【アルカリ】0642
02/12/09

『空中庭園』
(角田光代・文藝春秋・1600円+税)

 郊外型住宅に暮らす家族の危うい平和

 家族というものがうさんくさく感じられてしようがない。いわゆる「家族」と言えばいいのか、ありもしない、平均的な家族像を疑わない人たちを見るとうんざりする。しかし、家族はあってうるさく、なくて寂しいものだとも言える。愛憎なかばして、その相克から逃れることもまた難しい。角田光代の『空中庭園』は、いわゆるフツーの家族に見える一家の表と裏、光と影を見事に描いて、チクチクとする秀作だ。

 女子高生のマナは自分が「ホテル野猿(のざる)」で「仕込まれた」ことにちょっとがっかりする。恋人同士だった若き両親が、ラブホテルでセックスし母は妊娠した。父はまだ大学生だった。つまり、マナができたことで「できちゃった婚」をすることになったのだ。そこまではいいとして、「野猿」はないだろう、とマナは思う。「あの日、どこのラブホテルも満室だったのよ」と母は答える。
 マナは自分が生まれるきっかけになった場所にちょっぴり失望はしたが、「ホテル野猿」に強い好奇心も持つ。そして、恋人の森崎くんといっしょに「野猿」に行こうと決める。マナは処女を棄ててもいいと思っていて、その覚悟もしていたのに、森崎くんは勃たなかった。そして、次の日から森崎くんはマナによそよそしい態度をとるようになる。

 こんなありふれたエピソードから物語ははじまる。
 注目しておきたいのは、マナが自分のルーツに思いをはせるとき、そこに郊外のラブホテルが浮かび上がること、そのホテル自体が自宅の近くにあり、その名前のセンスが問題にされることだ。この連作小説集は、郊外のラブホテルで仕込まれて、真新しいダンチ(と地元民が呼び慣わしている郊外型マンション)に暮らし、郊外型ショッピングセンターを「街」と呼んで暮らす子供と、その親たちの物語である。実在する「野猿(のざる)」ならぬ「野猿(やえん)」というホテルを思い出し、ニヤリとする読者諸兄もいるだろう。

 小説のほうは、その後、マナの父母、弟、母方の祖母、そして父の愛人へと語り手を変え、家族の風景が描かれる。弟のコウは建築に興味を持っている。彼ら家族が「ダンチ」と呼んでいる郊外型マンションの間取りはどこも同じはずなのに、家によってまったく雰囲気が違う。それはなぜだろう? とコウは考える。そして、弟は母が光が入る南向きの家がいいと主張するのはなぜかといぶかしむ。
 母親は「この家に隠し事はない」と常々言っている。しかし、彼女自身が隠し事を持っていた。それどころか、夫婦のなれそも自体に彼女のたくらみがあった。しかし、彼女は「隠し事がない」理想の家庭を築きたいと願っていたのだ。それはなぜなのか。
 性格にややちゃらんぽらんなところがあり、性懲りもなく浮気をしている父親は、数年前から妻に性交渉を拒否されている一方で、外に作った女に無邪気に甘えている。
 そんな男を、愛人は冷ややかに見ている。結婚なんてまっぴらごめんだ。しかし、なぜか、女は男の家を除いてみたくなる。そして、弟の家庭教師になって、その家に入り込む。

 登場人物それぞれが、家族について、自分の存在の根本部分について、はっきりとは意識しかねるけれど、不安を感じている。彼らが愛し、憎み、無関心ではいられない家族とは何だろう。空中庭園のごとき、不安で、だけれども、清潔で美しい佇まいの家族の肖像を描いてスリルがある。久々に読み応えがある家族小説である。


オンライン書店bk『空中庭園』

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