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2004/07/31/Sat.
▲快晴。
▲ノンフィクションライターの神田憲行さん来宅。神田さんがこの秋に初めての写真展を開く。そのDMをうちのカミさんがデザインすることになり、その打ち合わせ。出産、育児で積極的には仕事は受けていないが、グラフィックデザイナーなんである。神田さんから美味しいシュークリームをたくさんいただく。写真展のタイトルは写真展「ハノイの純情、サイゴンの夢〜俺個人とベトナム国交樹立12周年記念」。場所は四谷三丁目のギャラリー「ニエプス」。9月18日(土曜日)〜23日(木曜日)まで。タイトルは神田さんの著書『ハノイの純情、サイゴンの夢』(講談社文庫)にちなんでいて(ベトナムものの名著です。興味ある方はぜひ)、神田さんがこれまで撮りためてきたベトナムの写真(カラープリント)が展示される。写真展のために新たに撮影した写真もあり、プリントまで自身で手がけている。セレクトされた写真は、神田さんの著書からもうかがえるように、ベトナム万歳でもなく、もちろん否定でもなく、そこに生きている人たちとのつかずなはれずの絶妙な距離感があり、とても好かった。実際に展示されたらどうなるのか? それもとても楽しみ。
▲夜、カミさんが出かけたので、イクヤと夕暮れ時を散歩に出る。見知らぬオババに話しかけられ、笑顔が凍り付くのを感じながら立ち話。夕飯を食べた(食べさせた)あとは、早々と寝てしまった。


2004/07/30/Fri.
▲快晴。
▲あるメーカーにパンフレットの提案。コピーライターとしてプレゼンに参加したのだが、先方のウケはまあまあ。でも、競合が4社もあるコンペなので勝てたかどうかはわからない。広告の仕事は久しぶりだが、ああでもない、こうでもないとブレストしてかたちを作っていく作業は面白い。妄想がどんどん広がっていく感じ。それに、企業ものは調べる楽しみがある。CD、ADのアイディアも鋭く、けっこういい線いったんじゃないかと思った。
▲川崎チネチッタあたりを歩く。十数年ぶり。変わっているのかいないのかもわからない。宙に浮いたような奇妙な空間だ。
▲目黒。長野重一写真展「目黒界隈」(フォトギャラリーGALLERY COSMOS 〜8月1日)を見に行く。新しくオープンした写真ギャラリー。オープニングの展覧会は、目黒在住の写真家長野重一さん。長野さんのご自宅にうかがって取材したことがあるが、駅からすぐだった。展示されていた作品は、職人的なうまさのモノクロのスナップショット。次回はハービー・山口さん(8月03日〜8月15日)、その次は木村直軌さん(8月17日〜8月29日)、鷲尾倫夫さん(8月31日〜9月12日)と著名写真家が続々と登場する。
▲中島らもさんの対談集『なれずもの』(イースト・プレスから刊行予定)の編集者Yさんと会い、宇梶さんとらもさんの対談の時の写真を渡す。らもさん追悼トーク。
▲中村勘九郎〔ほか〕『中村屋三代記』(集英社文庫)を読みはじめる。勘三郎亡き後の中村屋の人々をさまざまな証言から浮き彫りにした一冊。27日(火)に放送された 『父から子へ 中村勘九郎一家 涙の花道 密着18年!』(フジ)というドキュメンタリー番組が面白かったので。大学で演劇を専攻していたので、歌舞伎を毎月のように見に行っていた時期があった。その頃、勘九郎はちょっと軽い感じだった。幸四郎、吉衛門らの世代から遅れてきたということもあったし、後ろ盾の勘三郎が亡くなっていたという事情もあった。歌舞伎という世界は、「家」と「名跡」がキャスティングを決める世界で、芸の上手下手はその次というところもある。で、あるからこそ、「父から子へ」という血脈と芸の伝承が一番大切なことになる。勘九郎が若手のリーダー格になり、息子二人が活躍し始めている現在、中村屋の黄金時代が始まりそうな予感がある。勘九郎が戦後の大名跡である父の勘三郎を継ぐことが大きなきっかけになりそうだ。


2004/07/29/Thu.
▲快晴。
▲大竹伸朗『カスバの男』(集英社文庫)読了。芸術家のモロッコ滞在記。常のごとく、夢日記と路上で見つけたアートの記録。生きること=アート。特権的な輝きがある。


2004/07/28/Wed.
▲晴れ。
▲以前、いっしょに仕事をしていた二人の女性が遊びに来るが、仕事で出なければならなくなりとても残念だった。
▲夜、雨が降る。
▲中島らも『寝ずの番』(講談社文庫)を読み返す。落語の師匠、兄弟子、おかみさん、それぞれの「通夜」が舞台の短編小説3部作。初めて読んだとき、こんな楽しい通夜だったら出てみたいと思ったが、らもさんの「追悼ライブ」、どんなふうな「通夜」になるのか。おそらく、故人にふさわしい盛り上がりになるだろう。
▲さらに、中島らもの自伝的長篇小説『バンド・オブ・ザ・ナイト』(講談社文庫)を拾い読みする。やっぱり傑作だ、と改めて思う。エッセーに登場したことがある「ネタ」であっても、小説にすることで「匂い」や「光」が変わってくる。エッセーも面白かったけど、らもさんの本領はやっぱり小説にあったんだなあ、と思う。もっと話題になっていい小説だと思う。


2004/07/27/Tue.
▲快晴。
▲京橋。大竹伸朗展「UK77」ベイスギャラリー 〜7月31日)を見に行く。副題に「写真、絵、貼 1977〜78年」とあるように、77年から78年にかけての英国滞在の際に撮影されたモノクロ写真、ドローイング、包装紙やマッチラベルなどの印刷物(「ゴミ」と呼んでも差し支えないだろう。すごくカッコイイんだけど)を貼り付けたコラージュがギャラリースペースいっぱいに展示されていた。モノクロ写真の額に英字新聞紙が巻き付けてあった。大竹伸朗にとって、撮ることと描くこととと貼り付けることが三位一体となって必要とされていたことが伝わってくる。人間の「つくり」が違うんじゃないかという、「芸術家」の風格を感じてしまった。大竹伸朗の作品にいつも接するたびに思うけど、凄い人だ。
▲らもさん死去の報を『なれずもの』(イースト・プレスより刊行予定のらもさんの対談集)の編集者Yさんから受ける。愕然。参った。何度も死にかけて、そのたび「生かされてきた」と自ら語っていた人なのに。最後になってしまった宇梶さんとの対談で、珍しくお父さんの話をしたり、死ぬ前に妻と二人の子供に短編小説をプレゼントしたいとおっしゃっていたことが思い出される。いくらなんでも早すぎる死。ただただ残念。


