【アルカリ】0212号
99/04/19(月)

『写真の作法○アマチュア諸君』
(植田正治・光琳社出版・2400円+税)

 あくまでアマチュアの立場で

 まだ、それほどカメラや写真に興味がなかった頃、なぜか友人に誘われて東京駅のステーション・ギャラリーで植田正治の写真展を見た。写真展の広告に使われていた『少女四態』というモノクロームのモダンな写真はすぐに気に入った。

 写真はモノクロが多い。砂丘を舞台にしつらえて、人物やモノに演出を加えた独特の画面構成。どこかノスタルジーですぐに気に入った。戦前から現代までアマチュア写真家として活躍してきた植田の写真には時間が写っていない。

 例えば、『少女四態』は戦前の彼の代表作だが、それから数十年を経てもなお、古びていない。少女の顔や髪型、服装は確かに過去のものだが、画面構成の緻密さと、演出のアイディアの新鮮さは失われていない。そして、現代の彼の作品もまた、シャープネスがあがったり、モデルがタキシードを着たりしているほかは、やはり植田正治独特のテイストを保っている写真なのである。

 作家の回顧展の楽しみの一つは、作品の変遷をたどることである。しかし、植田の作品群はシャッフルしてしまえば、その年代を推定すること自体が難しいと思えるほどの自己完結的な世界を作り上げている。

 本書は、写真家植田正治が、過去にカメラ雑誌に連載していた文章を中心に彼の写真に対する考察と、意見、具体的な写真作法をまとめたものである。

 とりわけアマチュア写真家へ向けたメッセージが目を引く。それというのも、植田自身、鳥取で写真館を経営するアマチュア写真家であり、中央のマスコミと距離を置きつつも、作品が高く評価されてきたという異色の作家だからである。

 写真家といえば篠山紀信かアラーキーなど、マスコミ写真家ばかりがイメージされる。たしかにいわゆるプロカメラマンで写真家という人がほとんどだろうが、作品の完成度、価値においてプロもアマチュアもないのが写真の世界でもある。常にプロが勝つとは限らないのが写真の面白さだとも言える。

 植田は、写真を撮るという行為を常にアマチュアの立場で行おうと努めた人である。アパレルメーカーの広告写真を撮影したり、CDのジャケット写真を撮影したりはしているが、それはあくまで彼の作家性に従った限定された仕事だ。

 ちなみに、彼が撮影したCDジャケットには遊佐未森や福山雅治があるが、例えば福山は自分自身がライカを持っていて写真好きということもあって、植田正治のファンだったとか。彼が生み出したイメージがたまたまマスコミ写真になったわけで、彼のスタンスは基本的に地方のアマチュアである。

 本書で植田が説く撮影作法には、細々したレンズやカメラ、印画紙、引き伸ばしなどなどの技術的要件も含まれている。九州産業大学ほかで写真の先生をやっていたせいもあるだろうが、具体的で率直なアドバイスだ。

 加えて、アマチュアという立場からいい写真を撮っていくという方法論を自分なりに見つけだそうとしていることが見て取れる。そこには、地方で写真を撮っていることの不利をどう利点に変えていこうかと模索し、同様の志を持つ者を鼓舞したいという気持ちがある。

 例えば、植田は「知れ渡った名前を消すのはどうしても惜しい」と、さまざまな理由から活動を停止して消え去ってしまう才能あるアマチュア写真家へ呼びかけている。生活の必要がない写真ではあっても、それを続けることで人生に意味が加わる、と植田は書く。

 芸術にプロもアマチュアもなく、したがっていい作品を残した者だけが真の作家だろう。だとすれば、植田正治という人は息長く、時間を乗り越えて写真を撮り続けることで作家たりえた希有の才能の持ち主だ。その持続力と、独特の美意識への探求が、何とも言えない魅力を持った世界を印画紙に焼き付けることを可能にした。
 そのことが、本書を読むとよくわかる。植田正治は時間に勝利した作家なのである。


オンライン書店bk『植田正治私の写真作法』
*新装版として復刊されたもの。

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