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2003/10/31/Fri.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア> 『アイリッシュ・ヴァンパイア』絶賛予約受付中!! 。東雅夫<怪奇幻想ブックストア>店長がボブ・カラン著/下楠 昌哉訳『アイリッシュ・ヴァンパイア』の魅力を紹介しています。
▲極上カメラ倶楽部『オリンパスE-1』(双葉社スーパームック・11月20日発売)印刷入稿完了。一息つく。へとへと。うちに帰ってイクヤと風呂に入る。いっしょに風呂に入り始めた頃は、無闇に手や足に力を込めていたイクヤだが、筋肉のコントロールができるようになったのか、身体をだらんとさせられるようになってきた。日々、ちょっとずつ大きくなってきているような気がする。もうちょっとで首がすわりそう。


2003/10/30/Thu.
▲晴れ。
オンライン書店bk1東京創元社の編集者、桂島浩輔さんにインタビュー。年末のミステリ特集で、今年の作品から注目作を挙げてもらう。「このミス」予想という側面がある反面、「このミス」上位には上がらないが、読みのがして欲しくないシブい作品を推薦してもらうという企画。桂島さんが手がけた最新刊は伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』『重力ピエロ』でブレイクした著者の最新刊。東京創元社の新シリーズ「ミステリー・フロンティア」の第1回配本作品でもある。bk1で予約受付中。
▲デザインへ最後の原稿を入れる。文字校正。夜は仕事の後に居酒屋へ。寝不足が祟ってふらふら。明け方まで。


2003/10/29/Wed.
▲晴れ。
▲夜、最後の原稿を書き終える。デザイナー氏にファックス送信するも届かず(泣)。
▲新堂冬樹『炎(ひ)と氷』(祥伝社)読了。最近、新刊のたびに期待が裏切られている感のある新堂冬樹作品。上限5万でレースに勝ったらその場で回収、負けたら翌週の木曜日に回収、という競馬金融をネタにしているというので、読んでみようと思っていたのだが、案の定……。はじめて読む人には面白いかも知れないが、初期作品から読んでいる読者には過去の作品の焼き直しを薄味にした印象。残念。


2003/10/26/Sun.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>京極夏彦、東雅夫が推薦する『小説・読書生活』とは?。京極夏彦の「京極堂」シリーズの「関口」のモデルではという噂もある関戸克己。早世の作家が残した独得な幻想小説。京極さん、東さんからのメッセージを掲載してあります。
▲日本シリーズ 。
▲朝までかかってデザインへの入稿準備を終え、地下鉄に乗ってデザイン事務所へ。久しぶりにラッシュに遭遇。
▲森暢平『天皇家の財布』(新潮新書)読了。「へえ」の連発。この「軽さ」が売れた理由なんだろう。天皇に関わる「予算」を情報公開されている部分について明らかにした新書。目の付け所がいい。イデオロギー抜きで即物的に捉えていくと、天皇制の姿もまた違って見える。


2003/10/21/Tue.
▲曇り。
▲新創刊の雑誌「ビジネススタジアム」(カシェット)の書評ページの原稿を書くことになり、取り上げる本(白石一文『草にすわる』(光文社))をブツ撮り。メール送信。
▲長野新幹線で上田、しなの鉄道に乗り換え、テクノ坂城という駅で降りる。オリンパスオプトテクノロジー坂城事業所で工場を見学、レンズ研磨の技能士の方々にお話をうかがう。レンズ工場の取材はコシナに続いて2度目。今回は技能士の方の話も聞けた。
▲オリンパスE-1はすべてのレンズが新設計。大口径であることに加え、フィルムよりも撮像素子(CCD)のほうが光の入る角度について厳密である必要があるため、精度を出すことにかなりの苦労を重ねられたそうだ。レンズの精度を出すためには、いまだに人間の手技が重要で、多くの工場が中国などの人件費の安い国に移転している現在、日本でしかできない高技能として重要な技術になってもいる。オリンパスにはかつてOMシリーズという一眼レフの傑作システムがあったが、その当時からのヴェテラン技能士と、若い技能士たちの連携が新生「ズイコー」(オリンパスのレンズブランド名)を生みだしている。OMを愛用しているぼくとしても嬉しく思った。記事は極上カメラ倶楽部『オリンパスE-1』(仮・双葉社スーパームック・11月20日発売)に掲載されます。
▲白石一文の長篇小説『僕のなかの壊れていない部分』(光文社)読了。大手出版社勤務のエリートサラリーマン(30歳)が主人公で恋人は美貌のスタイリスト、ほかに子持ちのスナックのママとも関係があって、有閑マダムと身体だけの関係もある……と説明すると、破廉恥で紋切り型の痴情小説かと思うが、その主人公がトラウマサバイバー(幼児期のトラウマを乗り越えて生きている人)だという仕掛けが効いていて、読んでみて下さいとしかいいようのない、不思議な小説になっている。愛についての考察が、さまざまな文献からの引用とともに開陳されているが、それもギリギリのところで陳腐になっていない。主人公がモテモテで美人しか出てこないというある種トンデモな小説を書き続けている白石一文だが、どこかいびつな人間たちが描かれており、時には反発を感じつつも、気になって読んでしまう。その魅力は何なのか、数冊読んだ今でもよくわからないのだが。


