A DAY IN MY LIFE

2004年5月の日記


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2004/05/31/Mon.
▲快晴。
▲曇りのち雨。
▲写真のワークショップ。3回目にして、センセイから「これでいいんじゃない?」というお言葉をいただく。プリントの調子のことで悩んでるむね相談すると、「個展でもやってみないと揃わないよ」と言われ、なるほど、写真展やる「レベル」ってそういう技術的な水準をクリアすることでもあるんだなあ、と思う。そのセンセイもあるディレクターから「プリントが黒い」と言われヘコんでいた様子なので(笑)、俺ごときが云々いうのもおこがましいか、と思う。
▲そもそも講評会形式のワークショップに参加してみようと思った理由のひとつには、ほかの参加者の作品を見ることができるから。スナップ、ランドスケープに大別できるが、カラーもモノクロも、デジタルの人もいるのでバラエティーに富んでいる。毎週新作を持ってくるのが条件なので、写真が「変わっていく」(上達、というのとは微妙に違う)過程を見ることができる。センセイの批評の言葉は写真をどう言葉にするか、ということをいつも考えさせてくれる。
▲いつものようにかぼちゃに寄って帰る。いつもYさんという人が写真を批評してくれる。その自信たっぷりな批評の仕方にいつも感心してしまう。写真は、見るのも見せるのも面白い。


2004/05/30/Sun.
▲快晴。
▲午後から深夜までプリント。ベタを12枚焼いてから、六つ切り23枚(オーケーのみ)。フィルム現像の条件によって、プリントの調子がかなり違うので、フィルター選びに困惑。標準現像のほか、ISO800で撮影した+1現像分、増感効果で硬調にしてみたり。コントラストが上がる分「それらしく」見えるんだけど、それでいいのか>自分とかツッコミを入れたくなる。一方、ISO200の減感現像ってのもやっていて、こっちは当然軟調。印画紙に多階調(マルチグレード)紙というのがあって、フィルターを変えれば、コントラストを変えることができる。軟調のフィルムでも「硬く」(コントラストを高く)できるし、その逆もできるわけだが、結局、自分が求めている調子がどのへんのものなのかがわからない。迷う。このへんで考え始めると、先に進まないので、得意の「まあ、いいか」で焼いていくことにする。
▲水洗促進液のバットを揺さぶりながら、ちびちびと天童荒太『家族狩り 第5部 まだ遠い光』(新潮文庫)読み始める。いよいよ最終巻。モティーフになっている事件はいわゆるミステリのそれだが、登場人物たちの魅力に引き込まれる。この人たちが、どうなっていくのかが気になって仕方ない。本当に、この長さで完結できるのか、と思うくらい、物語の外へと飛び出していくようなリアリティーがある。「いま」こそ読まれるべき小説だと思う。


2004/05/29/Sat.
▲快晴。
▲九州は梅雨入り。週末、お天気崩れるとの予報だったが、快晴。初夏の陽気だった。
▲新宿御苑までバギーを押しながらぷらぷら歩く。今年は御苑で花見をしなかったので、イクヤを入れた家族で新宿御苑に出かけるのは初めて。芝のうえで存分にハイハイしてご満悦の様子。御苑には今まで何度もきているが、子供連れの家族など眼中になかった。バギーに乗るくらいの年齢の子供をつれた親子がわんさかいることに気づいた。もちろん、いちゃついているカップルも混じっており、ピンク色の空気の中を子供たちがかき乱すように走っていく。


2004/05/28/Fri.
▲快晴。
▲映画『キル・ビル2』。。さすがタランティーノ。ここ2本、劇場で見た映画に満足できなかったので、溜飲が下がる思い。映画らしい映画を見たという満足感を得た。「1」と比較して云々という見方をしてしまえば、ややインパクトに欠けるかもしれないが、予定調和でけっこう。2つでひとつの映画なのである。四の五の言わず、タランティーノの繰り出す技を堪能すべし。
▲車谷長吉『忌中』(文藝春秋)読了。短編小説集。体調でも悪いのか、いつものバイタリティーに翳りが感じられて心配になった。


2004/05/27/Thu.
▲晴れ。
▲外出はしなかった。仕事の合間に貴志祐介『硝子のハンマー』(角川書店)読了。作者初めての密室ミステリーだが、ボリュームの大半は推理の試行錯誤に費やされており、実によく調べられていて、飽きさせない。しかし、読後感は肩透かしの印象。『青の炎』(角川文庫)を新刊で読んだときに、何か間違った道に進んでいっているような嫌な予感があったのだが、的中した感あり。この作者の既刊では、『天使の囀り』(角川ホラー文庫)がベスト、次が『黒い家』(角川ホラー文庫)だと思っている。いずれも、人間の感情の奥底までさらうような執拗さで「恐怖」を描いて秀逸だった。ところが、『青の炎』と『硝子のハンマー』からはよくできたお話であるという印象しか受けない。がっかり。


