A DAY IN MY LIFE

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2003/11/30/Sun.
▲雨のち曇り。
映画『リスボン特急』(1972年・仏 ジャン=ピエール・メルヴィル監督)をビデオで。メルヴィルが自ら全作品について語り、その映画術について明らかにした『サムライ ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(ルイ・ノゲイラ/井上真希訳・晶文社)が刊行された。いまどきメルヴィルってのもシブい! 類書がないこともあってさっそく買ったのだが、寡作で知られるメルヴィル(生涯で13本の長編映画しか撮っていない)の作品のなかでも、ぼくが見たことがあるのはわずかに『影の軍隊』と『サムライ』だけにすぎなかった。映画ファンにとっては、見ていない映画について書かれた文章を読むのはもったいないし癪でもあるので、メルヴィルの作品をビデオででも見たいと探してみた。
▲『リスボン特急』はメルヴィルの遺作。『サムライ ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』はメルヴィルが『リスボン特急』を撮る前に作られた本なので、メルヴィル自身のインタビューは載っていない。そのかわり、メルヴィルの熱狂的ファンとして知られる作家の矢作俊彦が押井守とこの映画について対談している。その対談の中で下されている判断は「メルヴィルらしからぬ失敗作」という厳しいものだ。なるほど、今ひとつピリっとしない映画ではある。
▲原題は「UN FLIC」(刑事)。冷酷な刑事(アラン・ドロン)が麻薬の取引現場を押さえようと奮闘する話だが、脇スジに銀行強盗の話があり、そちらのほうがよほど面白いという、ややとっちらかった内容だ。しかし矢作俊彦が指摘するように、冒頭の銀行強盗のシーンのかっこよさ、麻薬を横取りしようとヘリコプターから列車に飛び乗った男の念入りな工作を丁寧に見せるシーンの緊張感など、いかにもメルヴィルらしいスタイリッシュな演出も楽しめる。警察権力が大嫌いだったという元レジスタンスのメルヴィルゆえ、本当に主人公はアラン・ドロンではなく、犯罪者の側だ、という矢作俊彦の指摘は的を射ている。『リスボン特急』と『サムライ ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』、セットで楽しめた。次回はメルヴィルの大作『仁義』を借りる予定。
▲メルヴィルについてご存じない方のために申し添えておくと、ヌーヴェルヴァーグに多大な影響を与えた映画監督で、コクトーの『恐るべき子供たち』をコクトー自身の指名で監督したり、『いぬ』『仁義』などフィルム・ノワールの傑作を残している。二次大戦中にはレジスタンスとして独軍と戦った経験を持ち、『影の軍隊』はその当時の経験を反映させた見事な映画だった。『影の軍隊』は十代の頃にテレビで見たのだが、ちょっと忘れられない映画である。『サムライ ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』は訳注もごく丁寧で、メルヴィル入門者にもおすすめできる良書。映画好きの方は要チェック! 仏映画ファンは必携ですぞ。


2003/11/29/Sat.
▲雨。
▲夕べ、飲み過ぎたせいで身体がだるい。午前中を棒に振り、午後からたまっている仕事に精を出す。トーマが貸しておいたデジタルカメラを返却に来てくれる。ソ連〜ロシアのアニメーション作家ユーリ・ノルシュテイン(「話の話」など)のDVDを貸してくれた。こちらからは『ジロジロ見ないで』(高橋聖人・撮影/茅島奈緒深・構成 扶桑社)を貸す。
▲映画『魔界転生』(2003年・東映 平山秀幸監督)をビデオで見た。
▲深作欣二監督版『魔界転生』(1981年・東映+角川春樹事務所)をリアルタイムで見ているので、うろ覚えながらどうしても比較してしまう。ついでに、「見てから読むか 読んでから見るか」の角川商法どおり、山田風太郎の原作も同じ頃に読んだ。原作は中学生には刺激が強すぎたが(エロ度、残酷度ともに)、映画のほうは深作らしいアップテンポの娯楽映画で楽しんだ覚えがある。流行した「エロイムエッサイム 我は求め訴えたり」という天草四郎時貞(沢田研二)の恨み節のおどろおどろした奇怪な魅力、宮本武蔵(緒形拳)、宝蔵院胤舜(室田日出男)、柳生但馬守(若山富三郎)ほか豪華ラインナップの剣豪軍団+お色気担当の細川ガラシャ夫人(佳那晃子)が次々と日本一の(柳生)十兵衛役者・千葉真一に挑戦する華々しさ。そもそも山田風太郎の原作からしてバカバカしいというか、途方もないスケールの大きさだった。
▲「平成」版の『魔界転生』は深作版と比較して、あっさりとした印象を受ける。物語は島原の乱に敗れた天草四郎が魔界の力で転生し、徳川幕府に復讐するというもの。したがって、その「恨みパワー」の強さが天草四郎の力の源泉なのだが、平成版ではその恨み、ちっとも伝わってこない。窪塚洋介という役者自身がそのような粘着な情念を持ち合わせていないし、そのほかの登場人物も情念からはほど遠い。それが平成の「いま」にふさわしいとの判断なのかもしれないが、その結果、なんとも腑に落ちない映画になってしまった。武蔵(長塚京三)、胤舜(古田新太)、荒木又衛門(加藤雅也)、柳生但馬守(中村嘉葎雄)と、剣豪たちが今ひとつ強くなさそうなのも痛い。加藤雅也の動きがシャープであるとか、中村嘉葎雄の但馬守が亡き兄・萬屋(中村)錦之介を彷彿とさせるとか、フォローして見てあげたくなる気持ちもあるのだが、彼らのパッションが感じられないのでは、肩入れする気にもなれないというものだ。深作版では、それぞれの「転生」の理由が描かれ、彼らの怨念十兵衛と闘う動機になっていた。平成らしい演出を、ということであれば、いっそ、彼らが「キレた」瞬間を描いて欲しかったとも思うが、そういう激しさが微塵もない映画になってしまった。残念。


2003/11/28/Fri.
▲曇り。
▲神代植物園へ行った。寒かった。薔薇園は墓場のような寂しさ。
▲調布駅近くでカミゾノ女史と「チーズプラザ」の打ち合わせ。
▲伊坂幸太郎『重力ピエロ』(新潮社)読了。先日読んだ『黒冷水』(羽田圭介・河出書房新社)は憎み合う兄弟の話だったが、こちらはお互いを思いやる兄弟の物語。単純な兄弟愛ではなく、ひねりが効かせてあるところが伊坂流。弟は、母親が強姦された結果生まれてきた子供。しかも、そのことは町で知られた事件だった。二十数年後、兄は親子鑑定や疾病原因を調査する遺伝子調査会社の社員、弟は町の落書きを消す仕事をしている。母はすでに亡くなっていて、父は末期癌で入院している。
▲町では連続放火事件が話題になっていたが、弟は連続放火に法則性を見つける。落書きが放火を予告しているというのだ。弟は兄と父にこの法則を打ち明け、放火犯を捕まえないかと持ちかける……。とここまで説明しても、この本の魅力はちゃんと伝わらないと思う。メインのストーリーが持つ「意味」が次第に明らかになっていく、その過程そのものがミステリー。さらに、細部に渡る巧妙な仕掛けがいちいち気が利いている。そして、何より登場人物に魅力がある。とくに弟「春」と、「春」を思いやる兄の「泉水」(ともに「spring」だ)には物語のなかで会える「友人」のような親しみが沸いた。


