闇」の時間を捉えた本になるとか。『ぼくたちのM型ライカ』のためにお借りした作品も、闇の中の淡い光。繊細な美しさがある。
▲『ぼくたちのM型ライカ』用のブツ撮りをしたりしていたら、結局10時をまわってしまう。うちに帰って、「日記」を書きはじめるが終わらない。明日の朝、続きを書くことに。


2003/08/8/Fri.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>に第1回bk1怪談大賞選考結果発表怪談大賞選考委員、福澤徹三さんインタビューをアップ。ぼくは構成を担当してます。怪談公募の試みです。ぜひお読み下さい。
▲上の記事2本のアップに半日以上かかってしまう。bk1の専用編集機をオンラインで使っているのだが、いちいちプレビューしたりしていると時間が掛かる。なんとか日が暮れる前に作業が完了したのでホッとする。
▲病院へ行く。新生児室で一晩すごした赤ん坊が、カミさんのところに戻ってきていた。母子同室を希望していたので、新生児室に入る予定はなかったのだが、「呼吸の数が多すぎる」とのことで、カプセルの中で一晩過ごしたのだ。腹の中で育ちすぎたせいで、身体が要求する酸素の量を心肺機能があつかいきれなかったらしい。カミさんも出血の量が多かったので、一晩別室だったおかげでかえってよかったかもしれない。よく眠れたと言っていた。
▲頭の長さがだいぶふつうに近くなってきていて、ちょっと安心する。手とか足とかがなんともいえない微妙なやわらかさで、触るのが面白い。しばらく気持ちよさそうに眠っていたのだが、起きると恐ろしい勢いで泣き出す。泣いている顔はおじいちゃんにしか見えない。水木しげる描くところに「子泣き爺」って、すげえリアルな「子泣き」だったんだと実感する。助産婦さん、看護婦さんたちに「お父さんにそっくりですね〜」と言われるが、「どこが!?」と思う。誰に似ているとかはぜんぜんわからず、日本人の赤ん坊だなあ……と思うくらいなんですけど。


2003/08/7/Thu.
▲曇り。
▲午前8時8分、生まれました。3814グラム。男の子。名前はまだありません。立ち会い出産といのをやってみたので、寝不足でもうろうとしつつ、出てくるまでつきあいました。感想としては・生きてる!(驚) って感じです。これから出かけてしまうので、とりあえずご報告まで。ありがとうございました!
▲↑これは、この日のお昼に帰ってきて、すぐに書いたもの。「まだか〜」とメールをくださる方が何人かいらっしゃったので、その方たちに向けて……という気持ちでした。さっそくおめでとうメッセージを掲示板にお寄せ下さった方、メールを下さったみなさん、ありがとうございました!
▲午後3時30分。品川駅。打ち合わせ。
▲極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・9月下旬発売予定)のための座談会。写真家のハービー・山口さんと、アマチュアライカユーザーお二人による「ライカの魅力」。ライカというと、どうしても、オヤジカメラ、コレクターのカメラというイメージで、実用品と思われない向きがある。しかし、ライカを使うことは楽しいし、ライカで撮る写真はひと味違う……となんとなく思っている。座談会にきていただいた二人が持ってきてくださった作品がとてもよくて、「ライカを使っている人は、写真を愛している」ということをあらためて感じた。ライカを使わないと良い写真が撮れないなんてことはありえないが、ライカだからこそ良い写真が撮れた……と思わせてくれる何かがライカにはあるのだ。それに、ライカ1台が人生を変えることもある……そんな体験がいろいろと聞けた充実した時間だった。座談会後、居酒屋に移動して、赤ん坊が生まれたことを話し、むりやり祝福してもらった。ちなみに、出産立ち会いに持って入ったカメラはライカM2(ズマロン35ミリF3.5、カラースコパー21ミリF4)とリコーGR1Vでした。


2003/08/6/Wed.
