『家族狩り』
(天童荒太・新潮社・2300円+税)
家族をテーマに描くドラマチックなミステリー
家族のはいまの社会のベースになっている基礎単位。家族を持たない人間というのは、まあよくて半人前、悪くて人間以下というような状況があるから、なんとなく家族制度の悪口というのは言えない。
なんとなくそう思う。
というか、悪口言うと罰せられるような気さえする。むかし、天皇に対する不敬罪というのがあったけど、いまはその対象が家族になったような気がする。家族制度は絶対である。例えば、子どもをめぐる議論において、学校制度は常に批判の対象となる。
しかし、一方で、子供たちが生育する家族制度はいまだに批判を受け付けない。絶対の存在だ。「家族」の危機は話題に上っても、家族制度を疑う論調が大きく扱われることはほとんどない。あたかも、人類が誕生したときから現在の家族制度がそのまま存続しているかのような錯覚が生じている。
例えば、幼児虐待。
母親が子どもを虐待していることが明るみになったとき、子どもを施設で養育することに心情的にどれほどの人が「好ましい」と感じるだろうか。
たいていの人は、母親が子どもに対して暴力を振るうことはきわめて稀なことで、母親の心の病によるものである。したがって、母親の心の病気が治療され、外的な環境が整えば、家族が再び揃って暮らした方が子どものためにいいと思うだろう。
また、父親が子どもに対して性的な暴力を加えることなどあってはならないことで、そういうことをする父親は精神を病んでいる、そう考えている人が多いだろう。
つまり、お父さんがいてお母さんがいて、子どもがいるという家族がノーマルで絶対的に正しい。その制度から逸脱していく人間は頭がおかしいというのが世間一般の認識であろう。家族に危機は訪れても、それはあくまで個々の家族の問題。家族制度に危機はないのである。
ぼくたちの家族観や、いまの家族制度については相当にインチキくさい、というのがぼくの私見である。そして、こういうアマノジャクな考え方を念頭において『家族狩り』を読むと天童荒太がものしたこの傑作の本当の価値により近づけるのではないかと思う。
教師業にヤル気を感じられない高校の美術教師は、家庭内暴力で荒れていた家から悪臭が漂うことに気付いて、家を訪ねる。そこには残虐な拷問の果てに殺された両親と、祈りを捧げるような格好で息を引き取っている少年の姿があった。少年は遺書を残し、家庭内暴力をふるっていた子どもの無理心中だと結論づけられる。
しかし、家庭崩壊の地獄を味わった中年刑事はたった一人、この事件の真犯人が別にいると確信し、捜査をはじめる。
そして、連鎖するように少年による無理心中が再び起こった。その真相はどこにあるのか?
天童荒太の筋立ての巧さは、この小説で見事に開花している。『孤独の歌声』ではモティーフばかりが強調され、スジの面白さを減じているところがなきにしもあらずだったが、『家族狩り』では、家族というミステリアスな場所に強く揺さぶりを掛けるように怒涛の展開を見せる。正直なところ、読み始めたら止まらない面白さだった。
そもそも、家族という場所はひどく閉ざされたミステリアスな場所だ。
まず、社会を構成する一個の単位なのに、その内実は決してディスクロージャーされない。家庭の中で何が起こっても、たいていの場合は家族の中だけで処理される。母親が子どもをぶん殴ったり、放置したしたりしても、父親が子どもに性的な虐待を加えても、そのことが明るみになることはあまりない。子どもが児童相談所に訴えても、「家のことに口を出すな」と子どもを連れ帰る親が多いのだ。
だから、家庭にはミステリーがある。そこでどんなことが行われたのか、社会の側が推測するのは実に難しい。だからこそ、この『家族狩り』のような物語が生まれたのかもしれない。
果たして子どもが両親に残虐な拷問を加えてから、無理心中することがあり
えるのか? あっても不思議ではないし、ないかもしれない。それは誰にもわ
からない。
そして、なぜ子どもたちは暴力を振るい、両親は子どもを理解できないの
か。それもミステリーの一つだろう。
家族には謎がある。その謎から生まれたホラーがこの小説であり、その謎を作者とともに追いかけるうちに分厚いページがあっと言う間にめくられていく。『孤独な歌声』に続いて、旬のモティーフを取り上げてその材料を大胆に料理している。その腕前が確実にグレードアップしているのもうれしい。
オンライン書店bk『家族狩り』
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