2003/11/27/Thu.
▲曇り。
▲アルンダティ・ロイ/本橋哲也訳『帝国を壊すために』(岩波新書)読了。副題は「戦争と正義をめぐるエッセイ」。著者のアルンダティ・ロイはインドの女性作家。『小さきものたちの神』で英国ブッカー賞を受賞している。インドという「第三世界」から、アメリカの「対テロ戦争」の馬鹿馬鹿しさを激しい筆致と皮肉たっぷりのユーモアでこき下ろす。進軍ラッパを吹き鳴らす威勢のいい支配者たちの化けの皮を剥がす痛烈な一冊。目から鱗が何枚も落ちた。
當麻妙さんに家まで来てもらい、家族写真を撮ってもらった。プロにちゃんと撮ってもらうのは照れますね。


2003/11/26/Wed.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>幻妖週報〜店長備忘録〜(2003.11.1〜2003.11.21)をアップ。東店長の身辺雑記です。
▲歌舞伎町で打ち合わせののち、日が暮れるまで花の撮影。
▲映画『マトリックス レボリューション』を見に行く。世評通り期待はずれの出来。『リローデット』の時にも感じたのだが、ウォシャウスキー兄弟は『マトリックス』の世界を真面目に作りすぎている。1作目の良さは、オタクの妄想を映画化したような、冗談っぽさにあったはず。脳でイメージすればカンフーの達人になれたり、武器をずらっと用意できたり、弾丸に当たらなかったり。「なんでわざわざカンフーで闘うんだよ!」ってツッコミを入れたくなるようなノリがサイコーだった。ところが、大ヒットしたせいで、続編を作ることになり、より刺激の強い映像と、マトリックスの世界を辻褄合わせする必要が出てきた。その結果、破綻したのがこの『レヴォリューション』ではないか。「ミフネ船長」の頑張りには頭が下がるが、映画全体を救うまでには至らなかった。あの結末はないだろう、ホント。いっそ夢オチにしてほしかった。


2003/11/25/Tue.
▲雨。勤労感謝の日。
▲終日自宅でデジカメ画像の処理。
▲夜、北浦和に行って帰ってくる。
▲北尾トロ『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』(鉄人社)読了。「裏モノJAPAN」連載の「裁判所レポート」。誌上で時折読んでいたのだが、その時にはあまり面白いとは思わなかった。地味な事件の傍聴って企画はシブくていいと思ったけど、「裏モノJAPAN」のほかの記事に較べるといかにも刺激が乏しい感じで。ところが、こうして1冊にまとまってみると、実に面白い。おそらく単行本にまとまったことで、著者がいくつもの事件を傍聴し、傍聴に惹かれていくさまが実に生き生きと描かれているためだ。連載記事をつまみ読みしていた時には、その面白さがわからなかった。とくに「傍聴マニア」なる人々のエピソードが面白く、巻末には傍聴マニアの人たちを招いての座談会付き。被告、検察、弁護人、裁判長などの「登場人物」たちの立ち居振る舞いにツッコミを入れつつ、時には被告と自分の人生を引き比べる著者のスタンスがユニークな「裁判所レポート」。俺も傍聴してみたい、と思うこと請け合い。おすすめです。


2003/11/24/Mon.
▲雨。勤労感謝の日。
▲「このミス」に2作品が入った伊坂幸太郎。そのうちの1冊。『陽気なギャングが地球を回す』(祥伝社ノンノベルス)を読了。ウソが見抜ける市役所職員、長広告を振るう喫茶店主、天才的なスリの青年、体内時計で正確に秒を刻むことができる女。この4人は完璧な仕事をする最強の銀行強盗チームだ。銀行に乗り込んで、カネを奪って逃げる。シンプルこのうえない犯罪。ところが、いつも通りにカネを奪ったあとに、現金輸送車を襲撃したかえりの強盗たちにクルマごとカネを奪われてしまう……。アメリカ風のユーモア・ミステリ。快テンポと気の利いた文章が魅力。今週は伊坂幸太郎ウィークの予定。
▲いたさん来宅。鍋をつつく。イクヤが「うつぶせ→仰向け」を修得。


2003/11/23/Sun.
▲曇り。寒い。
▲高橋聖人・撮影/茅島奈緒深・構成『ジロジロ見ないで』(扶桑社)読了。人の顔を見るのが好きだ。電車の中でも、街の中でも人の顔をじろじろ見たい……という欲求をなるべく抑えてはいるが、チョロっとくらいは見ている。本書はアザや病気、火傷によって「普通の顔」ではない顔で生きている人たち9人の顔写真と、今までの人生を語り下ろした本だ。街で彼らに会ったらやはり顔を見てしまうと思うのだが、その顔について質問することはなかなかできないだろう。その「問い」に答え、顔を見せている彼らの勇気に感動する。偏見、差別は無知から始まる。彼らの顔と言葉に目と耳を傾けたい。漢字ルビがふられているので、小学校高学年から読める。とてもいい本だと思う。


2003/11/22/Sat.
▲曇りのち雨。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>書き下ろし連作長篇『ラピスラズリ』が話題の山尾悠子さんに聞くをアップ。東雅夫さんが作家の山尾悠子さんにメール・インタビューした原稿です。『ラピスラズリ』、bk1で売れてます。
▲羽田圭介『黒冷水』(河出書房新社)読了。今年、文藝賞を受賞した3作品のうちの1冊。史上最年少17歳の高校生が書いたということが話題になった。読んでみると、その読みやすさ、スジ運びの上手さが光る。内容は、一口で言って「兄弟喧嘩」。兄の部屋をあさる弟と、弟の愚かさが憎くてたまらない兄。二人がお互いを出し抜き、ダメージを与えようと陰湿ないやがらせを繰り返す。しかし、その陰湿な手口が淡々と語られることで、奇妙な明るさを帯びてくる。ぼくには兄弟がいなので実感はできないが、微に入り細をうがって描かれる兄弟の確執が面白かった。ただ、物語のケリの付け方に幼さを感じたけど。しかし、昨年の受賞作『インストール』(綿矢りさ・河出書房新社)とこの作品を並べてみると、「文藝賞」という公募賞の個性がはっきりとしてきたような感じがする。この路線、嫌いじゃないです。