2003/10/20/Mon.
▲晴れ。
▲極上カメラ倶楽部『ライカ新時代 ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック)本日発売です。書店のカメラコーナー、カメラ店の書籍コーナーで入手できます。巻頭のハービー・山口さんの口絵と、座談会、ライカを使っている写真家(平間至さん、木村直軌さん、中里和人さん、中藤毅彦さん)へのインタビュー記事を担当しました。
▲ヤンキース松井の先制3ランホームランに喝采。試合も6−1で快勝!
▲取材依頼1件と、書評ページの企画案を1件メール。
▲友人が一眼レフカメラを欲しいというので、週末何度かメールのやりとりをした。結局、ミノルタSWEET IIとシグマのズームを2本セットで購入したとのこと。
▲ぼくはAFカメラは持っていないし、AFの必要性もとくに感じないのだが、とにかくAF銀塩フィルムカメラがお買い得なことはまちがいない。ボディーと長短ズーム2本で5万円台からある。一眼レフもデジタルカメラ時代へと移行しつつある現在、銀塩一眼レフって本当に底値まで来ているなあ、と思う。個人的には、これから写真を始めようという人にはマニュアルフォーカスのカメラを薦めたいけれど、しっかりしたマニュアルカメラは中古でもそれなりの値段になる。写真をどこまで本気でやるかにもよるけれど、失敗が少なく、できるだけ早くイメージ通りに撮りたい人には、最新機材のほうが無難だ。カメラを買った友人はロシア製のコンパクトカメラLOMO(ちょっと変わった写りに人気がある)を使っていて、「ふつうに写るカメラ(?)が欲しい」という希望だったから、SWEET IIで良かったんじゃないかなあと思う。
▲ただ、この価格帯の一眼レフって、意外とすぐに飽きて使わなくなってしまう。マニュアルカメラは使いこなすまでが難しい分だけなかなか飽きないが、操作が簡単すぎてあっけないのだ。そうならないようにたくさん使ってあげてほしいものだと思う。コツは、なるべく撮った写真を大勢の人に見てもらうことと、写真・カメラ好きの仲間を作ることかな。やっぱり、反響がないとやっていて張り合いがないというのは何でも同じだと思う。
▲『オリンパスE-1 スタートブック』(E-1を予約購入された方へのプレゼントブック)の色校戻し。キャプチャー画像全差し替えなど、この間週末潰したのは何だったんだ的展開と、編集部のネットワークの不具合が重なり、作業は深夜に。さらに、流れで居酒屋まで。忙しいときほど、飲みに行ってしまうんですよね。


2003/10/19/Sun.
▲晴れ。
▲仕事と留守番。午前中はワールドシリーズ。夜は日本シリーズ。どちらも応援しているチームが負ける。前者は接戦で、後者はボロ負けで。


2003/10/18/Sat.
▲晴れ。
▲橋本克彦『欲望の迷宮 新宿歌舞伎町』(ちくま文庫)読了。「歌舞伎町もの」の古典的ノンフィクション。1945年生まれの著者が、自らの青春時代の体験を縦糸に、歌舞伎町に生きる人たち(キャッチ、おかま、韓国人ホステス、文壇バーの元経営者、コマ劇のダンサー、ソープ嬢、ホストなどなど)へのインタビューを横糸に編んだ読み応えのある一冊。親本は89年刊。文庫化は00年なので、今の歌舞伎町とは別世界の感もあり、パラレルワールドの町のお話を読んでいるような面白さがあった。怪しげなキャッチに引っかかってカモられるあたり、なんともいい味を出している。
▲白石一文『草にすわる』(光文社)読了。白石一文のデビュー作『一瞬の光』(角川文庫)を読んだとき、一言でジャンルわけしずらい、微妙な領域の小説を書く作家だなあ、と強い印象があった。しかし、その後の短篇集『不自由な心』(角川書店)を読むと、なんだ、サラリーマン小説か……とがっかりして、その後、読む機会がなかった。
▲あらためて最新刊を読んでみようと思ったのは、「BUBUKA」に白石一文のインタビューが載っていたから(なぜ「BUBUKA」に?)。『一瞬の光』の時には伏せられていたけど、文藝春秋の編集者だったのか、と得心がいった(父親は直木賞作家の白石一郎、双子の弟は『寵児』の作家、白石文郎)。『一瞬の光』の主人公は三菱重工を思わせる、日本の基幹産業を担う大企業のエリートサラリーマンで、登場人物はすべて経済的に不自由のない、高学歴の人たち。なんでこんな連中の話を……? と珍しい小説だなあ、と思ったのだが、白石自身の言葉によれば、エリートの挫折のほうが落差が大きい分だけ、面白いだろうと思ったからだそうだ。近作はちょっと変化してきているというようなことを語っていたので、もう一度読んでみようと思った。
▲なるほど、表題作「草にすわる」の主人公は無職。病気療養のためもあって、会社を辞めた20代後半の主人公は、5年間を「待ち設ける」時間にあてることにする。何もせずに、風向きが変わるのを待とうと決めたのだ。しかし、いつしか待つことに疲れていたのか、年上の恋人と心中の真似事をするはめになってしまう……というお話。書き下ろしの収録作品「砂の城」はもっとわからない。ノーベル賞候補に上がっている国民的作家が抱える憂鬱を腑分けするようなお話。いずれも読みはじめると続きが気になってしょうがないのだが、読み終わると「?」マークが浮かぶ。『一瞬の光』のときもそう思ったのだが、どこかつかみどころがない。なんだかよくわからないのだが、独得な魅力のある(しかし、どこか反発も感じる)小説である。


2003/10/17/Fri.
▲晴れ。
▲新宿で打ち合わせ。
▲オリンパスにレンズ返却。『オリンパスE-1 スタートブック』(E-1を予約購入された方へのプレゼントブック)の色校出。一部データ画像に不具合がありショック!
▲護国寺音羽画廊(文京区音羽1-15-12 東急ドエルアルス音羽1F)。阿部久仁夫写真展「POINT h」オープニングパーティーへ。「季刊クラシックカメラ」「極上カメラ倶楽部」シリーズの編集長でもある阿部さんの写真展ということで、たくさんの人が集まった。海辺の風景をモノクロ、パノラマ(カメラはFUJI TX-1)で撮影した作品展。美意識の高さを感じさせる、ハードボイルドタッチの風景。


