【アルカリ】0586
01/ 05/30(水)

『バブル・エイジ』
(小林キユウ・ワニブックス・1500円+税)


 バブル世代、それぞれの10年

 著者は1968年生まれ。ちょうど大学時代にバブルの洗礼を受け、大卒者の就職が「売り手市場」だった時代に卒業している。バブルで浮かれていた日本経済のド真ん中である、著者は銀行に入行したが、わずか2ヶ月で退社、新聞社に転職し記者となる。そして、現在は写真家として活動している。

 本書は、著者が大学時代のサークルの友人たちに取材し、彼らが社会に出てからの軌跡を描き出したルポである。元山一證券社員、大工、劇団員兼ホームヘルパー、造船工、陶芸見習い、ミャンマーで出家した僧、主婦、会社員、元そごう社員、そして、著者自身が、それぞれの大学卒業後10年を振り返る。

 ぼく自身が著者の小林キユウと同じ1968年生まれだからということもあって、面白い企画だと思った。

 大学時代、新入社員時代に超がつく好景気を経験し、その後、景気は悪くなるばかり。バブル時代はどこの会社も儲かっていて、業務の拡大は当たり前。当然、人手が足りなくなり、大量に大卒者を採用した。

 しかし、不景気になれば、大量採用組はお荷物だ。あたまでっかちで理屈ばかり言い、大してスキルを持たない若手社員たちは「バブル社員」というありがたくないレッテルを貼られた。天国から地獄とはまさにこのこと。ぼくが就職した会社も、バブルで大儲けしていて自信満々、空前の大量採用だった。その後、坂道を転がり落ちるように業績がガタ落ちし、漂流する難破船のごとき迷走ぶりだったのが思い出される。まさに諸行無常である。

 誰しも人生は一回だけ。経験できることも異なる。バブル時代の浮かれた気分がしみ込んだぼくらの世代は、昨今の厳しい経済環境に適応できずにいるのではないかと思うことがある。バブル時代にのびのびとしすぎたせいか、なにかにつけ、自己中心的で夢見がち、よく言えばロマンチストだが、悪く言えば非現実的な空想に逃げ込みがちだ。

 この『バブル・エイジ』に登場する人々にもその傾向がある。都内の大学を同じ頃に卒業したという共通点だけとは思えないくらい、身に覚えのある人々である。

 脱サラして陶芸を学んでいる男性、ホームヘルパーの傍ら瞽女唄を習っている女性、海外放浪を続け、ミャンマーで出家した男性など、ディテールはむろん異なるが、ぼくのまわりにも似たようなタイプの人がいる。また、そこまで極端にならずとも、ここ10年の経済環境の激変は、バブル世代の人々のなかに価値観の転換を迫る結果となった。「売り手市場」時代の「人気企業ランキング」上位の企業が、軒並み悲惨な状況に陥っているのだ。無理もない。

 ことバブル世代にかぎらないかもしれないが、好景気から不景気へとジェットコースターのごとき劇的な変化にさらされて、日本人が感じているのはある種のニヒリズムなのではないか。それゆえ、「新しい価値観」なるありもしないことが渇望される。価値観に新しい地平などなく、あるのは個々人がそれぞれの生き方に価値付けをしていくことでしかない。

 『バブル・エイジ』に登場する人々は、時代の変化を受け止めて生きていこうとするふつうの人々である。ゆえに、彼らの人生への価値の置き方はさまざまだ。そこが読みどころである。

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