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2003/05/31/Sat.
▲雨。
▲部屋のかたづけ。本を積む。
▲映画『マトリックス リローデット』の先行上映を歌舞伎町に見に行く。それなりに面白いけれど、やはり前作と比較すると分が悪い。おたくの妄想が肥大して全世界を包み込んだような前作のテイストは好きだったけど、2作目は「本気」が過ぎたみたいだ。『マトリックス』って、もともとは飲み屋でのバカ話みたいなもんだと思うのだが。物語は途中で終わり、完結編へと続く。『バック・トウ・ザ・フューチャー』と『バック・トウ・ザ・フューチャーII』の関係にちょっと似ていると思う。


2003/05/30/Fri.
▲晴れ。初夏の陽気。
▲びーへさんからメールで『ヤスケンの海』(幻冬舎)の読後感想をいただく。安原さんと高校時代からつきあいのあるびーへさんならではの文章。さっそくびーへさんの許可をいただいて、村松友視『ヤスケンの海』(幻冬舎)書評 特設ページに掲載させていただく。『ヤスケンの海』、ホントに面白いです。ぜひ、どうぞ。
▲久世光彦『飲食男女 おんじきなんにょ』(文藝春秋)を途中まで。久世節全開の短篇集。タイトルからはアン・リーの台湾映画を連想するが、関係なし。ぼくは女性の下の唇がしゃべるのを聞いたことがある……という不思議でゾッとするような、でも男性ならなんとなくわかる(?)ような「まえがき」から、食と女性にまつわるショートストーリーが続く。フェミニストが眉をしかめそうなエピソードをぬけぬけと書く久世さん。この人みたいな不良爺ってかっこいいな、と思う。
▲「飲み会」がキャンセルになったので、一度入ってみようと家人と話していた近所の定食屋へ行く。内装は新しいが、ムードは昔ながら。阪神はボロ負け。
▲映画『Doiis』(北野武監督・脚本・編集)。見ている間中、困惑。スタッフ、キャスト、どんな「理解」でこの映画を作ったんだろうか? 文楽の人形を出したり、日本の「美しい四季」を背景に置いたりというエキゾチズムの演出も、海外の映画祭を意識したものとしか考えられないし(まあ、それでも面白ければいいんだが)。誰か「殿」に意見する人はいないのか。北野映画のワーストワン。


2003/05/29/Thu.
▲晴れ。初夏の陽気。
▲オンライン書店bk1<ブックサイト ヤスケン>に『ヤスケンの海』刊行記念特別対談 村松友視×見城徹をアップしました。ぜひお読み下さい。
▲オンライン書店bk1で『ヤスケンの海』(幻冬舎)の売り上げが「第4位」になってます(トップページ参照)。
▲奥田英朗『東京物語』(集英社)読了。『最悪』(講談社文庫)『邪魔』(講談社)などで知られる人気作家の自伝的連作小説集。著者は1959年岐阜県生まれ。小説の主人公も名古屋育ちの同年の青年田村久雄。上京した日、大学時代、小さい広告会社でコピーライターとして働き始めた日々。やがて、一人前になり……と、大筋は実に他愛ないのだが、それぞれの短篇小説は巧緻。久雄が上京した日キャンディーズ解散コンサートが後楽園で開かれた日(1978年)。そのほか、ジョン・レノンが死んだ日、巨人の江川初登板の日、などなど、時代を象徴する事件があった日を舞台に、よく練られたショートストーリーが語られ、次々と先が読みたくなる。ぼくは68年生まれなので世代的には下。それぞれの「1日」の記憶ははっきりとしないが、主人公と同じ「上京者」なので、東京に対するイメージや、東京から感じるものには同感できる部分が少なからずある。『最悪』などのサスペンス小説を期待する向きにはおすすめしないが、80年代の東京を知る人にはきっと楽しめると思う。小林信彦の自伝的小説作品群を思わせる秀作、といえば、何となく伝わるかな。
▲根津夜想庵で大人の飲み会。


2003/05/28/Wed.
▲晴れ。
▲今日は天気がいい。で、眠い……。
▲昨日、感想を書き忘れた本。新堂冬樹『忘れ雪』(角川書店)。あの鬼畜系作家が純愛小説? いきなりポエムでスタート。交通事故で両親を亡くした少女と獣医をめざす少年の出会い。そして、それから8年。大人になった二人は約束通り結ばれることができるのか? という、少女漫画みたいなストーリー。どこまでマジなのか、よくわからない。
▲堅物で純情、無垢な青年というムイシュキン公爵さながらのピュアハートを持つ主人公は、実はこれまでの新堂冬樹作品にも登場してきたキャラクターだ。しかし、これまでの新堂作品では、彼らの純情は無惨に踏みにじられ、汚辱にまみれてきた。今回の「純愛作品」では果たしてどんな運命をたどるのか? ぼくは新堂冬樹の作品は近作数作をのぞいてあらかた読んでいるので、妙にいい人ばかりが登場するこの小説を読んでいて、「実はこいつが裏切り者では?」と疑いながら読んでしまった。そして、結論を言ってしまえば、純愛+ミステリーに暴力のフレーバーを加えたこの小説、空中分解している感は否めない。珍品、怪作としてもいささか中途半端ではないか。ここ数作、どうも新作を読むつもりになれなかった新堂冬樹だが、この作品も毛色が変わっているだけでスランプから抜け出せていない感じ。残念だ。
▲新堂冬樹の小説は登場人物の造形(ややマンガチックではあるが)立体的で、起伏に富んだストーリーと、裏社会から見た今の日本の姿をテンポのいい文章で一気に読ませるエネルギッシュなところが魅力だ。おすすめを挙げておくと、『闇の貴族』(講談社文庫)(前半は政財界と暴力団の抗争、後半は謀略史観に基づいたスーパーテロリストの痛快アクションという不思議な長篇小説)、『ろくでなし』( 幻冬舎文庫)(恋人を目の前で陵辱された男が、闇社会で復讐鬼となって蘇る。ストレートな純愛&サスペンス)、『無間地獄』( 幻冬舎文庫)(闇金融、ホスト、ヤクザなど、裏社会に生きる有象無象たちが大金をめぐってヒートアップする迫力ある悪漢小説)。いずれも、街金融で働いていたという作者の経験から想像を膨らませた現代の「悪」の迫力が感じられる作品が面白い。
▲坪内祐三『後ろ向きで前へ進む』(晶文社)読了。「頭いい!」と思わず言いたくなるような評論集。植草甚一がなぜ70年代にブレイクしたのか? 1979年は植草甚一が亡くなった年であると同時に、村上春樹が『風の歌を聴け』でデビューし、沢木耕太郎が『テロルの決算』を書き、椎名誠が脚光を浴びた年。この年に文章表現の世界でパラダイムチェンジが起こった……という興味深い一編のほか、「保守主義」とは何かをめぐって、福田恒存と江藤淳を論じたり、靖国神社について著書『靖国』を踏まえてその後を書いたり、ジャイアント馬場の死について書いたりと、縦横無尽のようでいて、どこを切っても坪内祐三。それはつまり「古くさい、最後の人」(本文より)という自覚である。で、そのへんの自意識の過剰さが、ちょっと胸焼けするところ。


