【アルカリ】0645
03/01/08

『終戦のローレライ』(上・下)
(福井晴敏・講談社・上巻1700円、下巻1900円)

 2002年度ベストワン(個人的に)。入魂の傑作!

 ライン川の崖の上で黄金の櫛で髪をすき、美しい声で歌を歌う美少女ローレライ。彼女の歌声に惑わされた水夫たちは、船もろとも川底に沈む運命にある──。福井晴敏、入魂の長篇小説『終戦のローレライ』は、太平洋戦争がまさに終わろうとする時代に、ローレライの歌声を響かせた堂々たる作品である。

 まず、その長さを覚悟していただきたい。本文二段組、453ページ(上巻)、597ページ(下巻)、ごっついボリュームだ。しかし、作者がこの物語を語るために作者が呻吟した時間と試行錯誤が、この長さを読み応えのあるものにしている。読了後、虚脱感を覚えるほど、濃密な世界を作りあげた。

 物語の舞台は太平洋戦争末期、すでに戦争の行方が誰の目にも明らかになっていた昭和二〇年。日本の敗戦は必至、財のみならず兵も底をついていた。すでにナチスドイツは白旗を揚げ、ヒットラーも亡い。
 ドイツがフランスから戦利品として巻き上げた潜水艦「UF4」は、主砲を備えた、やや時代遅れの兵器だったが、ナチスが極秘裏に開発した秘密兵器を手みやげに、日本海軍に身を寄せようと航行してきた。この潜水艦は、米軍をして「シーゴースト」と呼ばしめ、神出鬼没、亡霊のような不気味な存在として恐れられていた。米海軍の二台の潜水艦はこの亡霊を追って日本海域へ迫る。そのため、シーゴーストは、その秘密兵器を海中に落とさざるを得なくなる。日本にたどり着いた潜水艦は接収され、「伊507」と名前を変える。

 名門出身で、将来は海軍大将と目されながら、ミッドウェー海戦での敗走後、自ら過酷な南方戦線を希望し、九死に一生を得て帰国した浅倉大佐は、海軍のそこかしこでくすぶっている「規格外品」たちを集め、「伊507」に乗り込んで秘密兵器を引き上げるよう命令を下す。

 秘密兵器付きの潜水艦を日本に持ち込んだ張本人は、見た目は日本人とまったく変わらない外見を持つ日系のナチスSS隊員フリッツだった。人間魚雷回天に乗り込んで、その命を国のために捧げることを決めていた17歳の折笠征人はその潜水能力を買われて秘密兵器の引き上げに従事するが、海底に沈む秘密兵器から聞こえてきたのは、少女の歌声だった……。
 
 秘密兵器とは何なのか。秘密兵器の担当技師と名乗るフリッツの腹のうちにあるものは? 物語は謎をはらんで進むが、謎だけが物語の推進力ではない。終戦直前の日本が「一億玉砕」を合い言葉に、特攻などという常軌を逸した捨て身の戦術を取ったその思考パターン、そして、プロフェッショナルの戦闘員である軍人たちをこれほどまでに抱えながら、なぜかくもあっさりと、日本人が敗戦を受け入れ、米国の占領から民主主義体制へと移行できたのか。すべては一夜にして起こったことではなく、日本民族の性情そのものに関わっていることが緻密に描かれる。本書が長大になった背景には、この難問に対する、作者の果敢な取り組みがある。

 浅倉はこの「秘密兵器」を「日本民族を100年長らえさせるための、あるべき終戦のかたちを取るために」使うと発想する。あるべき終戦のかたちとは何か。そして、浅倉のイメージする「終戦のかたち」は我々が現在生きている日本の現実とどうリンクしているのか、あるいはリンクしていないのか。物語を読みながら、ぼくは現在の日本を思わずにはいられなかった。過去を描いてはいるが、本書は今日本に生きている人々に読まれるべく書かれた小説である。

 また、作者お得意の細を穿った兵器、銃器、潜水艦についての描写もさることながら、登場人物一人ひとりの過去から現在に至るまでの生の軌跡を細々と描き込んで読み応えがある。圧倒的なボリュームにつきあううち、登場人物が生きる時間を共有し、その思考のひだに入り込んでいくことになるだろう。
 上下巻を読み終えるのに、どれくらいの時間がかかるかはその人のペースだとは思うが、その時間の長さいかんに関わらず、読了するまで、本書の物語の中にある「ナーバル」とう小型潜水艦に乗り込んだがごとく、物語の世界にどっぷりと浸かってしまうだろう。読み終えた後には、水面に浮かび上がって、その海中の世界を夢のように思い出すことは間違いない。

 福井晴敏は1968年生まれ(ぼくと同じ年齢だ)。防衛庁内部でも秘匿されている秘密組織の元構成員と防衛庁、米国国防総省までを巻き込んだサスペンス『トゥエルブY.O.』で第44回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。続いて、『トゥエルブY.O.』と地続きにあるといえる、自衛隊イージス鑑を部隊にした北朝鮮工作員とヴェテラン自衛官、特殊な訓練を受けた自衛隊内部の非公認工作員との三つどもえの闘いを描いた『亡国のイージス』が絶賛された。『トゥエルブY.O.』以前に書かれ、乱歩賞の最終選考で選考委員の一人、大沢在昌に激賞された『川の深さは』では、上記二作品でも変奏される、たたき上げのヴェテランと若者との出会いというパターンすでに確立されおり、一作ごとに、自身の関心を深め、小説として結実させるための不断の努力を行なってきたのだということがよくわかる。

 しかし、『終戦のローレライ』は、その三作品の延長線上にあるものではない。国家と防衛、戦争といった題材は似通っているが、その関心はより深く、より原点へと迫っている。煎じ詰めれば、人はなぜ戦い、なぜそのために死ねるのか? という問題だ。登場人物たちの生い立ちが縷々と語られ、その履歴に歴史が影を落とす。現代日本を描く場合には避けられない、軍備を是と見るか非と見るかというような皮相的かつ政治的な視線に惑わされることなく、戦争という人類にとって避けがたい宿命のありさまをねばり強く描いている。のみならず、物語の面白さでぐいぐいと引っ張っていく手腕は、まさしくエンターテインメントの王道だろう。
 本書は、一作ごとにたゆみない前進を続けてきた福井晴敏の、新たなる第一歩であり、大いなる転換点であり、なおかつ、作者にとっての最高傑作である。


オンライン書店bk『終戦のローレライ』(上)
オンライン書店bk『終戦のローレライ』(下)

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