2004/05/26/Wed.
▲晴れ。
▲新宿で映画『パッション』(米 メル・ギブソン監督)を見る。先日、『ダ・ヴィンチ・コード』 角川書店)を読んでいると、作中、この映画についても触れられていた。『ダ・ヴィンチ・コード』は、聖書の中で描かれたキリスト像は教会によって歪曲されていて、歴史的事実と異なる、という見方が重要なモティーフになっているミステリ小説で、同じ潮流にこの映画『パッション』も位置づけられるという触れられ方だった。なるほど、この映画はキリストの死の直前、12時間をドキュメンタリータッチで描いた映画である。セリフは当時使われていたラテン語とアラム語を用いるという凝りようだ。
▲しかし、映画を見る限り、メル・ギブソンに教会と対立しようという意志があるようには感じられなかった。むしろ、執拗なまでの残酷描写(キリストの「受難」がリアルに描かれる)などに、キリスト教原理主義的な意味合いを感じた。キリストは寡黙で神秘的な人物として描かれており、演出のタッチが生々しいだけに、「預言者」の神々しさがいや増す。非キリスト者であるぼくにとっては感情移入できないことはなはだしく、現代の視点からの説明や解釈も極力配されているので、総じて退屈だった。信仰を持っている人にはまるで違う映画に見えるのかもしれない。俳優の演技の緊張感や、オープンセットの見事さ、撮影の美しさなどに見るべきものはある。しかし、ある種、我慢比べを強いられているような映画だった。


2004/05/25/Tue.
▲晴れ。
▲以前にいた会社(今は社名も経営母体も変わってしまった)で以前やった仕事のリニューアルをするということで、打ち合わせに行く。フリーになりたての時にやった仕事なので、すっかり忘れており、自分で書いた原稿を読んで吹き出してしまった。
▲打ち合わせ後、まだこの会社に残っている同期のMを呼び出してランチ。バブル期の入社だったので、同期の数がそれなりにいて、近況の噂話に花が咲いた。今のところ、一人も刑事事件の被告になっていないのは立派。まだ誰も死んでいないのも大したものだと思う。
▲先日、やはり同期だったKに「丸くなった」と言われたことについて引っかかっていたのだが、Mにも同様のことを言われる。Mは「子供ができて丸くなったのだ」と断定する。子供の存在と性格がマイルドになったことに因果関係を見出すという考え方はいかにも紋切り型で反発を感じるが、自分のことなので、正直よくわからない。完全に否定できる材料もない。Kと会ったときにも思ったことだが、こちらには、そもそも丸くなったという意識がないのである。しかし、20代の頃はよくよく嫌な奴だったということなのかもしれない。今では丸くなって、すっかりまっとうな社会人になったということだろう。誉め言葉ということにして、ありがたく受け止めておくことにする。
▲映画『CASSHERN』(紀里谷和明監督)を見る。宇多田ヒカルの才能ある旦那さんの初監督作品ということで、好意的に取り上げられることの多い映画だ。ぼくも期待していたのだが、正直なところ、最後まで見つづけることさえ苦痛だった。たしかに、映像の美しさには目を見張るものがあるし、美術デザインは実に凝っている。しかし、物語を作ったり、それを映像で語ったりということは苦手なのか、登場人物の葛藤やドラマは見事に空回りしており、登場人物の長台詞はすべてモノローグのように聞こえる。観念的な内容の台詞が多く、あくびが出た。ほとんど映画になっていないと思った。どんな映画評が出ているか知らないが、「挨拶に困る」タイプの映画。宇多田ヒカルの主題歌は良かった。
▲横山秀夫『臨場』(光文社)読了。横山節、好調なり。異動が当たり前の警察組織にあって、10年近く検視の現場を張っている倉石なる男が主人公。針金のように細い体躯で、組織の和を乱すことをおそれず、自身の読みを押し通す。「終身検死官」の異名を取り、その大胆な検視で、いくどとなく事件を解決に導いてきた。県警内に倉石の信奉者も多く、倉石学校の校長とすら呼ばれている。いわば「スーパーマン」だが、そこは横山秀夫、しっかりと「弱み」も作っているtころが上手い。工夫を凝らした意外性のあるストーリーと、人情味あふれる人間描写は常のごとし。期待を裏切らないできばえだ。


2004/05/24/Mon.
▲カメラ雑誌「CAPA」のインフォメーション記事の取材で、写真家の金村修さんにアルル国際写真フェスティバルについてお話をうかがう。写真関係者の間で「アルル」といえば、ゴッホでもローマ遺跡でもなく、写真フェスティバルのことを指す。1971年にルシアン・クレルグ(天使の羽をつけたジャン・コクトーの肖像写真などで有名な写真家)らが中心になってはじめた写真の「お祭り」だが、この祭りはのちに世界各地に飛び火していく。日本でも北海道東川町が「写真の町」を標榜し、毎夏イベントを開いている。「アルル」の目玉ともいえるのが、世界各地の写真家を指名して行なわれる写真展。毎年「ディレクター」が選ばれ、そのディレクターが写真家を指名する。今年のディレクターは英国の写真家マーティン・パーで、日本からは金村修さんのほか、松江泰治、川内倫子が選ばれている。会期は7月8日〜9月19日。オープニングに合わせて金村さんも渡仏するそうだ。ところで、中京大で5月15日までやっていた金村さんの写真展「13TH FLOOR ELEVATOR OVER THE HILL」見るそこねたのは残念だった。以前、1度取材でお会いしたときにも感じたことだが、金村さんは写真をどう撮るかについての考察を重ねることで、作品世界を構築している。興味のある方は、金村さんの写真集の中でもとくに言葉の占める比重が大きい、『I can tell』(芳賀書店)をお薦めしておく。何度開いても楽しめる、世界に向かって開かれた傑作写真集。そういえば、この本の出版にまつわる「ちょっといい話」について真偽の程を金村さんに聞くのを忘れてしまった。次の機会に聞いてみよう。


