【アルカリ】0581
01/ 05/23(水)

『打鐘(ジャン)』
(松本賢吾・徳間書店・1800円+税)


 ロートル競輪選手が巨悪を「捲る」!

 『墓碑銘に接吻を』などの墓堀人原島シリーズなどで知られる松本賢吾の新刊。

 タイトルの「打鐘(ジャン)」とは競輪の残り1周半の地点で鳴らされる鐘のこと。レースのクライマックスを盛り上げる鐘だ。「打鐘(ジャン)」という言葉にはどこか人をワクワクさせる語感がある。

 競輪選手としてすでに「残り1周半の地点」を回りきり、ゴールまであとわずか、というところにいるのが、ロートル選手の高間誠伍。56歳! である。かつては千葉ダービーを制したこともある一流選手だったが、寄る年波には勝てず、今期A級から脱落することに決まっていた。となれば、80歳の母との約束で引退を覚悟しなければならない。しかし、誠伍はまだまだ走りたかった。

 その日もいつものように早朝の練習に出た誠伍は、川で土左衛門を見つける。その死体はノンフィクションライターの橋元雄一。橋元は奇しくもかつて誠伍に取材し彼をテーマに本を書き上げた女性ライターの矢吹由美の恋人だった。

 橋元の死は事故として処理されることになったが、由美は納得がいかず、取材を始める。成り行きで由美につきあうはめになった誠伍だったが、橋元が追っていたネタが老人ホーム松風苑に関わる疑惑だと知って放っておけなくなる。姪の弥生がボランティアとして関わっていたからだ。しかも、松風苑の経営には、かつて誠伍に八百長を強要したインテリヤクザの塩崎が絡んでいた。

 誠伍はかつては妻も子供もいたが、交通事故で瞬時に家族を失っていた。以来、独身でメジロのピー子と実家の離れに暮らしている。家族を失った哀しみを走ることで癒してきた誠伍が、競輪にしがみついているのも、その哀しみから逃れたいからだろう。

『打鐘(ジャン)』は老人を食い物にする悪に対して立ち向かった誠伍が、その闘いの過程で、その哀しみに決着をつけようとする。やがては自転車から降りなければならず、自分の人生と向かい合わなければならないのだから。

 松本賢吾の小説は、いつもながら主人公に魅力がある。ロートルの競輪選手が、昔ながらの戦術で、「捲って捲って」勝負をかける。そこに独特のロマンがある。『打鐘(ジャン)』では、もう一方にボランティアの米田青年の物語があり新境地に挑んでいるが、やはりこの小説の魅力は高間誠伍のキャラクターと彼が抱えている物語にあると思う。

 ところで、56歳という年齢の競輪選手が実際にいるのかと思い、調べてみたら、「高原永伍」という選手が実在したということがわかった。

 高原永伍は1940年生まれ。1994年に引退しているから、54歳まで現役だったということになる。最後は競輪選手の最低ランク「B級」(S・A・Bの3ランクがある)でも走り、B級の中でもさらに予選が突破できない、最も賞金の安いレースにも出たという。

 しかも、高原の戦法は「逃げ」一本槍。身体が小さいというハンデがありながら、風圧を受ける先頭を突っ走るという、若さにまかせた走りを最後まで続けた。超一流選手として黄金時代を築き、その後、盛りを過ぎても現役にこだわった。『打鐘(ジャン)』の高間誠伍と高原永伍はむろん別のキャラクターだが、競輪にも詳しい松本賢吾が高原永伍へのオマージュをこめて主人公の名前を考えたのだろう。

 一人の男が体力の限界をひしひしと感じつつも、走ることをやめず、立ち向かっていく姿勢は感動的だ。『打鐘(ジャン)』のなかでも風に向かって「もがいて、もがいて」走る姿がいい。突破していかなくてはならないは、レースだけでなく、人生そのものでもある。

 ともあれ、本書の魅力は肩が凝らずに楽しめるエンターテインメント小説であることだ。読みはじめると、スピード感たっぷりの展開に、一気読みである。

*後記
調べてみたら、高原永伍についての本『高原永伍、「逃げ」て生きた!』(徳間書店・絶版)も出ていた。さらにびっくりしたのが、その書き手が『絶対音感』、『青いバラ』で今をときめく最相葉月。聞くところによると、最相葉月は当時、広告代理店勤務で、出版のあてもなく書いたルポだったという。そして、『高原永伍、「逃げ」て生きた!』がデビュー作となり、のちに『絶対音感』で第4回小学館ノンフィクション大賞を取り、ベストセラーになる。高原永伍もすごいが、最相葉月もすごい。『高原永伍、「逃げ」て生きた!』、文庫にしてくれないかなあ。

オンライン書店bk『打鐘(ジャン)』

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