▲曇り。
▲陣痛スタート。夕べから痛み出したらしいが、朝の時点で10分間隔。ちょうど検診の予定だったので、病院へ。6分間隔くらいまで痛みがせばまったいる様子。そのまま入院という次第。うちから歩いて6〜7分の病院なので、いま、うちに戻ってきたところです。入院用の荷物を持ってもう一度病院へ。今夜か、遅くとも明日には……という感じでしょうか。今のところ、とくに問題ないみたいです。生まれたら続きを書くということで。のちほど。
▲↑と、ここまで書いて、ひょっとすると今日中に生まれるかと思っていたら、結局、翌朝までかかってしまった。たまたまこの日はアポイントがなかったので、終日つきあうことができたのはラッキーだった。一度、戻ってきて「日記」を更新しようと思っていたのだが、それもできず、付き添って妊婦の腰をさすっていた。しかし、ありゃ、ほんと大変ですね。何しろ、5〜10分間隔で陣痛が来るので眠れない。カミさんによれば、この前の晩、床につく前くらいから痛み出したみたいだから、ずーっとロクに眠っていないまま、陣痛に耐えるということになる。ぼくも、昼間は余裕があって、片手で腰をさすりながら、片手で『GMO』( 新潮社)を読み、上下巻読了。
▲GMOとは遺伝子組み替え作物のこと。最近、スナック菓子にも「遺伝子組み替えコーンは使っていません」などと表示されているが、ぼくが漠然と知っていた危険性は、アレルギーのことくらい。ソバの遺伝子を組み込んで病害虫に強くした作物がソバアレルギーの人が発作を起こすとか。しかし、この長篇サスペンスを読むと、遺伝子組み替え作物が人類の食生活を完全に牛耳るための戦略商品たりえるという恐ろしさがよくわかる。
▲かつては科学ジャーナリストとして大活躍した蓮生は、いまでは変名を使って翻訳を手がける隠遁生活を送っている。ジャーナリストとしての一線を越えてしまい、スキャンダルに見舞われたのが原因だった。蓮生は移り住んだアメリカの町で隻腕の少年と出会い、その生命力に元気付けられていた。しかし、その少年の家が何者かの放火で全焼し、少年は死んでしまう。深い悲しみにとらわれた蓮生だったが、少年の死の理由の解明と、仕事への復帰を自分に課すことで、もう一度生きようと決心する。その蓮生の前に、食物メジャーといわれる国際的巨大企業の陰謀が立ちふさがる。ふんだんに情報を盛り込み、ストーリーは二転三転する。サービス満点の長篇サスペンス。
▲余裕があったのは陽があるうちまで。カミさんには申し訳ないが眠気に耐えられず寝てしまい、起こされたときには子宮口が7センチに開いた状態。深夜2時30分くらいだったろうか。その30分後くらいで、10センチまで開き、「陣痛室」から「分娩室」にベッドごと移動。子宮口10センチで全開なので、あとは陣痛がどんどん激しくなって生まれる……ということらしいのだが、そこからが長かった。体力がつきかけていたみたいで、強い陣痛がなかなかこない。実際、陣痛の合間に意識を失ったみたいに寝てるし。で、最後の最後で、陣痛促進剤を点滴で少しずつ入れてもらうことになった。それでも、なかなか出てこない。頭が見えてきた……というところからもけっこう長くて、最後は助産婦さんに腹を押してもらい、ギュギュッっと押し出てきた感じ。第1印象は「頭が長い(ていうか、子宮口にはさまった部分に段がついて、コーン星人みたいだった)」、「泣き声がでかい」、「手、足、耳などパーツが『よく(精巧に)できてる』」。でも、結局のところ、生きて動いてるってことに一番驚いたのでした。


2003/08/5/Tue.