2003/05/27/Tue.
▲曇りのち雨。
▲起きられない。寝坊。
▲原稿。書いて直して。天気が悪いせいか、低調。
▲うちに帰ると本が届いていた。大野裕『「心配性」と上手につきあう方法』(大和書房)『「うつ」で悩まないで!』(ナツメ社)の2冊。この「日記」を読んで、「心配性」で「うつ」な俺のことを心配した誰かが送ってくれたのかしら? と訝しんだが、前に勤めていた会社の先輩で、「ナース専科」元編集長の吉田みちおさんが編集した本だった。ぼくが『カウンセラーになろう!』(オーエス出版)という本を書いているので、送ってくれたのだ。感謝します。
▲で、さっそく読んでみた。『「心配性」と上手につきあう方法』はタイトルの通り、心配性とのつきあい方だが、楽観的すぎてもう少し心配したほうがいいんじゃねえか、くらいの自分としてはまったくターゲットから外れてしまっているので、感想を書く資格もないような気がする。心配性の方は本屋さんで手にとってみては? この手の「ココロ本」はまったくの苦手で、読んでも何も感じないのである(笑)。
▲『「うつ」で悩まないで!』は、「悩んでいるから鬱なのでは?」とツッコミを入れたくなるようなタイトルだが、ようするに、この本は「一人で悩んでいないで精神科医にかかって治療を受けよう」という趣旨で作られた本だ。「うつ」の症状、軽い「うつ」のしのぎ方、うつ病の治療、投薬などについて、多角的に書かれている。この2冊の著者、大野裕は精神科医。1950年生まれで慶大医学部卒→ペンシルバニア大学医学部留学→現在、慶応義塾大学教授。日本認知療法学会理事長等も務めている人で。「うつ」関連の著作が多い。この本も、ぼくはとくに「うつ」に悩んでいるわけではないのでターゲットから外れているが、二つだけ感想を。一つは、本書が「うつ」の入門書としてよくできていること。「うつ」の全体像を把握するためには便利な本だと思う。もう一つの感想は、この本を読むと、「うつ」でない人間はいないな、ということ。そして、本書を読んで「うつ」と向き合ってしまうと、逆に「うつ病」が発症したり、悪化したりする人がいるのではないか、という疑念である。だって、この本の「うつ病に早く気づくための5項目チェック」って、俺、ほとんど当てはまるもん(笑)。まあ、こういう機会でもなければこの本を読むこともなかったわけで、そもそも本屋でこの本を手に取った時点で軽い「うつ」状態にあるということなのかもしれないが。
▲本書とは別に、昨今の「うつ」ブーム(?)全般について思うことがある。妙に見栄えのいい「うつ病患者」が登場するうつ病薬のCMがあるが、見るたびに疑問を感じてしまうのだ。生きていれば「うつ」状態があるのは当たり前のことで、それをどうしのいでいくかを身につけることも生きていく上で必要な力のはずだ。安易に「うつ病」と診断、投薬するのは医療機関、薬品メーカーの「商売」じゃないか、と思ってしまう。
▲こう書くと「あんたはうつ病になったことがないから、その苦しみがわからないのだ」と言われそうだ。まったくその通りで、結局のところ、転んでみないとその痛みがわからないように、うつ病になってみなければ「うつ」の苦しさはわからない。しかし、その苦しみが「作られる」ことだってある。そんなことを感じてしまうのは精神科医が書いた「うつ」関連本よりも、『精神科医はいらない』(下田治美著・角川書店)に描かれている断片的なエピソードのほうがぼくにとっては説得的だからだ。
▲映画『追憶』(1985年・インドネシア)をビデオで。ずいぶん以前にNHK教育の「アジア映画劇場」で録画して見ていなかったもの。1945年。日本の敗戦で統治権がオランダに移ったインドネシアでは独立運動の機運が高まった。村に妻を遺してジャカルタへ向かった青年は独立運動に身を投じるが、仲間が権力側のテロに遭ったことから、私怨を交え、テロを主張。仲間と分裂し、一人、警察署長の命を狙うが……。神代辰巳の『宵待草』を連想させるテロリストの物語。しかし、インドネシア人気質を反映し、全体にのんびりムードが漂う。日本人なら、命のやりとり、という緊迫感が全体を支配しそうだが、この映画はもっとゆるゆるとした時間が流れ、主人公の行動にも間が抜けているように見えてしまう。日本人の尺度で見ると首をひねりたくなるところもあるが、これがインドネシア人の持つ時間感覚なのだと思う。


2003/05/26/Mon.
▲晴れ。
『ヤスケンの海』(幻冬舎)絶賛発売中です!
『チーズプラザ 第3号』(メディア・セレクト)全国のD.P.E.ショップ「パレットプラザ」、大型書店で発売中です!ぼくが手がけたのは、「島尾伸三インタビュー 元気なまほちゃんと優しい登久子さん」(取材・文)、「元気いっぱいの子供たちを撮ろう!(イラスト=近藤恵子)」(構成)、「元気な子供を撮るカメラ 一眼レフVS.デジタルカメラ」(文・写真)、「カミゾノ☆サトコの 子供写真に挑戦!」(編集)、「チーズプラザ写真館 テーマ別投稿部門(吉野信・選)」(編集)、「デジカメレビュー」(文・写真)、「フォトエッセイ 写真中毒患者(カミゾノ☆サトコ)」(編集)。定価350円。ぜひどうぞ。
▲で、今日は次号の編集会議。特集は「大切な人を撮る」。ポートレートがテーマです。男性モデル募集中、です。
▲木村伊兵衛『僕とライカ』(朝日新聞社)読了。巨匠写真家・木村伊兵衛が生前に遺した文章の中から、自伝的エッセー、カメラと撮影術について、土門拳、徳川夢声との対談を収録した一冊。資料としてはありがたいが、解説くらいあったほうがいいのではないか。注釈も欲しい。企画編集の意図がはっきりしないこともあって、食い足りない印象。


2003/05/25/Sun.
02319732 ▲晴れ。
▲原稿。
▲村松友視『夢の始末書』(1984年・角川書店→角川文庫→ちくま文庫 品切れ)読了。『ヤスケンの海』(幻冬舎)と呼応する、村松さんを主人公にした中央公論時代の回想記。作家活動を始め、18年在籍した中央公論社を退社する日から筆を起こし、時間は過去へと遡る。創刊スタッフとして参加した文芸誌「海」で出会ったきら星のごとき作家たちとの交流を村松友視一流の、こまやかな筆遣いで描く。登場する作家は、幸田文、野坂昭如、武田泰淳、武田百合子、唐十郎、色川武大、永井龍男、水上勉、川上宗薫、椎名誠、赤瀬川原平……。編集者が作家たちとすごした濃厚な時間を読者も味わうことができる。編集者であって、のちに作家になった、という微妙なポジションから先輩作家、同輩作家を視るまなざしも興味深い。二十代の精神的な彷徨など、村松文学を理解する上でも大切な一冊。文庫品切れはとても残念。
▲吉祥寺Meg「安原顯追悼コンサート」。ゲストは小林桂さん。生はいいですね。
▲安原顯さんの遺児、眞琴さんに、持参した彼女の処女作『「扇の草子」の研究』(ぺりかん社)にサインをもらう。サインは初めて、とのこと。練習しといたほうがいいんじゃないかと、という微妙なバランスのサインなり。本の内容は、「扇の草子」についての研究書。バリバリの専門書です。「扇の草子」とは、一冊の本ではなく、同じ形式の作品群のこと。扇面形の枠の中に絵が描かれ、その周囲に、絵にちなんだ歌が散らし書きされたものだという。本書には、現存する「扇の草子」全伝本が収載されている。博士論文をもとにしたというが、凝り性の眞琴さんが、新資料を盛り込んだり、書き直したりと必死に取り込んでいた姿を垣間見ていたので、感慨深い。本の制作と安原顯さんの「余命1ヶ月宣言」、入院、闘病とたいへんな時期が重なってしまったのに、これほど充実した本を作ったというのは、やはり蛙の子は蛙だなあ、と別の感慨もある。「扇の草子」についての専門的な研究は歴史が浅く、眞琴さんはほとんど第1人者のような位置にいるらしい。先日はパリのソルボンヌ大学で講演をし、次はプラハの大学へ行くという。