2003/11/21/Fri.
▲曇り。
▲渋谷公会堂。ショーケンこと萩原健一のライブ「ENTER THE PANTHER」に行く。声が出ないショーケンを励ますような会場内の盛り上がりが素敵。速水清司(ギター)、ミッキー吉野(キーボード)、長井ちえ(ギター)渡辺建(ベース)、樋口晶之(ドラム)、斎藤ノブ(パーカッション)、鈴木明男(サックス)と、バックバンドのメンツも一流。ゲスト・ミュージシャンとして井上堯之が登場し、めちゃカッコイイギタープレイを披露していた。ショーケンのヴォーカルは全盛期と比較してしまうとかなりしんどかったが、その存在感はさすが。ただ、土下座、合掌など、ショーケンの「改心」を示すパフォーマンスは、かつての不良っぷりが好きだったファンには「痛い」んじゃないかなどと意地悪な見方もしたくなったが……。先日またまたテレビで見たショーケンの芝居がひどすぎて(セリフ棒読み。声が裏返って、ロボットみたいだった)、どうしちゃったんだろう、と思っていたところに歌手としての活動再開。これを機にまた元気にがんばってほしい。


2003/11/20/Thu.
▲曇りのち雨。
▲誕生日。今日で35歳。村上春樹の「プールサイド」という短篇小説を思い出す(『『回転木馬のデッドヒート』(講談社文庫)』所収)。小説家の「僕」に35歳を人生の折り返し地点だと決めた男が自分の話をするという短篇だ。読んだのは大学生の頃だったけれど、35歳という年齢が妙に生々しく感じられたことを覚えている。
▲オンライン書店bk1にミステリ今年の収穫2003〜東京創元社編集者・桂島浩輔が選ぶ2003年度「必読」ミステリ〜をアップ。インタビュー&構成をやってます。年末の風物詩となった感のある「このミス」ほかミステリベストテンに関わってくる秀作を続々紹介しています。
▲オキツさん来宅。イクヤを見てもらう。最近、寝返りが打てるようになり、目を離すと勝手にうつぶせになって「アウアウ」いっている(自分では仰向けに戻れない)。しばしば蒲団からはみ出して床に進出している。オキツさんにあやしてもらいご機嫌。
▲オキツさんと新宿花園神社。酉の市。今年は二の酉(今日)まで。途中から雨が降り出す。去年より少しだけ大きい熊手を買った。祈商売繁盛。


2003/11/19/Wed.
▲曇り。
▲デジカメ画像の整理とセレクト、記事の構成などを考えたり。
▲西荻。散髪。いつも髪を切ってくれている美容師さん(女性)が南米へ長期旅行に行くことになったと聞かされる。旅行の話はよくしていたんだけど、まさか本気だったとは!
▲西荻から上石神井まで歩いた。途中、NATURAL RAWSONなるコンビニを発見。自然志向かあ。そのわりに「能書き」が少ないような気がした。自然食品て、能書き食ってるようなもんだから。西荻から上石神井、意外と遠かった……。


2003/11/18/Tue.
▲晴れ。
▲植物園、公園をはしごして花の写真を撮る。次号「チーズプラザ」の特集が「花」なので、その素材集め。
▲保阪正康『天皇が十九人いた』(角川文庫)読了。『瀬島竜三 参謀の昭和史』(文春文庫)に続いて保阪正康。こっちも面白い。戦後をテーマにしたルポルタージュ集。親本は『さまざまなる戦後』(文藝春秋・1995)だが、文庫化にあたって再構成し、収録されていない記事もある代わり、補章を付け加えている。
▲南朝の末裔を名乗り、「熊沢天皇」として話題を呼んだ男がいた。戦後すぐに「天皇」を名乗った男は、保阪が調べただけで19人にのぼるという。天皇制が揺らいだかにみえた戦後まもない時期、天皇のイメージはどうなっていたのか(「I 天皇」)。太平洋戦争の責任を一人で負った「悪者」東条英機とその家族にとって、戦後受けた仕打ちはどのようなものだったのか。保阪は東条を典型的日本人を評し、指導者から悪者へと落ちていく過程に、日本と日本人の問題点を見いだす(「II 東条英機」)。太平洋戦争開戦時、日米交渉の決裂を伝える電文が米政府に遅れて伝わったばかりに真珠湾攻撃は「だまし討ち」になってしまった。なぜ電文は遅れてしまったのか。外務省の体質に関わる問題に迫る(「III 官僚とその周辺」)。「特攻隊崩れ」を人生においても演じきった鶴田浩二と、死の影を落とす独得の存在感が現在まで人気の市川雷蔵。それぞれの「戦後」とは(「IV 映画俳優」)。沖縄戦を象徴する1枚の写真「白い旗の少女」。長らく謎だったその少女が名乗り出た。彼女の戦争と戦後(「V 普通の人々」)。「VI 補賞」まで読み応えのある1冊。
映画『ボイス』(2002年・韓国・アン・ビョンギ監督)をDVDで。携帯電話から悪霊が……というホラー。
▲特典映像の中で監督自身が「ホラーというジャンルを韓国映画に根付かせたい」と発言しているように、米、伊、日本などのホラー映画をよく学んだうえで作っていることがうかがえる。韓国映画の歴史にもホラー映画がないわけではないが、ホラー映画独得の手法を時にはパロディー風に駆使するポストモダン的な作品は初めてではないか(『カル』という秀作もあったが、あちらはむしろ『セブン』などを参考にしたサイコ・サスペンス)。ウェス・クレイヴンの『スクリーム』や中田秀夫の『リング』などと同じテーストを持ったホラー映画である。
▲昨今の韓国映画はどれも撮影、録音などの技術がしっかりしている。演出もホラー映画ならではの手法を効果的に盛り込んでいる。しかし、残念なことに物語が単純なわりに枝葉を丁寧に演出しすぎているせいか、やや冗長に感じた。やはり愛憎モノに落とし込んでいくところが、韓国映画の伝統を引っ張ってしまっているというか……。とはいえ、枝葉であるはずの女子高生(チェ・ジヨン)の片恋のシーンなど、情感がこもっていて見応えがあった。韓国映画の好調ぶりを示す「水準作」。
▲女子バレーに引き続き、男子バレーも見ている。今日は対カナダ戦。フルセットまでもつれこんで辛勝。これで3連勝。まだまだ盛り上がりそうな気配。
▲テレビドラマ『あなたの隣に誰かいる』。戸田菜穂が正気に戻ったと思ったら、白石美帆が「地獄に堕ちろ!」と叫んでガソリンを男にぶっかけて放火。サイコーです。B’Zって大嫌いだったが、このドラマの主題歌はドンピシャ! 挿入歌(『勝手にしやがれ』)のチープな味わいもいい。つまり、B級ホラーテースト。ダリオ・アルジェントがゴブリンズに音楽を依頼していたことを思い出す。