2004/07/26/Mon.
▲快晴。
▲四谷三丁目経由で銀座。打ち合わせ。昼食はビーフシチュー。
小林恵写真展「過ぎしかの日」銀座ニコンサロン 〜8月7日)を見る。太平洋戦争中、現在の神奈川県座間市、大和市にあった「高座海軍工廠」には、当時日本の植民地だった台湾から送られてきた少年工兵たちがいた。いずれも台湾で優等生だった少年たちで、研修を受けたのち、全国の軍需工場に派遣されたという。写真展では、彼らのその後を追っている。彼らのポートレートを中心に、「高座海軍工廠」跡などを取材。モノクロで撮影している。会場にいた小林恵(こばやし・けい)さんに聞くと、家の近所の座間の公園にあった石碑と靖国神社とのつながりに関心を持ったことをきっかけに、「高座海軍工廠」と台湾からやってきていた少年たちのことを知ったという。歴史の大きな流れの中では小さなトピックかもしれないが、こうして写真を見ていると、その流れに翻弄された人生一つひとつは決して小さくないと感じる。現在、世界で起きている戦争にも同じようなことが繰り返されているのだろう、とも。
本橋成一写真展「生命の旋律」銀座キヤノンサロン 〜7月31日)を続けて見る。
。新聞連載されていた「いのちの現場」を訪ねて日本、海外のあちこちを歩く旅。カラープリント。キヤノンニューF-1で撮影したとクレジットにあったが、デジタル出力のせいなのか、プリントはあまりきれいではなかった。本橋成一といえばモノクロ、という印象があるせいかもしれないが、「らしさ」を感じなかった。とはいえ、1枚の写真のために取材した情報量の豊富さを感じさせる写真であったことも確か。大きなテーマに取り組むタイプの写真家だけに、一種の「幕間」なのかもしれないとも思った。
▲フジテレビ「月9」のテレビドラマ『東京湾景』を初めて見た。さっそく「韓流」ブームを取り入れる目端の効き方はさすが。ベタなラブソングも外国語なら意外とすんなり聴ける。設定もストーリーも悪のりじゃないかと思うほどベタ。親子二代のラブストーリーって、何かの呪いみたいだな。
▲合田彩『逃 TAO』(文藝春秋)読了。手に汗握る逃亡ノンフィクション。1989年、中国を一人で旅していた日本の美大生合田彩は、曹勇という画家と出会う。射撃は百発百中、一人でチベットの奥地に入り込み、壁画を模写してきたというワイルドな男。二人は恋に落ち、曹勇が北京で個展を開く時に再会しようと約束する。しかし、時は天安門事件の直前。チベット文化を吸収し、性や死を大胆に表現する曹勇の作品は中国政府から目を付けられる。しかも、学生運動をやっている友人たちともつきあいのあった曹勇は絵を没収されるだけでなく、逮捕の危機に遭う。二人は公安から逃れ、チベットに行き、パスポートを取って国外脱出を計るが……。 ▲二人が出会ったカシュガルの町や、青海省のゴルムドからラサまでのバス路線など、91年に旅行した頃のことを懐かしく思い出しながら読んだ。「天安門」後ではあったが、民主化は遠く、チベットへの陸路からの入境は許されていなかった。それでも、バックパッカーはチベット人の協力を得て、バスやトラックでラサをめざしていた。チベット人にしてみれば、陸路による入境を制限していたのは中国政府であり、チベットの窮状を知って欲しいという意味からも旅行者を歓迎しているようだった。
▲当時の中国はお上意識ばかりが強い共産党独裁の官僚国家という印象の国だった。単なる旅行者に取ってもわけのわからないことの多い国で、中国人が使う人民元のほかに、外人専用の兌換券なるお金が別にあった。サービスという概念がなく、外国人に対して外国人料金を求めることが当たり前だった。今では開放政策によってずいぶんと雰囲気が変わった中国だが、ほんの少し前までこの本に書かれているような国だったということを久しぶりに思い出した。
▲合田彩はその後著書はなく、公式ホームページを見ると、現在は画家として活躍中のようだ。曹勇は、WEBで調べた限りでは、「9.11」事件をモティーフにした作品を発表したと中国系のメディアに紹介されているのが最新情報。まだニューヨークにいるのだろうか。熱くて、濃いノンフィクション。面白かった。


2004/07/25/Sun.
▲快晴。
▲イクヤとるすばん。抱っこをねだって落ち着かない。先日、4歳になる男の子を間近にする機会があったが、その子もお父さんに抱っこしてもらうことが大好き。まだまだ抱っこしてやらないとなあ、と思う。
▲仕事の合間に子守というよりは、その逆。夕方、やっと寝てくれて、滞っていた仕事に手をつける。予定していた打ち合わせを明日に延ばしてもらう。
▲サッカー五輪代表は豪州に負けた。山本監督、課長みたいだなといつも思う。勝てそうな感じがしない。
▲テレビドラマ『逃亡者』。尾身としのりが黒幕だとばかり思っていたが、「ひっかけ」だったらしく、早々と死んでしまった。阿部寛の男くささがいい。故田宮二郎を思わせるくどい味わい。


2004/07/24/Sat.
▲快晴。
▲二日酔い。
▲O氏の事務所で打ち合わせ。お手製の冷やし中華をご馳走になる。錦糸卵とか載っていて、本格的なので感動した。
▲和ちゃんが家に遊びに来た。