2003/05/24/Sat.
▲薄曇り風晴れ。
▲朝まで飲んでいたので心身ともにゆるんでいる。プロバイダを変えたので、働かない頭でネット接続の設定。メールは今まで通りです。
▲軽い二日酔いくらいの時には瞳孔が半開きになった気分で写真集をめくる。久家靖秀写真集『Cover/girl』(朝日出版社)。剥き玉子みたいなつるつるの肌の女性たちにジャージを着せて、シンプルな背景(白か、原色)で最小限の動きを追う。なんでもない写真に見えて、しかし、この人が才能溢れる写真家であることがよくわかる。なんというか、言葉が無意味に感じられるような魅力的な写真なのである。「サイゾー」カバー、口絵の時から毎号楽しみだったが、こうして写真集になると、また別の魅力が生まれる。モデルになっているのは上戸彩、内山理名、岡あゆみ、黒澤優、品田ゆい、釈由美子、高橋マリ子、宮崎あおい、山口紗弥加、吉野紗香、米倉涼子。
▲久家靖秀は1962年生まれ。広告、雑誌、CDジャケットの撮影などで活躍している。ぼくは一度だけ久家さんにお会いしたことがある。まだ会社員だった頃だから、10年近く前か。ポートフォリオを見せてもらう機会があったのだ。当時、久家さんは雑誌「CUTIE」でファッション写真を撮っていた。一目見て、その卓抜したセンスに驚嘆し、以来「久家靖秀」という名前が忘れられなくなった。
▲NHK「課外授業ようこそ先輩」制作グループ編『見城徹 編集者 魂の戦士』(KTC中央出版)読了。各界の著名人が母校を訪れ、小学生に特別授業をする、というテレビ番組を本にしたもの。アラーキーの回を見て、いたく感動したことを覚えている。この本は角川書店で辣腕編集者として腕を振るい、独立して幻冬舎を設立し、ベストセラーを連発している見城徹社長の回を単行本化したもの。子供たちを班分けし、書き手と編集者に分かれ、作文を題材に、どうやればその書き手の個性を読者に伝えられるかを討論させる。コンプレックスにさいなまれた少年時代、ベストセラーになった本を作った時のエピソードなどを交えながら、自分をさらけだし「内臓がこすれ合うような」関係を作ることがいい本を作るために必要なことだと語る。現在発売中の雑誌「編集会議」がちょうど見城徹大特集で、ご本人のロングインタビューがあるのだが、この本と合わせて読むとさらに面白い。語り口も、エピソードも、実に刺激的。まさに「全身編集者」。凄い人だ。
▲田口ランディさんと久々にお会いすることができた。田口さんには、ぼくが社会人になりたての頃に仕事でお世話になった。その頃、彼女は腕利きのディレクター、ライターとして、企業の採用PRを仕切っていた。ぼくは就職情報会社に入り立ての新米で、田口さんの仕事ぶりにただただ感服するばかりだった。その後、田口さんは仕事の方向性を書くことに向け、ぼくも会社を辞めたので接点はなくなった。田口さんと再会するきっかけを与えてくれたのは、亡くなった安原顯さんだった。田口さんは、安原さんの「最後の贔屓作家」だったからだ。田口さんは病床の安原さんを訪れ、「世界に一冊しかない」手書きの絵本を安原さんにプレゼントした。幸運にもぼくはその本を安原さんの目の前で読ませてもらったが、万物流転、モノにも命がある……という、まさに田口さんらしい、「命」をテーマにした可愛らしい絵本だった。作品にも感動したけれど、こういうプレゼントをさりげなくできる田口さんにグッと来てしまった。今日、本当に久しぶりにお会いできて、そんな話などをつらつらとした。
▲写真家の川内倫子さんともお会いできた。「FOIL」の第2号特集「ROOTS 祖先」の写真が圧倒的によかったということを伝えることができた。祖父母を撮ったシリーズだが、もう10年、撮り続けているという。直球、ド真ん中の素晴らしい写真。ハートに来る。いずれ一冊にまとめたいとのことなので、鶴首して待ちたい。川内さんは田口さんとアルタイ共和国に行き、6月6日のボロット・バイルシェルの来日コンサートでスライドショーをやるそうです。
▲ほかに村松恒平さん、映画『新しい神様』の土屋豊監督と雨宮処凛さんと少しだけ言葉を交わすことができた。土屋監督の新作はフィクション。秋公開予定だという。楽しみだ。


2003/05/23/Fri.
▲曇り的晴れ。
▲テープ起こしを一通り終える。
▲松浦弥太郎『本業失格』(ブルース・インターアクションズ)読了。オンライン書店bk1の書誌データにある表紙写真からはわからないが、古めかしい布装がすてきだ。松浦弥太郎は放送作家、コラムニスト、デザイナーなどなどの顔を持つ一方で「m&company traveling booksellers 」なるビジュアルブック中心の移動式古本屋を開いていた、らしい。「らしい」というのは実際にその店を知らないからだが、2002年から「COW BOOKS」という名前の古本屋を中目黒でやっていると『最低で最高の本屋』(DAI−X出版)の著者紹介にある。検索してみると、公式ホームページがあった。移動式古本屋は「traveling COW BOOKS」として再オープンする予定があるようだ。
▲『本業失格』というタイトルは本屋店主のようで本屋だけではなく、原稿を書いたり、デザインをやったりする著者の本業からのハミ出しぶりを味わうことができるコラム集である。雑誌に書いた原稿などを集め、著者が「本業失格」(というのは、ようするに本業に収まりきらない、という意味だ)と認める常磐響、松田岳ニ、ARATA、岡本仁との対談が収録されている。移動式古本屋、という発想からして楽しい。その楽しさが、この本全体から感じられる。「あとがきにかえて」は小学校の同級生だったという沼田元氣が書いているのだが、この文章がまた、この著者のことを見事に書いていて、さらに楽しみを深めている。
▲田口ランディ『オカルト』(メディアファクトリー)読了。田口ランディの小説以外の文章は敬遠していたのだが、タイトルと「散文三十五篇」に惹かれて読んだ。詩あり、エッセーあり、ショートストーリーありだが、どこか非日常的なムードがあって、面白かった。超能力者との交流のくだりは、森達也の傑作『スプーン』(飛鳥新社)を思い起こさせる。「超能力を信じてない」が「あったほうがおもしろいなとも思う」というスタンスに共感。この本に書かれている言葉も、描かれていることがぶっとんでいても、確かな手応えを感じるのは、それが「おもしろい」からだ。
▲茗荷谷→新宿。飲み屋をはしご。よく飲んだ。


2003/05/22/Thu.
▲晴れ……かな。
▲池袋。たまっていたテープ起こし。3本のうち2本まで終える。
▲「マリ・クレール」(アシェット婦人画報社)の新創刊号の「ヤスケン追悼」記事を遅ればせながら読んだ(もう次号が出るって!)。アラーキーの追悼メッセージがいい。「ヤスケンが、陽子の文章をほめてくれたのがすごーくうれしかった。そっちでデートしてあげてちょうだい。セックス可。」味のある手書きそのまま掲載されている。入院していた安原さんのもとにアラーキーから贈られた特別限定版『花人生 荒木経惟』(何必館)にサインしてあった言葉「天才アラーキーから天才ヤスケンへ」を思いだす。『花人生 荒木経惟』は東京都写真美術館で開催中の「荒木経惟 花 人生」展でも販売している(〜6月8日)。欲しいけど、ちょと買えないな……。


2003/05/21/Wed.
▲曇り? 晴れ? 暑い。
▲川口邦雄さんと打ち合わせ。川口さんは山岳写真の大家。山を高く、険しく、貫禄ある姿に表現するために必要な、人間の目の錯覚についての基礎知識について。本当に高い写真よりも手前の山のほうが高く見えたり、麓から見上げると、意外と小さい山に見えたりと、撮影場所から同じ山でも印象がずいぶん違う。山岳写真の面白さは、人間の眼が巨大なスケールの自然をどう捉えるか、という難しさの中にもある。イラク戦争、SARSの影響で海外ロケに支障が出ていることなど時事ネタも。
▲市ヶ谷から赤坂見附まで歩く。東京写真文化会館の前でハービー・山口さんとバッタリ会う。ハービーさんに誘われて、東京写真文化会館で開催中のハービー・山口写真展「ロンドン・コーリング」(〜5月25日)。展示はすでに見ているので(4月28日日記)、喫茶コーナーでお話しする。入れ替わり、立ち替わり、ファンの人たちにサインするハービーさん。そのうちの何人かの方と、ハービーさんとのお話に交ぜてもらう。ハービーさんの大学の後輩にあたる、大学4年生で写真家志望だという寺中くん、東京都写真美術館で7月18日(金)〜8月28日(木)まで開かれるミック・ロック写真展「ROCK'N ROLL EYE The photography of MickRock」(デヴィッド・ボウイやイギー・ポップなどの写真で知られる写真家の作品展。ロンドン時代のハービーさんともニアミスしていたそうだ)を手伝っているという横沢くん。それに、昨年、P.G.I.で写真展「ヨーロピアンサーカスの人々」を開き、「日本カメラ」(2002年12月号)の表紙を飾った写真家、末積佐英子さんと言葉を交わすこともできた。
▲いつも思うことだが、ハービーさんという人は人との出会いや、交流をとても大切にする人だ。撮影以外にもテレビ、ラジオでレギュラー番組を持っている多忙な身なのに、自身の写真展会期中には、できるだけ会場を訪れ、来てくれた人たちと言葉を交わす。その姿勢はすばらしいなあ、と思うのだ。ハービーさんは、東京写真文化会館のこの写真展のほかに、アップリンク・ギャラリーで写真展「PEACE」を開催中(〜6月8日)。
▲田口ランディ『7days in BALI』(筑摩書房)読了。バリ島をモティーフにした長篇小説。昨年9月刊行。「バリもの」に食指が動かなかったのだが、いざ読みはじめると、これまでの田口ランディ作品同様、最後まで一気読みである。ピアノ(『調律の帝国』という見沢知廉の秀逸なタイトルを想起した)対ガムラン。精神医学とシャーマニズム。ヨーロッパとアジア。まあ、そんな理屈よりも、官能的なイメージの連打に痺れる。しかし、これまでの長篇小説で味わった興奮に比べると、やや薄いと感じたのはなぜか。いや、薄いところがいいんだと思ったり。オリオンさんの書評を読んで考えさせられた。もっとも、確信犯じゃないかと思えなくもないんだけど……。少し考えてみよう。
▲「バリもの」に食指が動かなかったのは、「神秘の島バリ」に関心がないから。超自然的なもの、オカルト的なものに興味がないので、田口ランディ的なバリを読みたいと思わなかった。しかし、この小説を読んでいる間中、バリを想った。ぼくがバリを訪れたのはもう10年以上も前の話だが、その時の空気の重みまでまざまざと思い起こさせてくれた。藤原新也の写真集『バリの雫』(新潮社 なんと版元品切れである。さいきん、そんなんばっか)と並ぶ、「バリもの」の秀作と認めるにやぶさかではない。