▲晴れのち雨。今日もまだ! だけど、近そう……。
▲写真家の平間至さんへの取材。極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・9月中旬発売予定)のため。平間さんにお話をうかがうのは2度目。前回(「チーズプラザ」No.2)は写真集『ミーちゃんといっしょ』などの「ミーちゃん」シリーズのお話が中心だったが、今回はライカM型について。小林よしのり責任編集の雑誌「わしズム」(幻冬舎)の表紙、キービジュアルを4×5とライカで撮影しているというお話(画面サイズ、カメラ・レンズの特性が如実に出ていて、その「効果」を十二分に生かしている。見事!)などをうかがう。平間さんのご実家は写真館。中学生の時には一人で小学校の運動会の写真を撮りに行かされていたというから、まさに家業である。平間さんの写真にはいつも「ひらめき」があり、天才的だと思っていたけれど、それもやはり環境が関係している? そういえば、アラーキーはお父さんがアマチュアカメラマンで、小学校の記念写真を請け負っていて、アラーキー少年も助手を務めていたという。そんな逸話も思い出した。平間さんのポートレート撮影は、先日の木村直軌さん取材に引き続き、大池直人さんにお願いした。
▲茗荷谷良心堂で阿部さん、横木安良夫さんと打ち合わせ。
▲土砂降り。池袋ビックカメラ経由で帰宅。
▲テレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年・TBS)第6話。DVD。お気に入りの「ノノ」ちゃんの女優が突然変わってしまった(谷口世津→関根世津子)。ネットで読んだ風聞ではヌードのシーンがあり、それを谷口世津が拒否したためだとか。久世さんの書く小説にも、「ちょっと頭の弱い女の子」が出てくるけど、この「ノノ」ちゃんもその系統。無垢で、無意識に性的なものを受け入れていく。フェミニストの人に抗議されそうな役。いや、フェミだけじゃなくて、いろんな団体から批判されそうだ。たぶん、いまのテレビには登場できない登場人物。しかし、このへんに久世ワールドを理解する鍵があるような気がしている。久世光彦といえば、『時間ですよ』をはじめとするホームドラマで一世を風靡した名ディレクターだが、その本質は、およそテレビ的なものとは相容れない。ある時期のテレビが魅力的だったのは、こうした才能が力を発揮する場所がゴールデンタイムにあったからではないか。
▲映画『ロイヤル・テネンバウム The Royal Tenenbaum』(2001年・米 ウェス・アンダーソン監督)。早熟な才能を発揮した2人の男の子(ベン・ステラシー、ルーク・ウィルソン)と1人の養女(グィネス・パルトロウ)。この3人、大人になったら、それぞれに壊れてしまった。その彼らと、長く別居している両親(ジーン・ハックマン、アンジェリカ・ヒューストン)がもう一度「家族」をやってみようとする話なのだが、かなり変わっている。天才児を輩出したテネンバウム家の栄光と悲惨を描いた本をそのまま映像化したという設定で、章ごとにエピソードが描かれていく。クールなコメディ……なのかな。たいへんに凝った映画。退屈はしないが、早く終わってくれないかなと頭の片隅で思ってしまったのはなぜだろう。たぶん、この家族の誰に対しても感情移入できなかったからだろう。ぼくは古いタイプの観客だ。
▲映画『キムとイサム』(1959年大東映画・今井正監督)をビデオで。今や、忘れられた巨匠、今井正の大ヒット作にして、映画賞を総なめにした代表作の一つ……感想はのちほど書き継ぎます。
