【アルカリ】0230号
99/05/19(水)

『地を這う虫』
(高村薫・文藝春秋・448円+税)

 元刑事たちの終わらない捜査

 高村薫は、文庫化にあたって、改めて旧作を子細に見直し、あらためて手を入れる。『わが手に拳銃を』を『李歐』というタイトルに改め、全面改稿している。文庫化されたばかりの『地を這う虫』も、タイトルこそ単行本と同じだが、内容を再構成して、ストーリーの細部も一部変えてある。『李歐』の時もそうだったが、『地を這う虫』も改稿されたことによって作品の完成度が上がっていると思う。

 まるで、喉越しのいい日本酒をほろよい加減になるまで飲んだような、すっきりとした味わいと、ほのかな興奮。同時に、ほろ苦く滋味がある。一読して思い起こしたのが山本周五郎。市井の人の悲哀を描いてセンチにならない、人間への視点のたしかさと、お話し作りの巧妙さがだぶって見え
た。

 単行本が出た当時は、高村薫が出世作『マークスの山』で直木賞をとったばかり。各短編は「オール読物」に掲載されたものに、「別冊文藝春秋」に載せた短めの短編をくっつけた構成になっている。文庫には「オール読物」掲載分だけが集められた。単行本では、発表順に並べただけだったが、文庫では順番にも工夫が感じられる。

 ある男は、定年を過ぎて警備会社に勤めながらも過去の仲間たちの事件に引きづられ、ある男は刑事を辞めてサラ金の取り立て屋になりながら、法というラインを意識せずにはいられない。また、ある男は刑事を辞めて政治家の運転手となるが、政界を牛耳る男の運転手を勤めるということは、司法と政治のふたつの権力からスパイを命じられることを意味していた。そして、最後に登場する男は、刑事をとっくに辞めているのに、仕事の行き帰りを住宅と住居の観察についやし、住民台帳を作るがごとき正確さで無意識の捜査を続ける。

 彼らは、誰も彼も、屈託を抱えて生きている。栄光によって報われるということもありえない。しかし、の正義感を支えに、プライドをかけて人生を全うしていく。背筋のまっすぐさ。それが、本書の魅力だ。

 例によって、高村薫の人物描写の鋭さは、精微でおそろしいくらいだが、それでいてどこか温もっているところが、すばらしい。『レディー・ジョーカー』も、『李歐』も、登場人物たち、一人ひとりの魅力はただならぬものがある。人間を描くということは、きっとこういうことなんだろう。
 この『地を這う虫』も、そうだ。男たちの不屈の姿をここまで描ける作家は当代なかなかいない、とぼくは思っている。


オンライン書店bk『地を這う虫』

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