【アルカリ】0236号
99/05/25(火)

『別冊宝島445 自殺したい人々』
(宝島社・933円+税)

 自殺志願者を叱る!

 先日【アルカリ】(234)で紹介した『私が死んでもいい理由』(美智子交合・太田出版・1000円+税)からの連想で読んでみた。

 反『私が死んでもいい理由』、反『完全自殺マニュアル』というコンセプト。ついでに「境界例」(精神病と神経症の境界にあるとされる病気)批判、アダルト・チルドレン批判、だめ連批判まで。『諸君!』も顔負けの保守ぶりで、事実『諸君!』誌上でアダルト・チルドレン批判をやった与那原恵がここでも大活躍している。

 とにかく逆張りで行こうというマスコミの習い性なんだろう。とにかく、自殺オッケーという時代の気分へのアマノジャク的正論を集めたのがこの本である。

 読んでいて電車の中で吹き出しそうになった「自殺の名所 富士樹海訪問」からスタート。

 ドクター・キリコ事件を前掲の『私が死んでもいい理由』と真逆のポジションから意地悪く描いたルポ、自殺アイドル岡田有希子の記事の次は、自殺マニアを追い(取材中二度自殺未遂を起こされている)、リストカット遊びに興じる女子高生取材(ほんまかいな)、宮台真司もフォローしつつ、救急医療の現場の自殺迷惑から、自殺はどんだけコストが高く付くかの試算、若者なんかよりよっぽど死んでる中高年の自殺問題も律儀にレポート。境界例の連中の奇妙な日常を描き、呉智英の説教あり、最後は例の『クルーグマン教授の経済入門』を訳した山形浩生が、社会と自殺者、だめ連、境界例の連中の関係の実相をモデル化し、社会化できない連中は社会にぶら下がって生きていることを自覚して謙虚に生きろ(もしくは謙虚に死ね)と結論付ける。

 自殺志願者ならずとも、エリをただしたくなるような立派な文章ばかりだ。脳に問題を持っていない、健康健全な人なら、誰もが納得できる「物語」満載である。

 日々、したくもない仕事をして税金をぼったくられている社会人なら誰でも、本書に描かれたお気楽な自殺志願者を冥土に直送してやりたくなるだろう。保険でドラッグ買ってラリってるんじゃねーぞ、と。

 しかし、これらの「物語」に、ちょっと待ったと言いたくなってきた。

 本書では、基本的に一貫して、自殺志願者たちの傲慢を指摘する。自分の命を人質にとって周囲を脅かしやがって! と。確かに、自殺志願者の中には、自意識過剰でモラトリアム気分が抜けない気分の悪い連中がいるであろうことは想像がつく。

 しかし、『私が死んでもいい理由』が自殺志願者に都合のいい物語を語ったものだとしたら、同様に、本書に貫かれる「物語」もまた、自殺なんかしそうもない、健全な社会人たちが好む「物語」にすぎないのではないか。

 ゆえに、この本が訴えていることは、本当に伝えなければならない相手である自殺志願者には決して受け入れられそうにない。結局は、健全な側のガス抜きにしかならないだろう。

 とくに、与那原恵のルポにはガッカリさせられた。彼女のルポ集『物語の海、揺れる島』では、マス・コミが紡ぐ物語とは別の物語を探すためにルポを書くと書いた彼女が、結局、ある物語をかき消すために新たな物語を書いているだけにしか見えないルポを書いている。物語って、結局は書き手の都合によって生まれるものなのかなあ。そして、彼女が『諸君』に書いたアダルトチルドレン批判について、取材に協力した斎藤学(精神科医)がその取材のやり方、原稿の内容についてホームページで批判を加えている。説得力のある反論だと思った。

 とにかく、本当に死にたい奴や、死にたくても死ねない奴がいるのは、たぶん事実で、そういう連中の辛さは、ごくふつうに社会生活を送ることができているぼくらにはわかりようがない。だから、まず、わからないということを共通の認識にして文章を書くべきではないのだろうか。

 この本の底意地の悪さにはあと味の悪さしか残らなかった。自殺願望をファッションにする奴は軽蔑するが、また生きることにポジティブであることだけが正しいと口にする無神経さも腹立たしかった。

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