▲↑ここまで書いたのが、6日の朝。もともとカミさんが検診を受ける予定ではあったのだが、いよいよ陣痛がはじまったというので、病院へついていくことになり、日記を書ききれなかった。
▲『キムとイサム』は素朴な映画だ。福島の田舎、小村が舞台。キクとイサムは黒人との「合いの子」だ。お母さんの実家にお祖母さんと3人で暮らしている。小さな村だから、キクとイサムはとくに「合いの子」だということを意識せずに住んでいるが、たまに町に出ると無遠慮な視線に出くわす。お祖母さんは畑を耕しているが、現金収入はごくわずかで、生活は楽ではない。そんな時、アメリカの篤志家がハーフの子供たちを養子として引き取ってくれるという話が持ち上がる。そうした養子縁組を仲介する組織があったらしい。身なりのいい男性(滝沢修)が首から二眼レフを下げて村に現れ、二人の写真を撮って帰っていく。やがてイサムは養子縁組先が決まり、キクが残される……。映画の物語はこのあともう一盛り上がりを見せる。黒人とのハーフの子供たちがいかに差別されたか? そうした短絡的な映画ではない。むしろ、村の人々が彼らを受け止める力は豊かである。しかし、そんな彼らでも、二人の将来を考えたら、アメリカにもらわれていったほうがいい、と結論付ける。ようするに、個々人は善意を持っていても、いずれ彼らが困難に直面することが分かり切っている。そうした、いかにも日本的な個人と社会の関係を見事に描いているという点で、意外や、この映画は古びていない。
▲今井正はおそらく、日本映画史上、もっとも多くその年のベストワン映画を監督した一人であり、かつ大ヒットした国民的な作品をたくさん撮っている。『青い山脈』(1949年)『また逢う日まで』(1950年)、『ひめゆりの塔』(1953年)、『にごりえ』(1953年)、『ここに泉あり』(1955年)、『真昼の暗黒』(1956年)、『夜の鼓』(1958年)、『武士道残酷物語』(1963年)などなど。しかし、現在ではまったく評価されていない。思想的には左翼で戦後民主義の思想潮流に合致したこと、さらに映画監督として職人的な手腕を持っていたために、映画公開時には大いにウケた。しかし、そうした作家に対して後世の評論家が冷淡なのはこと映画に限らない。評論家自身が「再発見」する面白みがないからだ。また、今井の場合は、晩年、反戦にこだわるあまり退屈な映画を連発してしまったという事情も、評価を下げる理由になっただろう。木下恵介の晩年もそうだった。山本薩夫も最後に企画していた映画は『悪魔の飽食』だった。黒澤明ですら、危ないところだった……。職人的な手腕で世間を沸かせた監督が、老いて何故、「反戦」にこだわり、退屈きわまりない映画を作ってしまうのか。気になるところだ。
▲話が逸れたが『キクとイサム』は子役二人が実に生き生きとしている。すでにこの時代にお祖母ちゃんをやっている北林谷栄の老けっぷりも堂々たるものだ。何より退屈させない語り口の上手さ、ムダのなさ。大ヒットした理由は、まさにそのわかりやすさにある。思想は古びても、職人芸の巧みさは新鮮だ。


2003/08/4/Mon.
▲晴れ。暑い。今日もまだっす。
▲終日、家で原稿。電話をしたり、もらったり。高田馬場で「たまちゃん焼き」の店を発見した。たい焼きみたいなもんらしい。いつまであるか、要注目。
▲マツケンさんから電話をもらう。まだ出てこないので、飲みにも行けないっす。
▲テレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年・TBS)第3〜5話。DVD。沢田研二の妖艶さ。ヤバいです。藤竜也とホモ的な関係にしたり……見所の多いドラマ。


2003/08/3/Sun.
