『片思い』
(東野圭吾・文藝春秋・1714円+税)
性同一障害をモティーフにした異色ミステリー
エンターテインメントの作家の場合、なにはともあれ、最初から最後まで気を逸らさずに読ませるという腕が重要だ。たいていの人は、通勤電車の中や、就寝前のちょっとした時間に読む。夢中になって電車を乗り過ごしたり(よくある)、寝不足になったり(寝る前は極力読まない)するのがエンターテインメント小説らしさだろう。
ぼくは東野圭吾の熱心な読者というわけではないが、『秘密』、『白夜行』、ともに続きを早く読みたくてソワソワさせてくれた小説だ。『片思い』はその二作に続く長編ということで、期待して読んだ。さすが、巧いなあ、と思う。この小説もまた、読みはじめたら最後まで読者を夢中にさせる魅力を持っている。
哲朗は35歳のスポーツライター。毎年恒例の、大学時代のアメフト部の同窓会へ出たかえり、部のマネージャーだった美月とばったり会う。いわくありげな様子が気になった哲朗は美月をマンションへ連れ帰る。哲朗の妻は美月と同じくマネージャーを務めていた理沙子だったからだ。
美月はかつての仲間たちに、人を殺してしまった、と告白する。しかも、美月は性同一障害で、ホルモン注射を打って肉体を男性にしようとしている最中だという。男としてバーテンダーをしていて、ホステスを送って帰る途中、ストーカーの男を殺してしまったというのだ。
哲朗と理沙子は美月をかくまうことに決めるが、殺人事件の背景には複雑な事情がからんでいた……。
哲朗は、実は大学時代に一度だけ美月と寝たことがある。それゆえ、美月が実は子供の頃から女の肉体に違和感を持っており、男らしくなりたかった、という美月の告白に戸惑う。美月は結婚し、子供を産み、そのうえでなお、家を飛び出して男として生きようとしていたのだ。
体育会の男社会で生きてきた哲朗にとって、美月の告白はあまりに突飛だ。しかし、スポーツライターの仕事柄知り合った、半陰陽のスプリンターや、殺人事件の真相を追う過程で知り合った性同一性障害の人々との出会いが、哲朗の男女観を少しづつ変えていく。そして、妻理沙子との関係に危機が訪れている理由にも、遅まきながら気づきはじめるのだ。
美月がかくしていることは何なのか?、殺人事件の真相は?、警察、そしてチームメイトだった新聞記者早田の追求から、美月を逃してやることが出来るのか?、哲朗と理沙子との意識のズレはどこからはじまり、どうなっていくのか……。さまざまな要素が物語をぐいぐい引っ張っていく。
加えて、大学時代の思い出と、30半ばに至った現在の自分たちの姿が重なり合い、謎が明らかになっていく。性同一性障害というビビッドなテーマをうまく盛り込み、かつ、作者が哲朗に仮託したの性別への考察も読み応えがある。さすが、当代の人気作家である。
しかし、ぼくのようなへそ曲がりの読者には、この端正さが何か引っかかるのだ。ここまで誉めておいてナンだけど。よく出来たストーリー、登場人物たちも生き生きとしているし、好感を持てる。しかし、物語のアクというか、澱というか、不純なものがないのが不満ともいえない不満だ。最後まで読んだ後で、ものたりなさを覚えるのだ。それは『秘密』、『白夜行』も同じなのだが……。それはエンターテインメント小説の宿命なのか。
東野圭吾ファンの人はきっと心がきれいな人なのだと思う。なにしろ、東野自身、この『片想い』はSMAPの「夜空ノムコウ」に触発されて書いたとインタビューで答えているくらいの善良さで、あたしのようなひねくれ根性の人間は最初から対象外の読者なのかもしれない。
オンライン書店bk『片想い』
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