2004/07/23/Fri.
▲快晴。
▲携帯電話が値下げされていたので、しばらくぶりに機種変更。ちょうど一年前の機種で、125万画素のカメラ付き。0円。カメラ付き携帯が欲しいと思ったことはなかったが、手にしてみると、ぼよぼよの画像に懐かしさを感じる。昔のデジカメっぽい。
▲ある仕事の打ち上げがあり、美味しい料理とお酒をご馳走になる。大企業の女性社員(ぼくから見れば「カタギ」)が半数を占める飲み会だったので、できるだけおとなしくしていようと思ったが、残りの半分が酔っぱらいだったので、場は盛り上がり、いつものごときノリになってしまったよな気が。まあ、いいけど。


2004/07/22/Thu.
▲快晴。
▲銀座で打ち合わせの後、O氏とgggでADC賞の受賞展を見る。
▲そのまま、原美樹子写真展『発語の周縁』(ガーディアン・ガーデン 〜8月5日)へ。96年の「ひとつぼ展」入選者で、女の子写真の元祖みたいな人。6×6フォーマットでカラーというスタイル。日常生活から数センチずれた瞬間を撮ったような、デリケートな写真。いかにも女性の感性と思う。原美樹子が登場した90年代には新鮮に感じた表現も、いつの間にか「様式」として一般的になってしまったことを痛感した。ただ、カラープリントの露出が適正値なのが妙に新鮮に感じた。最近の流行は川内倫子流のオーバーめのプリントだから。
▲新大久保のマレーシア料理店マハティールに久々に行った。隣同士2店舗分のスペースがあったのだが、もともとの営業スペースに縮小されていた。聞くと「マレーシア人が減ったので売上が落ちた」とのこと。居酒屋を居抜きで借りて、マレーシア風の化粧を施した店内のノリはあいかわらずで、メニューも豊富で、美味しい。冬虫夏草サワーとか、奇天烈な飲み物もあって楽しめる。ただ、蚊がやたらと多かった。途中から蚊取り線香を炊いてもらったが、新大久保一帯に蚊が大量発生しているとか。いったい何が……? 全部で8人いたので、いろいろと料理が頼めて楽しかった。前回は上海料理、今回はマレーシア料理だったので、次回はトルコ料理にしようということになり、お開き。「世界の料理を食べ歩く会」みたいになってきた。


2004/07/21/Wed.
▲快晴。
▲汐留で打ち合わせ。真新しいビル群。海からの風を遮っているから猛暑の一因になっているとか、風水的に最悪だとかいろいろ言われている場所。暑くて見て歩く気にはなれなかったがビルの中は快適そのものだけど。


2004/07/20/Tue.
▲快晴。猛暑。39度だって?
瀬戸正人写真展「picnic」瀬戸正人プレイスM 〜8月1日)。とてもよかった。新宿御苑、それとも代々木公園だろうか? 芝生の上のカップルたちを67か4×5で撮影したカラー作品。ピンはばっちり、背景はボケている。カメラ目線は珍しく、あさっての方向を向いている写真が多い。フィルムサイズが大きいので、彼らの持ち物、服などのディテールが執拗なまでにくっきりと描写されている。会場に貼ってあった「解説」(後半、意味不明だった)によれば、写真家が演出することはなかったそうだが、つまりは被写体のセルフ演出をそっくりそのままいただいたということ。携帯で2ショットを撮っているカップルの写真もあったが、そのように、自身を撮られることになれた国民が日本人であるともいえる。
▲写真集「部屋」ではモノクロ、部屋という個人的空間を撮影した瀬戸だが、今度はカラーで、公園というパブリックな場所で撮影している。しかし、パブリックな空間であるにも関わらず、カップルはシールドが貼られたように閉じている。その閉じられ方を絶妙に表現している。ありふれた光景のはずなのに、写真に撮られたその世界はバリバリと電波を発信している。そのエネルギーの強さ、快感だった。
▲飯沢耕太郎著 京都造形芸術大学編『写真について話そう 』(角川学芸出版 発売:角川書店)読了。宮本隆司が教授を務める京都造形芸術大学の写真講義の教科書がシリーズで出版されている。その1冊。タイトルのとおり、飯沢耕太郎先生と「写真を始めて間もないがなかなかいいセンスをしている女性」が写真の歴史をひもとき、東西の名作を論じるという内容。読みやすいし、内容も充実している。写真に興味はあるけれど、写真史の本は難しそう、という人にはいい本だと思う。
▲ただ、この対話形式、そこで語られる会話がやや恥ずかしい。おじさんと若い女性の対話、というと、先日読んだばかりの大嶋浩『痕跡の論理』(夏目書房)でも同じ形式の章があった。写真評論家は若い写真好きの女性との対話という形式が好きなのだろうか?(笑) しかし、『痕跡の論理』ではインターミッション的なものだったし、その内容も対話としてのスリルとユーモアがあった。ところが、『写真について話そう 』に出てくる先生と女性の間にはそういう緊張感がなくて、あまり気の利いたものとは思えなかった。まあ、どうでもいいっちゃあ、どうでもいいことなんだけど。
▲で、『痕跡の論理』(夏目書房)を読んだときにも思ったことだけど、この本でもデジタルと銀塩写真を対立項として説明していることに違和感を持った。しかも、「デジグラフィー」なる造語まで飛び出してくる。この「デジグラフィー」って言葉、「E電」みたいでちょっと恥ずかしいんですが・・・・・・。それはともかく、デジタル技術は銀塩技術を飲み込んで「写真」を延命させていると見るのが正しい見方じゃないだろうか。