▲晴れ。暑い。今日もまだ。
新宿ニコンサロン。若手写真家の登竜門juna21(応募資格は35歳まで)写真展2つ。早川ゆーじ(1970年生まれ)「ホーチミン★シティー」はベトナムのホーチミン市のスナップショット。カラー。若林由恵「時のむこう」はモノクロ、正方形という古典的スタイルで日常の中の断片を映像化した作品。いずれも、ちょっといい写真はあるんだけど、通して見ても「?」という感じ。こっちの理解力がないのかな。よくわかりませんでした……。明日(4日)まで。
新宿コニカプラザ。いま、メーカー系のギャラリーで一番元気があるのがコニカプラザ。新宿東口高野ビル(GUCCIが入ったビル)の中にあるという立地、改装されてきれいにしたばかりということもあって、写真家にとっても気合いの入れがいがあるのでは? ギャラリーは通常3つに分かれ、それぞれA〜Cと名付けられている。
▲ギャラリーAは濱田光俊写真展「沿線物語」。昔、チバラギという言葉があった。東京から東へと伸びる通勤沿線の千葉、そしてさらに東へと下りた茨城。二つまとめてチバラギ。ダサイ、田舎って意味だった。「沿線物語」は、このチバラギのワイルドサイドをモノクロームのスナップで物量作戦的に展開している。写真家にとって、千葉茨城は故郷、地元であると同時に、東京と対峙する異世界でもある。ダサイもの、うち捨てられたものに対するシンパシーが伝わってきて、共感した。〜8月6日(水)まで。
▲ギャラリーBは松本成写真展「威風堂々」−我ら大地と共にあり。インドをモティーフにしたカラーネガプリントの写真展。インドを撮影している写真家はたくさんいる。その一番大きな理由は、西洋文明から遠く離れた生活のシステムを持ち、そこに反文明的な豊かさがあるからだろう。この写真展では、インド・デリー郊外の川沿いの生活の中に美しさを見いだしている。ぼくもインドに行ったことがあるから何となくわかるのだが、東南アジアなどの発展途上国と比較して、インドには妙なおさまりのよさというか、変わりようのない(と感じさせる)安定した生活のシステムがどっかと腰を下ろしている印象がある。この写真展からも、インドの生活文化の安定感が伝わってくる。撮影はオリンパスOMシステムで行なわれたと書かれていて、OMユーザーのぼくは少し嬉しかった。〜8月6日(水)まで。
▲ギャラリーCは斎藤正洋写真展「浅草ブラジリアン」。すっかり定着した感のある浅草サンバカーニバル。なぜ浅草でサンバ? と思ってしまうけれど、この写真展を見て少し納得できた。この写真展はサンバカーニバルに出場している老舗チーム「バルバロス」のメンバーを中心に、練習風景や、浅草サンバカーニバルの模様を撮影したもの。はしがきにいわく「サンバ的なWay Of Life」がテーマとなっているというが、なるほど、写真を見ているとリオだろうが浅草だろうが、カーニバルを楽しめればそこには「サンバ的なWay Of Life」が生まれるのだなと感じさせてくれる。偶然だが、今年のカーニバルでは、この「バルバロス」に友人のKazooさんが参加する。がんばってほしいです。写真展は〜8月6日(水)まで。
▲森達也『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店)読了。現在は共産党政権の統治下にあるベトナムだが、フランスの植民地だった時代までは傀儡とはいえ王朝があった。そのグェン王朝の直系子孫にあたり、一時期はフランスからの独立運動の象徴的存在でもあった王子、クォン・デがこの本の主人公である。彼は日本をモデルにベトナム独立を夢見た革命家ファン・ボイ・チャウに強く影響される。ファンが構想していたのは、ベトナム王朝を刷新し、クォン・デに明治天皇のような役割を担ってもらうというものだった。若き王族、クォン・デはファンに共鳴し、25歳の時に自ら祖国独立の工作のため、妻子をおいて日本へ渡る。1906年(明治39年)のことだ。