2003/10/16/Thu.
▲晴れ。
▲オリンパスE-1+スーパーワイドズームのテスト撮影など。
▲恵比寿東京都写真美術館。上田義彦『Photographs』(〜10/25)。サントリー烏龍茶などの広告写真などで知られ、人気実力ともに当代一流の写真家の過去の作品を総覧できる写真展ということことで、かなり期待して見にいった。
▲展示されている作品は、シャルル・ジョルダンの広告のための「ざくろ」や、サントリーの広告のための「作家」シリーズなど、「仕事」の中から生まれた写真と、アメリカインディアンが守ってきた静謐な森を撮影した「QUINAULT(クゥィノルト)」、色彩豊かな花のシリーズ「Flowers」、山海塾の天児牛大を被写体にした「AMAGATSU」、「Sadogashima」と題された女性3人のヌード写真など。「仕事」と「作品」を意識させない展示の流れはからは、写真家上田義彦の写真に向き合う姿勢が浮かび上がる。ただ、それぞれのシリーズが短いフレーズになっている印象で「メドレー」を駆け足で聴かされたという印象もある。展示がきわめて素っ気ないせいかもしれない。
▲都写美までは恵比寿駅から歩いたのだが、東京都写真美術館の外壁に上田義彦『Photographs』の垂れ幕がないことにちょっと驚いた。とうぜん、この秋の目玉企画だと思ったからだ。しかし、それはこちらの勘違いで、都写美側にはそんな意識はなかったのか(そのへんのズレぶりは、この写真美術館らしい困ったものだけど)。全体に薄味の写真展になってしまったのは、上田義彦という写真家のキャラクターなのか、それとも、企画実行にあたって何か問題でもあったのか。主催は上田義彦本人と実行委員会、東京都写真美術館は共催となっているが、本人主催にしては、なぜか「他人事」のような白々しさが漂う展覧会だった。
▲上田義彦は1957年生まれ。この秋は、この写真展に合わせて作品集がいくつも刊行された。『QUINAULT』(都築 響一編集・葛西薫アートディレクション 青幻舎)『PORTRAIT(ポルトレ)』(リトル・モア)。そして、この写真展の図録『PHOTOGRAPHS』(発売:河出書房新社)。作品集を見るにつけ、どこか「未完の大器」という雰囲気を感じる。何か、もっと凄い作品を見せてくれそうな予感がある人なのだ。
▲オンライン書店bk1で定例会議。
『マンハッタンラブストーリー』。やっぱり面白い。酒井若菜おそるべし。
▲裏の『白い巨塔』を続けて。ツッコミどころ満載。ついつい昔の映画、ドラマと比較してしまう。役者の粒が小さくなったなあと思う。それと音楽。やっぱりテーマ曲は渡辺岳夫のあの曲じゃないと! 


2003/10/15/Wed.
▲晴れ。
オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>のメールマガジン「幻妖通信」の第2号配信。発行予定日の14日から1日遅れになったのは、東雅夫店長最新刊『伝奇ノ匣 6 田中貢太郎 日本怪談事典』(学研M文庫)の発売日に合わせたため。『伝奇ノ匣』シリーズは早くも本書で6冊目になるが、これまで国枝史郎、岡本綺堂、芥川龍之介、村山槐多、夢野久作の、知る人ぞしる怪奇幻想作家としての貌を紹介してきた。6人目に登場したのは、怪談蒐集家、怪談研究家として知られ、自らも創作怪談をものしている田中貢太郎。実にシブいラインナップ! メールマガジンは月イチペースで発行しています。興味のある方はこちらで登録できます。
川崎市市民ミュージアム写真展「光の狩人−森山大道 1965-2003」(〜11月3日)を見に行く。写真作品約240点、関連資料約80点を展示し、写真家・森山大道の全体像を明らかにしている大規模な作品展。「無言劇」と題された、ホルマリン漬けの胎児の写真、旅役者の一座をグロテスクなまでに迫力満点に撮影したシリーズ「にっぽん劇場」といった初期作品から、「アレ・ブレ・ボケ」で一世を風靡した60年代後半〜70年代へ。森山大道の作品はどんどん加速し、写真は像を結ばなくなってくる。そして、写真とは何か? を突き詰めていった結果の『写真よさようなら』(中平卓馬との共著)に行き着く。行くところまで行ってしまったともいえる森山の写真世界は、その後停滞を余儀なくされるが、コンパクトカメラを壊すほど酷使して制作したスナップ写真の大作『Daido Hysteric』シリーズで復活する。そして昨年分厚い写真集に結実した『新宿』(月曜社)まで、森山大道の軌跡がわかりやすくまとめられている。
▲個人的には初期作品のオリジナルプリントが見られたこと(森山大道が一時期助手を務めていた細江英公が中心となって、東京工芸大学に収蔵されているコレクションから展示されている)、「アクシデント」シリーズなど、当時のカメラ雑誌に掲載された作品が見られたこと、そして、実物大のハーレーダビッドソンをシルクスクリーンで、というコンセプトで作られたポップアート的な作品を見ることができたことが嬉しかった。
▲断片的な写真を見るだけでも、森山大道の作品はインパクトが強いが、こうして年代を追って変遷を続けてきたさまを見ると、写真家・森山大道が時代に翻弄されながらも、深いところでブレずに見ようとしてきたものがはっきりとしてくる。写真の専門教育を受けることなく、自己流で写真の世界を切り開いてきた森山が、中年を過ぎてなぜニエプス(フランスのアマチュア発明家。1826年に写真を発明した)や安井仲治(1903年生まれ。戦前のモダニズムの気風の中で写真家として活躍。38歳の若さで没した)といった、過去の写真家に惹かれるようになったのか。
▲森山大道は「写真は光の化石」と語る。森山の姿勢は写真の本質に近づこうとするという一点で一貫している。しかし、そういう理屈より何よりも、まず森山大道の写真はカッコイイ! 写真を見るということは写真家の世界観を仮想的に体感するということでもあるが、森山大道の「目」になった時に出会うドラマチックな瞬間のゾクゾクするような快感ときたら! さらには、その先まで行くと「ヤバイ」と感じさせるようなスピード感まであるのだ。黒沢清の名著『映画はおそろしい』(青土社)をもじって「写真はおそろしい」と言いたくなるような写真。それが森山大道の世界だと改めて実感した。


2003/10/14/Tue.
▲曇りのち雨。
▲たまっている取材原稿に着手。オリンパスからレンズ借り出しなど。
▲藤井道路公団総裁、公開聴聞を希望。プロレスのマイクパフォーマンスみたいな世界。
▲中条省平さんの『名刀中条スパパパパン!!!』(春風社)がついに出た!  故・安原顯さんも、「日記」の中で仰天したと書いていたタイトルだ。例によって、春風社の若き編集者内藤くんがこだわりぬいたと思われるぶ厚い1冊。これからゆっくり読むつもりだけど、2,800円という値段でソンをさせない充実ぶりだと思う。ブックデザインは春風社の公式デザイナーであり画家でもある矢萩多聞さん。しりあがり寿さんの絵も凄いが、矢萩さんの料理の腕もお見事! 読む前にこれだけ楽しませてくれる本もいまどき珍しい。だまされたと思って買って下さい。小説、映画、マンガが好きな人ならたまらないレビュー集。


