【アルカリ】0635
02/05/31

映画『KT』
(2002年・日本 監督:阪本順治 脚本:荒井晴彦 音楽:布袋寅泰)

 金大中暗殺命令に巻き込まれた自衛官の「憂国」

 1973年、東京九段下のホテルに滞在中だった韓国の政治家、金大中が何者かに拉致された。当時の韓国は朴正煕大統領による軍事政権。大統領選に立候補した経験もある金大中は反体制派政治家の筆頭だった。民主化を叫び、一部国民から熱狂的な支持を受けていた金大中を畏れた朴政権は、米CIAを模した韓国の情報局KCIAに金大中密殺指令を下す──。

 事件が起こってから30年近くたった今も、ことの真相は明らかにされていない、この不可解な事件を日本人監督が映画化した。

 独立した法治国家の首都で、他国の大物政治家が拉致されるという事件は、スキャンダルだ。日本は俗に「スパイ天国」と言われるほど、他国の工作員が活動しやすい国だと言われている。しかし、金大中事件ほど、その脇の甘さが露呈した事件もない。しかも、このとんでもない事件について、ぼくたち日本人の意識の根底に「しょせん他人の国のこと」という無関心がある。ごく最近の話で言えば中国瀋陽の日本人領事館事件で明らかになったように、この日本人の「面倒なことに巻き込まれたくない」という考え方は依然、変わる様子がない。

 映画『KT』には大胆なフィクションが加えられている。主人公の自衛官、富田満州男(佐藤浩市)は諜報活動に従事している。KCIAの動きを監視しているうちに、やがて金大中拉致事件に手を貸すことになる。日本の現職自衛官が金大中拉致事件に協力していたというのはスキャンダラスな仮説だが、そのことの真偽を問うよりも、当時の自衛官が抱えていた抑圧された不満を象徴するものとして注目したい。

 富田は三島由紀夫の自決があった部屋に花を手向けに現れる。その時、夕刊紙記者の神川昭和(原田芳雄)と出会う。二人はこの映画における陰画と陽画のようなもので、ファーストネームが示すように、日本の近代史が背負ってきたものを象徴する存在である。

 富田のように三島の自決になにがしかに共感を持った「憂国」自衛官はおそらくは少数派である。当時のことを書いた文章を読むとたいていは三島の悲壮感漂う自決に対して、冷笑的なムードが濃かったとされている。それゆえ、富田の存在は異色だということになる。自衛隊は、憲法九条とは相容れない鬼っ子のような存在。「日陰者」でいることが国家の安寧のために必要だとされている。しかし、富田の中には諜報活動を通して国際的な現実を知る術があった。その現実の一つが「金大中暗殺」という謀略だった。

 日本製のポリティカル・サスペンスというと『皇帝のいない八月』(1978)のような古い映画しか思い浮かばない。政治や、思想信条に触れる映画をメジャーな映画会社が作ってこなかったという歴史がある。『皇帝のいない八月』も山本薩夫という、思想的には社会主義、共産主義への賛同を隠そうとしないが、映画作りでは職人的な才能を発揮した得意な監督ならではの作品で、その後、彼の系譜を次ぐ監督は現れていない。
 日本映画では、思想を語る作り手はおおむね映画作りがヘタクソで、映画作りが上手い監督はノンポリを貫くという傾向がある。黒澤明のような巨匠ですら、政治を描いて『悪いやつほどよく眠る』程度の素朴な映画しか作っていないほどだ。

 いわばポリティカル・サスペンス映画の歴史が存在しない日本で、『KT』は健闘していると思う。金大中暗殺という重い命令に対して、自身と家族の命を人質に取られているKCIA工作員が命令を実行することに集中するほかに選択肢はない。そこには人道主義や憂国という観念的な要素は排されており、したたかに生き抜くだけがスパイの本性だというところがリアルに描かれている。
 一方、自衛隊のあり方に疑問を持ち、KCIAにシンパシーを寄せるという、富田のねじれ方も興味深い。スパイに必要とされていない観念がこの男の中にあるからだ。この映画に描かれている悲劇は、そこから始まっている。
 
 KCIA工作員、金車雲を演じたキム・ガプス、金大中を演じたチェ・イルファなど、韓国の俳優たちの演技がナチュラルなことにいささか驚いた。合作映画にありがちな「クサさ」はほとんど感じられない。阪本監督は丁寧な演出で定評がある実力派監督だが、この映画でも俳優たちの個性が際立っていてテンションがゆるむことはない。

 残念だったのはエピソードがやや尻切れトンボ気味だったことか。とくに筒井道隆が演じた在日韓国人二世をめぐるエピソードはもう少し見ていたいと思った。ラストの幕切れについても賛否あるだろう。ぼく自身はどちらかというと「否」だ。しかし、日本映画としては珍しいこのジャンルの映画作りへの挑戦を高く評価したい。


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