【アルカリ】0223号
99/05/10(月)

『バトル・ロワイヤル』
(高見広春・太田出版・1480円+税)

 生徒はミカンじゃないんです

 グッド・タイミングというべきか。本書は中学の同窓会への行き帰りの電車の中で読んだ。同窓会は20歳の時の同窓会以来になる。その時会えなかった奴とは実に15年ぶりの再会だ。

 ぼくは、同窓会に好んで出るようなタイプではない。中学生の頃が楽しい毎日であったとはいいがたいし、教室の中ではとくにそうだ。たいていの教師には反感をおぼえたし、教室で楽しそうにしている連中にもなじめなかった。

 というか、ようするに振る舞い方がわからなかった。

 その後も、学校だけは人並みに出たが、とくに人に誇れるような仕事をしているわけでもなく、地方の中学の同窓会に出て話が合うとも思えない。正直なところ、わざわざ出ても特に益があるとも思えなかった。かつての自分だったら、そのまま放っておいたに違いない。

 しかし、ここ数年、ぼくの行動原理を支配しているある原則にしたがって、どうしても同窓会に出たい! と思った。ぼくが得た原則とは「潜入」だ。30歳を機に集まった男女の人間模様をぜひこの目で見、それぞれの状況をじっくりとこの目で見たい! と思ったのである。

 そして、その副読本として選んだのが『バトル・ロワイヤル』である。

 本書は、『パラサイト・イヴ』ほかのベストセラーを生んだ角川書店主催の「日本ホラー小説大賞」の最終選考で落ちた作品である。しかも、その選者たち、荒俣宏、林真理子、高橋克彦の三人に激しく嫌悪された結果の落選。その異様なまでのこきおろされ方に興味を持った太田出版の編集者赤田祐一が自身が創刊したメディア「クイック・ジャパン」に著者高見広春へのメッセージを掲載したことから本書の刊行が決まっていった。その経過自体がドラマチックだ。

 では、そこまで嫌悪感を持たれた小説の内容とはどんなものか。
 中学三年生のクラス42人が、たった一人の生き残りのイスをかけて殺し合うというゲームに投げ込まれるという物語だ。そして、その殺し合いを仕切るのは、坂本金八ならぬ、坂持金発先生。主旋律となるのはブルース・スプリングスティーンその他のロック・ミュージックである。

 パラレルワールドの日本。第二次世界大戦に勝ち残り、資本主義社会を敵に回しながら、いびつなファシズム国家としてハイテクで武装した北朝鮮とでもいうべき国家となっている。そこには、全国の中学三年生をアトランダムに抽出して、お互いを殺し合わせるという「プログラム」なる恐怖の制度があった。

 たまたま、その「プログラム」に選ばれてしまった香川県の城岩中学3年B組。主人公の秋也は、「敵製音楽」とされるロックを愛するスポーツ万能の少年。彼は同じクラスの連中が殺し合うはずがない、という素朴な信頼感を見事に裏切られていくが、その間、亡き親友が恋心を抱いていた少女を守ろうとすることで、生きる目的を見いだす。しかし、ゲームは、国家の運営によって、確実に進められ、一人また一人とクラスメイトたちは死んでいく……。

 近年、これほど恐ろしい小説を読んだことがない。まさに、底なしの恐怖を描いた小説だ。そして、その主人公たちは中学三年生である。その、子供とも大人ともつかない未分化の年頃だからありえる、純粋な恐怖と、愛情と、殺意。

 ああ、なるほど。あの、情緒不安定なニキビ面の頃、殺し合ったとしたら、それはなんと凄惨なことだろうか。

 ぼくは、郷里で行われた同窓会へ向かう列車の中で、同級生の顔を思い浮かべながら、本書を読み進めた。大して仲のよかったクラスではない。しかし、実際に殺し合うとなったら、おれは誰かと組んだだろうか?

 いないよなア(笑)。

 でも、好きだったあのコに勇気を出して「いっしょに行こう!」なんつって。
 とかなんとか、妄想をふくらませつつ、丁度、物語半ばほどで同窓会へ。

 ひゃー。男はともかく、女なんて、誰が誰だかわかんないぜー、てな感じの同窓会だった。学年の半数近くが出席した会場でのにぎわいはなかなかのもので、憎たらしかった教師連中はあいかわらずで、歳食ったぼくたちも、話しているうちに中学生の頃に戻っていってしまう。会が進行し、二次会、三次会と進むうちに、完全に中学時代の「グループ」に分かれてしまった。

 好きだった女の子が極端に太っていたり(もう、お母さんになっていたり)、あいかわらずの美しさで、まだ独身かなアと思っていたら、同級生と結婚してガキまで作っていたり。小学生の頃、いじめて泣かした女の子が妙に色っぽくなっていたり。
 ああ。やっぱり、『バトル・ロワイアル』だったら、こいつとこいつは100%殺し合うなアとか、このコとこのコの友情は、どこまで持つのかなアとか、そんなことを思うヒマはもちろんなく、ただただ、自分がかつてどんな中学生だったのかについて考えていた。
 うーん、自分がどう人から思われてたかなんて、全然思わなかったもんなー。うーん。その、とんでもない自己中心的な未成熟さ。それこそが、中学生の暴力的な部分じゃないだろうか。

 日本ホラー小説大賞で本書が敬遠されたのは「中学生が殺し合う」というストーリーと、そこに付随するブラックユーモアだったようだ。しかし、世代の違いなのかも知れないけれど、1969年生まれ(ぼくより一年下だ)の著者が生み出したパラレルワールドでの中学生の殺し合いには、とても納得がいった。

 そして、その殺し合いがゲーム的な体裁を取ってはいるが、その体裁自体に批評的態度が強く出ていて、その殺し合いはどれも痛い。その痛みは、まあ、同窓会があったというせいもあるかもしれないが、夢に見るほどであった。その痛みを描けていることが、この小説のすばらしさであると思う。

 理不尽なゲームの中で殺し合うことの痛みと、そこから生き延びていこうとする生命力の輝きが描き切れているからこそ、この小説はずばらしい。そして、その生の輝きの中に、幼い恋愛が含まれていることにも新鮮な魅力を感じた。もしかしたら、それは30男のセンチメンタリズムかもしれないけれども。


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