2004/07/19/Mon.
▲海の日。快晴。
▲アイちゃんから結婚報告のメール。おめでとう。偶然にもうちといっしょの結婚記念日。
▲家族で「矢萩多聞展2004」(大倉山記念館ギャラリー 〜7月19日)に行く。今日が最終日。会場にはご本人もいらしたので、はじめましてとご挨拶した。
矢萩多聞展さんは、まずヤスケンさんの『ハラに染みるぜ!天才ジャズ本』(春風社)『乱読すれど乱心せず』(春風社)のブックデザイナーとしてその名前を覚え、『インド・まるごと多聞典』(春風社)というユニークな対談集を出していることも知った。矢萩多聞1980年生まれだと知って、マジ!? と思った。若いっ。そしてヤスケンさんが亡くなってしまい、インドのアトリエにいた多聞さんからメールをもらった。なんとなく、そのうちにお会いできるような気がしていたのだが、今日、初めてお会いできたという次第。
▲作品展の内容はとても充実していた。多聞さん14歳のときの作品から現在までを一望できる。矢作さん独特の繊細な線と伸びやかな想像力は14歳でですでに完成の感あり、その早熟ぶりにまず驚かされた。そして二度驚くのは、その「多聞ワールド」は年を追うごとにスケール大きくなっていく一方で、小さきものに対する愛情が深く濃く込められているように感じられたことだ。久々に絵を見てその世界に没入した感があり、見終わった後にはため息が出た。会場は由緒ある洋館で、回廊の展示がまた良かった。
▲ソファでほかのお客さんたちに混じって多聞さんとお話しすることができたのだが、もう一度驚いたのが、その人柄の円満さ。すげえよ、あんた、その年で、とつくづく感心してしまった。もっとも、作品からは単なる「いい人」とはまったく別種のオーラがにじみ出ていたから、じっくりと話す機会があればまた印象は変わるのかもしれない。
▲年の半分はインドのバンガロールで暮らし、仕事は日本でしかやらないという多聞さんのスローライフ。羨ましいと思う。ぜひ今度遊びに行きたいなあ。
▲新大久保の恒永海鮮で飲茶食べ放題。離乳食後期に入りつつあるイクヤにいろいろ食べさせてみて、その反応を楽しんだ。


2004/07/18/Sun.
▲晴れ。
▲写真家の藤里一郎さんと格闘家の武田幸三さんのトークショーに出かける。藤里さんは武田さんのオフィシャル・フォトグラファーを務めており、今回のイベントは、藤里さん撮影による武田さんの武田幸三フォトアルバム『我武者羅』(武田幸三さんの公式サイトで販売中。商品の紹介もある)の発売を記念したもの。格闘家の世界には疎いのだが、以前、藤里さんから武田さんを撮影したシリーズを見せていただいていたことがある。今日は藤里さんを紹介してくれた編集者の岡本正史さん(写真家でもある。フォトアルバムの構成に協力されたとか)に誘われて出向いた。
▲トークショーはフォトアルバムに収められた写真をプロジェクターで投影しながら、藤里さんと武田さんが写真が撮られた状況、撮る側と撮られる側のそれぞれの思いを語り合うというもの。フォトアルバムの構成は時系列にしたがっているわけではなく、写真によってもうひとつのストーリーを作り出そうとしている。それがビジュアルイメージとして多義性を含んだ写真の面白さでもあって、「いつどこで撮られたか」よりも、「どう見えるか」が決定力を持っている。しかし、被写体の側から見ると、実際の撮影現場の記憶を背景に写真を見、語っていくわけだから、そこにはおのずからフォトアルバムのストーリーを崩してく作用が生まれる。このすれ違いが実に面白かった。撮る側と撮られる側の話というのは、意外と語られてこなかった話かもしれないと思ったりもした。また、藤里さんが武田さんとの間で取っている独特の距離感がトークと写真、両方から感じ取れたことも面白かった。藤里さんの写真の被写体の距離感はいつも独特なものがあるなと感じていたのだけれど、その秘密の一端(まあ、ほんとに端っこだろうが)がわかったような気がした。


2004/07/17/Sat.
▲たぶん、晴れ。
▲ありふれた一日、夜、暗室作業を軽く。


2004/07/16/Fri.
▲晴れのち雨、くもり。
▲ある得意先に行くと必ず雨が降る。あまり相性がよくない相手のところだから、なにやら暗示的。でも、仕事は仕事としてなんとなくできてしまうところが自分でもおかしい。


2004/07/15/Thu.
▲晴れ。
オンラインbk1で定例会議。
▲池袋ジュンク堂で、中条省平さんと斎藤宣彦(オンライン書店bk1)による書評についてのトークショー。中条さんの『名刀中条スパパパパン!!!』(春風社)を作った編集者の内藤くんに誘われていったのだが、実は『熱い書評から親しむ感動の名著』(すばる舎)の出版を記念してのもので(行くまで知らなかった)、そのまま記念パーティーのような飲み会に混ぜてもらった。『熱い書評から親しむ感動の名著』という本は、オンライン書店bk1に寄せられた読者書評のなかから優れたものを集めてできた本なので、よく考えるとぼくもまったく無関係というわけでもない。というのは、故安原顯さんが「bk1書評大賞」の審査員をつとめたときに、企画のお手伝いをしたからだ。そのときに読んで素人とは思えない筆さばきを見せていた方々と、この場でお会いできたのは嬉しかった。