2004/05/23/Sun.
▲曇り。
▲新宿まで出て、定着液などを購入。帰宅後、洗面所とお風呂場を使った暗室にこもってプリント。やっと、以前プリントしていたときくらいの下手なプリントは焼けるようになってきた。遊びにきた義妹を交えた夕食をはさんで深夜まで作業。知らない人が見れば、異様な大きさの引き伸ばし機と風呂場に並んだバット。さぞや酔狂なことをする義兄だと思ったに違いない。


2004/05/22/Sat.
▲曇り。
▲暗室教室の日。2度目のフィルム現像。自宅でやっていて、疑問に感じたことを先生にあれこれ聞いてみた。教室ではLPLのタンクを使っているのだが、家ではいただきもののマスコのタンクを使っているので、攪拌の仕方が違うのである。それに、教室では、先生がとったデータをもとに、ISO400のフィルムを200で撮影し、現像時間を短くするという、ちょっと変わったやり方(粒子が細かくなり、やや眠いネガができる)をしているので、そのことについても聞いた。
▲コンタクトプリントまでやったのだが、ほかの生徒さんのものと比べて、かなりはっきりと違いが出ていることに気づく。ぼくはたまたま古いレンズで撮っていたのだが、ほかの人は最新式のカメラ、レンズの人が多い。すると、コントラストがずいぶん違ってくる。おそらく、内蔵された露出計のクセにも関係してくるんだろう。レンズの違いについてはこれまで編集の立場で本やムックを作ってきたけど、コンタクトプリントレベルでもはっきりと違いが出ることにあらためて驚いた。そして、このときはあまり意識していなかったけど、露出の設定、タンクの振り方、現像時間の多寡でもかなり変わってくるから、自家現像をすることは、結果的にその人の「個性」(上手下手を含めて)を反映したネガになる。よくよく考えると、迷宮のような複雑な世界である。
▲ずいぶん前にもらった定着液の粉を水に溶く。ところがいっかな溶けず、真っ白なまま。袋を見たら、有効期限が2年も前に切れていた。おかげで、今夜はフィルム現像はできなかった。がっかり。


2004/05/21/Fri.
▲曇り。
▲広告農場の紺谷さん、編集者Kくんと焼肉。大学を出て入った会社の同期だった。紺谷さんはそのころからお世話になっているグラフィック・デザイナーで、Kくんと仕事をしている最中。社会人になってから13年目。気の遠くなるような時間だ。どれだけ成長できたかと思うと、実に心もとない。
▲Kくんからは「(性格的に)丸くなった」と言われ、自分ではまったく意識していなかったので、不意打ちの感があった。「丸くなった」と思われることが意外だったのではなく、昔から自分のことを「誠実で温厚な人柄」だと思っていたのだ。ただ、思ったことはその場ですぐに口にしていたのだが、少しは考えてからモノを言うようになったかなあ、とは思う。思っても言わない、という処世の術が身についたというか。あと、自分に限らず、たいていの20代サラリーマンって生意気そのものじゃなかろうか。だいたい、わきまえるということを知らなかった。まあ、生きているなら、変わらないよりは変わったほうがいいと思っているので、賛辞だと受け止めることにしておく。
▲で、Kくんは丸くなったか? 変わったか? どこが変わったかわからなかった。あいかわらずシャープかつ辛らつな批判を先輩社員に対して行っているようだ。スタンスが変わらないというのは、それはそれで立派なことだとも思う。そう考えると、自分には「上司」とか「先輩社員」がいなくなってしまったので、攻撃する対象がなくなってしまったのかもしれない。


