【アルカリ】0580
01/ 05/22(火)

『暗室』
(小林紀晴・幻冬舎・1500円+税)

 写真にまつわる「闇」の物語

 『写真学生』『国道20号線』と小説作品が続く、写真家小林紀晴の第一小説集。小林自身はこの本に収められた短篇について「フィクションとノンフィクションのあいだ」と書いている。つまり、小林自身が体験したこと、または友人、知人の体験をもとにに限ってつむがれた物語だということだ。

 短篇のタイトルは「ゼンアン」、「ジドウゲンゾウキ」、「シンブンコウコク」、「ボス」、「アンシツジョシュ」、「フリーアシスタント」、「コウカイシンサ」。すべてカタカナで、業界用語。それゆえ、外国語のように響く。

 たとえば最初の「ゼンアン」という言葉をはじめて聞いた主人公はなんのことかわからず、先輩に聞くと「辞書を引け」と言われる。主人公は律儀に国語辞典を開くが、そんな言葉は載っていない。

 ゼンアンとは完全な暗室状態、漆黒の闇のことだ。では不完全な闇とは何かといえば、赤いセーフライトが灯された状態だ。暗室用語である。どの短篇も若者が主人公だが、彼らにとって写真の世界、「業界」はどこも未知であり、異文化である。その象徴が「暗室」なのだろう。そして、彼らは、暗室という異界に誘われていく。そこから物語がはじまるのだ。

 小林紀晴は『写真学生』で写真を廃し、文章だけでフィクションを書いた。しかし、ベースとなっているのは自身の体験であり、一種の私小説である。そして『国道20号線』ではそのフィクション度を高めて、面妖な、ホラーと隣接しているような世界を描いている。しかし、その小説世界を支えているのは、写真という「マジック」である。

 写真は不思議なメディアだ。科学的には現実ありのままをフィルムに写し取っているだけなのに、そこには撮影者の意図以外のものが呼び込まれ、「作品」として成立してしまう。

 また、写真を現像し、プリントするという行為が闇の中で行われ、その闇の中から映像が浮かび上がってくるさまは、科学というより神秘を感じさせる。アーティストである写真家がこの行為を神秘的に捉えすぎているという見方もできるだろうが、その神秘にこそアートの神髄があるのだと思う。言ってみれば、美しき誤解だ。

 小林紀晴は、その写真の「マジック」を信じている。そして、そのマジックの周辺にある物語を見つけ、すくいあげ、短い物語にまとめはじめた。その最初の果実がこの『暗室』であり、次の『写真学生』であり、いまのところの最新刊『国道20号線』ではさらにユニークな個性的を際立たせている。

 彼が書く話は、どれもどことなくホラーだ。その理由は、彼が書く小説に亡霊のようにまつわりついている「写真」のせいだ。

 写真はわかちがたく死と結びついている。シャッターを切った瞬間、目の前の光景は過去になる。言い換えれば、その光景は「死」んでしまい、二度とは再現不可能な映像である。写真は常に現実に墓碑銘を与えているといっていい。

 だから、怖い。『暗室』の短篇の中には、ごく単純な意味で怖い話、一種の都市伝説のようなものもある。

 たとえば「シンブンコウコク」。

 主人公は「暗室技師求む」という新聞広告に応募して雑居ビルの一室を訪ねる。雇い主は、面接の他にテストをやるといい、主人公にとって大切なフィルムを現像させる。なぜ大切なフィルムなのか。それはこの話の「オチ」を読むと得心がいくのだが、これは写真業界に流布されている都市伝説の一つなのではないかと推察する。

 各短篇の主人公は、カメラマンのアシスタントや、DP屋のバイト、フリーアシスタント、公募展に作品を提出した写真家志望者などさまざまだが、写真に憑かれているという点では共通している。引き寄せられるように、暗室の中に入っていく。そこで彼らは何を見るのか。ぜひ読んで、たしかめていただきたい。

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