2004/07/14/Wed.
▲晴れ。
▲映画『世界の中心で、愛をさけぶ』を見に行く。6月22日に肝不全で亡くなった撮影監督の篠田昇の追悼のつもりで。享年52歳。早すぎる死。映画『ラブホテル』(1985年 相米慎二監督)の流麗なカメラワークに酔わされて名前を覚えた。以降、岩井俊二監督とのコンビが印象的だったな。テレビドラマのタイトルバックを撮影したりもしていて、ちょっと面白い映像だなと思うと、クレジットに篠田昇の名前があった。残念だ。
▲原作も読んだが、「古くさい」ところがいいのかなあ、と漠然と思った。つまらないとは思わなかったけど、感動したというわけでもなく、よくできているなあ、と。映画もストーリーは違うがテイストは似ている。ロケ地高松を推薦したいのは篠田カメラマンだったと週刊誌の記事で読んだが、野があり山があり海がありノスタルジックな町並みがのこっている。主人公たちは1969年生まれに設定されていて、ちょうどぼくの一つ下。高校時代にウォークマンが流行ったことが、映画にうまくとりこまれている。主人公の男の子の恋人、それも十代の女の子が不治の病にかかるというだけで泣ける。エロ映画を見て勃起するがごとく泣けるわけだが、裸とからみがあれば勃起するというわけでもないように、そこに「腕」が必要だ。この映画は泣かせるだけの芸がちゃんとあった。
▲篠田昇の手持ち撮影がまた実に冴えていた。病院の階段を駆け下りてくるヒロインを抱きしめる主人公。カメラも二人を受け止めていた。その包容力。見事だった。
▲高校生の二人がまた良かった。ヒロインの長澤まさみは柄が古くさいところが良かった。一方の森山未来にはたいへんな才能を感じた。もともとダンサーらしいけど、芝居も実に勘がいい。久々に若い男の役者をいいなと思った。
▲残念だったのはオーストラリアロケが失敗していることで、「蛇足」という言葉を思い浮かべた。日本映画が海外でロケすると、どうして取ってつけたような映像になってしまうんだろうと不思議に思うほど、違和感があった。しかし、映画館で見るだけの価値はあると思った。たまにはこういうべたな映画もいい。
▲コニカミノルタプラザ ギャラリーで小柴直樹写真展「花火-Tokyo Private Summer-」/川真由美写真展「じいちゃんの田んぼ」/川奈津子・井形荘子二人展「Transit トランジット」を見る。
▲写真のワークショップのあといつもの飲み屋に寄る。マスターがガイジンに殴られ、鼻の骨を折られたとかで、Оさんが代打。心配だねえ、と話していたらマスター本人が現れて、ことの顛末を語った。酔っ払い同士の出会い頭。事故みたいなもんだったみたいだ。遺恨が残らなかったのはなにより。話題は階級化していく一方で、低階層の人間が階級化を無意識に受け入れる恐ろしさについて。低階層の人間ってのは、ぼくらのことですが。しゃれになってない。
▲後藤繁雄『写真という名の幸福な仕事』(アートビートパブリッシャーズ)読了。国内外の錚々たる写真家へのインタビュー集。おしゃれな雑誌の写真特集とかでなされたインタビューを集めたもの。後藤のインタビューの特徴は、インタビュアーとしての後藤繁雄を前面に出していく姿勢がはっきりしていること。その恥ずかしげもないところがとてもいい。ご本人のキャラあってこそのインタビューである。「写真という名の幸福な仕事に関わっている幸福な後藤繁雄さん」という感じ。登場する写真家はウィリアム・エグルストン ウィリアム・クライン ジョエル・マイヤーウィッツ リチャード・ミズラック ナン・ゴールディン ジェフ・ウォール フィリップ・ロルカ=ディコルシア グレゴリー・クリュードソン ニック・ワプリントン ジョゼフ・クーデルカ ベッティナ・ランス デイビット・バーン サム・テイラー=ウッド セバスチャン・サルガド、森山大道 荒木経惟 東松照明 杉本博司 植田正治 やなぎみわ 上田義彦 高橋恭司 ホンマタカシ 大森克己 長島有里枝 若木信吾 平間至 HIROMIX 佐内正史 。どのインタビューも面白かった。


2004/07/13/Tue.
▲晴れ。
▲茗荷谷の駅前ラボにカラーネガフィルムの現像を出す。ここの機械は古いので、デジタルっぽいプリントとはひと味違って好きだった。しかし、今月いっぱいで店じまいと聞く。残念なり。駅前ビルの建て替えが直接の理由らしいが、D.P.E.もデジタル対応への切り替えで、新たに設備投資が必要となる。そうなると、やめたほうがいいかも、という判断をする店もあるのだろう。


2004/07/12/Mon.
▲晴れ。
▲大学時代の先輩(途中から同級になった)K谷さんと築地で飲む。まぐろの中落ち、骨ごと出てきた。K谷さんにはよく飲みに連れていってもらったが、格別、何を話したという記憶がない。しかし、いっしょに飲んでいて気持ちのいい人だ。はじめは亡くなった友人の話などをしていたが、やがてお互いの子供の話になる。K谷さんもぼくも人の親になっているとは。時の流れを感じる。携帯に入っていたお子さんの写真、かわいかった。
▲松本賢吾『流星を斬る 竜四郎疾風剣』(双葉文庫)。梢竜四郎シリーズ第1作。『墓碑銘に接吻を』(双葉文庫)『月虹(ムーンボー)』(毎日新聞社)などのハードボイルド作家が時代劇に挑戦。ドンピシャ、見事に当たった。現代物とちがって、どんなハチャメチャをやっても許されるとばかり(?)、派手なチャンバラシーンに、アクロバットな濡れ場のサービスもある。そして、こちらは以前の通りだが、登場人物たちの個性豊かなところが面白い。主人公、梢竜四郎のクールさもいいが、ライバル、曲狂之介もいい味を出している。時代設定は田沼意次の時代。武家と商人と大奥の、三つどもえの権謀術数と、野良犬のごとき浪人たちの無法。作者独得のユーモアも織り込まれていて、サービス満点の娯楽作になっている。しかし、この弾け方、松平健が「マツケンサンバ」踊ってるみたいなもんかな。作家の「マツケン」の弾けっぷりもぜひ楽しんでいただきたい。


2004/07/11/Sun.
▲晴れ。
▲参議院選挙に行く。入れたい人がいない。反自民の選択肢が民主しかないってホントにいいのか? どっちも改憲を主張してる。かといって、革新系の政党はどれも魅力がない。
▲ある撮影会で鎌倉へ。午後の早い時間は雨だったが、やがて晴れて暑くなった。
▲長谷寺から御霊神社、極楽寺駅から鎌倉高校前。んで、途中で夏祭りに遭遇した。


2004/07/10/Sat.
▲曇りのち雨。
▲中大杉並高校前のサイゼリア。サイゼリアってあんまり利用したことないけど、安いんですね。高校生がたくさんいた。ウェートレスのおねえさんに恋したりするんだろうなとか妄想。
▲西松屋で育児グッズなど購入。殺風景な店内にエンドレスで掛かっているのテーマソングが頭から離れなくなった。
▲夜はプリント眠くてちょっとだけでやめてしまった。ベタ9枚と六切り6,7枚程度。