2004/05/20/Thu.
▲台風一過。
▲とくに何もない一日だったような気がする。
▲ダン・ブラウン著、越前敏弥訳『ダ・ヴィンチ・コード』 角川書店)を一気読み。秘密結社の総長を務めていたルーブル美術館館長が殺され、孫娘の暗号捜査官と宗教象徴学者が謎に挑むというお話。殺されたのが深夜のルーブル美術館で、死体はダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」を模していた、という出だしからワクワクさせられる。宗教象徴学者が探偵役を務めるので、カソリック教会がひた隠しにしてきた、キリストの真実の姿にまで迫るというスケールの大きさもある。秘密結社が守ってきた秘密は公にすれば歴史が変わってしまうほどインパクトがあるもの。ハリウッド映画さながらのカット・バックとフランスから英国への謎探求の旅などなど、派手な道具立てとテンポの良さで読み始めたら止まらない。ややトンデモな雰囲気もあるが(笑)、それも、エンターテインメントのフレーバーとしてはかぐわしい。詳しい内容についてはbk1のに書評を書いたのでお読みいただきたいが、見ずてんで買ってもソンはしないと思う。おすすめ。
▲中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』(集英社文庫)読了。タイトルがいい。小学生時代は神童と呼ばれ、灘中に8番で入学した少年は、いかにしてドロップアウトしていったか。自伝的エッセー。音楽、酒、ドラッグ。アナーキーな青春記だが、いい意味で気が抜けている。


2004/05/19/Wed.
▲雨。
▲四谷三丁目デイズフォトギャラリーで中藤毅彦さんとばったり会い、そのままギャラリー・ニエプスへはしご。デイズでは海の生き物のオブジェを撮影した木暮奈津子写真展「海のひとたち2004」展。作家の方が黙々とオブジェを作っていらした。話しかけられなかった。付属のショップで青いタコを一匹買う。
▲ニエプスは長谷川今人写真展「愛の奴隷」。「アサヒカメラ」の月例コンテストでおなじみの写真家による、カラーとモノクロの女性ポートレート。壁四面にぎっしり。アングラ的な味わいのある演出写真で、演出のパチっぽいところ(イメージの拝借や、オマージュ)にアマチュアっぽさを感じていささか気恥ずかしくもあるんだけど、そこがまた気持ちがいいという珍しい写真。楽しいのである。映画、演劇の1シーンのよう。今人さん(と面識はないが、下の名前で書きたくなる)ご本人とはお会いできなかったが、モデルの女性がいた。写真とは雰囲気がまったく違い、どの写真が彼女なのか当てるのは容易でなかった。モデルを務めた女性たちにとっては、メイク、演出で別人のごとく変身する、変わり身の面白さがあるのだろう。今人さんの本職は美容師さんとのことである。なるほど。
▲社会人になりたてのころにお世話になった上司(いまも、仕事でしばらくぶりにお世話になっている)と、その当時の先輩(会社を辞めて以来の邂逅)と、人生経験豊富なWEBデザイナー氏の4人で歓談かつ痛飲。異様な盛り上がり。何を話したかはほとんど覚えていないが。


2004/05/18/Tue.
▲曇り。
▲四谷三丁目。年末に出るデジカメ本の編集協力を頼まれ、その打ち合わせ。著者が、駆け出しのころにお世話になったカメラマンの方だと知り、驚くやら懐かしいやら。


2004/05/17/Mon.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>の更新作業。東雅夫さんによる長島槙子インタビューほか。
▲午後からプリント。現像したフィルムがたまっていたので、ベタ(コンタクトプリント)をひたすら焼く。夜になってから、六切りプリント。なんとかそれなりに伸ばせるようになった(先週はもっとひどかった)。しかし、コントラストの低いズマロンから、コントラストの高いウルトロンへレンズをスイッチするかどうかという課題が残った。
▲草野さんから衝撃のメール。マツケンさんが結婚! 吃驚した。おめでとうございます! って書いちゃっていいのかな? 昨日(今日は、実は6月10日)別の筋から情報が入ってきたので、公になったものだと判断して、書いてしまおう。鶴見のハードボイルド作家、松本賢吾さんが7月にご結婚されます。最新刊は『殺し屋 捜査一課別係』(広済堂出版)
▲森雅裕『あしたカルメン通りで』(中央公論社 1989年初版)読了。守泉音彦&鮎村尋深シリーズ第2弾。前作『椿姫を見ませんか』(講談社 1986年初版)から、物語もぴったり3年後、舞台は札幌。北大の講師を務めている音彦のもとに、ダルガ・パッフェルダ主演のオペラ「カルメン」に出演する尋深が現れる。指揮をするミルクールは巨匠音楽家で、ビゼーの幻の作品を発掘し、マリア・カラスに捧げた。その曲が、札幌でタルガによって蘇るはずだった。リハーサル中に、オペラハウス建設の資金づくりにも関わるカラスの遺品の十字架が盗まれる・・・・・・。カラスについての論考は読みごたえがあり、音彦と尋深のかけあいは前作に続いて楽しい。しかし、地味な話だなあ、とも思う。前作の印象が強いせいか、物足りなさが残った。守泉音彦&鮎村尋深シリーズはもう1作ある。タイトルは『蝶々夫人に赤い靴』(中央公論社 1991年)。


