【アルカリ】0306
99/ 09/06(月)

『地図のない街』
(風間一輝・ハヤカワ文庫・544円+税)

 アル中三人組が断酒に挑戦するハードボイルド小説

 ハードボイルド小説っていうと、マッチョなイメージがあるんじゃないかと思う。北方謙三みたいな人、それも実際の小説じゃなくて「試みの地平線」みたいな(笑)、ああいうやつを想像されちゃうかもな。

 またはチャンドラー。「男はタフでなければ生きていけない。優しくなけれ
ば生きる資格ながい」みたいなキザなセリフ? 

 でも、実はハードボイルド小説というのは、そういう類のものではない。腕っぷしの強さ、暴力だけがハードボイルドの本質ではない。

 また、チャンドラーの「男はタフでなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格ながい」って文章も、原文はmanであって、「人は〜」と読んだ方がいいんじゃないかという説もある。事実、チャンドラーの創出したフィリップ・マーロウという探偵は決してマチズモ(男性中心主義者)じゃないしね。

 では、ハードボイルドとはなにか。

 個人的には、「人間のプライド、誇りを守るために戦う人間を描いた小説」と定義している。その定義で漠然としすぎているなら、そこに乾いた文体(短いセンテンスと、情緒的描写の排除)と、主人公がアウトローであること、を付け加えようか。

 例えば、女性が主人公であって、なおかつ暴力描写がなくてもハードボイルドな小説はありえる。日本では桐野夏生の女探偵ミロのシリーズがそうだろう。ま、桐野夏生本人が村野ミロという主人公はローレンス・ブロックの酔いどれ探偵ミロから取ったと言っていたからハードボイルドを意識していることは間違いないが。

 しかし、情緒的な文章(やたらと登場人物の心情吐露が続いたり)や、主人公が社会的に主流にいる人間だったら、ハードボイルドとは言えないだろうな。乾いた文体というのは、物事を現実的に冷たく突き放して書くこと。そして、主人公がアウトローであるということは、ドロップアウトした人間の視点で社会を批評するという意味を持っている。要するに反主流、アマノジャクの文明批評である。

 本書は『男たちは北へ』(ハヤカワ文庫)でデビューし、以後、ハードボイルド業界で独特なポジションを築いている風間一輝の小説である。

 『男たちは北へ』、知ってる? これは、傑作ですよ。フリーのデザイナー兼ライターみたいなハンパな主人公が、防衛庁のクーデター計画の情報漏洩に関わっていると疑われ、ごく個人的な東京から東北へのツーリング旅行がサスペンスあふれる旅になるという一風変わったハードボイルド小説だ。

 風間一輝って人自身がもともとグラフィックデザイナー、で、文章もものする人で、サイクリング好きでアル中なんだそうだ。だから、デビュー作は中年男のツーリング。で、本作ではアル中の側面をクローズアップしている。

 アル中小説と言えばすでに中島らも(元アル中)の『今夜すべてのバーで』というとんでもない傑作があるが、本作もアル中を描いて出色の出来だろう。

 小さな広告代理店の宇都宮支店長を単身赴任で務めていた吾郎は、もらったばかりのボーナスを二人組のチンピラに奪われ、そのうえ体中に打撲を負うような暴行を受ける。

 で、吾郎は警察にこのことを届けることはせず、夜の街でチンピラを見つけ、学生時代にやっていたサッカーの要領で二人を蹴り倒し、痛めつける。金を取り戻した吾郎だったが、その時から人生をドロップアウトしてしまう。チンピラの報復を考えれば宇都宮にはいられない。妻子には未練がない。仙台に移り住んだ吾郎は、人生から降りてしまったという実感からか、やがて東京、山谷へ流れ着く。そのときには、もうアル中だった。

 山谷で知り合ったアル中仲間のピンちゃんは実は山谷のルポを書くために乗り込んできていたフリーライター。山谷で起こっている連続生き倒れ事件に首を突っ込み、吾郎と、仲間のキリさんはハラハラすることになる。そのピンちゃんの取材熱心をそらせるために、男三人で断酒計画を実行に移すが・・・。

 物語は、日雇い労働者の街山谷を舞台に、そこで起こっている連続生き倒れ事件の真相究明と、主人公たちの断酒がうまくいくかどうかという二つのサスペンスをめぐって展開される。

 山谷は、よく言われるように地図にその名前がない土地だ。しかし、一歩、その世界に脚を踏み入れれば過去も未来も同時に失い、あるのは現在、目の前にある暮らしだけ。たいていの連中はギャンブルか酒、あるいはその両方にハマって毎日を暮らしている。

 その様子を主人公の目を通して描く。乾いた文体は、こうした過酷な状況を淡々と語っていく。そして、アウトローとなった主人公が見る世界は、ふだん、ぼくたちが目に止めない見えていない世界にほかならない。

 これぞ、ハードボイルド。そして、主人公たちは、それぞれ自分のプライドをかけて事件の真相を追い、断酒を試みる。しかし、当然のことながら、そのどちらも容易なことではないのだが。

 で、ここで傑作! と書ければ最高なんだけど、残念ながらそれがそうはうまく行かなかった。

 足りないのである、量が。

 モティーフも登場人物たちのキャラもいい。シリーズ化してほしいほどだ。しかし、彼らを描き切るには、この程度の分量ではもったいない。読み終えて、欲求不満が残ってしまう。こういう小説は本当に残念だな! と思う。もったいないよ。

 風間一輝にはアル中で命を縮めない程度にご自愛いただいて、ぜひ腰の据わったハードボイルド大長編小説を書いてほしい。それができる数少ない作家だと思う。


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