【アルカリ】0254号
99/06/23(水)

『秘密』
(東野圭吾・文春文庫・590円+税)

 『一杯のかけぞば』なみにいい話だと思った

 メーカーに務める四十間近の中年男平介が主人公である。彼は、名前の通り、平凡で冴えない男だけど、誠実で、のんびりとしていて、家庭の夫、お父さんとしてはかなりいい奴である。

 その平介が、妻と十歳の娘の乗ったバスが事故に遭う、という出来事に遭遇する。そして、妻は死に、娘だけが奇跡的に助かる。
 しかし、娘が意識を取り戻したとき、その娘に宿っていた魂は娘のものではなく、死んだはずの妻のものだった。

 かくして、妻を亡くし娘を失わずにすんだはずの平介は、娘の肉体に妻の魂がやどったややこしい存在と生活をともにすることになる。その生活がどのように厄介かは、ぜひ小説を読んでいただきたい。

 この小説の魅力は主人公の平介のおっとりとした凡庸さにある。彼は、自分を卑下することもなければおごることもない、ごくふつうの市井の人である。その彼が、世にも不思議な状況に巻き込まれる。そして、その現実を受け入れようと努力しながら、妻と娘への愛をまっとうする。

 小説を読む男性諸君は、きっと、自分が主人公だったら、どうするだろうなと想像するであろう。喜ぶべきか悲しむべきかわからない困惑した感情と、この事実を知っているのは自分と妻(肉体的には娘)だけ、という甘い喜び。しかし、成長していく娘の肉体と、そこに宿った妻の魂が、時とともにどう変わっていくのか。不安はいや増すのである。

 この小説を読む女性がどう感じるかはまるでわからないけど、少なくとも男の側から見た平介の困惑はとても共感できる。時代設定をバブル期にした点も秀逸だ。ある種の躁状態にあったあのことの日本に起こったかもしれないファンだジーとして、この物語は実に魅力的である。

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