【アルカリ】0569
01/ 05/02(水)

『モザイク』
(田口ランディ・幻冬舎・1500円+税)

 田口ランディ三部作完結編!

 「渋谷の底が抜ける」という謎のメッセージを残して姿を消した中学生正也。その中学生を追う「移送屋」佐藤ミミは、渋谷で布教活動する青年から「救世主救済委員会」なる団体が携帯電話のメール機能を使って、奇妙なメッセージを若者たちに送りつけていることを知る。

 そのメッセージとは、携帯電話が発する電磁波によって、人間が「電子レンジ化」しているというもの。電子レンジ化した人間は、そのことに気付かないまま、徐々に変質していく。しかし、電子レンジ化を知覚できるニュージェネレーション=救世主たちがいるというのだ。しかも、彼らは周囲から精神病扱いされ、迫害されているという。

 正也と救世主救済委員会の関係は? 「電子レンジ化」した渋谷の「底が抜ける」とはいったいどういう意味なのか。ミミは自らの半生を回想しながら、正也を探すために渋谷をさまよう……。

 正也は、普通の人とはちがうモノが見える。部屋に引きこもり、猫の舌を抜いたり、解剖したりして、生命の源泉を見ようとする。しかし、そこには何もない。酒鬼薔薇事件のときは、犯人の少年の気持ちがよくわかった、わかったというよりも感じだ。共鳴したのだ。

 その共鳴力が、正也の生活を苦しくする。父や母が人間に見えない。いや、父母だけではなく、たいていの大人は人間に見えないのだ。しかし、佐藤ミミは人間に見える。そして、ミミは身体と精神のバランスがとてもよく、うらやましいと話す。

 佐藤ミミの「移送屋」という商売は、引きこもった精神異常者(と周囲に認識された人間)を説得し、精神病院や施設に送り届ける仕事だ。ミミは自衛隊を出たあと精神病院で看護婦をしていた。分裂病の患者といると、なぜか安心した。彼らを観察対象として割り切ることができた。同情や哀れみといった生ぬるい感情ではなく、適切な距離を保つことが出来た。その背景には、祖父から学んだ古武道の身体論があった。

 『コンセント』、『アンテナ』の二つの長編がベストセラーになった田口ランディの最新長編小説にして、三部作のトリとなる完結編である。しかし、この三作に物語のうえでのつながりはなく、それぞれ別個の世界をかたちづくっている。『コンセント』では引きこもり続けていた兄の死に直面する経済専門の女性フリーライター、『アンテナ』では、神隠しのごとく忽然と妹が消えてしまったというトラウマを持つ、哲学を学ぶ男子大学生がそれぞれ主人公だった。

 『モザイク』の主人公ミミは前二作の主人公たちよりも「強い」。古武道を識っていて、肉体的にも精神的にも鍛えられている。その強い主人公が、自分のなかにある、知覚できない部分に出会っていく物語だ。その物語を、読者はミミという美しく強いヒロインへ頼もしさを感じながら読みすすめていく。

 ミミとは、「耳」に通じる。ミミの祖父は、ミミに「聴くように見ろ」という言葉を遺す。その言葉の意味を、ミミ自身がはかりかねている。読者も同じだ。だから、知りたい、と思う。ミミといっしょに、ミミを知りたいと思うことが、物語のエンジンとなるのだ。

 前2作同様、ページを繰るのももどかしいといったスピード感は衰えない。田口ランディの小説を読んでると、どっかでモーターの音がシュルシュル言ってそうな気さえする。物語の先へ、先へと心が焦る。そして、気が付くと、読者も精神病院のなかをうろついていたり、渋谷の街をぶらぶらしていたり、携帯電話から発する電磁波の嵐に巻き込まれていたりする。そのイメージの喚起力たるや、すさまじい。

「渋谷の底が抜ける」「渋谷が電子レンジ化する」「聴くように見ろ」これらの言葉をかみしめるためだけにでも、この小説を読む価値はある。

 ひねた読書家は、田口ランディが小説にブチ込んでいるさまざまなネタを探し出して、いちいち指摘したくなるところだろう。とくにこの『モザイク』はネタが割れやすい。が、そんなことよりも、鮮度の高いネタをキャッチして、自分の妄想の中に巻き込んでいくパワーこそが田口ランディのたぐいまれな魅力である。

 前二作と比べれば、若干、「軽い」ことは否めず、小説が上手になったぶん、濃度が下がったというのが正直な読後感だが、読者の脳味噌を刺激し、ひっかきまわす刺激は変わらず快感である。やはり昨今の新人作家のなかでは飛び切りの才能である。


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