【アルカリ】0232号
99/05/21(金)

『アジアの少年』
(小林紀晴・幻冬舎文庫・800円+税)

 アジア紀行フォトエッセイ

 アジアを旅する若者たちのポートレートと、彼らとの出会い、そして、日本での再会を文章で綴った『ASIAN JAPANERSE』で注目されて以来、アジアの紀行から東京のルポ、故郷信州の写真集など活躍が続く著者の文庫オリジナル。

 初期の本ではほとんどが文章で、写真は挿し絵的な役割しか担っていなかった。それが、徐々に写真の点数が増え、最後には写真集を出してしまうという、これは一種の戦略だなあ、と思う。
 日本人というのは写真に特徴的な情報量の多いビジュアルがあまり得意ではない。日本画、浮世絵などに特徴的なのは、様式化されたビジュアルの文脈作りで、その文脈というか、美意識みたいなものを理解してはじめて、そのビジュアルが了解できるという強固な枠組みがあるのではないかと思う。

 翻って写真表現に目を向けてみても、日本人が写真を撮ることが大好きで、街にビジュアルが氾濫していると言っても、所詮、それらは意味やメッセージ、テーマを伝えるための「挿し絵」でしかなく、写真一枚が表現できるものはせいぜいフィーリング、といったところなのではないかと思う。

 アメリカにおいて写真やグラフジャーナリズムが隆盛を極め、ハリウッドでビジュアルの文法が次々生み出されているのは偶然ではなく、多民族・多言語・多文化の集合体で、ビジュアルがコミュニケーションにもっとも有用であるからだ。

 一方、日本語だけでコミュニケーションが充分可能で、言葉のウラオモテを丁寧に読みとり、感じとっている日本人にはビジュアルによるコミュニケーションは決して必須のものではないのではないだろうか。

 というわけで、文章に対する挿し絵としてはじまった小林紀晴の写真家としての戦略は、成功を収めている。アジア旅物語写真集。


オンライン書店bk『アジアの少年』

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