2003/11/17/Mon.
▲晴れ。
▲コンタクトレンズを買いに。眼科の診察を受けるなんて子供の頃以来かもしれない。健康な眼球ということでちょっと嬉しい。
▲昨日、岡本さんから借りたマクロシネゴン10mmF1.8をライカM2につけてテスト撮影。イメージサークルが小さいので円形に映像が写し込まれる。世界をのぞき込むような不思議な雰囲気だった。
▲宮部みゆきの最新刊『誰か』(実業之日本社)読了。ファン待望の書き下ろし、現代ミステリー。財閥の会長の娘と結婚し、グループ企業のための広報誌を地道に作っている心優しい男が主人公。会長の運転手が亡くなり、その死にまつわる謎を主人公が探偵役となって解いていく物語だ。財閥とか運転手とか、道具立ては古くさいし、運転手の死因は自転車にはねられたから、というこれまた地味なもの。宮部みゆき以外の作家が書いたらさぞや陳腐なものになるだろうと思うのだが、登場人物一人ひとりの性格が丹念に描かれていて退屈させないのはさすが。


2003/11/16/Sun.
▲晴れ。
▲イクヤと留守番。テレビで東京国際女子マラソンを見るともなしにつけておいた。高橋尚子敗れる、のどんでんがえし。途中まで絶好調だったのに、ある地点から突然調子が変わってしまった。それでも笑顔のQちゃんに、逆に鬼気迫るものを感じた。
▲岡本正史さん、カノンくん、来宅。使わなくなったバギーをわざわざ持ってきてくれた。うれしい。ボレックスの8ミリカメラを見せてもらう。岡本さんの次なる作品はこのカメラで? ライカMマウントのムービー用レンズ、マクロシネゴン10mmF1.8をお借りする。さっそくテストしてみることに。
▲乙一『暗黒童話』(集英社)読了。読みのがしていた乙一の旧作。初の長篇ホラーだ。片目を失うと同時に記憶まで失ってしまった高校生の菜深(なみ)は、左眼の眼球移植を受ける。すると、その左眼の記憶が頭の中に現れるようになる。そして、その左眼が手足のない少女が監禁されている様子を目撃してしまったことを知り、少女を助けるため、左眼の持ち主の暮らす町へ向かう。グロテクスクなイメージと、切なさが入り交じる奇妙な味わい。乙一の真骨頂ナリ。作中に挟み込まれる「暗黒童話 アイのメモリー」もイイ味。
映画『宣戦布告』(2001・日本 製作・監督 石侍露堂)。麻生幾のシミュレーション的危機管理小説の映画化。原発銀座といわれるくらい原発が立ち並ぶ敦賀湾付近に国籍不明の潜水艦が座礁する。特殊工作員が山中に逃げ込み、警察が追うが返り討ちにあう。工作員制圧に自衛隊を出動させようにも法律が壁になり、銃はあっても、引き金を引くには手続きがいる。現場では血が流れ、政府は「決断」を迫られるが……。原作では上陸する工作員の国籍を北朝鮮と堂々と書いていたが、映画では「北東民主主義人民共和国」。一事が万事で、どこまでもウソっぽい。もっとも、日本でこの種のポリティカルアクションが作られることは滅多にない。作っても、かける映画館がないのではないか(嫌がらせを受けるのはつねに劇場なんだから)。銃撃戦、政治の駆け引きなど、映像的には(日本映画としては)がんばっていると思うけど、(日本映画としては)という前提が頭に浮かんでしまう時点で苦しい。この映画と較べると、原田真人の『金融腐食列島[呪縛』『突入せよ!「あさま山荘」事件』はよくできていたなあ、と思う(好きじゃないけど)。


2003/11/15/Sat.
▲晴れ。
▲おふくろのうちで留守番。仕事をするつもりだったが、手塚治虫の『火の鳥』を読み返してみたり。「黎明編」が好き。
▲女子バレー。最終戦は中国。ヌイヌイっていう、デカい中国人選手、向かうところ敵なしって感じ。最終戦後の特番まで見てしまった。明日からは男子バレーがスタート。


2003/11/14/Fri.
▲晴れ。
▲今夜はおふくろのうちに泊まることに。
▲横山秀夫最新刊『影踏み』(祥伝社)読了。『陰の季節』(文春文庫)などの警察小説で注目を浴び、事件をめぐる多彩な人々(刑事、記者、検事、判事などなど)の人間模様を描く『動機』(文春文庫)『半落ち』(講談社)でブレークした横山秀夫の最新刊は、ノビ師と呼ばれる泥棒が主人公。探偵役を務めるノビ師以外にも、隠語で呼ばれるプロの泥棒たちが登場する連作短篇集。泥棒たちの人間くさい振る舞いには、池波正太郎の『鬼平犯科帳』を連想させる。
▲女子バレー。「日本対キューバ」。接戦のうえ、フルセットまでもつれこみながら勝利。フルセットまでいって負けないという強さ。ホーム(日本)での試合ということもあるのだろうが、一試合ごとに自信を得ている様子が心強い。


2003/11/13/Thu.
▲晴れ。
大池直人さん来宅。お互いHPでバレーのことを書いていたので、今日はうちで観戦することに。
▲保阪正康『瀬島竜三 参謀の昭和史』(文春文庫)読了。昭和史の謎を解明することをライフワークにしているノンフィクションライターの保阪正康が瀬島龍三の「謎」に迫る。瀬島龍三は太平洋戦争中、大本営参謀の要職にあった。終戦時は満州の関東軍に出向中で、戦後はシベリアに抑留される。11年間の抑留ののち、日本に帰り伊藤忠商事に入社。伊藤忠中興の祖と呼ばれる越後社長の参謀役として引き立てられ、繊維の専門商社だった伊藤忠が総合商社に成長する過程で経営中枢にあった。経営者としての仕事の傍ら、政界とのつながりも深く、伊藤忠の会長を務め、相談役に退いてからは第二次臨調の委員として土光敏夫委員長を支え、電電公社をはじめとする後者民営化を答申した。かように華やかな履歴を持った人物に、さまざまな謎があるという。保阪によれば、瀬島は自分の都合の悪いことについて沈黙するか、わざと誤った証言を残しているという。陸軍によるエリート教育が作り上げた、典型的なエリートである瀬島が戦中・戦後、どのように生きたのか。そこには、日本的エリートの限界が示されている。保阪の筆は一貫して瀬島に批判的だが、その批判は瀬島のパーソナリティーに対してではなく、瀬島のような「参謀」を重用せざるをえない日本的システムに向かっている。
▲映画『不毛地帯』の感想部分で、「主人公のモデルは瀬島龍三」と書いたが、それは間違い。原作者の山崎豊子自身が否定している。シベリアに抑留された旧日本兵複数の個性とエピソードを組み合わせたものらしい。しかし、元大本営参謀、商社に入社したなど瀬島の半生が念頭にあったことも確かだろう。しかし、古武士のような自他に対する厳しさがある『不毛地帯』の主人公・壱岐正に較べ、素顔の瀬島龍三はもっとしたたかで食えない人物のようだ。山崎豊子ものちにそのことがわかって慌ててモデル説を否定したのではないかとうがったことも考えたくなってくる。
▲TBSドラマ『マンハッタンラブストーリー』。忍(塚本高史=『木更津キャッツアイ』のアニ)のどんでん返しが決まったところで次回へ。盛り上がってます。傑作の予感。
▲ドラマといえば『あなたの隣に誰かいる』(火曜9時・フジ)がすごいことになってます。『東京ラブストーリー』の脚本家によるホラー風ミステリー(?)なんだけど、気が狂った戸田菜穂が夏川結衣を指さして「このおねえちゃん、人殺しだよ〜」と喜色満面で叫ぶ。登場人物が全員いい感じで壊れているところがいいんです。


