【アルカリ】0307
99/ 09/07(火)

『小蓮(シャオリェン)の恋人』
(井田真木子・文春文庫・515円+税)

 中国残留孤児二世の青春

 中国残留孤児のことが話題になったのはいつのことだったろう。15年前? いや、もう20年も昔だろうか。

 数十年の時を経て日本人だという名乗りをあげた人たちの姿をテレビでよく見た。日本人にはとても見えない。やっぱり、中国で育てば中国人になるんだろうかと、思った。

 いつの間にか残留孤児探しのブームも去り、彼らの生活が話題になることは滅多になくなる。熱しやすく冷めやすい、世間の人たちの習いではあるけれど。

 不意に中国残留孤児の子供たちが登場した映画『新宿黒社会』を見たとき、まるで関心のなかった彼らのことが気になりはじめた。

 『新宿黒社会』の主人公は椎名桔平が演じる刑事だ。残留孤児二世として十代半ばで日本にやってきて、必死に日本語を覚え、警察大学校を卒業し警官になる。新聞が記事にするほど優等生の残留孤児二世。しかし、彼は日本で孤立無援のまま貧しい暮らしをしている両親のために汚職に手を染め、そのうえ、グレてチンピラの仲間入りをした弟のために歌舞伎町の中国マフィアと一戦交えなくてはならなくなる。主人公の姿は残留孤児ブームに湧いた頃を思うと、薄ら寒い。残留孤児ブームって一体何だったんだろう。そして、そのブームがきっかけで日本にやってきた人たちはどうなったのか。

 すっかり忘却の彼方にあった残留孤児たちの二世が、長じて日本社会とどうつきあっているのか。その気になって調べてみれば、その報道のされ方は二通りしかない。

 苦心を重ねたうえで立身出世した美談か、日本社会に溶け込めず、グレて暴力と犯罪に走る過酷な現実か。

 井田真木子は残留孤児の二世たちを描くと決めたとき、その二つのステレオタイプにはハマらない青春を描きたいと思った、という。ニュース・ヴァリューを持たないかも知れないが、リアルに近い残留孤児二世たちの姿を見てみたいと。

 そこで、東京の下町で中国総菜の弁当屋を営んでいる王家を取材する。主人公は、20歳の満智子=王成蓮。日本に移り住んで10年がたつ。彼女は、自分のなかに、20歳の日本人の自分と、10歳で成長を止めてしまった中国人の自分がいるという。そして、そのアンバランスさが苦しいと訴える。彼女の中の少女を成長させるために、著者は彼女と二人で10年間一度も訪れる機会がなかった彼女の故郷へと旅をする。

 残留孤児ブームが起こった頃、中国の農村部は極端に貧しかった。人民公社が農政を牛耳り、農民はどれだけ収穫高を上げようとも豊かにはならず、農政の失敗は容易に飢餓を招いた。

 だから、残留孤児たちは一族郎党を引き連れて日本を目指す。

 そして、その結果、彼らが日本の文化とのギャップに苦しみ、差別に悩まされようとも、故郷を捨てたという罪悪感が残った。彼らは貧しさをコネを使って脱することが出来たというわけだ。

 だから、中国が恐ろしい。自分たちが捨てた故国が。

 しかし、一方で日本の社会で彼らが得られるポジションは決して高くない。日本の学校教育のレベルの高さに、不自由な日本語でついていくのは難しい。したがって、豊かな国日本で、彼らがその豊かさを十分に教授できないということがままある。しかも、中国人の感覚では家族という概念は親類縁者に拡大していく。つまり、貧乏な家族にたくさんの人間がいる、ということだ。

 しかし、満智子の帰郷は意外な発見をもたらした。それは、人民公社がなくなり、徐々に開放政策をとりつつある中国では、かつての貧しかった村が確実に豊かになりつつあるということである。その発見は、満智子が日本と中国を結びつけていくきっかけになる。ようやく、自分のなかの中国人と日本人が折り合いをつけていけそうな希望が見えてくる。

 本書は、日本人の血を頼って海を渡った家族がどのように日本社会で生きたかを描いたノンフィクションだ。そして、その焦点を二世たちの結婚問題に絞ることで、明確に残留孤児一家の社会的ポジションを浮き彫りにする。そして、同時に異文化に戸惑いながら、たくましく生きていく人々の光と影を鮮やかに描いている。

 同棲愛者たちの生き方を描いた『もうひとつの青春』では、いささか理屈っぽさが鼻についた井田真木子だが、本書は『プロレス少女伝説』と並んで、ぼくの好きな本である。彼女の作品はいずれも一筋縄では行かない多様な主題を扱っているが、本書は異文化というハードルをいかに乗り越えていくかを個性的な視点で描いたノンフィクションとして古典になっていくだろう。

 一読して、敬愛する近藤紘一の『サイゴンから来た妻と娘』ほかのシリーズを思い出した。共通しているのは、日本人がとかくうらやましがるバイリンガルが決してラッキーなばかりではないという苦い現実を描いていることだ。しかも、そこには、彼ら宿命のバイリンガルたちへの優しさが溢れんばかりにある。決して声高には語っていないけれども。

 日本人は、今も昔も、異文化に対してナイーブかつ鈍感なところがあって、そのあたりはやっぱ島国? だからなのかもしれないが、これからはどんどん変わって行くだろう。しかし、そのときに異文化コミュニケーションを甘く見ないこと! が繰り返し語られていくに違いない。本書はそういう意味でも読みごたえのある本だ。


オンライン書店bk『小蓮の恋人』

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