2004/07/09/Fri.
▲晴れ。
▲新宿二丁目のバーで中島らも×宇梶剛士両氏の対談で写真撮影の仕事。中島らもさんの対談集『なれずもの』(イースト・プレス)のためのもに。宇梶さんはらもさん原作の映画『お父さんのバックドロップ』(今秋公開)で主人公を演じている。最近は暴走族のブラックエンペラー元総長としても有名になった宇梶さんだが、上背があってとてもカッコイイ人だった。らもさんが珍しくご自分のお父さんのお話などされていたのが印象的。『お父さんのバックドロップ』は原作小説もいいけれど、映画はさらに面白いらしい(試写で見たらもさんが絶賛していた)。公開が楽しみだ。
▲対談後、らもさん、マネージャーの長岡さん、編集者の屋田さん、映画のプロモーションディレクターの方らときんかん亭でそばと酒。初めてらもさんと少し話をすることができた。らもさんの小説やエッセーを読んで気になっていたことや、ウツ病の話、子育ての話などをうかがった。お酒は、今日飲む分を先に頼んで、セーブしているという感じだった。(追記:このときは大変にお元気で、まさか、このちょうど一週間後に事故に遭われるとは思わなかった。対談の予定があと3人分あったので、これからもっといろいろとお話しする機会があると楽しみにしていたのに……)
▲散会後、屋田くんともう一軒寄ってから帰る。楽しい晩だった。


2004/07/08/Thu.
▲晴れ。
▲大嶋浩『痕跡の論理』(夏目書房)読了。WEB上でArt Collective Media Declinaison(略称ACMD)を主宰する美術評論家の大嶋浩による写真論集。デジタルカメラをいちはやく作品作りに用い、WEBサイトを作品の発表の場とした写真家、小林のりおの存在を、銀塩フィルムに拘泥するその他写真家との対立項として位置付けることで、銀塩フィルムからデジタル写真への移行期にある「現在」の状況を描き出す。銀塩フィルムによる写真批判も含んでいるので、写真について多少なりとも考えている人にとっては実に刺激的。個人的には、中平卓馬論が面白く、目から鱗が何枚も落ちた。
▲ただ、なんとなく腑に落ちなかったのが、デジタルと銀塩フィルムは二項対立たりえるのかなあ、ということ。ニコンD70あたりのカメラでは、銀塩フィルムカメラと使用感はまったく同じ。プリントのクォリティーも銀塩のそれと変わらない。細部にこだわって見る人にとっても、近い将来まったく区別がつかなくなるだろう。それより何より、銀塩フィルムのカラープリントがすでにデジタル処理されているという現実がある。つまり、デジタル化とはインフラの問題であって、写真(静止画)の本質を変えるものだとは思えない。WEB上に写真を載せることは、スキャナを通せば銀塩フィルムでもできるわけで、結局のところ、デジタルも銀塩もないんじゃないかな。ある写真家はデジタル写真について「写真を延命する存在」と評していた。ぼくもそんな気がする。
▲もっとも、大嶋浩が批判しているのは銀塩フィルムにこだわる写真家に象徴される「旧型」写真家であって、デジタルはその象徴にすぎない。でも、だとしても、「デジタル=新しい」というイメージそのものも、ホントかなあ、と思ってしまう。それはともかく、本書のいいところは、切れ味鋭く読みやすい文章で書かれていること。挑発的なくだりも含めて、一気に読みたくなる一冊。岩崎マミ、高橋明洋丸田直美永沼敦子佐藤淳一元木みゆきほか若い写真家たちへの論評も収録されている。


2004/07/07/Wed.
▲晴れ。
▲四谷三丁目で山川三太さんの事務所で打ち合わせののち、銀座へ移動し、舞山秀一写真展「garden」檻の中の動物達コダックフォトサロン 〜7月13日)のオープニングパーティーに。山川さんの元に舞山さんから招待状が届き、お供した次第。舞山さんとは勤め人のことに仕事をごいっしょして以来なので、お会いするのは7,8年ぶりかも。舞山さんはHITOIMIやBoAの写真集やCDジャケットを始めとして数々の仕事を手がけている売れっ子カメラマンだが、今回の写真展は、仕事を離れて個人的な視点で撮影した「作品」展。カラー写真28点。
▲モティーフとなっているのは動物園。国内15カ所の動物園を巡り、4×5で撮影したという意欲作。舞山さんの「仕事」の写真はわりとこってりとしていて、インパクト勝負! という印象があったが、こちらは一見すると平凡にすら見える何気ない写真。同じ人が撮ったとは、ちょっと思えない。しかし、以前、仕事をご一緒したときに、飲み屋で写真の話になり、植田正治さんの話をしたことを思い出した。舞山さんは大学時代、植田さんの授業を受けていたことがあったのだ。ご本人にも、仕事の写真とはかなり雰囲気が違いますね? というようなことをお聞きしたのだが、もともとこういう写真を撮っていたとのこと。「仕事」と「作品」で趣の変わった写真を撮る写真家は少なくないが、舞山さんもカメラマンとして活躍する一方で、写真家として作品を発表するという意欲を持ち続けていたということなんだろう。ギミックなし、そのまんま、という無手勝流による作品群は、舞山さんの「作家宣言」なんだと思った。今後の作品にも期待したい。
▲山川さんと新宿に移動して飲んだ。久々にお会いしたので話すことがたくさんあって、楽しい夜だった。