2003/11/12/Wed.
▲晴れ。
▲銀座で打ち合わせの後、ニコンサロンとキヤノンサロンで写真展を見る。
▲萩原遼『北朝鮮に消えた友と私の物語』(文春文庫)。面白すぎる。1972年に「赤旗」平壌特派員として北朝鮮に住んだ著者は、夜間高校時代の友人の消息を訪ねる。友人は50年代後半から60年代の帰国運動で「地上の楽園」と喧伝されていた北朝鮮へ渡り、その後連絡が途絶えていた。その当時、著者は北朝鮮政府の実態を知らず、気軽に友人のその後を知るために行動するが、結果的に1年数ヶ月で強制退去させられてしまう。そして、その後の調査から友人が強制収容所に入れられたことを知り、自分が消息を訪ねたことが原因だったとしたら……と思い悩むようになる。
▲本書は、著者が自身の生い立ちから朝鮮へ関心を抱き、やがて、北朝鮮政府の実態を暴くことに執念を燃やすまでに至る過程をあふれる詩情と情熱で描いた「熱い」ノンフィクションである。いやはや、あまりにもドラマチックな現実に時間を忘れて読み耽ってしまった。


2003/11/11/Tue.
▲雨のち曇り。
横浜美術館に中平卓馬展「原点復帰−横浜」(〜12月7日)を見に行く。
▲中平卓馬は1938年生まれ。「現代の眼」編集部を経て写真家に転身、写真についての文章も多く、写真同人誌「プロヴォーク」の中心メンバーとして活躍するなど、60年代後半の写真シーンをリードした。『来たるべき言葉のために』とか『まずたしからしさの世界をすてろ』(天野道映、岡田隆彦、高梨豊、多木浩二、森山大道との共著)とか『なぜ、植物図鑑か』とか『新たなる凝視』とか、とにかく、著書のタイトルがメチャクチャかっこいい! のである。「プロヴォーク」でも活動をともにした盟友・森山大道との比較から、どうしても「言葉の人」「アジテーター」としての印象が強い中平卓馬だが、その中平の作品の過去から現在までの集大成となる作品展が、この「原点復帰−横浜」だ。折りよく川崎市民ミュージアムで森山大道写真展「光の狩人−森山大道 1965-2003」が開かれていたこともあって(11月3日で終了してしまったが)、両展覧会を見るのがこの秋のビッグイベントだった。
▲中平卓馬は写真について考える思想の人でもあり、そのラジカリズムは、ある時期に自身の作品のネガを焼く、というところまで行き着いた。したがって、初期の代表的な作品はネガが失われてしまったとされていた(その後、中平の助手を務めていた中川道夫宅と、中平宅で一部のネガが発見され、今回の展示では新たにプリントされたももの展示された)。この展覧会でも、保存状態の悪いプリントや、現存する雑誌から複写したものなどが展示されている。しかし、それはそれで、写真が時代に果たした役割を見事に表現しているように感じられた。写真は複製芸術であり、「この1点のみ」というような美術品とは立脚する場所が違う。そのことに意識的であった中平にとって、そもそも美術館で展覧会を開くこと自体が一種の皮肉でもある。パリ国際青年ビエンナーレに参加した中平は、日々撮影した写真を展示しつづけ、最後は主催者の官僚的態度にムカつき、終了の二日前に作品を引き上げたという若き日のエピソードがあるくらいなのだから。
▲というわけで、過去の作品は時代の空気を感じさせる生々しいものではあるが、美術館という殺菌された空間の中ではどこか食い足りなさが残った。その点は、過去の作品が時代としっかりと絡み合って、独得の迫力を生みだしていた「光の狩人−森山大道 1965-2003」とは趣が異なる。むしろ、今回の中平卓馬展の見所は、現在、中平が撮り続けている新作の生き生きとした生命力にあると思う。ニワトリやネコ、日本家屋、川縁の自然風景や、公園で昼寝するホームレスをあたかも「目撃」したかのようなランダムさで撮影した「順不同」の作品の魅力は言葉にすることが難しい。
▲中平は1977年に急性アルコール中毒により記憶を喪失し、以来、健康は回復したものの過去を完全には取り戻すことなく、かつての鋭敏な知性を感じさせる文章は脳に負った障害の影響を感じさせるとつとつとしたものへと変わった。しかし、そうした自身の肉体をめぐる状況にあって、中平は写真を撮り続けることだけはやめていない。倒れる前に「なぜ植物図鑑か」という評論を書き、それまで撮ってきた「アレ・ブレ・ボケ」の写真と訣別した中平は、病ののちも、その思想に殉じて「新たなる凝視」というタイトルの写真集を刊行している。今回の写真展を見て、いちばんの収穫は、中平が77年に倒れようと倒れまいと、ある時点でこのような写真を撮りはじめたのではないかという実感が得られたことだった。
▲恵比寿。東京都写真美術館で写真展を2つ見る。『写真新世紀2003』展(入場無料)と『不肖・宮嶋 報道写真展』(入場料1,000円)
『写真新世紀2003』展(〜11月28日)はキヤノンが主催するスタイル不問の写真公募展。今年で12年目を迎えた。これまでHIROMIX、佐内正史、蜷川実花ら錚々たる写真家を輩出している。ぼくもこれまで何度か写真展に足を運んでいるが、いつも刺激的だ。入賞者の作品のほかに佳作入選の作家たちの作品(実物)が閲覧できるようになっていて、入場無料ながら、ものすごく充実した展示になっている。これから世に出ようという写真家たちの野心が瑞々しいパワーとなって写真からオーラを発している。選考方法もユニークで、審査員たちが自身の名前で一人選んで賞を与えている。その「センス」も問われるわけで、合議制の審査の曖昧さがないぶん、さわやかだ。
▲藤田裕美子(1979年生まれ)「Underwater Umbrella」(鈴木理策 選)は雨の日の街をスナップした作品。プロジェクターで延々と写真が映し出される。1枚1枚は「失敗写真?」って感じの写真なのだが、数を見せられていくうちに、その視線の浮遊感から目が離せなくなる。
▲加藤純平(1980年生まれ)「ever green」 (マーティン・パー 選)は風に揺れる木々の葉をスローシャッターで撮影した作品。風の動きが生き物のようにも、さらに抽象的な存在にも感じられる。
▲法福兵吾(1976年生まれ)「Artifical sensitivity」(南條史生 選)。構成された画面の中から、不意にぬっと顔を出す「何か」。ありふれているものが写真になると違って見える。
▲内原恭彦(1965年生まれ)「RAW LIFE」(森山大道 選)はインド、東京? などご近所から遠方まで、ランダムに生活が羅列されているのだが、その1点1点に緊張感があって、印象に残る。自分の部屋からアジアの街角までの地続き感が新鮮。
▲植本一子(1984年生まれ)「18才だった」(荒木経惟 選)。カラーコピーの写真集には、地方から新幹線に乗って上京してくるまでの、高校3年の日々が詰め込まれている。そのセンチメンタルな多幸感がたまらなくいい。ラストは見送りにきた友だちたちをガラス越しに。人ごとなのに泣ける。理屈抜きでいいと思った。
▲ヤマダシュウヘイ(1974年生まれ)「untitled」(飯沢耕太郎 選)。ミッキーの耳をつけた黒髪、トレーナーのタグが飛び出したボブカットそれぞれ後ろ姿が撮影された写真。細部へのこだわりが作品を揺るぎにないものにしえいる。空想を刺激する作品。
▲佳作入選の作家の名前を挙げておく。ポートフォリオを会場で閲覧できる。内田義則、矢野隆、桶上朋子、笠木絵津子、松岡敦飛、外山桂一、野中元、梶岡禄仙、鈴木信彦、鈴木晋、藤本久美子、西宮大策、小賀康子、高橋紘一、五十嵐哲、菊池麻美、田口和奈、進藤典子、市川和子、エリック、齋藤裕也、菅井健也、nielestadt、吉村順平、牧野佳奈子、ふじいあゆみ、菊池明子、神林優。あれ? エリックのポートフォリオを見かけなかった。出してなかったのかな?
▲『不肖・宮嶋 報道写真展』(〜11月24日)。「不肖・宮嶋」ご本人がいた。そういえば、渡部さとるさんが10月29日の日記で「聞けば会期中はずっといるつもりだという」と書いていた。会場には「不肖・宮嶋」の愛用していた(る)カメラ、戦闘機の模型なども展示されていて楽しい。