2004/05/16/Sun.
▲くもりのち雨。
▲品川再春館ギャラリー写真展「界」(〜5月30日)開催中の湊雅博氏とお話することができた。先日のパーティーで立ち話程度で終わってしまっていたので、今日は氏のこれまでの写真に対する取り組みなどをうかがうことができた。写真展に展示されている作品は、仕事の合間に撮りためたもので、依頼仕事とは別に、自分の写真の質を定点観測するためのものだった、という。
▲映画『リング』の「貞子」役で有名なモデルの雅子を雑踏の中で見かける。オーラは出ていなかった、と日記には書いたのだが、よくよく考えてみると、雑踏のなかで気づくくらいだから、出ていたのかもしれない。
▲渋谷で拉致被害者家族の増本さん(参院選出馬と後に知る)の演説を見る。
▲カミさんの大学時代の友人Tさん宅へ、生まれてわずか2週間の赤ちゃんを見に行く。Tさんはこの女の子を自宅出産した。助産師が間に合わず、お父さんが取り上げてへその緒をつけたまま助産師を待ったというから、凄い。3000グラムに満たない赤ちゃんを抱っこさせてもらうと、その軽さに驚かされる。イクヤが生まれたのはつい9ヶ月前なのに、この軽さをすっかり忘れていた。赤ちゃんのお姉ちゃん二人と従兄弟の兄弟2人が遊びに来ていて、大騒ぎを繰り広げていた。恐るべきパワー。これくらいの年齢の子供と接する機会がないせいもあるが、ほとんど別の生き物だと感じる。イクはおねえちゃん、おにいちゃんたちに混じりたそうな顔をしていたが、むろん、相手にされず。子供にとって、赤ちゃんとは退屈以外の何ものでもない。
▲夜、フィルムを2本現像。だいぶ慣れてきた。


2004/05/15/Sat.
▲晴れ。
▲中野の中古カメラ屋をはしごして、引伸ばしレンズを見たり(頭の中はモノクロプリントでいっぱい)。新大久保から新宿まで写真を撮りながら歩く。写真を撮るということは、身体行為なんだという当たり前のことを、先日のワークショップであたらめて意識したこともあって、以前とは少し撮り方を変えてみたりする。今日も夜、フィルム現像。だいぶ手馴れてきた。現像時間を押したり引いたりすることで、自分の「ネガ」を作りたいというのが最終目標なので、まだまだ先は長い。


2004/05/14/Fri.
▲晴れ。
▲オンライン書店bk1<怪奇幻想ブックストア>のメールマガジン幻妖通信の配信作業。<怪奇幻想ブックストア>店長でもある東雅夫さんが編集長を務める6月創刊の新雑誌『幽』(メディア・ファクトリー bk1で予約受付中)についての裏話など。
▲T嬢来宅。女子バレーをみんなで見る。韓国に快勝。見事なり。
▲フィルム現像2本。本で埋まっている物置兼仕事部屋の仕事机で初挑戦。おおむねうまくいくが、途中、本の山を崩しかけた。


2004/05/13/Thu.
▲晴れ。
▲茗荷谷で恒例のミーティングののち、池袋でインクジェット用のマット紙と、コンタクトプリント用の四つ切RCペーペーを買う。デジタルで自家プリントもできるし、銀塩フィルムの自家現像、プリントもできる。過渡期ゆえの贅沢な時代じゃないだろうか。いずれ、銀塩フィルムは好事家のための高価な趣味になりそうな気がする・・・。


2004/05/12/Wed.
▲晴れ。
▲女子バレーがまた盛り上がっている。今日はプエルトリコ戦に快勝。昨年のワールドカップ時と比較してパワーアップしたなあ、と感じさせてくれた。いい選手、まだまだいるんですね、日本には。
▲今シーズンはあまりテレビドラマは見ていないのだが、『光とともに』(日本テレビ系 水曜10時)は見ている。自閉症児を育てる母(篠原涼子)が主人公。旦那役は山口達也。小学校の先生役に小林聡美。「子供が生まれて何か変わりましたか?」と聞かれることが時々あるのだが、確実に変わったのは子供や子育てに関するものに対する関心が増したことだ。子供はもともと好きじゃないし関心もなかったので、子役が出てくるような番組には興味がなかったのだが、最近は感情移入して見られるようになった。『光とともに』は自閉症の小学生の話ではあるが、子育てものという側面もあって、親心のツボをばっちり押している。わが子が障害を持とうと持つまいと、親心というのが単純で純粋なものであるということは変わらないんじゃないだろうか。障害者もののドラマや映画を見ていつも思うのは、誰でも障害者になる可能性があるし、障害児の親になる可能性もあるということ。自分だったらどうするだろう? と思いながら見ている。


2004/05/11/Tue.
▲晴れ。
▲ある撮影会の講評会。こちらの準備はまったくできなかった。御岳から青梅にいたる1日の写真のなかから、数点選んでお茶をにごした。面白かったのは、こちらの先生の「写真論」が昨日の先生のそれとはほとんど180度違うところ。昨日の先生は現代アートともリンクする写真、今日の先生はいわゆるフォトジェニックなエンターテインメント性の強い写真だ。一口に写真家といっても、その作品世界、立ち位置の違いはそれぞれあるわけで、作品評価の基準もまったく違うのは当然。ぼくのスタンスとしては、どちらかを肯定しどちらかを否定するというのではなく、どちらの「楽しみ」も味わえるようなガイドができればいいという考え方なので、どちらの先生のものの見方にも興味がある。
▲講評会ののち、飲み会に。噂のエプソンRD-1を触る機会を得た。ライカMマウントのデジタルカメラで、レンジファインダーでピントを合わせるというとんでもないシロモノ。しかも、ファインダーはM3と同じく等倍。クラシックカメラファンにはたまらないスペック。たしかに持った感じは悪くないし、ファインダーも見やすい。シャッター音も悪くない。画面確認の液晶も大きい。完成度は高い。もっともネックは30万程度といわれている価格だろう。その値段を聞いて引いてしまう人が多いんじゃないかと。ただ、個人的には盛り上がってほしいカメラ。