2003/05/20/Tue.
▲曇りのち雨。
▲村松友視さんと見城徹さん(幻冬舎社長)の対談の司会。村松さんの新刊『ヤスケンの海』(幻冬舎・5月下旬発売)の発売を記念したオンライン書店bk1のためのもの。bk1の辻さんに同行いただき、『ヤスケンの海』担当編集者の舘野晴彦さんにも同席いただく。
▲村松さんは安原さんの「海」(中央公論社から出ていた伝説の文芸雑誌)の同僚として出会い、以来30年以上のつきあいだった。一方、見城さんは安原さん、村松さんが「海」の編集者だった頃から同じ業界の先輩として面識を得、村松さんが名作『私、プロレスの味方です』(情報センター出版局→ちくま文庫→現在品切れ。残念!)を世に出すが、すぐに「野生時代」(見城さんが在籍していた角川書店の文芸雑誌)に掲載するための「プロレスを題材とした短篇小説」を依頼する。「セミファイナル」と題されたその小説は、ほかの二篇と合わせて『最後のベビーフェース』として単行本化された(こちらも版元品切れ、というか、絶版か……)。その後、見城さんは村松さんが直木賞を受賞した『時代屋の女房』(角川文庫。これも絶版! ひどい!)を担当するなど、深く関わっていく。ご存じの方も多いと思うが『時代屋の女房』の主人公はヤスさんとまゆみ。ヤスケン夫妻の名前が付けられているのだ。
▲一方、見城さんと安原さんの接点は安原さんが「マリ・クレール」時代に手がけた特集「読書の快楽」を、「見城、この特集、本にしたら売れるんじゃねえか? 角川から出せねえかな」と持ちかけたことから一気に親密になったとか。実際にこの本の企画は成立し、シリーズで何冊か出し、売れたという。
▲とまあ、二人それぞれに安原さんとつきあいが深く、なおかつ、方や作家、方や出版社社長となった今、ヤスケンの評伝が書かれたのもごく自然というか、必然だった。しかも、『ヤスケンの海』の編集を担当した舘野さんはもともと村松さんの本を手がけてきた編集者だが、この「直球の企画」を見城さんから聞かされ、狂喜したというから、つくづく役者が揃った本だと思う。しかも、肝心の本が、面白い。読みはじめたら止まらない、と昨日の日記に書いたが、見城さんもそうだったそうだ。対談は、村松さん、見城さんと安原さんの出会いから、『ヤスケンの海』誕生、そして、本の「読みどころ」まで快テンポで進んだ。この面白さ、対談記事でぜひお楽しみ下さい。週末〜週明けにアップ予定。この「日記」からリンクしますので、お楽しみに。
▲映画『サイクリスト』(1989年・イラン)をビデオで。イランは知る人ぞ知る映画大国である。『友だちのうちはどこ?』などで知られるアッバス・キアロスタミばかりが取り上げられるが、実は国の規模からいえばかなり活発に映画が作られているはずだ。90年代初頭にイランを訪れた時には、反米の国ということもあって、イラン映画のほかには、フランス映画と日本映画(山田洋次監督『キネマの天地』だった)が上映されていた。イラン映画を見に行ったが、場内はほぼ満席。映画のストーリーは苦難に耐える中年男を主人公にしたアクション映画だったが、フレンチ・ノワール風の光と影を強調した撮影技術の高さに驚かされた覚えがある。
▲『サイクリスト』は80年代末にイランで大ヒットした映画である。この一作で監督のマフマルバフは国民的な人気を得、ニセモノまで登場する始末。そのニセモノについて、キアロスタミはマフマルバフ本人を引っぱり出して『クローズ・アップ』という映画を撮っている。
▲アフガンからの難民ナシムは、重病に苦しむ妻のために一週間自転車に乗り続けるという苦行に挑む。「アフガンサーカス」と宣伝して、見物料を取る男、賭の対象にして策略を巡らせる金持ち、アフガン難民の暴動を恐れる行政府、などなど、ナシムの一週間は波乱に満ちたものになるが……。中年男がふらふらと自転車に乗っているだけで映画になってしまったという、素朴な力強さがある。


2003/05/19/Mon.
▲雨のち曇り。
▲チャールズ・ブコウスキー/都甲幸治訳『勝手に生きろ!』(学研M文庫)読了。ブコウスキーの自伝的長篇小説「チナスキー」シリーズの1冊。第二次世界大戦中・後。二十代の作家志望者、チナスキー青年が飲んだくれ、街から街へと放浪し、職を転々とする。下らない仕事にツバを吐き、公序良俗に屁をかます、といった調子で全編が貫かれている。こういうでたらめな生活と文章を書くということがどうやって両立していたのか、まったく不思議。そして、アル中さながらの毎日を70代まで続けて死んだブコウスキーの内臓の強さに恐れ入る。破滅的ではあっても、破滅しない。そのギリギリのところが妙味か。本書の親本は学研時代の安原顯(ヤスケン)編集。
▲その安原さんの半生を描いた評伝『ヤスケンの海』(村松友視著・幻冬舎・5月下旬発売)をいち早く読むことができた。オンライン書店bk1で発売を記念して、村松友視さんと本書の企画者であり安原さん、村松さんと親交が深い見城徹さん(幻冬舎社長)の対談の企画をやることになり、その役得で発売前に読むことができたのだ。幻冬舎で受け取った帰り、家まで帰るまで待てず、喫茶店で、とりあえず半分くらいまで読もう、と読みはじめるや、止まらなくなり、最後まで一気に読んでしまった。
▲村松さんと安原さんの出会いは中央公論社が出していた文芸誌「海」編集部。村松さんは中公生え抜きの編集部員、安原さんは「パイデイア」編集長を経て新入社員として入社したばかりだった。編集長との対立から一度は転部届を出していた村松さんだったが、ヤスケンに引き留められ(故人のキャラからいえば逆じゃねえかと思いそうだけど)、結局、二人で「海」を実質的に「仕切る」ことになる。
▲血気盛んなヤスケンがすでに大家だった大江健三郎と起こしたトラブルを始め、村松さんから見た中公時代のヤスケンが活写される。村松さん自身がしたためた会社トップ宛の「抗議文」の顛末、早世した「海」編集長と三人で思う存分編集者としての腕をふるったことなど、二人にとってまさに青春期まっただ中であった「海」の時代が生き生きと描かれる。村松さんが人気作家になり、ヤスケンも「マリ・クレール」を経て文筆業に専念するに至って、二人の間はやや疎遠になるが、毎年の安原家の年賀状にイラストを描いていたのは村松さんだった。そして、ヤスケンの「余命一ヶ月宣言」。正直、最晩年のヤスケンの近くにいた人間としてはしんどい箇所だったが、村松さんの視線はヤスケンの生と死を正面から見据えている。そのまなざしのまっすぐさに、ジンと来た。
▲そして、『百合子さんは何色』(中公文庫→品切れ! おいおいマジすか)『雷蔵好み』(ホーム社)などの作品で評伝作家としても知られる村松さんが、ヤスケンの著書からその半生を考察し、自身の目で見たヤスケンの生き方との間に接点を見つける。村松さんの面目躍如たる、村松さんだけが描けた「ヤスケン」の姿は、ぜひ本書を実際に読んで欲しい。ヤスケン自身の著書には現れてこなかったヤスケンの姿が鮮やかに浮かび上がる。そして、ヤスケンと会うや「俺はこの男のセコンドになろう」と思ったという村松さんのヤスケンに対する思いの深さに、心揺さぶられた。オンライン書店bk1ではすでに事前予約を終了しているが、在庫でき次第、この「日記」からもリンクします。今しばらくお待ちください。