2004/07/06/Tue.
▲晴れ。
▲銀座。十文字美信作品展「Water Falls−落ちる水−」資生堂ギャラリー 〜8月1日)を見に行く。華厳の滝などの名瀑写真(モノクロ)と滝の音、雨の映像を組み合わせたインスタレーション。資生堂ギャラリー壁は天井まで約6メートルあり、その高さを生かした展示となっている。滝の写真は正方形に分解され、滝の断片を切り取り、再構成されている。滝の特徴である、水が落ちていくダイナミズムを写真と音で表現したということだろうか? 期待しすぎたせいか、正直なところ、ピンとこなかった。十文字美信は広告写真の世界で著名だが、『蘭の舟』などのノンコマーシャルの写真集も出していて、広告でも作品でも、「天才」を感じる。凄い写真を撮る人だと思っている。この作品展では、なぜ「滝」? ということが写真で納得できなかったので、あまり面白く感じなかったのかも知れない。
マン・レイ展「まなざしの贈り物」ハウス オブ シセイドウ 〜7月18日)を続けて。前衛芸術家たるマン・レイにとっては不本意だったようだが、マン・レイはファッション写真の革命児としても写真史に名を残している。この展覧会は、「ヴォーグ」や「ハーパース・バザー」にマン・レイが発表したファッション写真を特集したもの。マン・レイの美意識が、「現在」と直結しすぎているのか、古るぼけた感じもしない代わりに、珍奇さもなかった。再発見するも何も、いまだに、マン・レイのまねっこって多いんだなと思った。2Fに上がって、マン・レイが作ったオブジェなんか見ると、この人はすっとぼけたユーモアのある人だなと感じて楽しくなった。
▲勢いがついて、ガーディアン・ガーデン田村俊介写真展「父さん、そのジャージ僕のです。」(〜7月10日)を見る。公募展フォトドキュメンタリー「NIPPON」2004で選ばれた作品展。案内状を見た時から、見に来たかった。タイトルからして面白いけど、やってることは、お父さんの写真を毎日撮るというプロジェクト。サイト(TAMURA'S PHOTOS)で日々更新していたものが、そのまんまプリントされて壁にびっしりと貼られている。お父さんは定年をむかえて昼間からうちにいる。お母さんはだいぶ前に亡くなっている。お兄さんは東京を離れているので、写真家はお父さんと二人暮らし。で、お父さんの写真をデジカメで毎日撮る。その発想も面白いし、実際にやり続けることもすごいけど、写真も面白い。まさに生活感そのものなんだけど、どこか軽くて、でも時々、「落ちる」。その落差みたいなものが面白かった。。
▲会場ではデジカメで撮った動画も流れていたけれど、デジタルカメラで撮影した場合、静止画と動画の相互乗り入れに違和感がないんだなあ、といいうことを初めて実感した。これを銀塩フィルムとビデオでやると、本編とメイキングみたいになっちゃうけど、デジタルなら、両方同じ作品世界になる。この違いは、どちらがいいということではなく、面白いなあ、と思った。プリントもデジタルだから、色の感じとかがテレビの画面キャプチャーみたいに感じる部分もある。フィルムで撮影したプリントよりもこっちのほうが「日常」なんだな。ぼくらの見ている映像世界のリアルって、ブラウン管なんだなあ、とも感じた。
▲田村俊介の次の展覧会は「LANDSCAPER」(新宿ニコンサロン 8月31日〜9月6日) だそうなので、そっちもぜひ見に行きたい。


2004/07/05/Mon.
▲晴れ?
▲中島らも『人体模型の夜』(集英社文庫)読了。科学の実験室によくある、人体模型。その人体模型のパーツ一つ一つが語り始める怖いお話、といった趣向の連作短編集。ブラックユーモア風のものあり、都市伝説風のものありと、バラエティーに富んだ内容。個人的に印象深いのは、たとえば『EIGHT ARMS TO HOLD YOU』。最近も話題にのぼったビートルズの未発表曲をモティーフにぞっとする話に仕立てている。たしかVシネマになっているはずだが、パッケージにヌードがあってエロチックな印象だった。で、検索してみたら、1996年にピンク映画の鬼才佐藤寿保が監督していた。原作はグラン・ギニュール的な面白さを狙った西洋怪談である。オチ話としても楽しめる。


2004/07/4/Sun.
▲晴れ?
▲終日、イクヤの子守。作り置きしてある離乳食をチンして、食べさせる。抱っこする。ぐるぐる回転する。「高い高い」。いっしょにハイハイする。絵本を見せるが、ページをわしづかみにしてぐちゃぐちゃにしてページを噛む。おむつを変える。泣く。くすぐる。笑う。おもちゃで周りを囲む。一人で遊び始める。放っておく→泣く、わめく(いわゆる「後追い」ってやつで、とにかく誰かいっしょにいないと機嫌が悪い)。抱っこする。ミルクを飲ませる。いっしょに昼寝。目がさめてイクヤが泣く。抱っこする。ぐるぐる回転する。シャワーで身体を洗ってやる。離乳食をチンして、食べさせる。放っておく→泣く、わめく。抱っこする。ぐるぐる回転する。「高い高い」。笑う。ミルクを飲ませる。
▲イクヤを寝かした後、3時すぎまでプリント。ベタ12枚、六切21枚。