2003/11/10/Mon.
▲雨。
▲よく傘を置き忘れたり、なくしたりするのだが、中国で買った安物の折り畳み傘はなかなか手元を離れていかない。
▲原稿返却、借りていた商品の返却などの事務作業のあと、ちょっとした打ち合わせ。
▲女子バレー。ポーランド戦。フルセットまでいくが、最後は気持ちよく勝った。感極まって言葉が出ないアナウンサーからマイクをうばって、高橋みゆきが勝利インタビューを仕切るハプニングも。選手の硬さがとれてきて、いい感じだ。両親が興奮して見ているせいか、日本のアタックが決まるとイクヤが泣き出す。
▲ちょこちょこと直していた談話原稿を仕上げて、語り手に確認のメールを送信。
▲共同通信社社会部編『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』(新潮文庫)読了。面白すぎる! 先日、映画『不毛地帯』を見て、主人公のモデルとされている瀬島龍三のことを知りたくなって読んだのだが、大本営参謀だった瀬島の足跡を通して、あの戦争に日本画のめりこんでいったのはなぜか、戦後、参謀たちはどのように生きたのかを明らかにする野心的なルポルタージュだった。瀬島は11年間のシベリア抑留後、帰国して伊藤忠商事に入社する。インドネシア、韓国での戦後賠償に食い込み、巨額の売り上げを上げ、防衛庁への太いパイプを生かし軍需ビジネスにも乗り出す。いずれも、戦前、戦後を通じて脈々と続く政官のエリート層の人脈がものを言った。瀬島は伊藤忠の会長にまで上り詰めるが、その一方で、中曽根康弘や金丸信など大物政治家のブレーンを勤め、「首相の指南役」と呼ばれてもいた。
▲本書を読んで驚くのは、あの戦争をはじめ、泥沼化させていった人々が戦後も堂々と日本の支配層に残り、過去のあやまちを明らかにしないまま国家の舵取りに参画していたことだ。元A級戦犯の岸信介が戦後首相になったことは有名だが、岸は農商務省のエリートで東条内閣の商工大臣を務めた文民だ(とはいえ、戦後、堂々と首相をやる神経はいかがないものかと思うが)。肝心の、戦争を推進した軍部のエリートたちは戦後、どう生きたのか。本書を読むとその一端がうかがえるが、その無責任ぶりに唖然とさせられる。多くの犠牲者を出しながら、それでも自分の頭脳は日本に必要だとでも思っているのか。その傲岸不遜を許し、エリートたちの能力をあてにすることで、日本の官僚組織は成り立っているともいえる。そういう意味では、戦前も戦後も、日本が純然たる官僚国家であることは変わらない。


2003/11/09/Sun.
▲曇りのち雨。
宇宙葬って知ってますか?
杉並北尾堂で予約購入したやまだないとの『西荻カメラ』読了。いまどきクロス装。日光写真のおまけつきなど、素敵な本。西荻に思い入れのある人にはたまらないマンガ&エッセー。適度にまぶされたフィクションが、西荻とその周辺を「ここではないどこか」のファンタジーワールドに仕立てている。自分の心の中の西荻に出会える本だ。
▲滞っていた原稿の目鼻をつける。
▲女子バレー。アメリカを破ったドミニカに苦しめられながらも快勝。いい試合だった。
▲今日は選挙。自民圧勝と思っていたら、意外や、民主健闘。投票率が低いのに自民が苦戦したということは自民党支持の律儀なお年寄りたちの情熱が薄れたってことなのか。公明党が議席を増やしていることから見ても、自民の凹みに今までとは違う風を感じる。
▲深夜、テレビ朝日で田原総一郎の番組を見ていたら、自民、民主とも「憲法改正」「自衛隊の存在を憲法に明記」と鼻息が荒い。専守防衛の自衛隊があるのは国家としてあたりまえのこととしても、国連の御旗の元に国際紛争に首をつっこみたくてうずうずしている様子にうんざりする。そんなに戦争したかったら自分で行け


2003/11/08/Sat.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>キカイ(器怪)本とチレイ(地霊)本〜カワカミ(川上弘美)系幻想文学への誘い〜(文=東 雅夫)をアップ。東さんが『川上弘美読本』(「ユリイカ」別冊)に寄稿したテキストから発想したブックリスト。取り合わせの妙をお楽しみあれ。
▲<怪奇幻想ブックストア>の無料メールマガジン「幻妖通信」のプレ校正を作って東店長&bk1スタッフに同報発信。
▲新宿TSUTAYAでビデオとDVDの返却&貸し出し。