2003/05/18/Sun.
▲曇り。
▲朝、最初に開いた本は、福岡将之写真集『portrait ポートレイト』(第一書林)。福岡さんは、先日、久々に書いた【アルカリ】で當麻妙写真集『Tamagawa』について書いた拙文を読んでくれた方。ありがたいことに、写真集を送って下さった。いただいておいて、もしもイマイチな内容だったらどうしよう……という心配も実は多少あったのだが、杞憂に終わった。明確な美意識に基づいた、真摯な写真集である。内容は、小樽埠頭の倉庫群の壁面を撮影したカラー写真。しかし、そうした言葉で説明しきれる内容ではない。抽象画を思わせる平面的な、画面構成の面白さで見せる一群もあれば、斜光で立体的に突起物が立体的に表現されたシリーズもありで、壁面が語っている「多くのこと」を知らず空想している自分に気づく。
▲福岡将之さんは1970年長崎市生まれ。北海道の自然に魅せられて自然風景の写真を撮り、そのいっぽうで、『ポートレイト』のような時間によって変化した人工物の姿を撮っている。公式ホームページで見る限り、自然風景の写真も、いわゆる自然風景賛歌ではなく、自身の美的世界を投影させる対象として自然を選んでいるという印象。いずれにせよ、自然か人工物か、というような二元論を乗り越えた写真を目指しているのではないかと推測する。人工物が「時間」の洗礼を受けて、自然の世界に戻っていく……そんなスケールの大きさを感じる写真だ。
▲下落合から東中野方面を経由して西新宿へ。途中、偶然に鎮国山高歩院のあたりを通ったのだが、マンション建設をめぐって一帯が反対の貼り紙を出していた。事情ははっきりとはわからないが、地域住民の声など存ぜぬという様子で穴ぼこが掘り返され、俗悪な「完成予想図」(なぜか、イラストに描かれた人間は派手な格好のガイジン)があった。再開発、高層化は時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、割り切れない気持ちの側だ。
新宿ニコンサロン當麻妙写真展「Tamagawa」をもう一度見に行く。会期は明日まで。
▲東口へ出てコニカプラザギャラリー。ギャラリーBとCをブチ抜いて市原基写真展「MONSOON−水と生きるアジア−」。アジア各地の様子をカラー写真で。展示点数が多すぎるんじゃないだろうか? 一枚一枚の写真は、まさにその現場に行くことでしか撮れない写真だし、迫力もある。でも、どうも散漫な印象だなあ……とがっかりして帰ろうとしたのだが、帰りがけに受付で市原基写真集『Monsoon』(Pub Group West)を見てびっくりした。展示写真も数多く収録されているのだが、まるで印象が違う。写真の大小に変化をつけて見事に写真を「演出」している。その結果、季節風(モンスーン)によるアジア独得の風土と、そこにクラス人々の姿がくっきりと浮かび上がってくる。展示では一点でも多くの写真を見せたかったに違いない。しかし、壁面に上下二段で作品を飾って、視点をどう移動していったらいいか、混乱してしまうほどたくさんというのはいかがなものか。写真集『Monsoon』のページ構成との比較から、写真そのものの魅力を生かした展示とはどうあるべきかと考えさせられてしまった。


2003/05/17/Sat.
▲曇り。
▲松久淳+田中渉『四月ばーか』(講談社)読了。『天国の本屋』(かまくら春秋社)の二人による長篇小説。作者の小説は、軽く手に取れて、読みやすいラブ・ストーリーという先入観で、これまで読みたいという気にはならなかった。松久淳単独のエッセー『男の出産』(新潮文庫)を読んで(4月28日日記)興味を持った。読んでみると、なるほど巧い。悪い意味でなく「通俗」。そのままテレビドラマにできる。二年前に失恋して恋ができないグラフィックデザイナーと髪に触れているだけで女性の年齢を当てることができ、そのうえセックスすることになるかどうかまでが直感で分かる美容師。二人は大学時代からの親友だった。そこに、もう一人、長いこと香港、ベトナムで暮らしていた風来坊の女性が帰ってきて、男女三人の共同生活が始まる──とまあ、そんな内容。三人の周辺にそれぞれ異性の関係者がいて、それぞれが偶然にリンクされている。運命の不思議さ、恋することの難しさが描かれている、と書いているとその「通俗」ぶりに嫌になるが、意外なことに読んでいる間は楽しい。おそらくその理由は作者二人の性格の良さ、頭の良さ、センスの良さにあると思われる。しかし、たぶん、ぼくはこの本の対象読者ではないだろうなあ。定価1200円を高く感じてしまうのだ。テレビドラマならタダで見られるしね。日頃、あまり小説を読まないような人のほうが楽しめるだろう、きっと。
▲浅草橋シモジマで事務用品をまとめ買い。
▲五反田TOCで買い物のち、大崎まで歩く。人通りの少ない、工場の隙間を通るような散歩である。大崎からは品川で乗り換えて蒲田。行きたい行きたいと思っていた街だったが、イメージとはずいぶん違って大きな街だった。最近飲みに行くメンツでは最強の8人で、横浜JAZZラーメンげんき亭から、偶然見つけた地酒の店「孫六」へ、テンションの高い店主の店をはしごする。
『ぼくの魔法使い』(宮藤官九郎・脚本 日本テレビ系)第5回。ゲストは斎藤洋介、恵俊彰。広告代理店の贈り物攻勢(いちじく大福を大量に)に悲鳴を挙げたメーカーの宣伝担当(恵)が贈り物の処分を依頼してくる。伊藤英明は贈り主に直接事情を説明しに行くことになるが、その相手はかつての上司(斎藤)だった……というお話。ますます快調。


2003/05/16/Fri.
▲雨のち曇り。
▲低気圧。頭の調子が良くない。
▲立木義浩写真展「桂林」(キヤノンサロンS)を見に行く。新ギャラリーのこけらお落とし、NHKのハイビジョン番組とのタイアップと久々に派手な写真展。展示作品はすべてデジタルカメラ一眼レフ、キヤノンEOS 1Dで撮影されたもの。これまで見たデジタルカメラ使用の写真展の中ではもっともきれいにプリントされている。桂林といえば、墨絵のごとき山並み、河の叙情が連想されるが、立木義浩の視線は街角や路地裏へも向かっていて、「人」中心の「桂林」になっている。ハイスピードシャッターを使ったスナップは、まさに写真の王道。少なくとも、銀塩レベルのデジカメに限りなく近づいたという印象である。ただ、そこからデジタルでしか撮れないもの……は浮かび上がってこないが。
▲その足で立木義浩さんの取材に。取材は3度目。お題は645カメラについて。「645新世紀」(双葉社・6月下旬〜7月初旬刊行予定)のためのもの。あいかわらずの名調子を聞くも、いまひとつこちらのテンションが上がらず。インタビュー後、少しへこむ。まあ、こういうこともたまにはあるか。何度かお会いしている方だと、緊張感が薄れるというのもあるのかもしれないけど。うかがったお話は、645の話から、デジカメまで。立木先生の愛機は新製品のフジGX645、コンタックス645、ペンタックス645N。機材とポートレート撮影は大池直人さんにお願いした。
▲写真家の大倉舜二さんと久しぶりにお会いする。大倉さんの師にあたる故・佐藤明さんの写真集『プラハ』(新潮社)、川田喜久治写真展「世界劇場」(〜5月25日)(東京都写真美術館)の感想を口火に、写真のこと、最近の仕事の話など。低気圧気分が吹き飛び、元気になる。ぼくの最近の仕事について、自分でも気づいていたことをズバリと指摘されて、反省するとともに、新たな決意を。がんばります。


2003/05/15/Thu.
▲雨。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>に東雅夫さんのコラム日本モダニズムの光芒をアップしました。夢野久作、稲垣足穂、久野 豊彦、北園克衛、竜胆寺雄、吉行エイスケなどの本を紹介しています。ぜひどうぞ。
▲斎藤綾子『欠陥住宅物語』(幻冬舎)一気読み。「ポルノ小説家の斎藤綾子」が40歳で信濃町に中古の一軒家を買う。その家が欠陥住宅だった……というお話だけでは「ない」ところが面白い。母との確執から家を飛び出し、住みかを変えながら、つきあってきた男たちとのセックスも描かれる。家とか結婚とかセックスとか、そういうことについてのネタが絶妙なバランスで盛り込まれたユニークな長篇小説。
▲写真展のお知らせをひとつ。三輪薫写真展「風香」−伊勢和紙、越前和紙とピエゾグラフによる日本の心の自然風景−。◎会期:2003年7月1日(火)-14日(月) 午前11時-午後7時 (最終日は午後5時まで・日曜日休館)◎会場:エプソンピエゾグラフギャラリー京都(京都市下京区五条高倉角堺町21 ウエダ南ビル3F TEL 075-344-8259)。ピエゾグラフとは何か? →ピエゾグラフ・ラボラトリー。写真、和紙、ピエゾグラフプリントという取り合わせに興味があるので、7月1日〜3日の間に京都に行くつもり。三輪薫さんがどんな写真を撮っている方かはこちらのギャラリーページでご覧下さい。


