【アルカリ】0275号
99/07/24(金)

『ハノイの純情、サイゴンの夢』
(神田憲行・講談社文庫・686円+税)

 ヴェトナムに行ったことがある人もこれから行く人も

 講談社文庫の編集部にはアジア・ジャンキーがいると思う、たぶん。

 というのは、講談社文庫には近年アジア関連の優れた本が次々収録されており、それらの本のチョイスがなかなか通好みなのである。光文社文庫や小学館文庫のような読み飛ばせる軽めの旅本ではなく、時に辛口の鋭い本がラインナップされている。

 本書は潮賞のノンフィクション部門を受賞した『サイゴン日本語学校始末記』をもとに新たに書き下ろしを加えるなどして充実させた「ヴェトナム」本である。

 一般に外国を描いた本を見ていくといくつかのジャンルに分けられる。

 一つはその国・地域の専門家による研究書。これは大学の先生が得意だ。
 それがジャーナリストによって書かれたり、文学者によって紀行文として書かれたりする。
 また、その国に滞在した人が書いた滞在記というものもある。商社マンや、新聞記者などが身辺雑記を書いたものだ。
 そして、さいきん、流行ってるのが旅行ライターと名乗る人たちの旅行エッセイ。

 ひとくちに、外国、旅をあつかった本にもいろいろとあるわけだが、この分
野で特異なポジションを開拓した前川健一という書き手がいる。「タイをフィールド・ワーク」することをテーマにしたライターである。
 もともとは東南アジアを旅した体験から、食文化への関心を切り口に広く食について書いてきた人だったが、ある時期にタイをフィールドワークすることをライフワークに決め、その結果タイの歌謡曲や生活文化全般についての本を書くようになってきた。そのどれもがユニークな視点と地道な調査に支えられており、実に面白い。

 下川裕司のように、バンコクの下町での滞在生活を書くことからライターとしてのキャリアをはじめたが、いつの間にか貧乏旅行ライターになっている人もいる。多くの旅行ライターは下川裕司のスタイルの影響下にあるといっていいだろう。
 しかし、前川健一は東南アジアのなかでライターの専門領域としてタイを選び、日本とタイを往復する生活を送っている。前川健一が開拓した分野とはその地域の専門ライターというスタイルである。専門性が高い分、中身が濃い。しかも、大学の先生が書くようなしゃっちこばったものではない。「地域ライター」のパイオニアだと言えるだろう。

 神田憲行は、どうやら「ヴェトナム・ライター」である。雑誌のライターを経て、20代の後半にヴェトナムで日本語教師をやって、再び日本でライター稼業をはじめたという人だ。いかにも大阪出身! という軽妙なタッチでサイゴンとヴェトナムの人たちの生活と人情、文化的なギャップが活写される。その筆さばきは見事だ。

 地域ライターが旅行ライターと違うのは、その地域に対する距離感を常に意識していることだ。「愛情」と呼ぶのは軽すぎる。かといって「愛憎」と呼ぶのもちょっと大げさ。「書く」対象として異文化を選び、それをライフワークにしようと腹を据えているからだろう、独特の距離感をとっている。

 それゆえ、ヴェトナムを紋切り型に「すばらしい!」とほめそやす日本人たちの論理の浅薄さと身勝手ぶりをするどく突き、バックパッカーたちを「人間のクズ」と切り捨てる。ヴェトナム人のこすっからさを容赦なく暴いてみせたあとには、そこで暮らす人たちの温もりのようなものをさりげなくすくいあげてみせる。ぼくのわずかなヴェトナム体験からも共感できることが多かった。昨今のヴェトナム・フィーバーの正体をあらためて見せつけられた思いもする。
 ヴェトナム人気にうさんくささを感じる人がこの本を読めば、きっとヴェトナムに行きたくなるはず。しばらくヴェトナムはいいやーと思っていたボクもちょっと行きたくなった。

オンライン書店bk『ハノイの純情、サイゴンの夢』

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