2003/10/13/Mon.
▲晴れのち豪雨。また晴れる。
▲体育の日。10月10日じゃないと、感じが出ない。
▲雨の中、アヤさんとカズちゃん来宅。ドーナツとコーヒーの午後。イクヤの機嫌は中位ナリ。しかし、お客さんがくると、たいていは喜んでいる。にぎやかなのが好きなのか。両親だけじゃあ退屈なのかもしんない。


2003/10/12/Sun.
▲曇り。
▲李小牧『新宿歌舞伎町アンダーワールドガイド』(日本文芸社)読了。楽しい本だ。著者の李小牧は『歌舞伎町案内人』(根本直樹編・角川書店)という著書もある有名な歌舞伎町ガイド。『歌舞伎町案内人』も猛烈に面白い本だったが、『新宿歌舞伎町アンダーワールドガイド』はまた別の面白さがある。『歌舞伎町案内人』は李小牧が自らの半生を熱く語ったタテの糸だとすれば、『新宿歌舞伎町アンダーワールドガイド』は歌舞伎町をガイドするという視点でその「通り」にまつわる思い出を語っていくヨコの糸だ。空間的に歌舞伎町の広がりを表現しているという点で、まさに「ガイド」。歌舞伎町案内人という肩書きにこだわりを持つ、著者ならではの本になった。巻末にはおすすめの店(ファーストフードからソープランドまで)が紹介されているのだが、その紹介文を読むだけでも楽しい。巻頭グラビアには、李小牧年譜付き(笑)。李小牧のキャラクターと歌舞伎町は「濃厚」というキャラクターで一致している。まさに、現代の歌舞伎町を代表する人物だといっていいだろう。
▲新大久保まで歩き、少し遅い昼食をタイ料理店「バーン・リム・パー」へ。食事をしている間、ウェートレスのおねえさんにイクヤを抱いてもらっていた。東南アジアでは弟や妹の面倒を見るのは上の兄姉の仕事と決まっているから、彼女も赤ん坊の面倒を見ていたに違いない。手慣れたものだ。このあたりのレストラン(中華、韓国、タイ、ミャンマー料理店)では赤ん坊を抱えたお母さんが厨房に立つこともあるから、客が赤ん坊を連れていっても嫌な顔をされない。のんびり食事をすることができた。
▲深夜。オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>の記事アップ作業。14日には、<怪奇幻想ブックストア>のメールマガジン「幻妖通信」の第2号が発行される予定なので、その準備も。


2003/10/11/Sat.
▲曇り。
▲一晩ぐっすり寝て、午後までだらだらとしていたら、熱が下がってだいぶ楽になった。
▲横になって、東谷暁『誰が日本経済を救えるのか!』(日本実業出版社)読了。経済がわからない。なぜわからないのか、がわかりたくて、時折わかりやすそうな本を読んでいる。『誰が日本経済を救えるのか!』は90年代から00年代にかけての、人気エコノミストたちの発言の変遷をレポートした本。彼らの発言内容が一貫しているのか? また、その人の言っていることが(結果として)信頼に足るものだったのかを明らかにするという、意地悪くて面白い本だ。
▲本書にも登場する言葉だが「90年代の日本は経済は停滞したが経済学は大いに発展した」とよく言われる。なるほど、経済学者、エコノミストと名乗る人たちのメディアでの露出が飛躍的に増え、ワイドショウのコメンテーターとしても登場するほどポピュラーな存在になった。しかし、彼らを「批評」する人たちはどこにいるのか? 著者の東谷暁は「ザ・ビッグマン」「発言者」編集長を経てフリーランスになり、「文藝春秋」誌上でエコノミストの格付けをしたことが話題になった。本書にも中谷巌、竹中平蔵、野口悠紀雄、植草一秀、リチャード・クー、ポール・クルーグマン、齋藤精一郎、小野善康、池尾和人ら有名エコノミストたちが、これまでどのような発言をしてきたかが細かく書かれている。注釈も添えられていて、門外漢にもわかりやすい。ただ、できれば、登場する人たちの略歴も付して欲しかった。
▲それにしても、読めば読むほど、経済学という学問の不確かさがわかってくる。マクロ経済学の中にもいくつもの流派と主張があり、それぞれの立場で侃々諤々しているにすぎない。しかし、長引く不況にテコ入れする処方箋が求められる限り、「経済学」の必要性はいや増すばかりだろう。百家争鳴とはこのことか。
オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>の記事アップ作業。東雅夫店長の「週報」をアップ。
▲夜、大山さん来宅。痛飲ス。


2003/10/10/Fri.
▲晴れ。
▲寒気と発熱。ベンザK錠を買って飲んでみる。ふらふらする。
▲オリンパスE-1を予約購入した方にプレゼントされる64ページの冊子、「OLYMPUS E-1 STARTBOOK」の印刷入稿。「OLYMPUS E-1 STARTBOOK」の内容はそのまま、11月下旬発売の極上カメラ倶楽部『オリンパスE-1』(双葉社スーパームック)に収録され、さらに作例写真、取材記事を加えて一般書店で販売される。というわけで、制作進行は2段構え。一分のレンズ写真をのぞいてすべてオリンパスE-1で撮影したデジタルデータなので、データが重く、プリントアウト、CD-Rへのコピーなどに時間がかかる。取材の予定が入っていたので、最後まで立ち会えなかった。
▲画家の金子國義さんの談話を取りにご自宅へうかがう。お題は「私をアートに誘った本」。「一枚の繪」誌のお正月特集。金子さんの絵の世界そのままの摩訶不思議なリビングでお話をうかがう。どう不思議かというと、ガラスの大きなテーブルの上に50年代の「ハーパース・バザー」や「ヴォーグ」が広げられる側に中華風の骨董品が置かれ、色とりどりのクッションと大きな黒い犬のぬいぐるみが乗ったソファーの隣のサイドテーブルにはバンビの人形がちょこんと座っている。ほかに、六代目菊五郎の芸談をまとめた古い冊子があるかと思えば、歌舞伎役者のモノクロの古写真、ハリウッド女優の写真などが無造作に置かれている。リビングの奥にはホームバーがしつらえられている。ポートレート撮影や、室内の撮影では、金子さん自らモノの位置を動かして細かくディレクションしてくださった。
▲金子さんのリビングは、そのまま金子さんの作品世界のなかにある要素を集めて作られたような、一種のユートピア的空間だった。金子さんは1936(昭和11)年生まれ。少年時代から江戸の粋に触れ、着物のデザインや着こなしに強い関心を持っていた。浅草で宝塚映画を見て、レビューの踊りを真似て喝采を浴びるような少年だった。女優の顔を絵に描き始め、さらに、戦後すぐ、思春期の頃に「バザー」や「ヴォーグ」などの洋雑誌に出会う。アヴェドンの写真に感動し、ハリウッド女優のゴージャスなムードに魅せられた。歌舞伎の舞台美術家、長坂元弘のもとに弟子入りし、舞台美術を学んだ後、澁澤龍彦に見いだされ、60年代の喧噪の中で画家として脚光を浴びる。金子さんに影響を与えた当時の「仲間」「先輩」「先生」たちは、澁澤龍彦のほかにも、唐十郎、四谷シモン、瀧口修造、松山俊太郎、加藤郁乎、細江英公、矢川澄子などなど、まさに当時のカルチャーシーンを牽引したスタアたちだった。「一枚の繪」誌では紙幅の都合でとても紹介し切れそうにないのは残念だが、ゆっくりとお話を聞けて、しかもまだまだ聞き足りないという取材だった。とくに、最後に個人的関心事からうかがった写真のことにも興味深かった。金子さんは『Vamp』(新潮社フォトミュゼ)、『浜田のり子 みだらな扉』(新潮社)という2冊の写真集を上梓している写真家でもあるのだ。しかも、さらに、写真集を制作予定とのこと。
▲うちに帰ってすぐに寝る。熱で身体がからからになる感じ。