2004/05/10/Mon.
▲くもり、小雨。
▲仕事そっちのけで、昨日のプリントの続き。うまくいかないなりに、六つ切りを数点焼いてワークショップに持っていく。今日が第1回目。自分の写真について、先生(写真家)に見てもらい、意見を言ってもらうというのは実に新鮮。写真は日々撮っている(プライベートで、時には仕事で)が、作品意識などなく、それでいいんだとも思ってはいる。しかし、作品意識を持って写真を撮ることも写真の幅広い領域の一部分であることは間違いない。とくにこのワークショップの先生は、以前取材したことがある写真家で、その作品と、写真についての言葉に共感を持っていたので、マシンガントークの一言一言がグサグサ突き刺さって刺激的だった。
▲また、ワークショップに参加しようと思ったもうひとつの動機は、ほかの参加者の作品を見ることができるからだ。十数人の参加者の力量はまちまちで、すでに写真展が決まっている人から、まったくの初心者(というか、明らかに場違いな、雑誌のフォトコンテストをめざしたほうがいいようなアマチュア)までいて、いまさらながら、写真というメディアの包容力を感じた。ワークショップは基本的に毎週全10回。毎回新作を持ってくるという約束になっているので、自分の写真がどう変わっていくのか、ほかの参加者の写真がどう変わっていくか。楽しみでならない。


2004/05/09/Sun.
▲くもりのち小雨。
▲毎年この時期に開かれている代々木のタイ・フードフェスティバルに行くつもりだったが、天候不良で断念。
▲明日から参加する写真のワークショップ(講評会)に持っていくモノクロプリントを焼くため、しばらく使っていなかった引伸暗室用具を引っ張り出す。引伸し機は仕事でお世話になっていた方から譲っていただいたものなのだが、マニュアルはないし外国製品なので実に適当に使っていた(反省)。今日も、さあ、プリントするぞと腕まくりはしてみたものの、なんだかうまく焼けない。周辺光量が落ちたり、ピントが合ったり合わなかったり(?)。のちのち、ランプ位置がおかしかったことがわかるのだが、この日は原因不明のままへたくそなプリントを数枚焼くにとどまった。それでもへとへとになる。


2004/05/08/Sat.
▲晴れ。
▲暗室教室。今日はプリント。以前は本を読んでなんとなくやっていたことを先生に質問しながら、一つひとつ確認していく。ネガを選んで引き伸ばし機にセットし、印画紙に露光を与えて、「現像」「停止」「定着」「水洗」して乾燥させるという単純な作業ではあるのだが、どのくらいの露光が「正解」なのかを自分で決めるまでが悩ましい。さらに、印画紙の号数(多階調紙を使っているので実際にはフィルターの選択になるが)をどう決めるか。かつてプリントをかじったころには、そのへんが曖昧模糊としていて納得のいくプリントにはならなかった(そもそも撮影したイメージが稚拙、という問題はさておいて(笑 )。先生にネガを見てもらい、号数を決めてもらって焼き、その前後の号数でも焼いてみるなどして、比較検討の機会を得られた。撮影にしろ、プリントにしろ、写真術は細かい決定の積み重ねで、その決定を妥当なものにできるかどうかが「腕」なのであるとあらためて痛感する。
▲産業としての写真は、その「決定」部分を極力カメラと業者による現像プリントシステムにゆだねることによって拡大していったが、そのことが逆にプロとアマチュアの技術レベルの差を開いていったともいえる。デジタル写真においても、その構造はあまり変わらない。デジカメとパソコンとプリンタがあれば明るい暗室が容易にできるわけだが、写真に手をかける手間と暇がある人は限られているし、多くの人にとってデジタルカメラは簡単便利だから使うのであって、めんどうくさい作業は願い下げだろう。したがって、デジタルカメラであっても、手を掛けるか掛けないか、腕があるかないかの差は生まれてくる。意外や、この構造は大して変わっていない。


