『マニア行き 男たちの片道切符』
(浜なつ子・太田出版・1500円+税)
フィリピンに「女護島」を夢見た男たち
仕事が忙しかったりすると、現実逃避の一環としてアジアものを読みたくなる。
とうのも、アジア、とくに東南アジアというのはぼくにとって逃亡場所、というイメージがある。それはべつに本とか映画で見たイメージではなく、ぼく自身がはじめて東南アジアに行ったのが「逃げる」ためだったからだ。
その後も、もう少し建設的な理由をつけて旅行を続けているが、最初の東南アジアへの旅ほど輝いた旅はない。
ところで、フィリピンである。
行ったこと、あります? おれはあります。社会人一年生の夏に2週間休暇を取って行ったのだ。短い休暇だったのでとくに観光する場所もないフィリピンを選んだ。
9月。台風。天気は悪い。ジプニー(ジープを改造した乗合ミニバス)は揺れる。ついた安宿には、中年のオヤジが一人いるだけだった。
そのオジサンは四十代後半で、池袋のアパートに一人暮らし。半年警備員をやって、半年はフィリピンにいるのだという。安宿はマビニという歓楽街にあり、確かに遊びに行くには都合がいいけど、こんな安宿に泊まってて遊びに行くカネあるんかいな、と思った。「ほかに、どんな国に旅行したんですか?」とバックパッカーの儀礼的な質問をすると「フィリピン以外行ったことないなあ」。フィリピン専科の貧乏旅行者が一人だけ。変わった国だと思った。
オジサンはぼくを市場に連れていってくれ、豚の血と臓物の煮込みを食べさせてくれた。まずかった。
マニラを出て、ルソン島を北へ。ゲリラが活躍する地帯なので軍隊の検問はいくつもあったが、台風のせいか、ゲリラもとくに事件を起こさず、ぼくは行く町々で「日本人のくせに(カタコトの)英語が分かる!」フィリピン人に目を丸くされた。ここに来る日本人ていったいどんな奴らなんだ?
そういえば、マニラで出会ったオヤジも英語は一言もしゃべれず、マビニ界
隈で見かける日本人は一見してヤクザとわかる男たちばかりだった。あんなに
大量にヤクザを見たのははじめてだったので、ちょっと感動した。
フィリピンでは、日本人のイメージっていうと、オヤジ、なのかも。
うーん。
ところで、フィリピーナにハマった日本人の男たちを見事に活写した傑作ル
ポといえば『フィリッピーナを愛した男たち』(久田恵)だ。日本人とフィリピンの奇妙にねじれた関係を明快に描ききった本書を超えるフィリピーナと日本人ものは現れないだろうなアとタカをくくっていたが、この『マニラ行き』は、ある意味で『フィリッピーナを愛した男たち』を超えている。
それは、本書に登場する男たちと著者である浜なつ子の距離感の違いだ。
久田恵は、彼女の取材スタンスが常にそうであるように、基本的にニュートラルな場所に立っている。冷静な視点で、社会構造・文化構造という枠組みと個の関係性を見事に描く。その筆力にはいつも感服させられる。
一方、浜なつ子は、もっとゆらゆらしている。日本とフィリピン、男と女、富と貧。それら対立項の間で見事にゆらぎ、そのゆらぎの持つ奇妙な誘惑に読者は幻惑される。
『フィリッピーナを愛した男たち』で、読者は日本人の男がフィリピーナにハマる理由をズバリ、探し当てることが出来る。しかし、『マニラ行き』では、読者は、アホな男たちや、と思いながらも、どこか、足下をすくわれるようなヒヤッとした、でも、その浮遊感覚の心地よさを感じるのではないか。
その頂点は、フィリピーナとフィリピンに二億円をつぎこんだ一人の男と、好色一代男を重ね合わせ、女護島とはフィリピンだった、というくだりだ。
墜ちていく男たちのフィリピンは極楽か、地獄か。その、あやうい境界線を見事に描いたルポである。
で、あのとき、安宿で出会ったオヤジは、いまもフィリピンに通ってるのかなあ。帰りにヒコーキで隣り合わせた無邪気な笑顔のフィリピーナ(「ナガノのパブではたらくよー」)のこととともに、忘れられない思い出だ。
オンライン書店bk『マニラ行き』
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