2003/10/09/Thu.
▲晴れ。
▲オリンパスE-1本、初校がすべて出てくる。ほっと一息。
▲G.M.フォード/三川 基好訳『憤怒』(新潮文庫)の書評をオンライン書店bk1にアップ。
▲築地寿司大でお寿司。ハラさん、アベさん、アカギさんと。美味しうございました。
▲2軒目の居酒屋でテレビに『白い巨塔』が映っていた。すっかり忘れていた。今日は『マンハッタンラブストーリー』(宮藤官九郎・脚本)と『白い巨塔』が裏表にある木曜日。どちらかをビデオに撮って、もう片方を見ようと思っていたんだけど……忘れていた。うちに帰って、最後の10分だけ『マンハッタン・ラブ・ストーリー』を見る。雑な印象だが、冴えまくっている……という感じ。ビデオで『白い巨塔』を見たが、予想よりは悪くない。主役はともかく、西田敏行とか黒木瞳とか、脇役の充実ぶりに期待できる。前作を超えることができるとは思わないが、別物として、アクチュアルな医療問題を盛り込んでいけば面白くなりそうな気がする。というわけで、これからしばらく木曜10時はテレビを見ることに。
▲椎名誠『秘密のミャンマー』(小学館)読了。今さら、椎名誠の紀行文に何かを求めるということが間違っている──とはわかっていたが、本書を読むと職業的に旅をして、文章を書くことを長年続けることの無惨さがよくわかる。椎名誠が旅をして文章を書く、という事実さえあれば中味はどうでもいいという感じの本。
▲十年以上前になるが、アジアの国々を貧乏旅行していたとき、安宿に旅人が置き忘れていった本を手に取ることがよくあった。一番の人気作家は椎名誠だった。あのとき読んだ椎名誠の紀行文、エッセー、小説は今でも忘れがたい印象を残している。それだけに、この『秘密のミャンマー』は痛かった。ではなぜ読もうと思ったのか。このところ、ミャンマーの話が出ることが多く(「あいのり」も今、ミャンマーだ)、人気旅作家が取り上げたということで、ついにミャンマーブームが来るのか? という冗談半分からである。本書を読む限り、ミャンマーはぼくが訪れた十年前とさほど変化がないようだ。そういう意味で懐かしさを感じながら読むことはできた。
▲最近の椎名誠の仕事で注目すべきは短篇小説ではないか。旅に出て元気いっぱいの椎名サンよりも、暗い短篇小説を書いている椎名誠に興味がある。


2003/10/08/Wed.
▲晴れ。
▲デザイン入稿で一日が終わる。
▲柏原蔵書『歌舞伎町アンダーグラウンド』(ベストセラーズ)。読み終えていたのに忘れていた。著者が殺されたことで一躍脚光を浴びた本書。新刊棚に並んでいたときに手に取った覚えはあるのだが、内容が薄そうだったので買わなかった。事件後、話のタネに読んでみたのだが、やはり大したことはなかった。本書によれば著者はカメラマンだということだが、文章は稚拙で書かれている事柄も、類書で書き尽くされていることがほとんど。新しい発見はなかった。そのくせ、文章の端々に「これ以上書くと身の危険が……」というニュアンスがうかがえて、ちょっと笑ってしまう──というわけで、先入観ナシに読めば読み捨てされる歌舞伎町モノの1冊にすぎないのだが、本当に著者が殺されてしまった、ということで本書にはなにやら深読みできそうな内容が詰まっているように思えるのだから、本という商品は恐ろしい。
▲しかし、冷静に見て本書の出版が著者が殺されるきっかけになったとは思えない。むしろ、取材中にミイラ取りがミイラになって、アンダーグランドビジネスに関わってしまったのではないか。広い意味では取材だったのかもしれないが、本書を読む限り、著者がプロの取材者だとはとても思えないので、取材の域を超えてしまったのではないかと思う。ともあれ、歌舞伎町伝説の1ページにその名を残した著者の冥福を祈りたい。
▲歌舞伎町を取材しているフリーライターが殺された、というニュースを聞いて、まっさきにこの人が殺されたんじゃないかと思ったのが夏原武。歌舞伎町関連の著書が多く、読み応えのある記事を書いてきた。それに、ちょうど夏原武編『歌舞伎町アウトロー戦争』(別冊宝島Real)を読んでいたところだった。こっちはモノホンのプロが書いている歌舞伎町ルポ。組の実名もバンバン出てきて、『歌舞伎町アンダーグラウンド』の10倍アブナイ。ヤクザ、外国人マフィア、盛り場の裏事情から、警察が押し進める「浄化作戦」の進行状況まで懇切丁寧に書かれている。
▲映画『座頭市』を見てきた。映画館に行くのは本当に久しぶり。やっぱりスクリーンで見る映画はいい。
▲たけしの「座頭市」、面白かった。勝新太郎の「座頭市」とはまったく違った世界を作り上げている。たけしの「暗さ」がこの映画でもいかんなく発揮されており、重厚な「殺陣」ともども、勝新「座頭市」の遺伝子が突然変異を起こしたような不思議な映画になっている。
▲この映画の「どんでん返し」が象徴するように、この「市」は、勝新の「市」とは別人なのだろう。「別人」と割り切ったところで、この映画の成功は約束された。たけしは時代劇という枠組みを軽々と乗り越えて、実に奔放に、にぎやかな娯楽映画を作ることに成功している。
▲また、音楽がいつもの久石譲ではなく鈴木慶一だったということもうまくいった理由ではないか。久石譲の音楽は『座頭市』には甘すぎるし、メロディアスすぎる。この映画からはこれまでのたけし映画以上に、たけしの映画にどくとくな「リズム」をダイレクトに感じられた。たけしが常に「編集」まで自分の手でやろうとしているのは、この微妙なリズム感を大切にしたいからではないか。音とリズムがうまくマッチしている。
▲残念だったのは、浅野忠信と夏川結衣のパートがあまりなかったこと。父母を殺した盗賊団への復讐に生きる姉弟のエピソードがうまく描かれているので、見ている間は気にならないが、想像するに尺が合わなくてカットされたのではないか。「完全版」を見てみたいと思った。