2004/05/07/Fri.
▲晴れ。
▲福田官房長官の電撃辞任。民主党菅党首を見事に「刺した」。自民党のタヌキのほうが、政治的に一枚も二枚も上手と言うことなのか。野党第一党である民主党、ふがいないことこのうえない。参院選へ向けて、また自民党が点を稼いだ。
▲上野、東京都美術館で「国画展」。券をもらって見に行ったのだが、壁の隙間もないような展示で、出品した人とその家族のためにあるような展覧会だった。鈴木孝史先生の作品を見るのが目的だったのだが、今はなきニューヨークのツインタワーをソラリゼーションで幻想的に表現したモノクロ作品で、見事なプリントだった。ほかには、杵島隆御大が日本書紀を題材に見事なモノクロ写真を出品していて、健在ぶりを示していたのはうれしかった。
▲仕事の合間にちょっとずつ『のだめカンタービレ』(二ノ宮知子 講談社コミックスキス 現在8巻まで)を読むのが楽しみ・・・と日記につけていたら、久々にまーみーから届いたメールに「『のだめカンタービレ』面白いっすよ」云々とあった。酔っぱらい漫画の金字塔『平成よっぱらい研究所』(祝文庫化! 祥伝社コミック文庫)以来、期待しては裏切られてきた二ノ宮知子の漫画だが、これは大当たり。
▲夜はイクヤと留守番。作りおきしてある離乳食をチンして食べさせ、ペットボトルを打楽器がわりに打ち鳴らすのにつきあい、飽きた頃を見計らってミルクを飲ませて寝かしつけた。こっちも猛烈な眠気に襲われて寝てしまう。8時就寝。


2004/05/06/Thu.
▲晴れ。
▲今日は平日のはずだが、G.W.的空気が都内全域を覆っている(ような気がする)。
▲中里和人さん、尾中浩二と新宿の飲み屋をはしご。途中から本山周平さんも合流。尾中さんは上海旅行から帰ったばかり。中里さんは高円寺イル・テンポで個展を控えている。本山さんは今年各地で写真展を開くとのことで、写真家3人3様の生活と意見を拝聴する。愉快なり。本日も終電に間に合わず。


2004/05/05/Wed.
▲晴れ。「こどもの日」。
▲一応、初節句だが、物心つくまで、意味がないような気がして何も考えていなかった。むしろ、今日、うちに来てくれたお客さんたちのほうが考えてくれていて、K女史は菖蒲を買ってきてくれた。さっそく菖蒲湯にして、イクヤと入ったが、初節句の赤ん坊は菖蒲をかじることに夢中になっていた。


2004/05/04/Tue.
▲晴れ。強風。連休にするための「国民の休日」。
▲生まれてまだ1ヶ月の赤ちゃんを見せてもらいに、Y氏宅を訪ねる。小さくてかわいらしかった。赤ちゃんは生後間もないほど価値があるなあ、という話になる。日々成長している姿を見ていると、ほんの少し前のことでも忘れてしまうもので、生まれたての赤ちゃんを抱いた感触は懐かしかった。


2004/05/03/Mon.
▲曇り。憲法記念日。改憲も秒読みの感アリ。
▲母を訪ね、一足早い端午の節句気分に。俺が生まれた時に買った(たぶん)兜をイクヤに贈呈。まあ、本人はわかっちゃいないが。初節句のイクヤが関心を示したのは茶たく。母が回してみせると大興奮していた。赤ん坊はみんなそうなんじゃないかと思うが、与えたおもちゃよりも、生活用品のほうが好きなものである。ペットボトルとか。さいきん、自我が芽生えてきたのか、新しい場所や人に会うと、しばらく緊張している。慣れてくると騒ぎ始める。もうすぐ人見知りをはじめるのか。もうすぐ9カ月である。


2004/05/02/Sun.
▲曇り。
▲体調悪し。何もやる気が起きないが、フィルム現像などしてみる。リールにフィルムを巻き付けるのに難儀する。練習しかないんでしょうね、結局。
▲何をしたかよく思い出せないので、この頃見たはずの映画について書いておく。映画『極道恐怖大劇場 牛頭』(2003年 日本 三池崇史監督)。あまりに衝撃的な映画で、しばらくテーマ曲が頭の中でリフレインし続けてかなわなかった。DVDで本編を見た後、監督と脚本の佐藤佐吉(『殺し屋イチ』)のトークが聴けるヴァージョンでもう一度見た。二度見て二度笑った。どんな映画なのか。気がふれた兄貴分のヤクザ(哀川翔)を「処分」するために、名古屋のヤクザ処分場へクルマで向かう主人公(曽根英樹)。ところが、誤って自分の手で兄貴を殺してしまい、さらには、オカマがやっているドライブインで珈琲と茶碗蒸しを食べている間に、兄貴の死体が消えてしまう。死体を探しはじめる主人公は、得体の知れない旅館に泊まり、摩訶不思議な体験を続けていく。
▲ナンセンス・ホラー・コメディーの金字塔。とにかく、この映画を見てから、会う人会う人にすすめまくっているのだが、見たという人はいない。残念だ。だまされたと思って見て欲しい。衝撃的なクライマックスについて話し合いましょう。ちなみにオカマがやっているドライブインには、間寛平と木村進がいる。吉本には不案内なぼくだが、三池監督(岸和田出身)にとって、感無量のキャスティングだったらしい。まあ、ともかく、この映画全編を貫く、バカバカしい笑い、最高だった。久々に腹を抱えて笑った。


