【アルカリ】0623
02/04/11

『少年トレチア』
(津原泰水・講談社・2000円+税)

 新興の団地で起こる奇怪な事件。その背景にあるものは?

 東京都下の新興団地、緋沼サテライトは、沼を埋め立て造成されたといういわくがある。この地で育った子供たちは「トレチア」という名前の少年(トレチアという場所から来た少年、とも)の存在を噂してきた。不吉な事件が起こるたび、少年たちは「やったのはトレチア」と噂する。

 かつてそんな子供たちの一人だった高校生が、デートの帰りに子供たちに襲われる。「キジツダ」という言葉を発して襲いかかった子供たちに重傷を負わされたのだ。入院先へ彼を見舞った楳原崇は自分の少年時代を思い出す。「トレチア」を気取って人を殺したあの日々のことを……。

 新興団地にまつわる都市伝説から物語はスタートする。子供たちの理由なき暴力、そして、「トレチア」という謎の少年。「キジツダ」という奇妙な言葉。このまま物語は人工的な新興団地の不気味さや、子供たちの中に眠っている残虐さにスポットライトを当てていくかに思えた。

 ところが、物語はそこからさらに跳躍する。

 子供たちの物語とは一見、関わりのない二人の大人。一人はサテライトでダウジングをしいるマンガ家、蠣崎旺児。サテライトに住み、8ミリを回してプライベートフィルムを撮っている過食症の女、七与。彼らが抱えている物語が少年たちの残酷物語の間に挿入されてくる。

 とくに蠣崎が調べている「摩伽羅」という怪魚の存在がキーワードになりそうなことがわかってくるが、読者は自分たちがどこへ連れていかれるのかわからないまま、カットバックされる二つの世界に翻弄される。

 子供たちは人工的な団地の中に作られた水場、「はちまん池」に大きな魚が住んでいると思っている。その魚は何でも食べてくれる。死体でさえも。

 摩伽羅という伝説の魚と、人工的な空間に生かされているイメージとしての魚が重なったとき、カタストロフが訪れる。この後段部分にはあっけにとられた。

 この仕掛けについてはネタバレに当たると思うので詳述できないが、緋沼サテライトという舞台をすれ違って生きていた登場人物たちが、一挙に混沌の中に放り込まれる。ここに至って、「少年トレチア」の出だしに予想された、子供たちの残虐性というやや手垢にまみれた題材から大きく逸脱し、スケールの大きな絵が描かれる。

 著者の津原泰水は津原やすみ名義で少女小説を多作していたが、96年に引退を宣言し、翌年に津原泰水名義の幻想ホラー『妖都』を発表し注目を浴びたのだという。

 ぼくはこの著者の本をはじめて読んだのだが、スケールの大きな物語を志向する一方で、「わかる人にはわかる」こだわりを細部に施しているところが面白いと思った。

 幻想文学には門外漢なので「摩伽羅」についての講釈などはやや難解に感じたが、知っている人にはたまらないだろう。ぼくでもわかるところといえば、高校生の楳原崇がミステリを書いていて綾辻行人の作品に辛辣な批評を加えるところや、マンガ家蠣崎の造形に70年代の「ガロ」「COM」あたりの「消えたマンガ家」を感じさせるところ(蠣崎が憧れの石森章太郎と言葉を交わす場面アリ)などが読んでいて楽しかった。

 おまけがいっぱいついているという言い方をすればいいだろうか。浅学なぼくはこの小説の隅々まで楽しめたとは言い難いのだが、その人の引き出しの分だけ楽しめると思う。


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