【アルカリ】0645
03/01/08

當麻妙写真集『Tamagawa』
http://www.tomatae.com/・1500円)

 河川敷の奇妙な空間

 河と住宅地の間に造られた緩衝地帯、いわゆる河川敷には、野球やサッカー、テニスができるようなグランドが続く。河口近くの平野部ではありふれた光景だ。そして、どの河川敷もなぜか似ている。たとえば、多摩川と荒川の河川敷の風景は交換可能なのではないかと思う。

 そんな無個性にすら感じられる風景が収められた写真集がある。タイトルは『Tamagawa』。正方形フォーマットのカラー写真である。河岸から川沿いを見下ろすようなポジションで撮影された写真だ。

 写真集を見ていると、河川敷が「広い」ことにまず驚かされる。東京郊外の河川敷は、都会の密集した住宅地と対照的な広さを持っている。写真には休日を過ごしている人間たちも写し込まれているが、その小ささが印象的だ。写真の中で、人間はまるで虫のように見える。そして、写真家のまなざしは、虫のような人間たちの営みを、愛でるように丁寧に撮影している。この視線は愛情豊かな「観察」である。

 河川敷は人間によって造成された人工的な「自然」だ。自然と人工の間にあって、不安定で、どっちつかずの様相を呈している。そこで遊ぶ人間たちの存在もどこか奇妙だ。人工的に造成された場所で、自然と戯れる人間たちの姿は、自然と自分たちの好みに作り替えることでしか生きてこられなかった人間の象徴的な姿である。
 しかし、写真集『Tamagawa』は多摩川の河川敷を文明批評のために撮影しているわけではない。図式的な読みとり方を拒否するように、視点は揺らぐ。例えば、風景の中の虫けらじみた人間を写す一方で、すっくと伸びた一本の木を撮っている。この木は、人工物に囲まれて生きているぼくたちにとって、信仰の対象としての「自然」だとぼくは感じだ。人間たちを虫のように観察する一方で、自分自身も虫の一匹になって木を見ている。そんな揺らぎがこの写真集の魅力である。
 人工的な環境の中の「自然」は、まさに、いま、ぼくたちが文明の中にあって手にしている「自然」である。ワイルドではなく、マイルドな自然だ。これがぼくたちの現実であり、生活の一断面なのだと思う。
 
 収録されている作品の一枚一枚は丁寧に時代、風俗の雑音を排してあり、「RIVER BANK」のような抽象的なタイトルにも十分耐えられるほどイメージが抽象化されている。つまり、多摩川や荒川、そのほか、日本各地の河川敷に共通するイメージを抽出することに成功しているのだ。しかし、写真家が「Tamagawa」にこだわったのは、「RIVER BANK」という抽象的なイメージよりも、自身の日常との地続きで、多摩川という河を見つめたいと考えたからだろう。英文タイトルにしたのは、「多摩川」をわずか、抽象化させるという意思の表れではないかと推測する。

 『Tamagawa』を撮影した写真家、當麻妙は1977年東京生まれ。コニカプラザ、清里フォトミュージアムなどでグループ展を開催しており、今月、新宿ニコンサロンで単独の写真展「Tamagawa」(5月13日〜19日)を開催する。写真集『Tamagawa』は写真展に合わせて制作されたもので、200部限定。写真家の自費出版である。写真家が自身の作品集を出版することが難しい状況にあって、作品を世に問うていくことは身銭を切らなければならないのが現実だ。しかし、あの巨匠写真家、高梨豊も、若き日、売れっ子カメラマンとしてマスコミで稼いだ金をつぎ込んで写真集を自費出版しているのである。
 『Tamagawa』はわずかな部数しか用意されていないので、関心を持たれた方はお早めに購入されることをお勧めする。将来性豊かな写真家の最初の作品集を買うことは、アートを愛する人間にとっての喜びではないかと思うからだ。

 『Tamagawa』の販売は當麻妙の公式ホームページで行われている。

*ごぶさたしてました。【アルカリ】です。みなさん、お元気ですか?今回は超レアな写真集を取り上げてみました。写真集の一部は當麻妙の公式ホームページで見ることができます。ぜひ購入をご検討下さい。
 当然のことですが、ぼくの読みとり方と写真との間には距離があり、写真家のまなざしと読み手のまなざしには齟齬があります。そして、そのズレこそが、写真集を「読む」魅力だと思います。以上はぼくの「読み」にすぎないが、みなさんも『Tamagawa』を見る機会があれば想像をたくましくして「読」んでみてください。


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