2004/07/03/Sat.
▲晴れ。
▲石元泰博写真展「街かど −シカゴ、渋谷−」(キヤノンサロンS 〜7月3日)を見に行く。最終日に間に合った。石元泰博は1921年アメリカのサンフランシスコ生まれ。戦中、日系人が収容されたキャンプで写真の撮影と現像を学び、戦後、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザイン(通称ニュー・バウハウス)で写真を学んだ。1953年に一時帰国し、「桂離宮」を撮影し、高い評価を得る。その際に日本の写真家、建築家らと交流を持った後、シカゴに戻り、1968年に帰化している。ニューバウハウスで学んだモダニズムを日本に持ち込み、桑沢や造形で学生を教えるなど、日本の写真教育にも大きな影響を与えている。ふだんはデジタルものの写真やイラストの展覧会をやっているギャラリーだが、今回の展示はすべて銀塩オリジナルプリント(キヤノンのモノクロプリントコレクション)。まさに眼福なり。
▲展示は大きく4つに分かれている。精緻な構図で日本の伝統美をクールにとらえた「桂離宮」、スナップショットの名作「シカゴ」、渋谷に集まる青年たちの背中をスナップした「街角(渋谷)」、抽象的なかたちを光のいたずらのなかに見出す「刻(とき)」。石元泰博の仕事のなかでも代表的な4つのシリーズが一度に見られて満足した。すべてモノクロ。以下、簡単に感想を。
▲「桂離宮」。ニューバウハウスに学んだ石元の面目躍如。日本の「美」を因数分解するがごとき、線と面の解読と再構成。見事な画面構成に目を見張る。柱と壁、戸の向こうに見える庭の遠近がひっくり返って見えるような錯覚も。桂離宮の「完璧な美しさ」が表現されていて、鬼気迫るほど。
▲「シカゴ」(1958〜62年撮影)。何度見ても名作だと思う。登場人物の多彩さ。寄り、引き。自由自在。写真を撮るのが楽しくて仕方ないんじゃないかなあ、と思う。石元が立っている場所が、アメリカと日本、在住と旅人、いずれの境界線に立っているからなのか、絶妙な「軽さ」がある。ぎりぎりの「敷居」からの視点といえばいいか。旅するようにシャッターを切りながらも、被写体からすくい上げるべきものをちゃんと見いだしている姿勢に共感を覚える。
▲「街角(渋谷)」。見上げるように撮影された日本人青年の背中が続々と続く。Tシャツに描かれた奇抜なデザインの数々。職人的な上手さのある背中カタログ。背の高い若者たちに囲まれて思わず天を仰ぐ老人の姿を撮影した1枚は、石元自身が重ねられているのか。無地の黒メッシュの女の背に、石元さんの禿頭のシルエットが重ねられている写真も印象的。
▲「刻(とき)」。奈良原一高さんの最近の作品にも感じることだが、モダニストの写真家は、写真を使って抽象的なイメージを構築することに惹かれていくものなのか。老モダニストがたどりついた境地、といったら失礼かな。水と、ぶれる人の姿に、枯れた、東洋的な美が感じられる。
▲キヤノンサロンSの1階上に回廊ギャラリーがあり、そこを抜けると喫茶コーナーがある。けっこうな数の写真集が置いてあり、時間をつぶすのにはもってこいの場所だ。いつも空いてるし。
▲今日はアラーキーの旧作を数冊楽しんだ。いずれも絶版。
『荒木経惟の偽ルポルタージュ』(1980年 白夜書房)「写真時代」編集長だった末井昭とのコンビ作。末井本人もモデルとして登場するだけでなく、デザインも手がけていて、実にいい味。こういう味わいの本って、いま、見かけないなあ。
▲天皇誕生日の取材から始まり、テレビ局で八代亜紀、東京チャームレデー、海水浴場(溺れかけた男まで登場するハプニングも)、「港のマコ、ヨコハマ」なる不良少女ルポ、花魁ストリップや成人式ならぬ「性」人式。偽「太地喜和子」とラブホテルに行ったり、団地売春妻(目線入り)、勝手に広告を作ったり(「野生の証明」)、最後は「終戦記念日」。ニューヨークの写真展での亡くなった山岸章二(「カメラ毎日」編集長)とのツーショットと葬式写真まで、とにかく、何でもつっこんである感じ。精力的かつアイディア満載のなかにも、エロスと死が存在感を示している。凄いパワー。
『東京エレジー』(1981年 冬樹社)1ページ8コマの映画的カット、見開きの写真。カラー。演出写真。父の葬式。妻のヌード。すべて無秩序に並んでいる。物語が生まれかけてはぶち壊されるという印象。
▲仕事の写真がある一方で、仕事ふうにスタジオで撮ったゴミみたいな写真もある。ノートの複写、団地の少女。モデルの写真もある。すべては等価。67−72年に撮影された写真群。装幀=田淵裕一。解説は伊藤俊治(文中に登場するマイケル・レシ「ウィスコンシン 死の旅」見てみたい)と、西井一夫(荒木と同時代の写真家たちの論としても秀逸)、いずれの解説も面白かった。
『写真論』(1989年 河出書房新社)
ミノルタCLE+40ミリ、オリンパスOMー4+40ミリ、ペンタックスLX+マクロ50ミリで撮影されたモノクロ(フィルムはTri-XとTMAX。)、ヨコ位置のスナップ写真集。すべて見開き。
▲子供たちがわらわらいたりとかする木村伊兵衛ばりの見事なスナップがあるかと思うと、車のない首都高のまっすぐな道がどーんと伸びていって、手のアップ、点滴。おなじみのベランダはヨコにかしいでいる。自転車のサドル。駅のホームのそっくりなサラリーマン2人と水っぽい中年女。繰り返しインサートされる仰角の秋。カットカットが飛躍していながらもつながるのは不思議だ。これが写真家の「視点」ってやつか。「眼」がブレがないのだ。この写真集の「静けさ」はアラーキーの写真集の一傾向で、「凝視」した結果できあがった写真を、街角スナップと手のアップが同居するという視点の飛躍に見られるように、映画を編集するように並べるというスタイル。にぎやかなアラーキー節も悪くはないが、こちらの静かさのほうがより好みだ。ブックデザイン=戸田ツトム。


2004/07/02/Fri.
▲晴れ。
▲人形町の日本茶ギャラリー&カフェ 茶一(Chai)で、きらさんの写真展を見る。きらさんはベニス在住で、今日まで東京で版画展と写真展を同時開催していた。版画展のほうまで足が伸ばせなかったのは残念だが、なんとか最終日に写真を見ることができてよかった。写真はベニスを題材としたものだが、そこで生活している方の作品だけに、世界的な観光地も素顔をのぞかせている。一度だけ訪れたことのあるかの地を思い出しながら、懐かしく見ることができた。ご本人にお会いできなかったのがちょっと残念だったけど、いつかお会いできるような気もするので焦らない。


2004/07/01/Thu.
▲薄曇り。
▲熟睡して目覚める。湿気がなく、過ごしやすい。
▲新宿。御苑まで歩いて、堀内カラーに沖縄で撮ったポジフィルムの現像を出す。
▲職安通りの南大門市場(スーパー)でトマトと豆腐を買う。この店でもホトゥック(この店ではホドゥックと表記)を売り始めた。ドンキ・ホーテのお店は、いかにもバイトという感じの若い男の子か女の子が焼いているが、こっちの店はそれなりの年齢のおじさんが焼いている。「栄養ホドゥック」なるものが魅力的だと感じたのは頼んでから。メニューに違いがあるとは思わなかった。チーズ「ホドゥック」はちょっと甘くて美味しかった。ドンキの店よりもボリュームがあるかもしれない。値段は一緒で200円。ほかにチジミ1枚400円で売っていた。
▲夕食後、フィルム現像6本。日記同様こちらも遅れていて、6月15日分を現像。現像液が底をついた。HDがいっぱいになったので、CDに焼く。


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