【アルカリ】0256号
99/06/25(金)

『犠牲 サクリファイス わが息子・脳死の11日』
(柳田邦男・文春文庫・495円+税)

 息子を失った父親の孤独な闘い

 この本を読んで、納得のいかない感想を持つ人もいるだろう。

 「ちょっと、お父さん、冷静すぎやしませんか」というようなツッコミを入れたくなる。

 しかし、ぼくは、そういうツッコミの言葉をもやもやと持ちながら、結局、つっこめないまま最後まで読んでしまった。

 この本は辛い本だ。終始冷静にまっすぐに息子の死に向かい合おうとする1人の作家の立ち姿の孤独。痛々しい。こういう事態に遭遇してもなお書き続けなくてはならない書き手というのは、まさに選ばれた人なんだろうけど。

 ノンフィクション作家としてすでに巨匠の域にある柳田邦男。その次男が自殺する。彼は中学の頃に眼にケガを負ったことが最初の躓きになり、人知れず精神の病を発症していた。そして、両親もその病に気付かないまま高校を卒業し、本格的に病気になった。そして、ある日、彼はひっそりと死を選ぶ。自分の家の自分の部屋で。その数時間前に、父親とこれからのことを話し合ったあとで、だ。

 まず、この本は息子の精神の病と向かい合おうとした父親の記録である。しかも、この本が書かれたときには息子は亡くなっている。いわば、痛恨の記だ。

 なぜ気付かなかったのか、なぜわかってやれなかったのか。

 良識的な作家として高い評価を得ているのに、自分の家庭は静かに崩壊していた、と著者は書いている。そして、その事実をなぜ書かないのか、と心を病んだ次男に責められたのだと告白している。

 そして、書くことが、息子の死を意味あるものにするのだ、と決意した作家は息子の死と、そこで考えたことを書く。

 その時、作家は自分の体験を社会化しようとした。つまり、自分と家族の問題を、社会に対して語るに足るべきことに昇華しようとしたのである。

 だから、脳死問題について書く。

 それが作家の職業的な決着の付け方である。

 そして、その姿勢が、凡庸なるぼくたち読者にとっては冷静すぎるように見える。とても、ここまで冷静に科学的な視点と社会的視野を持って、息子の死に向かい合えないと思ってしまう。

 しかし、それが柳田邦男という人の作家としての矜持であり、生き方なのだ。そして、自分の家庭が崩壊していることを認めるその率直な告白に、微塵の韜晦もない潔さ、力強さを感じる。

 同時に、このような強い父を持った息子は不幸だな、とも思ってしまうのだけれど。

 でも、そのことを含めて、柳田邦男という人は背負って生きていこうと考えている。その強さに殉じる意志がこの本を作った。つくづく、作家とは選ばれた存在だ、と思う。運命そのものが、彼を作家以外の存在にはさせてくれないのだ。

 読者は、ただ、その苦い果実を味わうほかはない。

オンライン書店bk『犠牲 サクリファイス』

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