2003/10/07/Tue.
▲晴れ。
▲歯痛と口内炎。寝不足が続くと、口内炎ができると決まっている。寝れば治るのだが、もうしばらく山が続きそう。
▲で、今日もがんばって労働したつもりだが、編集部で借りているマックの調子が壊滅的で、はかが行かない。参った。こっちの体調までおかしくなりそうだ……。
▲新ドラマのシーズン。『あなたの隣に誰かいる』。夏川結衣目当てで見始めたのだが、ヘンな人ばっかり出てきて、意外なダークホースかも(?)。郊外の新興住宅地に引っ越してきた夫婦(夏川結衣、ユースケ・サンタマリア)が味わう恐怖。心霊現象か? 誰かの陰謀か? 脚本は坂元祐二。お懐かしや。


2003/10/06/Mon.
▲晴れ。
▲北尾トロさんのインターネット古本屋さん杉並北尾堂からのお知らせ。北尾堂出版部からやまだないと著『西荻カメラ』なる本が出るとか! やまだないと、西荻、カメラ。3つとも大好きなので、迷わず「予約」する。どんな本かはわからないが、きっと面白のでは。
▲新宿のルミネ(西口側)の青山ブックセンター前の喫茶店で待ち合わせ。ところが、まったく様相が変わっていた。待ち合わせた相手もどちらも、改装されたことを知らなかった。スタバに化けた喫茶店で打ち合わせ。遅れ気味の原稿を渡す。
▲八王子。オリンパスの石川開発センターでオリンパスE-1の取材の続き。今日はデザインを担当された高橋さんにお話をうかがう。開発チームのリーダー、朝倉さんも同席してくださった。先週後半は、オリンパスE-1の操作マニュアルで頭がいっぱいだった。操作感とボディーデザインの有機的な関係がどうできあがっていったか、素材へのこだわり、デザインイメージと実際のカメラへの落とし込みなどについてお話をうかがう。E-1はL字型のグリップが目立つので、一見、オーソドックスなカメラとはかけ離れている印象があるが、実際に使ってみると、そのホールディング感は正統的なカメラのそれ以外の何ものでもないことがわかる。デザインでいちばんこだわったのも、そのグリップ感だとうかがって腑に落ちた。高橋さんはオリンパスOMシリーズが好きでオリンパスに入社したそうで、OMファンとしてはとてもうれしかった。
▲八王子の行き帰りに片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)読了。話題になる前から気になっていた小説だったのだが、タイトルからして照れくさくて。『新世紀エヴァンゲリオン』にも同じタイトルの回があったんじゃないか……と思って、たった今調べてみたら、あっちは「世界の中心でアイを叫んだけもの」でした。まあ、そんなことはともかく、『世界の中心で、愛をさけぶ』、読んでみたら、オーソドックスな青春小説、難病ものだった。難病ものは昔から好きなので、一気に読んだ。なぜ好きか。若くして死ぬというのは理不尽なことだから。そこにドラマがあるんだと思う。この小説でも、理不尽に死がやってくる。登場人物たちが、愛について、死について考えたりはなしたりするところがいかにも古くさいけど、その古くささがいいんだと思う。舞城王太郎あたりを読んで頭がクラクラした時に読むといいかも。
▲月九ドラマ『ビギナーズ』。この時間帯のドラマを面白いとかつまらないとか言うのは野暮という感じがするが、つまらなかった。今回は、オーディションで選ばれたミムラなる女優さんをハラハラしながら見守るというコンセプトなのか? このままだと、堤真一と松雪泰子のドラマになっちゃうぞ……とか。


2003/10/05/Sun.
▲晴れ。
大池直人さんからトマトをたくさんいただく! 甘くて美味しいので家人ともどもびっくりする。ありがとうございました。大池さんが仕事とはべつに作品として撮っている「田舎」の写真はとても素敵なのだが、その「味」までわかったという気持ちになった。
▲使い物にならなかった一日。夕方、スーパーへ買い物へ。寒かった。
▲16歳の少女殺害。墓地で焼死体に。22歳の「戸籍上の夫」って?? 謎だらけ。わけのわかんない事件が多すぎる。
▲「世界うるるん滞在記」。スペシャルで3本立て。おなかいっぱい。もうしばらくいりません。以上。


