【アルカリ】0265号
99/07/08(木)

『猫の舌に釘をうて/三重露出』
(都筑道夫・講談社大衆文学館・1200円+税)

 凝りまくってる推理小説の古典的名作

 都筑道夫と言ってピンと来る人は一度は推理小説にハマったことのある人。推理小説という言葉もすでに古めかしい。ミステリー、サスペンスという呼び方が定着して長い。しかし、都筑道夫という人は正真正銘の本格派推理小説家で、その理由は凝ったトリックとあざやかな謎解きにある。

 本書は講談社文庫の「大衆文学館」シリーズの一冊だ。『猫の舌に釘をうて』と『三重露出』はそれぞれ別個の小説で、近年は絶版扱いだった都筑の代表作である。

 まず、『猫の舌に釘をうて』から。

「私はこの事件の犯人であり、探偵であり、そしてどうやら、被害者にもなりそうだ」

 なんとも珍妙な、奇をてらった出だしだ。物語は三流推理小説家淡路の一人称体で語られる。

 淡路は片恋の相手である有紀子の夫塚本へのジェラシーから、彼とによく似た後藤という男の暗殺計画を立てる。

 なぜ塚本本人を狙わないかというと、それはこの暗殺がゲームだから。有紀子のために塚本が調合した風邪薬を、後藤が気が付かないうちにコーヒーの中に溶かし込む。そういうゲームで恋の相手を取られたウサをはらそうという他愛のないゲームだったのだ。

 ところが、首尾良く「毒」入りコーヒーを飲ませた途端、後藤は苦悶の表情を浮かべて死んでしまう。

 白昼堂々、新宿の喫茶店で起こった怪死事件。淡路は有紀子が何者かに狙われている危険性を感じ、実話週刊誌の依頼もあって探偵役を引き受ける。

 ここまでで、「犯人」であり「探偵」であることははっきりしたけど、「被害者」というのは? 事件に巻き込まれたという被害者か、犯人になるつもりがなかったから被害者なのか、それは本書をぜひ読んで考えていただきたい。

 そもそも推理小説というのは本来の文学がとかく人間の心理や、人生の真理を描こうとしかつめらしく取り組んできたことに対するからかい、諧謔精神が魅力である。

 簡単にいえば、推理小説そのものが、一種の遊技、ゲームであるということである。したがって、ややこしい心理的リアリズムを軽くとびこえて面白ければ文句はない。

 都筑道夫は、そのゲームをより面白いものにするために、幾多の仕掛けを用意する。例えば、この物語は主人公の淡路の手記なのだが、彼はこの手記を「都筑道夫」という当代のいけすかない推理作家の『猫の舌に釘をうて』という束見本(造本された白紙ページの本に見本刷りされたカバーがついた宣伝用の見本誌)の白紙ページに書く。これは、万が一誰かが部屋を家捜ししたときにも本の中にまぎれこまそうというアイデアである。

 この束見本を使うという設定は、後半の意外な展開につながっていて、単なる酔狂に終わっていない。また『猫の舌に釘をうて』という意味ありげなタイトルが何を意味するのか、読者はどこまで真剣に考えればいいのか大いに惑わされる。

 そのほかにも、いろんなワナが用意されており、この小説は知的なゲームとして推理小説を楽しみたい人にはうってつけの本だろう。現代の作家では島田荘司をはじめとした「新本格派」の人たちが推理小説の伝統を守っていると言えるかも知れないが、そのシャレっけと才気は都筑道夫に及ばない、と思う。小説の舞台は昭和30年代だが、モダンなセンスは今読んでも色あせない。いや、むしろ、あの時代のかっこよさ、のほうが今の世の中のセンスよりいいんじゃない? と思ってしまう。

 というわけで、もう一作の『三重露出』については明日。こっちもさらに面
白いよ。

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