『フォーカスな人たち』
（井田真木子・新潮文庫・667円＋税）

　80年代から90年代にかけてフラッシュを浴びた「彼ら」の物語

　『旬の肖像』という単行本のときのタイトルを変え、『フォーカスな人たち』という軽めのタイトルになっている。しかし、井田真木子のほかのノンフィクションがそうであるように、本書もやはり重量感たっぷりである。

　『SMっぽいの好き』というアダルトビデオから飛び出した黒木香と、監督村西とおる。事故死した新劇女優太地喜和子。バブル絶頂期に桁外れの規模で詐欺を働いた女将尾上縫。そして、一時期、政治を変革するのではと本気で国民に信じられた、殿こと細川護煕。この５人が本書の主人公だ。

　彼ら５人の評伝が中心ではあるが、例によって構成が凝っている。文庫版のタイトル『フォーカスな人たち』の「人々」とはこの５人と同時代に生き、彼らよりも小粒ではあったが、確かに彼らと同じようにフラッシュを浴びた人々のことである。各評伝のマエフリにあたる部分に、その人々が世間から注目された一瞬が列挙される。

　たとえば、黒木香が用いた一人称「わたくし」を象徴として、「わたくし」をさらけだすことで注目されたシロウトたちを次々に俎上にあげる。

　ロッキード事件の「ハチの一刺し」榎本三恵子、元体操選手でその後醜聞で注目を浴びた岡崎聡子、二枚目俳優の故上原謙の年の離れた妻で、離婚騒動を起こした大林雅美、パリで人肉食殺人を起こした佐川一政、田中角栄と越山会の女王佐藤昭との間に生まれた娘、官僚との恋愛事件を起こした「ベルサイユのばら」の作者池田理代子、失踪事件を起こした林葉直子、「ロス疑惑」の三浦和義元夫人、三浦良枝……。

　彼らはそれぞれ「わたくし」の露出によって、いっとき、フラッシュを浴びる立場になった。しかし、彼らのほとんどは、強烈な「わたくし」という自意識以外はとりたてて見るべきところのない人々だ。それを証拠に、彼らのほとんどが忘れ去られているか、ときおり揶揄される対象でしかない。

　しかし、それでも「わたくし」たちが一時とはいえ、強力な存在感を持っていたことは間違いない。では、彼らの強烈な存在感は何を根拠にしていたのか。それは「時代」である。

　井田真木子はいつもながら粘り強い取材と、いささか強迫的とも思える緻密な構成で、80年代から90年代、つまりバブルの生成と崩壊を執拗に描き出す。黒木と村西には男女の性愛と、金と名声を突然得るということについて、さまざまな問いを投げかけ、彼らの行く末につきそい、その生きるありさまを書く。

　太地喜和子は性に奔放な女優だと言われていた。井田は彼女の死から取材をスタートし、太地が強迫観念と言っていいくらい、男性とつきあい、自分の人生を非凡に生きるための努力を惜しまなかったことを一つひとつ明らかにしていく。

　尾上縫はあれだけの大金（3420億円の詐欺のうえ、4300億円の負債をかかえて倒産）を動かしながら、最後まで三流繁華街のつましい料理屋の女将でしかなかった。しかし、彼女の店にはいくつもの金融機関の部長クラスが詰め、彼女にかしづいた。その結果の4300億円の負債である。尾上縫にとって、架空のカネを動かすことは、大勢の、大の男たちからちやほやしてもらうことを意味した。ほとんどそれだけのために、類例のない規模の詐欺を行ったのだ。

　実体のないカネの話のつぎは、実体のない「政治」だ。変革ムードの追い風にうまいぐあいに乗った「殿」の物語は、その存在それ自体が一種の詐欺であった。国民の7割が支持した細川首相とはどんなバックグラウンドを持ち、どんな政治哲学を持っていたのか。史上最高の期待はずれ首相のなかに、バブル以後の日本の迷走ぶりが象徴されている。

　井田真木子は本書において、徹底して「彼ら」の物語を語ろうとする。その点で、取材者である「私」が頻繁に登場する井田真木子のほかの本とは若干印象が異なる。しかし、彼らがこだわりぬいた「わたくし」の存亡をかけたたたかいは、おそらく高度資本主義経済における、ぼくたち一人ひとりがかかえる不安とダイレクトに直結しているはずだ。

　多様化する価値観とはすなわち、多様なる「わたくし」が生存競争を続けていることである。そこではときに犯罪すら相対化される。現在に至るまでこの状況は変わらない。

　井田真木子の執拗な追跡は、彼らを追うことで、私たちのなかの「わたくし」を暴き出すかのごとき迫力に満ちている。文庫化に当たって例のごとく、大幅な加筆が施されているようだ。巻末の福田和也による解説も示唆に富んだ井田真木子論である。

オンライン書店bk『フォーカスな人たち』