▲当時の日本には欧米列強に支配されるアジアの解放を理想とする、大アジア主義者たちがいた。のちに首相となる犬養毅、犬飼の盟友だった大隈重信、民族主義者団体「玄洋社」の頭山満らだ。彼らの周辺には中国の革命家、孫文や、インドの革命家、ボースらがいた。彼らが日本に滞在し、民族独立のために活動していたことは知られているが、一方、クォン・デなる人物が死ぬまで日本にいたことをどれほどの日本人が知っているのか。テレビ・ディレクターを本業としている森達也は、クォン・デの知られざる半生に日本とアジアの関係を重ね合わせたドキュメンタリー番組を企画するが、テレビ局からは色よい返事がもらえない。知名度がないことと、映像素材に乏しいこと。フリーのテレビディレクターが置かれている厳しい状況がここにも描かれている。そこで、映像作品の制作と平行して書いてきた著書が評判になったことから、今回は活字だけでルポをまとめることになった。
▲ベトナムの王子の半生という、いかにも地味な題材だが、森達也の過去の作品(『A』(角川文庫)『放送禁止歌』(知恵の森文庫)『職業欄はエスパー』(角川文庫)ほか)同様、視点は常に現在にある。日本と日本以外のアジアの国の歴史を遡りながら、ねじれた両者の関係を明らかにする。
▲日本は明治維新以降、欧米列強と対峙できる唯一のアジアの国として、西洋世界の植民地だったアジアの国々の若者たちから羨望を受けていた。しかし、日本に学ぼうとしたアジアの若者たちは、日本の外交姿勢が常に欧米のみへ向かっていることに失望する。一方で、政府官僚とは一線を画した民族主義者たちがアジアに目を向けていたが、その関心は、やがて大東亜戦争開戦の口実と化していく。そして、日本という国のねじれたポジションは、戦争に負けた後も変わっていない。アジアの一員なのか、欧米の一部なのか。森達也は、現在の日本の状況と重ね合わせながら、祖国独立のために無力だった王子の生涯を描いている。
▲テレビドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975年・TBS)第1〜2話。DVD。「幻の傑作」とされてた異色作。プロデュース・演出:久世光彦、脚本:長谷川和彦、主演:沢田研二。三億円事件の犯人、加門亮(沢田研二)が時効を181日前に控えているところから物語がスタートする。亮を犯人ではないかと疑う、かつての仲間(荒木一郎)、刑事(若山富三郎)。亮が歌を歌っているクラブのオーナーで、元刑事(藤竜也)らが登場し、亮の周辺がザワついてくる。
▲沢田研二の魅力全開のピカレスクロマン。クラブ歌手という設定なので歌声も披露。スターのオーラが出まくっている。久世光彦というと、『時間ですよ』などの向田邦子ものが有名だが、ご本人はミステリーファンでもあるし、近年は毒がたっぷり盛り込まれた小説を書いている。ドラマでも、かなり陰気な作品をいくつも演出している(『真夜中のヒーロー』『あとは寝るだけ』ほか。いずれも視聴率の低迷で短命に終わっている)。『悪魔のようなあいつ』も久世ワールドのダークな系譜に連なる作品で、再放送もなく、ビデオテープも紛失したとかで「幻の傑作」とされていたようだ(久世さんご本人もDVDが出ることになるまで、そう認識されていたらしい)。脚本には、のちにジュリー主演で傑作『太陽を盗んだ男』をものする長谷川和彦。2話分を見ただけだが、どう転んでいくのか先が読めない。


2003/08/2/Sat.
▲晴れ。暑い。今日もまだです。
▲写真家の木村直軌さんの事務所に取材にうかがう。極上カメラ倶楽部『ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック)のためのもの。ポートレートとライカの撮影を大池直人さんにお願いした。