2003/05/14/Wed.
▲晴れのち小雨。
▲平凡な一日。キャメルスタジオに納品。
▲沢渡朔の写真集『少女アリス』が復刊される。復刊ドットコムで481票の復刊希望が集まり、版元の河出書房新社が復刊を決めたという。ぼくも投票してあったので、予約をすることに。沢渡の写真のほかに【詩】瀧口修造・谷川俊太郎 【手紙】高橋康也/訳という豪華メンバーが参加している。


2003/05/13/Tue.
▲晴れ。
▲早く起きた日。
新宿ニコンサロン。當麻妙写真展「Tamagawa」オープニングパーティーで司会をする。ていうか、写真展のパーティーで司会があるのってのも初めて。面白いからいいけど。写真家の菊地東太さんからスピーチをいただく。ほかにいらっしゃっていた写真家は、気づいた範囲で、飯田鉄さん、大西みつぐさん、築地仁さん、竹中隆義さん、渡部さとるさん、大池直人さん、沼田学さん、田尾沙織さん、千田貴子さん。
▲飯田鉄さんの写真展「街区の眺め」(お茶の水画廊 千代田区神田淡路町2-11 TEL.03-3251-2472)は5月27日(火)〜6月7日(土)(6日1日は休廊)AM.11:30〜P.M.7:00(最終日は5:30で終了)。同名の写真集も刊行される。デザイン中の校正を見せていただいたが、飯田鉄ワールド全開のモノクロ写真集。「買い」です。
▲写真展「Tamagawa」は多摩川の風景写真。その一部はこちらでご覧いただけます。大きくプリントされた作品を見るとまた違う印象も。写真展は19日(月)まで。10:00〜19:00(最終日は16:00まで)。入場無料。新宿西口エルタワー28階です。


2003/05/12/Mon.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1で東雅夫さんの近刊『ホラー・ジャパネスクを語る』予約スタート!。ご予約の方にもれなくメルマガ「三津田信三VS東雅夫の特別対談――『ホラー・ジャパネスクを語る』を語る!?」をプレゼント。
▲写真家の木村恵一さんと打ち合わせ→茗荷谷「塩梅」。ご馳走になってしまった。木村恵一さんは昭和10年生まれ。高梨豊と同年生まれ(日大芸術学部写真学科では1級上だったとか)。立木義浩、大倉舜二、横須賀功光が昭和12年。荒木経惟(アラーキー)、篠山紀信が昭和15年。つまり、木村さんの世代はグラフジャーナリズムの黄金時代に活躍している。上記の写真家たちは主に広告、ファッションでの活躍が中心だったが、木村さんは「週刊現代」「週刊ポスト」などでのルポ、報道写真畑で活躍。「フォーカス」創刊時にもカメラマンとして参加している。週刊誌での仕事の他に、東京下町のスナップ、江戸の職人芸、刺青などの撮影、京都のルポ写真など、街と人に焦点をあてたライフワークも続けている。写真事務所「K2」の相棒でもある写真家の熊切圭介さんとともに日大芸術学部写真学科で長らく講師を務め、後進を育ててもいる。そんなわけで、木村さんの修業時代のお話から、現在職業的写真家(いわゆるカメラマン)が直面している問題まで、話題は尽きなかった。
▲アルバート=ラズロ・バラバシ/青木薫訳『新ネットワーク思考』(日本放送出版協会)読了。「六次の隔たり」って知ってます? 地球上のどこかにいる見知らぬ人とも、知人の知人のそのまた知人……と6人を介せばつながっている、という話。本書は、そんな身近な話からはじまって、エイズが爆発的に広がった理由、インターネットビジネスの成否を分けたものは? などなどをモティーフに、ネットワークの秘密を解き明かしていく。経済学、生物学などの学問がネットワーク理論とどうつながっているのかは本書をお読みいただくとして、世界を見る目が確実に変わる……とだけ書いておこう。ていうか、とても面白く読んだんだけど、こちらの知的能力の脆弱さゆえ、よくわかってないのかも(泣)。しかし、そういうバカでも興奮して最後まで読むことができたというのは大変なことではないか? いやマジで。訳者の青木薫は、やはりちゃんと理解できてはいないものの(?)、とても面白かった理系本『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン 新潮社)の人です。どちらの本にも共通しているのは、理論の紹介だけでなく、その理論の発見にまつわるエピソードが丁寧に書き込まれていることだ。そのドラマを読もうという気持ちで読んでも面白い。
▲ところで、本書はご本人とは縁もゆかりもないが、偶然見つけてよく見に行っているサイト三茶ぶらぶら日記の3月9日の日記で紹介されていたことがきっかけで読んだ。感謝します。
『チーズプラザ』(メディアセレクト・5月25日発売)色校。


2003/05/11/Sun.
▲晴れ。
東京都現代美術館へ。
▲「サム・フランシス展」。20世紀半ばから後半にかけて活躍した抽象画家の回顧展。初期作品から晩年の作品までを各時代ごとの解説冊子(おまけ)を手にして見て回る。抽象画は数があればあるほど何も考えなくなるので楽しくなってくる。この作品展もたくさんあって、時代ごとに特徴もあるので、だんだんサム・フランシスさんという人に親しみを覚えてくる。おまけの冊子にはフランシスさんが4度結婚したことや(そのうち二人は日本人。うち一人は映像作家の出光真子)、パリでの日々、日本との深い関わり(パトロンは出光佐三だった。この展覧会も出光コレクションより)、ユングへの傾倒、晩年の闘病などが簡潔にまとめられていて、「わかったような気分」にもさせてくれる。出品作品の一部はこちら
▲「船越桂展」。楠を使い、目に大理石をはめ込むというスタイルで人体をモティーフにした具象彫刻を作り続けている人気作家。今回の展示は、「人間を見ること」を徹底した初期作品から、やがてイマジネーション豊かな(時には奇怪ですらある)山や家が生えた人体像へと作風が変化していく様子を一望できる作品展。作家のデッサンはもちろん、創作メモまで展示してあるので、タイトルを決めるまでの紆余曲折や、意外と字が下手、とかいろんなことがわかって興味深い。ただ、作品展として考えると、そういう創作メモがあることがかえって雑音になってしまったかもしれない。カタログに入っていたり、本の中に収録されているのならもっと集中して興味深く読めると思うのだが。とくに船越桂の作品には独得の静謐なムードがあるだけに、「人気作家船越桂」がチラつくのは五月蠅い。腰から上ほどの人体像が点在する会場では、観客が像の後ろへ回り込んだり、子供たちは下からのぞき込んだりで、作品を見ている人々の振る舞いも面白かった。主な出品作品はこちら


2003/05/10/Sat.
▲晴れ。
▲橋本。写真家の三輪薫さんと『645新世紀』(双葉社・6月下旬発売予定)の打ち合わせ。おいしいお昼ご飯をご馳走になってしまった。恐縮。カラーポジとモノクロプリント。風景写真ブームが続いているが、その多くは、作家の写真というよりも風景の写真。構造としてはアイドルタレント写真と変わらない。その中で作家として在るということは、「○○調」と呼びたくなるような個性を発揮することだ。三輪さんの写真に独得な、湿気をたっぷり含んだ緑の描写、モノクロでの淡いグレートーンは確かに「作家」の個性である。
▲三輪さんの次回の個展は「風香」(エプソン・ピエゾグラフギャラリー京都)で7月1日から。
『テロ以降を生きるための私たちのニューテキスト』(角川書店)読了。2001年11月に出た本。周回遅れもいいところだが、「9.11」について本を読んでみようという気が起こらなかった。読んでみようと思った直接のきっかけは森達也のエッセー世界はもっと豊かだし、人はもっと優しいと同じタイトルの文章が森達也自身によって寄せられていたからで、もしかすると、本のほうにその文章も収録されているのかも知れないが、先に読んでおきたいと思ったのだ。しかし、その背景には先日見た岡本正史さんの写真展「here, there and everywhere」(2003年4月19日の日記参照)があったのかもしれない。
▲事件から2年以上が経ち、本が刊行されてからも1年以上経っている。ここに文章を寄せている人たちも、アメリカがイラクに攻め込むなんて展開になろうとは予想もつかなかったのではないか? その後の展開が早すぎて、ともするとアフガン戦争のことなんか忘れてしまいそうになるが、一連の出来事がより過激な事態によって忘れられていくとしたら恐ろしいことだ。
▲本書には23人の識者が文章を寄せている。中でももっとも共感したのは養老孟司の文章。起こったことだけが記述される「歴史」よりも、起こらなかったこと、起こっていないことに目を向けることの大切さを説く。いいかえれば「予防」。起こらなくて当たり前のことに人は目を向けない。したがって、養老先生が指摘する問題は環境問題だ。どんな正論を述べても「それはたかだか1500グラムのあんたの脳が思うことじゃないか」。「正しい」ということに殉じることほどメイワクなことはない。ぼくも原理主義に反対、である。ほかに片岡義男、橋本治、大塚英志、田口ランディ、森達也、野村進、副島隆彦、島尾伸三、日垣隆、小林エリカの文章が印象に残った。収穫は小林エリカという人を知ったこと。編者あとがきも良かった。
『ぼくの魔法使い』(宮藤官九郎・脚本 日本テレビ系)第4回。岸田今日子がゲスト出演。「探偵物語」をネタにしたエピソード。ルミ(篠原涼子)と田上(古田新太)がついに遭遇。伊藤英明、このドラマで初めていいと思った。大島弓子のマンガに出てくるような長身の二枚目だが、シリアスよりバカが似合う。マジックマッシュルームを食ってコンビニに駆け込むような男だから当然か。素敵。