2003/11/07/Fri.
▲曇りのち晴れ。
▲野村進『救急精神病棟』(講談社)読了。テレビドラマ「ER」などで救急医療についての関心が高まる一方で、そこからすっぽりと抜け落ちている分野が精神医療だ。本書は、先進的な救急医療を続けている公立の救急医療センター、千葉県医療センターを舞台に精神医療の現在をリポートしている。夜中に錯乱状態で飛び込んでくる人たちを受け入れ、治療を施す。だいたい3カ月で退院できる状態へ回復させるというシステムは、実は精神医療の現場ではきわめて珍しい。精神科病棟では年単位で入院し続ける患者が少なくないのである。本書は救急精神病棟を描くことのみならず、投薬、通電療法(電気ショック)などの治療法の最新情報や、脳科学と精神医学の関連性などについてもわかりやすく解説されている。日本の精神医療が抱える問題に関心のある方はもちろん、それ以外の人にもおすすめしたい秀作。
▲極上カメラ倶楽部『オリンパスE-1』(双葉社スーパームック)色校チェックと直しで終日。仕事を終えてから飲みに行く。来年、どういうことをしようかとか、そういう打ち合わせを兼ねた飲み会に。


2003/11/06/Thu.
▲曇りのち晴れ。
▲銀座で写真家の吉野信さんと次号「チーズプラザ」の打ち合わせ。
▲銀座ニコンサロン飯田鉄写真展「関東という器」(〜11月8日)を見る。群馬、埼玉、茨城など、関東近県で撮影した、忘れられたような建物の写真。歴史的建造物と呼ぶには日常に近すぎる建物だが、こうしてモノクロ写真で見せられると、その建物がまとっている空気がある時代を体現していることがわかる。撮影後、数年〜十数年寝かされたことによって、「熟成」した珠玉の作品群。飯田さんは今年個展を4度も開いていて、写真集『街区の眺め』(日本カメラ社)も出版した。
▲ニコンサロンのすぐ近くキヤノンサロンでは生原良幸写真展「おおさか原人録」(〜11月8日)を見る。こちらは大阪の人々をモノクロで撮影したポートレート写真。著名人、無名人とりまぜているが、かの地に暮らす人たちの濃さが伝わってくる。
ガーディアン・ガーデン/クリエイションギャラリーG8へ足を伸ばし、藤井保写真展「旅する写真」(〜11月21日)。毎年恒例の「タイムトンネルシリーズ」第18回。クリエイターたちの若き日から現在までの道程を作品で紹介する優れたシリーズで、これまで写真家では高梨豊、長野重一、土田ヒロミ、沢渡朔、操上和美、柳沢信、大倉舜二の各氏が登場している。ほかに安西水丸、和田誠といったイラストレーター、亀倉雄策、仲條正義などグラフィックデザイナーも取り上げられており、豪華ラインアップだ。1部500円で販売している冊子も作家へのロングインタビューと詳細な年譜が掲載されていて資料価値が高く、そちらも楽しみにしている。
▲今年は広告写真の巨匠、藤井保。『ESUMI』(リトル・モア)『ニライカナイ』(リトル・モア)などの写真集でも知られるが、JR東日本の「駅長」シリーズや、マグライトの新聞広告、シュワルツネッガーのカップヌードルなどのほうがピンとくるかもしれない。広告写真の世界は優れた職人たちの世界で、外からはうかがないしれない部分があるが、こうして一人の写真家の作品として見渡すと、美意識のありようがうかがえて興味深い。藤井の場合、仕事から派生したものが写真集に結実しているという印象で、そこからハミ出した作品は意外と少ない。しかし、マグライトや、無印良品での仕事から生まれたシリーズには広告写真の本質ともいえる、見えない「品質」をどう表現するかが突き詰められている。その結果、思索的な深さ感じさせる写真になっている。ピンホール写真に取り込んでいることなどから考えても、藤井保が写真を撮ることと同じように、写真について考えることが好きな人なのではないかと感じた。


2003/11/05/Wed.
▲曇りのち雨。
▲松本賢吾『女の街』(毎日新聞社)。富山県八尾町のおわら風の盆から、新宿歌舞伎町へ。マツケンさんの新刊は『月虹(ムーンボー)』(毎日新聞社)の生方刑事がふたたび登場する新宿シリーズの第2弾だが、趣は異なる。30年前に歌舞伎町でやむなく殺人を犯し、日本全国の飯場を転々として生きてきた男が、幻想的な「風の盆」に出会ったことをきっかけに、再び新宿へ舞い戻る。かつて愛した女は一女の母となり、事件に巻き込まれていた。男は失われた30年を取り戻そうと奮闘する。中年男の純情が爆発する人情&アクション小説。いい味出てます。
▲オリンパスへ機材返却。時間が空いたので、映画『キル・ビル』を見る。サイコー! 世間ではタランティーノの気がふれたと思われているむきもあるが、いやいやどうして。これぞ映画。娯楽映画の「周縁」に取材し、タランティーノ流のブラッシュアップを施した超「エンターテインメント」である。日本刀を携えて飛行機に乗るウソ話(タイアップしてくれる航空会社があるわけもなく、映画オリジナルのヒコーキ)が、馬鹿馬鹿しさスレスレの面白さに昇華しているのはなぜなのか。最近、ハリウッドの映画がつまらないとお嘆きの貴兄にこそお薦めしたい、問題作。見所満載。タランティーノ作品らしく劇伴音楽もよく、さっそくサントラを買った。
▲いたさんと飲みに行く。夜、雨が降る。歌舞伎町は『マトリックス・レヴォリューション』の世界同時公開で盛り上がっていたようだが、ゴールデン街は静かだった。