2003/10/04/Sat.
▲晴れ。
▲あれ? 日記、更新したつもりだったのだけど。どこへ消えたんだろう、テキスト。
▲この日は新宿へ行き、郵便物を出した後、休日の西口ビル街を歩いた。新製品のデジタル一眼レフカメラ、オリンパスE-1を持って、マニュアル記事に使うダミーの写真を撮影。できるだけ機能を使って撮影してみる。使えば使うほど、よくできたカメラ。第一印象よりも、ずっと使い勝手がいい。ちょっと大きすぎるかな……と思ったいたのだが、グリップのホールド感が良く、撮影時には安定感があると感じた。キヤノンEOS Kissデジタルがレンズと合わせて13万円台という低価格で市場を牛耳ろうとしている現在、プロ用を意識した高級志向のカメラとはいえ、ボディーが20万弱、レンズも新規購入しなければならないというハードルは高い。マーケティング的には危ういカメラだが、使い勝手の良さと、画像の完成度ではかなりいいレベルに仕上がっていると思う。
▲しかし、デジタル一眼レフカメラの場合、ユーザーの買い換え需要を掘り起こすという点で何よりもネックになるのは、銀塩から買い換えるメリットが果たしてあるのかということだ。デジタルだからこそ撮れた、という説得力のある映像世界って本当に存在するのか。どの広告を見てもピンと来ない。
▲結局のところ、考えれば考えるほど、デジカメはパソコンの入力デバイスの一つに過ぎないのではないか、という冷めた見方に傾いてしまう。つまり、銀塩フィルムからプリントへというこれまでの流れに、デジタル技術が介在すると、フィルムを使うメリットが無くなってしまう。わざわざフィルムをスキャンするくらいなら、被写体を「スキャン」してしまえばいいからだ。インフラの世代交代が起こり、銀塩フィルムの処理のほうが高くつく時代が到来する。しかも、一人一台時代を迎えるパソコンが登場し、直接画像を取り込むデバイスとしてデジカメが必要とされる。パソコンにはもれなくデジカメが突いてくる……まあ、デジカメってのは、本来そういうものだと思うのだ。では、一眼レフという、あまりにも銀塩フィルムを引きずった形式のデバイスが必要とされるのか? ファインダーをのぞくよりも、液晶のほうが見やすいじゃん。そう考えていくと、デジタル一眼レフカメラって、なんだか徒花のような気がするんだよな……。
▲そんなことを考えながら、栗林慧写真・文『アリになったカメラマン』(講談社)を一気読み。昆虫写真をはじめとしたネイチャーフォトの第一人者、栗林慧の自伝的写真入門書。小学校5、6年生を対象とした本で、いかにわかりやすく写真の原理を伝えるかに苦心している。ファーブルの『昆虫記』とディズニーの映画『砂漠は生きている』に感動して、アリの世界を映像で表現したいと夢を抱いた栗林少年は、独学で写真を学び、工夫して超接写レンズなどの撮影機材を開発する。その結果、恐竜のように大きくバッタを写したり、昆虫が飛ぶ姿を分解写真に撮影するなど、これまでの誰も映像化できなかった世界を写真に写すことに成功した。カメラやレンズを使って世界を「写す」写真家のプロフェッショナル志向が道具の発明にまで至るというエスカレートぶりがすばらしい。著者が子供の頃から持っていた「科学する心」が写真に結びつき、さらには作品として感動を呼ぶまでに完成度が高められてるのだから、これはもう「凄い!」としかいいようがない。
▲本書の存在を教えてくれたのは、xxxkirakiraxxxさんというベネツィア在住の方が、かの地の日常を写真と文章でつづっている日記水の都の流れ星(9月6日の日記)。まったくの未知の人の日記なのだが、写真も文章もすてきなので毎日楽しみに読んでいる。『アリになったカメラマン』とともに触れられている『アリの世界』はあかね書房のロングセラー「科学のアルバム」シリーズの1冊のことだろう。誰もが小学校のころ、図書館で手にしたシリーズじゃないかな。同シリーズにA HREF="http://www.bk1.co.jp/cgi-bin/srch/srch_detail.cgi?aid=p-ken200606&bibid=00185516"_blank">『ネコのくらし』を上梓している吉野信さんによれば、今でも数年に1度増刷しているとか。世代を超えて受け継がれていくものって、いいなあ。
▲デジタル一眼レフカメラに話を戻すと、栗林慧が「クリビジョン」を自作してアリの眼で写真を撮ったような、そういう映像の新世界にデジタル一眼レフカメラがどう関わっていくかが一番大事なんだと思う。そんなことを、デジタル一眼レフカメラの本を作りながら考えている。


2003/10/03/Fri.
▲晴れ。
▲極上カメラ倶楽部『ライカ新時代 ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック・10月20日発売)の色校チェックが終わり、修正に入る。印刷会社に修正データをまとめて戻す。今回の「極上カメラ倶楽部」は、シリーズ史上一番の出来ではないか! と思う。タイトルが『ぼくたちのM型ライカ』から『ライカ新時代 ぼくたちのM型ライカ』に変わりました。10月20日発売。もう少しお待ち下さい。
▲徳山喜雄『フォト・ジャーナリズム』(平凡社新書)読了。先日、今年の6月に出た『報道危機』(集英社新書)と合わせてbk1で注文し、「お取り寄せ」だったので届くのが遅れたのと、怠惰から「積ん読」状態だった。刊行が2001年なので、状況論としてはやや古く感じる部分もあるが、フォト・ジャーナリズムの概況としては変わらない。古く感じるのはデジタル化、インターネットなどの進み方が急激なせいもあるが、「フォーカス」休刊前に書かれているということが大きいと思う。メディアにおけるスチル写真の役割が、リアルタイムでどんどん変わっていることをしみじみ実感した。
▲本書は、東西ドイツの壁が崩壊した現場やソ連崩壊後のロシアで核ミサイルを「フォト・ジャーナリスト」として取材した経験を持つ著者が、現場から一歩離れたところに身をおいたことであらためてフォト・ジャーナリスムについての考えをまとめ、その全体像を明らかにしたもの。自身の経験を語るだけではなく、古居みずえ(『インティファーダの女たち』(彩流社))、岸田綾子(『シャッター音の囁き』(同文書院))、久保田博二(世界的な写真家集団マグナムの唯一の日本人会員)、南慎二(「フォーカス」のカメラマン)、三上貞幸(AP通信写真記者。湾岸戦争の従軍取材に参加)ら現場経験の豊富なフォト・ジャーナリストへの取材、さらには、畠山直哉、長島有里枝といったフォト・ジャーナリスト的だとは思われていない写真家についても取り上げて、フォト・ジャーナリズムとは何かを考える。報道写真における「やらせ」の問題や、過熱報道の問題点、肖像権への配慮まで、コンパクトな新書サイズながら内容は充実している。
▲著者は朝日新聞社で写真部記者を勤めた、「映像センター・デスク」当時に本書を書いた。現在は「アエラ」のフォト・ディレクターを務めている。そもそもこの人の本を読もうと思ったのは、「噂の真相」で永江朗さんが連載している「メディア異人列伝」に登場していたから。永江さんのこの連載は人選、記事内容ともに秀逸で、この記事をきっかけにして本を買うことも多い。「噂の真相」廃刊(あと6号)で連載が終わってしまうのが残念だ。