2003/05/09/Fri.
▲晴れ。
▲うこん茶にハチミツ(本物)を入れたら美味しいのではないか? と思いつくが、まだ実行はしていない。
▲Iさんと新宿の夜。上海小吃→かぼちゃ。Kさんとバッタリ会う。
▲大島渚『大島渚1960』(青土社・1993年・絶版)読了。以前、古本屋で買って読んでいなかった本。タイトルの「1960」とは、戦後の左翼運動がたどってきた道を振り返り、その問題点を指摘した異色作『日本の夜と霧』が公開された年。大島渚にとって3本目の劇映画であり、意を決して監督した作品だったが、浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件と呼応するように、わずか三日で上映が打ちきられてしまう。松竹は上映打ち切りの理由を「不入りだったため」としているが、状況的に考えて、何らかの政治的圧力がかかったと考えられた。松竹から大島への報告はなく、それどころか、大学のシネクラブなどへのフィルム貸し出しも拒むほど強硬な姿勢だった。ちょうどそのタイミングで大島自身の結婚式があり、披露宴は松竹への批判大会となってしまう。このことがきっかけで大島は松竹を退社し、創造社を設立。以後、ATGを中心に精力的に監督、脚本作品を作り続ける。
▲本書は、大島渚自らが、その生い立ちから主に『日本の夜と霧』事件までを語り下ろしたもの。インタビューの時期は『マックス、モン・アムール』(1987年)から『御法度』(1999年)までの長いインターバルの間に行われている。大島の映画論、監督論などが語られているが、とくに大島が育った松竹東京撮影所で学んだもの、先輩監督たちへの大島の批評的感想が面白い。
▲とりわけ重要なのは、大島が徹底して異色であろうとしたその態度である。思えば、『日本の夜と霧』『絞死刑』『日本春歌考』『少年』『儀式』など、どの代表作も、世界中のどの監督のどの作品にも似ていない。ぼくが大島渚の映画に夢中になったのは大学生の頃だが、青くさいガキにとって、理屈っぽくて、変わっていて、どこかロマンチックな大島渚の映画はとても魅力的だった。今では「理屈っぽい」ところばかりが印象づけられているような気もするが、実は、大島渚の作る映画は「ヘン」で面白いのである。まだ見ていない方は、『愛と希望の街』『少年』『日本春歌考』あたりから見ることをおすすめする。(世評に高い『青春残酷物語』は個人的にはピンと来なかった)。『日本の夜と霧』は理屈っぽい映画なのと、60年当時の時代状況に関心がないと興味が持てないかも知れないから強くはおすすめしないが、決して難解な映画ではない。日本共産党系の左翼同士の結婚式に、思想的に袂を分かった新左翼(ブント)の運動家が乱入するというユニークな設定で、回想シーンを頻繁に挟みながら日本の左翼運動の歴史を一気呵成に振り返る。大島渚は松竹でキッチリ娯楽映画の文体を学んだ上で、それを大胆に作り替えている。だからテンポ快調である。見たのは十年以上前だから、今見たらまた新たな発見がありそうだ。見てみたい。


2003/05/08/Thu.
▲雨。
▲うこん茶。まずっ。
▲写真家の中里和人さんとP.G.I.へ。奈良原一高写真展「天」のオープニングパーティー。同名の写真集の中から選ばれた作品展。ここ数年、デジタルによる作品作りに取り組んでいる奈良原さん。作品も、銀塩フィルムで撮影したイメージをパソコンに取り込み、合成などの画像処理を施したシュールなもの。ぼくが好きなのは、同じ場所の画像をズラして二枚つなげた「ダブル・ヴィジョン」。奈良原さんが病気になった時に、一時的にそういう視覚現象が起こり、そのイメージを赤外フィルムを使って再現している。この世ならざる映像。パーティーには川田喜久治さん、長野重一さん、山崎博さん、稲越功一さんら、著名写真家の姿も。


2003/05/07/Wed.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1にヤスケン・ラストインタビュー!をアップしました。昨年11月5日にインタビューしたもの。『ヤスケンの海』(村松友視著・幻冬舎)の予約スタートに合わせて公開しました。ブックサイト「ヤスケン」TOPページも復活しました。
▲ヤスケンインタビューの原稿を安原まゆみ未亡人にファックス。夜、ご自宅を訪ね、ビーヘさん、眞琴さんを交えて安原さんの部屋で杯を傾ける。部屋を片付けていて発見したという、村松さんが長年イラストを描いていた安原さんの年賀状、村松さんが安原さんのことを気遣って当時の中央公論社会長嶋中鵬二会長にしたためた直訴状(コピー)などを見せていただく。安原さんとのトラブルで大江健三郎が書いた「中央公論社への絶縁状」(コピー)もあった。『ヤスケンの海』にはその当時の事情も書かれているというから楽しみだ。


2003/05/06/Tue.
▲晴れ。
▲村松友視さんによる安原顯さんの評伝『ヤスケンの海』(幻冬舎)の予約がスタートしました!発売は今月中、ということで、オンライン書店bk1でも盛り上げていきたいと思います。
▲というわけで、今日は、安原さんのラストインタビューからこぼれてしまった分をテープ起こしから再編集。実は、公開済みのインタビューはラストインタビューのすべてではなかった。「噂の真相」ほかで取り上げられるなど、にわかに安原さんの周辺がにぎやかになっていったので、「死の直前のラストインタビュー」みたいな内容のインタビューを出すのがなんとなくいやだったのだ。もう一度、ゆっくりお話を聞いて、内容を練り直したいなあ、と思っているうちに、安原さんは亡くなってしまった。そんなわけで、インタビュー記事としては、ちょっと緩いところもあるんだけど、村松さんの評伝のプロモーションの一助になればと思い、今回、bk1にアップすることにした。正直なところ、身近にいた人間としては、故人の残した言葉を読み返すのは少々シンドイ部分もあるのだけれど、安原さんが遺した言葉を読者のみなさんへ届けることはインタビューさせていただいた人間の義務だとも思った。安原さん、遅くなってゴメンナサイ。明日、ご遺族に原稿を見てもらい、早ければ晩にオンライン書店bk1で読めるようになるはずです。『ヤスケンの海』(幻冬舎)の予約はすでに可能になっているので、ぜひ予約お願いします。