▲木村直軌さんはGLAYのCDジャケットや、「Tokyo Walker」「Number」などの雑誌グラビア、ジャニーズタレントの写真集などで活躍するカメラマン。ポートフォリオには、錚々たる有名人のポートレートが並んでいる。事務所では、インタビューのテーマであるライカM3とM4のほか、ハッセル、ローライ、撮影された作品を見せてもらいながら、写真とカメラの話をたっぷりとうかがうことができた。最近の仕事としては、テレビドラマ『Dr.コトー』の宣伝写真を手がけていて、登場人物を撮影地である与那国島の風景の中において8×10で撮影しているキャスト以外に、島の普通の人々を同じ手法で撮影した写真も撮りためていて、写真集にまとめる予定だという。。カラープリントを見せてもらったが、とてもいい写真だった。いつもながら、写真を愛している人のお話を聞くのは楽しい。
▲急に暑くなったせいか、調子が出ない。仕事を放りだして、古いビデオを引っぱり出す。処分する前に見ておこうかなと。
▲映画『白い巨塔』(1966年大映・山本薩夫監督)。テレビシリーズも傑作だが、映画もいい。主人公の財前五郎を演じるのは田宮二郎。のちに別の俳優によってリメークもされているが、これほどアクの強い演技ができる二枚目俳優はいまの日本にはいないと思う。監督の山本薩夫はバリバリの共産主義者だったはずだが、教条主義的な退屈さから逃れることができた希有な監督である。先日読んだ宮沢章夫のエッセーでは、『白い巨塔』の料亭の場面が生き生きと演出されていたことが指摘され、「この社会派にして左翼の監督がどこで(芸者遊びを)学んだのか不思議な気持ちになった」と述べられていた。一つは日本映画が黄金時代にあって、「遊び」が盛んだったことが理由だろうが、もう一つは、山本薩夫という監督が思想信条とは別に職人的な手腕を持って人間のありさまを演出する才能に恵まれていたからだと思う。映画『白い巨塔』が魅力的なのは、なんといっても、欲とカネにまみれた人間たちの姿が生き生きとしているところだ。正義感の強い、まっとうな人間はこともなげに踏みつぶされる。見る側はそのことに怒りを感じながらも、はからずも理想を追う人間の影の薄さをも目の当たりにすることになるのだ。人間の行動原理の単純さを容赦なく描いて骨太のドラマに仕立て上げている。
▲映画『みゆき』(1983年大映・井筒和幸監督)。今見るのは恐ろしいというか、怖いもの見たさで見てしまった恥ずかしい青春映画。今や辛口の映画批評でならす井筒監督の初期作品。原作はあだち充の人気漫画。当時全盛だったラブコメ(って死語か)の代表作で、血のつながらない1歳下の妹と突然2人きりで同居することになった高校生の男の子を描いた妹幻想炸裂のお話である。主人公には憧れのクラスメイトがいて、その子の名前は妹と同じ「みゆき」。かくして二人のみゆきに板挟みになって……というシチュエーションに全国の男子中高生が「萌え」ちゃうってのがなんともいえず恥ずかしい……。
▲キャストがまたすごくて、主人公のまさと(永瀬正敏)、同級生のみゆき(三田寛子)、妹のみゆき(宇沙美ゆかり)。まさとの親友りゅういちに島大輔(喫茶店のマスターもやっていて。『木更津キャッツアイ』での島大輔の演じた役はこのへんにルーツがあるかも)。井筒演出は今に至るまで一貫してテンポの良さが特徴だが、『みゆき』では長回しで情緒的なラブ(ともいえない微妙な)シーンを繊細に演出している。おそらく、同じキティフィルムの作品『翔んだカップル』(1980年・相米慎二監督)を意識したと思われる。実際、この2本の映画は双子のように似ている。監督も同世代で、以後、二人ともディレクターズ・カンパニーに参加したり角川映画を撮ったりと近いところで仕事をしていくことになるが、作風はかけ離れていく。80年代という時代の気恥ずかしさを象徴するような青春映画。


2003/08/1/Fri.
