【アルカリ】0231号
99/05/20(木)

『アジア・映画の都』
(松岡環・めこん・2800円+税)

 東南アジアのルーツを掘り起こす旅

 『ムトゥ 踊るマハラジャ』の大ヒットで注目を集めたインド映画。その面白さが映画のヒットという形で日本人に受け入れられたのはちょっと意外だった。もちろん、イベント的な受け入れられ方だったんだろうけど。

本書の著者の松岡環は『ムトゥ』の字幕監修もやっていたが、インド映画といえば、かならず登場するのがこの人で、インド映画紹介の第一人者といって差し支えないだろう。ぴあが主催した「大インド映画祭」の企画運営をやっていたり、個人的な上映会を続けていることでも有名だ。「サリーを着たおばちゃん」という風評は何人かのアジア映画関係者から聞いたことがあるが、本書を読んで、どういう人かあらためてわかった。

 二次大戦の直後にシンガポールで作られたマレー語映画の製作にインド人監督やフィリピン人監督たちが何人も招かれていた。著者は、インド、シンガポール、マレーシア、フィリピンへ飛び、そのころのマレー半島の映画事情と、当時から映画先進国であったインド、フィリピンからマレー半島へ持ち込まれた映画の様式を取材・研究したものである。
 と書くとなんとも固い本のように思うかも知れないが、著者の筆致はごく親しみやすいもので、読みやすい。また、香港映画やインド映画のスターたちについて書かれたコラムも楽しい。

 また、著者がシンガポール映画に注目したのは以下の点だ。
・いま、現在はシンガポールでは映画製作はされていない。
・シンガポールでの映画製作は、香港の映画会社ショウ・ブラザーズとキャセ
イが行っていた。
・マレー語映画でありながら、スタッフにはインドやフィリピンから招かれた
人がかなりいた。
・マレー語映画も、シンガポールでの映画製作がマレーシアに移行するととも
に、徐々に衰えを見せていく。

 東南アジアのコスモポリタニズムが映画製作の現場にもはっきりと現れているのだ。その結果、マレー人の中から、P・ラムリーをはじめとするスターたちが誕生することになった。とくに、ラムリーは、インド人映画監督の手によって大スターになった後、自分でも監督をやり、マレー語映画の大スターとしての名声は衰えていない。ぼくもたまたまラムリーの『アリババ』という映画を見たことがあるが、魅力的な俳優だった。

 また、本書の魅力は、マレー半島で活躍した映画人たちに著者がインタビューし、貴重な資料を掘り起こすという取材・研究の過程が描かれている点だ。映画研究という目的で、さまざまな映画人たちに出会っていく様子が生き生きと描かれている。アジア映画に興味のある人はもちろんだが、アジアの文化がどう交流していったかの一つのモデルとして読み解くことも可能だ。この種のアジア映画本のなかでは異色にしてエポックな名編である。


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