『日輪の遺産』
(浅田次郎・講談社文庫・733円+税)
戦中・戦後・現代。時空を超えて描かれる日本人の魂
食わず嫌いというか、なんとなく、自分が主要なターゲットじゃないと感じる小説がある。浅田次郎の小説を読んでみようと思ったことがないのもそれが理由だ。
ちょっといい話、を書く作家には気を付けないといけないと思っている。映画になった『ラブ・レター』や『鉄道員(ぽっぽや)』のイメージだけど、しみじみと泣かせる話を書ける作家が苦手だ。もっとも、そういう湿っぽい話に泣けちゃうようになった自分がイヤなだけかもしれないけど(笑)。
さて。
『日輪の遺産』は友人の叔母さんか伯母さんかはわからないけど、とにかく、五〇歳のご婦人からいただいた本である。メールのやり取りしかしたことがないので、会ったことはないんだけど、本のことをやりとりしたことがきっかけで送っていただいたのである。そんなわけで、まったくなんの予備知識もないまま読みはじめた。
太平洋戦争末期。女学校に通う中学一年生の独白ではじまる。
彼女たちの日常生活はもはや勉強どころではなくなっていて、軍需工場で働く毎日。ある日、彼女たちのクラス全員が極秘任務の使役に指名されて、トラックに乗せられて玉川を渡る。
話はいきなり現代に飛ぶ。
こちらは競馬場だ。バブルで手を広げすぎた不動産屋丹羽は、倒産寸前の会社を建て直そうと一発逆転を狙って100万円を大穴に突っ込もうとする。ところが、馬券売場の前に並んだ老人がグズグズしているうちに出走時間となり、馬券を買い損ねる。そして、あろうことか315倍の大穴が来てしまう。責任を感じたという老人に誘われるまま、いっぱい飲み屋に連れて行かれた丹羽は、飲み屋で発作を起こした老人の死に水を取るハメになる。そして、老人は死ぬ間際一冊の黒い手帳を丹羽に託す。その黒革の手帳の中味は、終戦直前に陸軍が大蔵省からプラチナと金塊を運び出し、秘かに多摩丘陵に秘匿したという驚くべき内容だった!
で、この続きが宝探しに向かうかというと、そうではない。そのへんがこの小説のユニークなところで、あらかじめ宝探しなんていうロマンを拒絶するかのようなカネへのいさぎよさがある。
むしろ、この小説では、戦時中の日本人が何を考え、どう行動していたのかをフィクションのなかにいきいきと描き出し、戦争を境にして日本人の何が変わり、何が変わらなかったのかを浮き彫りにしようという趣向だ。
七生報国と書かれたハチマキを巻いた中学一年生の女子学生たちの健気さと、国体の護持を最優先にそれぞれの任務を全うした軍人・官僚たちの姿。彼らと、現代の不動産屋、ボランティア活動家、地元の政財界のボスたちの姿が、時には対照的に、時には重ね合わせられて描かれる。一本通されているスジは「義とはなにか」という今どき流行らない問いかけだ。
本書は『きんぴか』シリーズや『プリズンホテル』シリーズでユーモア極道作家として人気を博していた浅田次郎が本格的な作家としての力量を世に問うた野心作だという。たしかに、この小説は3つのスタイルで物語を語り、戦中・戦後・現代を描き、破綻がない。巧いなあと思った。それが小手先の器用さではなく、日本人の心に触れる深さがあるという感じ。
こないだの戦争もずいぶんと遠くなってしまった印象があるけど、あらためて戦中・戦後にどんなことがあったかを読むのは意外と面白かった。子どものころに学校教育でさんざん教えられた、というウンザリ感があるけど、よく考えてみるとあれって日教組史観。歴史は視点によって見え方が変わってくる。小説には当然フィクションが入るわけだけど、そのぶん、人間の感情のひだに分け入っていくことが容易で、面白い。そんな感想をあらためて持った。
オンライン書店bk『日輪の遺産』
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