▲晴れ。暑い。今日もまだ生まれない。だんだん下がっては来てるみたいだけど。
オンライン書店bk1で「怪談大賞」選考会。選者はbk1怪奇幻想ブックストア店長の東雅夫さん(ホラー評論家。「幻想文学」編集長)と作家の福沢徹三さん。bk1で怪談を募集し、応募作品から大賞1名、優秀賞2名、佳作5名を選ぶというもの。今回が第1回目になる。50作品以上の応募があり、初回としてはまずまずの反響。怪異談あり、掌編小説風あり、小咄風ありと、なかなかのレベル。第1回ということもあって傾向がバラバラなので、選者のお二人はかなり悩まれていた様子。選考の様子と、怪談小説作家である福沢さんの最新刊『廃屋の幽霊』(bk1で絶賛予約受付中)について東さんがインタビューした内容などを盛り込んで記事を作る。発表は8月8日です。
▲映画『リリイ・シュシュのすべて』(2001年ロックウェルアイズ・岩井俊二監督)をDVDで。
▲生理に直に訴えてくるような美しい映像、音楽との絶妙なマッチングなど、魅力的なルックスを持った岩井俊二作品だが、その描かれている内容にはいつもどこか引っかかりを覚えるというか、違和感を感じていた。『リリイ・シュシュのすべて』のすべてには、その岩井俊二のグロテスクな部分がすべて盛り込まれているという印象。たいへんに不愉快な映画である。
▲北関東の中学生が主人公。田圃があって、TSUTAYAがあって、というような、ありふれた地方都市。主人公の少年、蓮見雄一(市原隼人)は14歳。リリイ・シュシュという謎めいたシンガーを愛していて、フィリアというハンドル名でファンHPを開設している。その掲示板では、リリイを教祖と仰いでいるような発言がやりとりされている。
▲実生活の雄一は、両親が再婚したせいで家に居場所もなく、学校の友だちからはカネをたかられたり、暴力を振るわれたりと、陰湿ないじめを受けている。「灰色」の生活。でも、13歳の時は「薔薇色」だったと回想する。今はいじめの中心人物となっている星野(忍成修吾)とは剣道部でいっしょにで、学校帰りに先輩にラーメンをごちそうになったり、家に遊びに行ったりもした。
▲変調するのは夏だ。剣道部の1年生部員たちで、ポルシェに乗ったデブから金を盗む。その金で雄一、星野たちは沖縄へ行く。沖縄の映像はすべて彼らが持っていった家庭用ビデオカメラで撮影されている。彼らの夏の冒険は、星野の臨死体験や、出会った旅人(大沢たかお)の交通事故など、死に近づくことで終わる。
▲「灰色」が始まるのは2学期から。小学校時代にはいじめられっこだった星野が突然、切れる。クラスの乱暴だった生徒をコテンパンにやっつけ、さらに田圃で素っ裸にし、鞄を口にくわえさせる。クラスメイトの女子、津田(蒼井優)を脅し、売春をさせて上がりをピンハネする。雄一は津田の監視役をしろと命じられる。雄一が秘かに恋心を抱いている女子、久野(伊藤歩)を廃工場へ呼び出すことも強要される。そこで一体、何が行われるのか。雄一は地獄を味わう。生きる希望はリリイ・シュシュの歌声だった。
▲このあたりまでで物語の2/3くらいか。146分。2時間を超える大作だ。退屈な時間はない。映像に吸引力があり、物語に吸い込まれる。しかし、描かれていることは目を背けたくなるほど不愉快だ。「これが現実だ」と言いたいのかも知れないが、その現実を魅力的なルックスで描くって、どういうことだろうと思う。暴力や精神的ないじめ、レイプ、管理売春といった事柄を「クール」に、美しく描いてしまうセンスって一体なんだ? 登場人物の中学生たちにもムカつくが、彼らの周りにいる大人たちの鈍感ぶり、モラルの低さにも唖然とする。岩井俊二は中学生たちの残虐さを描くことで大人たちのダメぶりを描こうとしたのかとも思うが、大人のせいにするにはあまりにも……映画の中の中学生たちの非道が理解不可能だ。いかにも大人が考えた「何を考えているか分からない子供」でしかないような印象を受ける。
▲この映画は引き裂かれている。現実感、リアリティというものを作り出そうとして、過剰な悪意や、暴力を盛り込んでいる一方で、そうした描写が続けば続くほど、映画そのもののリアリティが失われていく。そして、リリイ・シュシュという存在。パソコンでやりとりされているメッセージの無内容さ(その字幕が延々と続く)、気恥ずかしさは、この映画の中に描かれている不愉快なものすべてへのエクスキューズにしか見えない。リリイ・シュシュの音楽に「救済」を感じられないのも致命的だった。
▲現実の子供たちが簡単に人を殺すように見えるからって、映画の中で簡単に殺すってのもいかがなものか。せっかくフィクションで描くなら、「簡単」に見えちゃう現実よりも深いところまで掘り下げるべきじゃないのかな。岩井俊二の映画にどうしても心から喝采できなかった理由。昆虫を観察するような、冷酷なまなざしが耐え難いのだということに気づいた。


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