マンガ『ヒミズ』(全4巻)
(古谷実・講談社・各巻505〜514円+税)
ギャグから狂気へ。ダークな傑作
日本は豊かになった、一億総中流と言われて久しいが、本当だろうか。事件報道を気を付けてみていると、犯罪者になった少年、被害者になってしまった少女のバックグラウンドはあまりにも荒廃している。心の貧しさ、なんていう甘いもんじゃなく、やっぱり貧乏は依然世の中にあると思う。日本人は、貧乏を見たくないから見ないようにしているだけじゃないのか。福祉で救えない貧乏ってあると思う。『ヒミズ』は、そんな「見えない貧乏」を出発点にして、社会のリアルに迫った傑作だ。
古谷実のマンガ『ヒミズ』の主人公「住田」は中学三年生。釣り堀を営んでいる母親と二人暮らしだ。父親は借金まみれで、時折、金をせびりにやってくる。母親は客の一人とできていて、住田はそのことに気付かない振りをしている。
住田の願いは「普通に生きる」こと。大きな夢も野心もない。ただ普通に生きたい。しかし、そんな住田をあざ笑うように、一つ目の化け物が現れる。「お前は普通になんか生きられない」とでもいうように。
ある日、母親は男と家を出ていってしまう。一人残された住田は、食べるためにアルバイトをし、釣り堀を開く。そんなとき、父親の借金の肩代わりを求めて、ヤクザが乗り込んでくる。
住田の同級生の正造は、カネに異常な執着心を持っていて、スリを趣味にしている。だが、正造は住田にはなぜか友情を感じている。住田を助けたいと思った正造は、街で声を掛けてきた若い男とパチンコ屋の店長宅に押し入る。住田の父の借金を肩代わりするつもりだったのだ。ところが、二人は誤って店長を殺してしまい、正造と男は死体を山の中に埋める。正造は山分けしたカネを金融会社に持っていき、借金は消えたが、悪夢にうなされるようになる。
住田は再びカネをせびりにきた父親をコンクリートブロックで撲殺し、家の近くに埋める。そして、殺人を犯してしまった自分は生きる資格がないと思い、せめて死ぬ前に、社会のゴミみたいな悪人を道連れに殺してやろうと決める。そして住田は街を徘徊し、殺すべき悪人を捜すのだが……。
陰惨なストーリーである。しかし、マンガの調子は終始一貫、ほの明るさとでも表現するほかはない光に満ちている。
作者の古谷実は『稲中卓球部』などのギャグマンガで知られる人気マンガ家だが、『ヒミズ』にも独特のユーモアが漂っている。しかし、ユーモアが残酷さを際立たせる役割を果たしているというべきか。極めてシリアスな世界を徹底的な救いのなさのなかに描いている。
ぼくは『稲中卓球部』になじめず、2巻目くらいで挫折してしまったクチなのだが、『ヒミズ』には一気に引き込まれた。『ヒミズ』は作者にとって、ギャグからシリアスへと方向転換をはかる転機となる作品だったようで、出だしのあたりでは『稲中』的なデフォルメされた「痛笑える」ギャグが描かれている。しかし、次第にオーバーアクションは減り、微妙なユーモアセンスは残したまま、いたって冷静に淡々と物語は進んでいくのだ。
カネに目がなく、異様な執着心を持つ友人の正造が、住田のために空き巣に入ることを決意するくだり、住田に思いを寄せる茶沢さんという女の子の純情など、思春期半ばのプリミティブな思いも描かれていて、一服の清涼剤になっている。しかし、この物語の本質はなまぬるい世間への嫌悪であり、上っ面だけ整えてすましている社会への怒りだと思う。久々にマンガを読んで感動した。
オンライン書店bk『ヒミズ』(全4巻)
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