2004/05/01/sat.
▲晴れ。
▲もう5月。ネット上の日記、もう半月も遅れている(と、この時から今まで遅れっぱなしで、しかし、書き継いでいる)。
▲のどの痛みは引いた。ただし、セキが出る。クスリは終わってしまった。のどあめをなめてごまかしている。
▲新宿でビックカメラの暗室用品売場(細々としたものだが……)を冷やかす。かくはん棒、水洗促進剤、スポンジを買う。
▲品川。「飛ぶ夢を見た 野口里佳」展(原美術館 〜7月25日)を見に行く。玄関に飾られた「ドリーミング・オブ・バビロン」シリーズの1枚が出迎えてくれる。湖だろうか? 打ち捨てられたボートと飛び立ちかけた白鳥の一瞬を写した作品。ギャラリーII奥の休憩スペースには対となるのだろうか、牧場の馬を撮影した作品にも「ドリーミング・オブ・バビロン」の1枚と説明されている。野口里佳の作品は写真以外のなにものでもないにもかかわらず、現代美術の流れのなかに位置していて、その作品を理解するためには、いくつかの補助線が必要である。見る者は、謎めいた彼女の作品を理解するために、感性と教養を必要とする。ぼくは持ち合わせが少ないので、理解はできないが、その美的な官能性は大いに楽しむことができた。
▲「撮れなかった写真について」という、白い粘土でつくられているとおぼしき造形作品を含め、これまでの野口里佳の道程が一通り見られる展示になっている。
▲水底に沈んだ岩盤が印象的な、静謐なカラー作品(「星の色」)、モノクロ、パノラマ写真で、画面の歪みを強調した「潜る人」(写真新世紀の受賞作品でもある出世作)では、水そのものがレンズのように光を歪め、視覚的にも地上と隔たっていることを端的に示す一方で、空を飛んでいるようにも見える、酸素ボンベをつけた「潜る人」に天使のごとき美しいイメージを見いだしている。「鳥を見る」では、6×6の小さな正方形画面に豆粒のような人が現れる。旗を持つ。走る。止まる。凧。サイレントムービーのような連作だが、現実からこの画面の中への距離の遠いことといったら! 神様が作った筺のなかに入れられた「世界」のようでもある。
▲アンゲロプロスの映画で、海の中から巨大な石像の手が出てきたシーンが忘れがたい。カラーパノラマ作品の「水をつかむ」では、水をつかんで引き上がるショベルが、時間差で撮影されている。方や水のなかから出てきたもの、方や水を地上的な「力」がつかもうとするという真逆のベクトルだが、形而上的なイメージだということで、連想が浮かんだ。水をつかもうという、徒労。ものすごい力を持ってしてもつかむことはできない。そのアイロニー。
▲「飛ぶ夢を見た」白いギャラリーIIIにたった2点。カラー6×6。空に白い軌跡を描いて飛んでいく飛行機? 模型のように見える。続いて「ロケットの丘」。カラー6×7(だと思う)作品。ロケット打ち上げる基地の内部まで入って撮っている。SF映画風の絵柄。夜の基地の静かなたたずまいのなかに、機械の胎動を聞きつけることができる。基地から引いてその周囲の自然まで視野に入れた写真では、基地が自然をバッサリと切り落として作られていることがわかる。その鮮やかな切り口に美しさを感じる。残された自然が、霧にけぶるワンカットは、今回の展示の中でも好きな1枚だ。
▲シリーズが網羅されているわりには展示点数は決して多くはない。「もっと見たい」というのが正直な感想だが、「見せない」のもまたこの写真家らしいスタイルだとも思う。丸亀で開かれた個展の図録「予感」と、英バーミンガムのアイコンギャラリーでの展覧会の図録を求める。合わせて5000円ナリ。
湊雅博写真展「界」((再春館ギャラリー 〜5月30日)を見に行く。6×6(ハッセル)で撮影した、グラフィカルな魅力を持ったモノクロ写真。被写体となっているのは、金網であるとか、うねうねとしたワイヤーの束(?、)うち捨てられたような風景であるとか、人工物、自然物問わず、写真家の眼に止まった「何か」である。職業写真家としての仕事の合間に撮りためられていったというこれらの作品は、写真家にとって、日常からほんのわずか眼をずらすことによって見えてきた、自身の作品世界である。しめの挨拶文のあとに置かれた一枚が、世界とつながるような、河原の美しい風景であることが、開放感を与える。写真家の眼の世界に入って、出ていく楽しさを味わった。
▲この日は写真展のオープニングパーティーで、立ち話ながら、湊雅博さんとお話することもできた。発表するという確たる意志を持って撮影したのではなく、自身の写真家としての「チェック」のために撮影してきたという作品群とのこと。職業的に写真を撮影するプロカメラマンとしての「眼」とはべつに、作家としての「眼」を曇らせるまいとする力強い意志は、作品からも、ご本人からも伝わってきた。
▲会場では、田村彰英さんとも久しぶりにお会いすることができたほか、印象的な出会いがいくつもあった。


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