2003/11/04/Tue.
▲晴れのち曇り。
▲新宿。コニカミノルタプラザ(旧コニカプラザ。コニカがミノルタと経営統合したので改称)。通常ABC3つのギャラリーで写真展を開催している。宮嶋康彦写真展「日光山 花鳥縁起」―絵草子の抄―(〜〜11月10日)。宮嶋康彦は「サライ」連載の風景写真などで著名な写真家だが、いわゆる風景写真、ネイチャーフォトという枠のなかにおさまらない、ユニークな哲学を持つ写真家だと思う。『日本列島桜旅』(小学館)のような、ストレートに美しい風景に向かい合うような本を出す一方で、日本のカバ100頭以上を撮りに行ったり(『日本カバ物語』情報センター出版局)、たい焼の魚拓を撮り歩いたり(『たい焼の魚拓』JTB)している人である。最近では『汎自然』をテーマにした豪華写真集(かんげき屋刊)を出版している。「日光山 花鳥縁起」は宮嶋がかつて暮らしていた日光の、自然風景とその地に作られた文化財の写真を組み合わせている。日本的な風景と、歴史的な文物が写真によって照合されることで、自然の持つ豊かな表情にさらなる点睛が加えられている。「引き」と「寄り」のカメラアイの自在さにも惹かれる。ただ、気になったのはカラープリントがいかにもデジタル出力で、それが作品のイメージと合っていないように感じられたことだ。
十字和子写真展「ラダックへの道」−Living in Nature−。こちらはモノクロームのドキュメンタリー写真。北インド、ラダックの人々と生活様式。チベットと地続きの仏教文化。いつか行ってみたい。
中藤毅彦写真展「Deep Habana」。タイトル通り、キューバのハバナをスナップした写真展。中藤毅彦は東欧、ベトナムなど、旧&現社会主義国を精力的に取材し、写真集、写真展を開いている。ドキュメンタリーではあるが、作品は一貫して中藤自身がイメージする「もう一つの現実」を写真に写し取ろうとしている。いわば、反世界としての社会主義。戦後民主主義の日本に育った人間が夢見るアナザ・ワールド。とりわけ、今回の作品の中のキューバは甘い。モノクロの他にカラーもあり、キューバの「色」が写真家にとって刺激的だったことがわかる。『ライカ新時代 ぼくたちのM型ライカ』(双葉社スーパームック)にぼくが中藤さんにインタビューした記事が載っているので、興味のある方は是非。ちなみに、「Deep Habana」はライカ、コニカヘキサーとライカレンズで撮影されている。
▲新宿駅の反対側。西口エルタワーの新宿ニコンサロンで写真展を3つ。こちらはスペースが狭く、少し残念な展示だった。ニコンサロンが主催する若手写真家の登竜門「ユーナ21」シリーズ。中山保貴写真展「parallel world」(〜11月10日)。いわゆる廃墟写真(カラー)。「いわゆる」と言いたくなってしまうのは、ちょっと前に大ブームがあったからだ。丁寧に撮影されていて好感が持てる写真展だったが、新鮮さは感じられなかった。中山保貴は1980年生まれ。九州産業大学大学院芸術研究科写真専攻に在学中。
▲もう一人。佐久間ナオヒト「ハゴロモ」(〜11月10日)。祖母の死と、そこから数ヶ月をカラーパノラマ写真で淡々とムービー風に撮ったカラー作品。展示スペースの都合なのか、それともそういうのが好きなのか、1枚1枚がちっちゃい。日常の記録から不意にジャンプして、妙なモノが写り込んでくる。その飛躍が楽しかった。佐久間ナオヒトは1975年生まれ。会場にあったポートフォリオにはポートレートのシリーズもあったが、こちらもいい感じだった。
▲最近一眼レフカメラを買ったばかりだというオオシマさんにカメラのことをレクチャー。久しぶりに吉祥寺で飲んだ。


2003/11/03/Mon.
▲雨。文化の日。
映画『A2』をDVDで。森達也監督のドキュメンタリー。前作『A』では荒木広報部長を主人公に、地下鉄サリン事件後、「国賊」になったオウムの人々の内面と、マスコミ、警察との衝突を描いていた。『A2』では移住しようとした先々で排斥運動を受けるオウムの姿が描かれる。「人殺し集団オウムは出ていけ」とハチマキを巻き、プラカードを掲げて行進する一般市民(おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんばかり)。彼らとオウムのすれ違うばかりの会話と、対立の最前線で生まれた奇妙なコミュニケーション。飛び出してきたはずの「一般市民社会」と向き合うことを余儀なくされるオウムの人々。地域社会もオウムという「敵」の登場で活性化するという皮肉な現象まで起こっていた。
▲オウムあらためアーレフは日本社会と融和できるのか? 『A2』では疑問符付きながら融和の方向へと向かう彼らの姿を描いているが、ことオウム問題に関しては、教祖の三女を中心とするグループの突出した行動こそが問題ではないかと思う。いずれ分裂、その抗争に一般市民が巻き込まれるという可能性もある。前作同様、マスコミの偏った報道、警察の不可解な「警護」もバッチリ写されている。あと、見所は妙にまっとうな意見を述べる右翼の人たち。
▲テレビで女子バレーボールワールドカップを見る。日本対韓国。バレーボールの試合を見るなんて十数年ぶりか。ルールもすっかり変わっていた。試合は接戦でとても面白かった。選手のルックスと、キャラクターも特徴的で、人気が出そうな雰囲気があるチームだ。次はイタリア戦。
▲大阪で、18歳大学生が家族を皆殺しにしようとして果たせず、母親だけを殺した事件で、犯人の16歳の恋人も捕まった。この女の子はゴスロリみたいですね。ついに現れたゴスロリ殺人者かと思ったけど、結局、未遂。どこまで本気だったのか、本人にも分かってないんだろうな。


2003/11/02/Sun.
▲晴れ。
▲哲学堂まで電車で。天気がいいので気持ちよかった。
映画『不毛地帯』(76年・山本薩夫監督)をビデオで。オールスターキャストの社会派大作。
▲昭和33年。関東軍参謀だった壱岐(仲代達矢)は戦後11年間に渡ってシベリアに抑留される。日本に帰ってきた壱岐は関西の大手商社、近畿商事に入社する。旧陸軍の人脈から、防衛庁への入庁が取りざたされたが、家族の反対もあって、旧軍との関係を絶ちたかったからだ。壱岐は近畿商事の主流たる繊維部門に配属される。
▲しかし、近畿商事では、自衛隊の二次防(第二次防衛力整備計画)にラッキード社のハイテク戦闘機を売り込むべく全力をかけていた。壱岐は旧帝国陸軍のエリート軍人だったという人脈と能力を買われ、戦闘機売り込みの最前線に押し出される。ライバルは東京商事が押すグラント社の戦闘機。導入する戦闘機を最終的に決める国防会議のメンバーは政治家であり、東京商事の鮫島(田宮二郎)は首相をはじめとした政治家にリベートを用意し、有利にことを運んでいた。ラッキードを押していた壱岐の親友の川又空将補(丹波哲郎)の立場が悪くなっていると知った壱岐は、川又への友情から、強引な手を使ってラッキードを後押しするが……。
▲自衛隊に残る、旧内務省グループ対旧軍グループの熾烈な争い、商社から政治家への「実弾」攻勢など、えげつない現実が描かれる。原作は山崎豊子。壱岐のモデルは伊藤忠で会長まで務め、政財界の黒幕とも言われた瀬島龍三。瀬島の旧軍時代の行動について、また、戦後の「活躍」については批判的な本が何冊か出ている。しかし、この映画では戦争は勝たねばならない、を至上命題にするがゆえに、不幸を巻き起こしてしまう悲劇的な人物として描かれている。近畿商事社長役の山形勲、内務省出身で権勢をふるう防衛庁事務次官役の小沢栄太郎など、「大物」役者たちの存在感も見所。


2003/11/01/Sat.
▲晴れ。
▲大人2人と子供1人来宅。小学校1年生の男の子、赤ちゃんが大好きで抱っこしようと奮戦。お母さんは妊娠8カ月。もうすぐお兄ちゃんになる予定。
▲野球。長嶋ジャパン対プロ野球選抜。プロ野球選抜の勝ちとは情けない。そのままチームを入れ替えては? プロがオリンピックで日の丸背負って……というのは、相応のインセンティブがないと難しいと思う。シーズン中の試合が本業なのだし、張り切って怪我でもしたら、と思うのはプロなら当然だろう。しかも「勝って当然」と思われている節もあるし。


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