【アルカリ】0576
01/05/15(水)

『渋谷色浅川』
(笙野頼子・新潮社・1400円+税)

 池袋系純文学作家が渋谷系トレンド帝国に挑む!

 読みはじめるやいなや、これは面白いと思った。
 地方出身雑司ヶ谷在住池袋系中年女流純文学作家が、渋谷のトレンドまっただ中へ探検しにいくというお話である。読みすすめると、明らかにモデルとなっている人たちが登場する。出版社は実名、個人は仮名、過去の人たちは実名。そんな、虚実ない交ぜの物語だ。

 笙野頼子といえば、「論争」で知られる人だ。福田和也は笙野頼子を評して「女流作家にとって被害妄想は才能のあかし」(うろおぼえ)とかなり失礼なことを書いていたけれど。

 ぼくも地方出身、今年で33歳になる。笙野頼子が「池袋系」なら、こっちは「新宿系」。渋谷とはあまり縁がない。笙野自身も書き出しではそのマゾ的なよろこびを感じようと渋谷へ向かう。

 では連作短編集『渋谷色浅川』より、表題作について簡単に紹介しよう。

 「恐山出身の担当編集者」古在くんは、インターネットの「すごさ」を「私」に語る。いわく、「世界中どこへでも行けるんですよ!」。しかし、行くとはどういうことか。そういう言葉一つひとつに引っかかりを覚える主人公(そうこのお話は一見、エッセイのように見える。たしかに「私」は作者の経歴を忠実にトレースしているが、沢田千本という名前になっている)は、後込みしたい気持ちになってくる。

 なにしろ、沢田は行動半径がせまい。渋谷まで行くのも大遠征なのだ。その気持ちをひっぱりあげるのが、米クリントン大統領(当時)のホームページに、大統領が飼っている猫がいて、かまうとにゃーと鳴くからである。沢田は愛猫家である。

 かくして沢田は古在くんと渋谷のインターネットカフェへ行く。いい忘れたが、これは取材なのだ。沢田千本が渋谷をレポートする。最新のトレンドに身をおいてそのことを書くという企画なのである。

 沢田は渋谷へ向かう途中で八王子の浅川という川のことを思い出す。「フロント」という政府広報誌から川についてエッセイを頼まれた。沢田はそれを断った。理由は「小説を書くときの風景につかいたいから、エッセイに書きたくない」からである。沢田は山よりも海よりも川だと思う。川は土地を決定する。そして、その「フロント」は、エッセイ原稿を依頼する際に、かつて執筆者たちがとりあげた川のリストを送ってきた。ようするに、それとダブらないようにお願いね、ということだ。すると、そこに書かれている川を眺めているだけで、沢田の想像力が膨らむ。そのリストを見ているだけで心が弾む。かなり面白い。

 とまあ、スジの紹介に終始してしまいそうなので、このへんでやめとくが、こういう、蛇行のような進み方は好きだ。この作家の見た世界も気に入った。いくぶん情緒不安定、精神的なダメージが覿面に身体に現れ、そもそも丈夫な身体ではない。しかし、体格はよく、およそおしゃれに縁がなく、そのことにへこみもすれば、そのことに開き直りもし、ときには理不尽な世間の扱いに怒りもする。後半の短篇はとくに「論争」中、後ゆえ、その怒りが言葉にまとわりついてくるようだ。そのへんからがくんと愉快でなくなる。

 しかし、唐突だが、愉快であればよいのか。文学とはそもそも不愉快なものではなかったか。耐えられない自意識の重さとでもいうのか、ひねくれていたり、偽悪的だったり、弱々しかったり、ブチ切れたり、鬱々と悩んだりすることが文学なるものの主題である。ようするに「世間は生きづらい」ということだ。その「生きづらさ」の表出に芸が加わって、文学になる。

 では笙野頼子のこの連作小説集には芸があるのか。ある。だから最後まで読んだ。生きづらさは愉快なものではない。主人公の沢田千本は、友だちにはなりたくないが、気になる人物である。その存在感が、最後までこの本を読ませたのだと思う。

 最後にほかの短篇のタイトルだけあげておく。どのタイトルもけっこう好きだ。「無国籍紫」「西麻布黄色行」「中目黒前衛生誕」「宇田川桃色邸宅」。

オンライン書店bk『渋谷色浅川』

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