【アルカリ】0587
01/ 06/01(金)

『プラナリア』
(山本文緒・文藝春秋・1333円+税)


 いかにもいそうな「彼女たち」が魅力的だ

 このあいだの直木賞受賞作である。何を今さら、というのももっともで、実は受賞直後に一度読んでいる。しかし、【アルカリ】には書かなかった。ちょうど【アルカリ】を休んでいた時期だったということもあるけれど、何を書けばいいかよくわからなかったからだ。

 よくできた短篇集だと思う。山本文緒ははじめて読んだが、とても面白かった。以上。

 いや、考えるところもあったのだ。しかし、どうも、男が語りにくい小説集だ。直木賞を受賞した理由に、たしか、最後に入っている「あいあるあした」で「芸域を広げた」と評している男性の審査委員がいたことを覚えている。たしかに、「あいあるあした」はいい。その他の短篇が女性の事情によってたった物語であるのに対し、「あいあるあした」の語り手は男性、男の視点で女を見返している。それがうまくいっているのだ。

 しかし、そうとはわかっていても、なにかそれ以上のことを説明したりする必要はないのではないかと思っていた。その「任」は女性だろう、とも。

 今朝、たまたま机の周りを整理していたら、【アルカリ】休刊時期に読んだ本がごっそり出てきた。『プラナリア』を手にとって表題作を読みはじめると、みるみるうちに物語に引き込まれていった。

 26歳の春香は二年前、乳ガンで右の乳房を失った。いまは乳房再建の途中で病院がよいが続く。まだ大学生の年下の彼がいる。仕事はしていない。春香は年若い友人たちとの酒席で「生まれ変わるならプラナリアがいい」と言う。
 プラナリアは二つに切っても、三つに切っても再生してそれぞれに生きていくのだという。プラナリアだったら、乳ガンで取った胸も生えてくるかなあ、と。

 この小説の主人公、いやだなあ、と思う。露悪的でひねくれもので、頭がいい。こういうやつっていたよな、と二十代のころを思い出す。いやだいやだとこちらが思っても、山本文緒の筆は気を逸らさない。春香と恋人豹介の関係を主軸に、春香の宙ぶらりんな生活を淡々と描く。

「何もかもがめんどくさい」という春香は、乳ガンになって死と向き合い、乳房を失って「性」に振り回される。そのしんどさは、周りの人にはわからない。同情はされたくないが、無視もされたくない。だから、ひねむれもするし、露悪的にもなる。恋人とのつきあいも、シラケつつも、失いたくない関係だ。そのあいまいさ、ゆらゆらから目を離せない。それがこの小説の主人公の魅力であり、いや〜なところでもあるのだ。

 「ネイキッド」は仕事に夢中になって、夫から離縁された30代無職の女性、「どこかではないここ」は素行の悪い高校生の娘がいる主婦、「囚われ人のジレンマ」は大学院生の彼とつきあっている通信機器メーカーの総合職、「あいあるあした」は気まぐれに占いをやってこずかいを稼いでいるフーテンの女がそれぞれ登場する。働く女性の物語よりも、そこからドロップアウトした女たちの時間を描いて、どれも見事だ。そして、どの女性も魅力的でいい女だなと思う。しかし、つきあうとなると覚悟がいる。そんなところが、ぼくにとって、『プラナリア』を語る難しさにもつながっているような気がする。男性読者の感想を聞いてみたいところだ。


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