2003/10/02/Thu.
▲薄曇り。
▲今日も昨日の続き。今日はやっとマニュアルのテキストを書き終えて、説明用のカット写真を延々と撮っていく作業に入る。マニュアルは、もちろん、実機を操作しながら書いていくのだが、写真で説明しようとすると、頭で考えていた流れをショートカットできたり、逆にもう少し説明カットが必要だということがわかってくる。そこで、またテキストを修正する。その繰り返し。ほんの1部分だけデザイナーさんに原稿を渡すことができた。
▲闘うイラストーリー・ノベルマガジンと銘打たれた新「文芸誌」『ファウスト Vol.1』(講談社)を拾い読み。舞城王太郎、佐藤友哉、西尾維新、飯野賢治らの小説が掲載されている雑誌──というだけでわかる人にはわかると思うけど、わからない人にはさっぱりだろうなあ。講談社ノベルスから生まれた新本格派以降のニューウエイブ・ミステリーとライトノベル(といってもピンとこない人がこの日記の読者には多いかも知れない。電撃文庫とか、ティーンを対象にしたエンターテインメント小説のこと)とゲームとマンガ・アニメといった、旧来の文芸誌が無視している世界をメジャーに引っ張り上げようという大胆な文芸誌だ。
▲ぼくはファースト・ガンダムはほぼリアルタイムで体験しているが、ちょうどアニメから卒業しかかっていた時期だったし、ゲーム世代よりはちょっと上。新井素子はリアルタイムで読んでいるが、いわゆるライトノベルやその種のファンタジーの洗礼は受けなかった世代だ。したがって、この『ファウスト』の対象読者とはズレがある。小説の公募も「1970年代以降に生まれた人」だけが対象になっているし。
▲そんなわけで必ずしも「面白い!」と思って読んでいるわけでもないのだが、だからといって70年代生まれ以降の人にだけ扉が開かれているというわけでもないところが、『ファウスト』のしたたかなところだ。世代がズレている人のためにも親切に(?)、東浩紀が『動物化するポストモダン』の続編を連載し、そのなかでこの雑誌の扱っている要素をわかりやすく説明してくれている。たった一人でこの雑誌を編集しているという編集長が前面に出て、盟友である清涼院流水とお互いを熱く褒め合っているところも、いい気なもんだと鼻白む向きもあろうが、ぼくにはほほえましかった。Mac OS X +Adobe inDesignで組み版しているという版面を含め、デザインにも一貫した思想がある。全人物撮影は小林紀晴(作家でもある小林が巻頭に「写説」を寄せていて、60年代後半生まれのぼくとしてはホッとできるページになっている)。編集者を最小限に、デザイン、ビジュアル、執筆陣も広げずに雑誌を作るという方法論、ぼくはとてもいいと思う。今後どんな展開を見せるかはまだ未知なままだが、新「オタク世代」(オタクが一般化し、定着したのちの世代)のための小説、エンターテインメント誌として、次号どうなるか興味が持てる。


2003/10/01/Wed.
▲晴れ。
▲昨日に引き続いて『オリンパスE-1』のマニュアル記事作り。オリンパスへ借りていた機材の返却など。
渡部さとるさん、大池直人さんと江古田の焼鳥屋さん。最近、『旅するカメラ』(エイ文庫)(好著。先月11日の日記参照)を出された渡部さんに、大池さんと二人で会いに行くという飲み会。渡部さんはスポーツ新聞社のカメラマンとして働いたのちフリーランスになり、雑誌、広告で活躍している写真家。写真集『午後の最後の日射 アジアの島へ』(モール)の販売を主な目的としてWEBサイトを立ち上げ、今ではギャラリーの他にコラムと日記が充実している。『旅するカメラ』は渡部さんのパーソナリティーの輪郭がうかがえるという一面もあって、写真集『午後の最後の日射 アジアの島へ』をもう一度開いてみたくなるという「効果」もある。「写真家は写真だけで勝負すべし」という考え方もあるかもしれないが、ぼくは「作家」たるもの、その人格的な魅力も作品の一部分だと思っている。したがって、写真家が書く文章にも興味を持っている。
▲いい写真を撮る人は文章も巧い人が多い。観念的にならず、見たものを素直に描写するということに長けている人が多いような気がする。今夜もそんな話が出たのだが、ぼくたちが子供の頃、学校の国語教育で「気持ちを書け」と作文を書かされた。しかし、本当は「見たものを書け」と教えるべきではないか。感じたことを書けなんて、観念的なことではなく、見たものや、事実をどうその場にいない人に伝えるかのほうがずっと重要なことだと思うし、言葉や文章の役割としても適切だと思う。写真は(基本的には)目の前にあるものしか写らない。写真家は、無意識のうちにそのことをいつも考えている人たちではないか、と思うのである。むろん、逆に、写真は明快なのに、文章となると突然観念的になる人もいるし、全員が全員、というわけではないけれど。いずれにせよ、言葉と映像の関係を考える上でも、写真家が書く文章、写真家が語る言葉に対して興味は尽きない。
▲渡部さんの場合は、文章も巧いけど、最近ではまったく個人的に少人数のワークショップをはじめており、写真に対する言葉を持っている人である。今夜はその講義のさわりを聞くことができて、その明晰さに唸った。ワークショップは現在第2期がスタートしたばかりだということだが、写真を始めたい人や「再入門」したい人にとって、とてもいいんじゃないだろうか。詳しくは渡部さんのWEBサイトで。
▲もう一つ。渡部さんがワークショップを開いている部屋(渡部さんの暗室の隣にある)で、インクジェット出力したカラー写真を製本した世界に2部しかない写真集を見せていただいた。『TOKYO LANDSCAPE』と題されたその写真集は、出版社を探すための見本として作られたものだそうだが、判型、デザインともすでにほとんどできあがった状態になっており、見応えがあった。4×5の大判カメラで東京23区の風景を撮影した作品集だが、外国人向けに東京をガイドしているような不思議な視線の置き方がされている。そのまなざしも新鮮だったが、渡部理論による露出の揃え方が実践されてもいて、写真集の「作り方」もまた興味深かった。もう1部はニューヨークに「営業」に出ているというから、かの地の出版社が興味を持ってくれるといいなあ、と思う。外国の出版社から出されたほうが、この写真集はさらにその魅力を増すような気がするからだ。


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