2003/05/05/Mon.
▲晴れ。こどもの日。
東京都写真美術館。3つ展示がある。全部で大人1300円。
▲「デジタルフォレスト」(〜5月24日)。デジタルで自然を楽しみましょう、というテーマの展示。世界各地の音を録音してきたり。(録音をしに行くのは)楽しそうです。
▲「荒木経惟 花 人生」展(〜6月8日)。カラー、モノクロ、アラキネマ、プリントアウトによる巨大なイメージ、ポラロイド曼陀羅、花に絵を描いて撮影したカラー、絵。サービス精神満点の、全方位的「花人生」。このフロアーのスペースを見事に使い切っている。さすが。
▲川田喜久治写真展「世界劇場」(〜5月25日)。今日のお目当てはこの展覧会。川田喜久治は新潮社写真部を経て、1959年に奈良原一高、東松照明、細江英公、佐藤明、丹野章とともに日本初の写真家自身によるエージェンシー「VIVO」を結成。65年に写真集『地図』を発表する。『地図』は原爆ドームから見上げた「ピカドン」のイメージと重なる太陽、しわくちゃになった日の丸、特攻隊員の遺書、原爆ドームの壁、コカ・コーラの瓶、踏みつぶされたラッキーストライクのパッケージなど、太平洋戦争後の日本を抽象的なイメージの中に結晶させた写真集。以後、『聖なる世界』(澁澤龍彦が文章を寄せている)、『世界劇場』などの写真集を発表してきた。近年はデジタルイメージに関心を示している。今回の写真展は、川田の写真家としての活動を総ざらえする大きな展覧会で、作者蔵のオリジナルプリントが堪能できる。「地図」「聖なる世界」「世界劇場」の三部に分かれた展覧会場は、パテーションで区切られ、迷路のようにレイアウトされている。よく考え展示方法は、おそらく川田自身のアイディアが具現化されたものだろう。
▲写真集『地図』は少部数しか出回らなかったため、古書市場で100万円近い価格がついている幻の作品。装幀デザインは杉浦康平が担当し、全ページ観音開きという凝ったつくりになっている。会場ではプリントのほかに写真集の全ページを展示しているので、これも見所の一つだ。
▲川田喜久治の作品は、流通している写真集としては『世界劇場』(私家版)をわずかに一部の書店(東京都写真美術館ミュージアムショップで購入できる)で見ることができるだけだった。それゆえ、今回の展覧会は、川田喜久治の全体像を俯瞰できるという意味でも貴重だ。戦後の日本を「視る」ことから出発した写真家が、やがてノイシュヴァンシュタイン城、ヘレンキムゼー宮、「理想の宮殿」などのヨーロッパの奇矯な「美」に惹かれ、果ては蝋人形館、タイガーバームガーデンなどのキッチュな世界へも関心を向ける。ヌード名画の読み替え、天体写真、車中から見える都市の奇妙な姿など、一見、脈絡のないモティーフを扱っていながら、そこには世界を「視る」という写真家の立ち位置の確かさがある。写真家の道程を見渡すことにより、写真を撮るということの意味をあらためて考えさせてくれる写真展。入場料わずか500円。図録はたったの2000円。安い。
▲町田康の新刊『権現の踊り子』(講談社)読了。短篇集。いつも通り、いずれの短篇も生きることの不愉快、世間世俗の理不尽を笑いとともに描いている。個人的に好きなのは、ギターを返しに行って、カタストロフに出会う「ふくみ笑い」。ヒットした言葉は「工夫の減さん」。新味は水戸黄門のパロディ(?)「逆水戸」。時代小説(!)である。


2003/05/04/Sun.
▲晴れ。
▲『映画で歩くパリ』(新潮社とんぼの本)、『レオス・カラックス』『映画の密談』(筑摩書房 リュミエール叢書)などの著書や、映画監督へのインタビュー、現代アートの作家、写真家についてのレポートを数多くの雑誌に執筆している鈴木布美子さんのご自宅へ。先日写真展「here, there and everywhere」(ギャラリーart&river bank)を開いた岡本正史さんと招かれて、家人ともどもお邪魔したのだが、現代アートが生活空間にマッチした素敵なお家と、美味しい料理に感嘆。ご夫妻の楽しいお話に時間を忘れてしまった。ほとんど夢見心地でした。
▲うちに帰り、『朝日ワンテーママガジン 侯孝賢』(93年 朝日新聞社)を引っぱり出し、鈴木さんが書かれた侯孝賢のスタッフたちへのインタビュー、侯孝賢映画のロケ地をめぐる取材紀行を読み返す。
▲映画『目撃者 刑事ジョン・ブック WITNESS』(1985年・米)をビデオで。公開当時リアルタイムで見て以来。あまり印象は変わらないが、昨今のハリウッド映画と比べて、格段に丁寧にドラマが作られている。アーミッシュの少年が、母親と旅行中、偶然、殺人事件の目撃者となる。刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)は少年の証言から犯人を突き止めるが、反撃を受け、アーミッシュの村にかくまわれることに。アーミッシュと現代アメリカ社会とのカルチャーギャップ、ひるがえって、アメリカの銃社会を批判する文明批評の視点は現在でも古びていない。少年の母親で未亡人のレイチェル(ケリー・マクギリス)とのラブストーリーも抑制された演出が効いている。監督は『危険な年』『誓い』のピーター・ウィアー。
▲ところでアーミッシュとはどんな人たちか、映画の中で説明的な描写はされていない。16世紀、宗教改革のさなかに中央ヨーロッパで生まれたキリスト教の一派をルーツとし、戦争拒否、偶像崇拝拒否を貫き、迫害された。17世紀から18世紀にかけて、新天地を求めてアメリカ大陸へ入植。以後、生活習慣を移民当時のままに保ち、平和主義、近代文明を拒否した生活を続けているという。アーミッシュについては、現代文明を拒否し生きる米国アーミッシュ(環境総合研究所)アーミッシュ入門などのページに紹介記事がある。


2003/05/03/Sat.
▲晴れ。憲法記念日。
▲いまひとつ気乗りしないままブツ撮りとカメラのマニュアル研究。
▲北浦和→新宿。Oさんにたけのこご飯その他をいただく。美味なり。
『ぼくの魔法使い』(宮藤官九郎・脚本 日本テレビ系)第3回。芸能人になりたい栃木の女子高生(平山あや)と女手一つで娘を育てた母親(根岸季衣)の心のすれ違いがテーマ。古典的なストーリーをベースに「東京見物」や「舞台『24人のアニー』オーディション」などの小ネタがみっちり詰まっている。


2003/05/02/Fri.
▲晴れ。
▲本当に久々に【アルカリ】を書いて配信。取り上げたのは當麻妙写真集『Tamagawa』。一般流通していない本なので、内容の一部が公開されている當麻妙公式ホームページでご検討のうえ、ご購入下さいませ。
▲写真家の竹内敏信さんにインタビュー。『645新世紀』(双葉社・6月下旬発売予定)のためのもの。お話をうかがうのは3度目になるが、今回はメインテーマの645から、デジタルの話に滑っていって、時の流れを感じる。昨年から取り組んでいるアイスランドの風景にはデジタル一眼レフカメラで取り組む予定とか。フィルムとデジタルの表現の違いを作品に生かすために模索中とのこと。成果がまとめられるのを楽しみに待ちたい。
▲目白駅で村松恒平さんにバッタリ会い、お茶を飲む。「ホームページ更新してないですねー」と言ったら、「上位サイトがあるんだよ」というので、いま、調べてみたら、たぶんコレ。なるほど。村松さんの著書『〈プロ編集者による〉文章上達〈秘伝〉スクール』(メタ・ブレーン)は売り上げ好調とのこと。プロがシロウトの素朴な質問に答えるというスタイルの文章読本。おすすめです。
▲Hさんとモンシリ。じゃがいも鍋。


2003/05/01/Thu.
▲晴れ。
▲地味な一日。地道な作業。阪神、巨人を3タテ。
▲映画『上海グランド 新上海灘』(96年・香港)をビデオで。BBSでふくちゃんが書いていた映画。「ヒゲのレスリー」に違和感があり、なんとなく見逃していた。
▲1930年代の上海。台湾反日同盟のホイ・マンキョン(張國榮)は、台湾へ向かう船上、正体がばれ、仲間たちが虐殺されるさまを目の当たりにしながら嵐の海へ飛び込む。
▲上海で成功し、大金持ちの娘、ティンティン(寧靜)にプロポーズすることを夢見る青年、ディン・リク(劉徳華)は行き倒れていたマンキョンと出会い、意気投合し、やがて黒社会でのしあがっていく。
▲70年代に、若き日の周潤發(チョウ・ユンファ)が主演し、驚異的な視聴率を誇ったテレビシリーズ『上海灘』を張國榮(レスリー・チャン)、劉徳華(アンディ・ラウ)の二大スターがリメイクした。ヒロインは『哀恋花火』『太陽の少年』などの寧靜(ニン・チン)。製作をツイ・ハークが務めている。香港返還前に作られた中国との合作映画らしく、派手に札びらを切って製作した映画という印象。いい意味で、豪華。香港映画華やかなりし頃を懐かしく思い出しながら見た。派手な銃撃戦と、エンターテインメントの王道たる「恋と友情」をハイテンポで見せる。凝ったオープンセットも見所の一つだ。現代の上海とは似ても似つかないノスタルジックな30年代の雰囲気は、香港映画人たちが夢想した「上海」の姿である。


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