【アルカリ】0219号
99/04/28(水)

『映画監督 増村保造の世界』
(藤井浩明監修 ワイズ出版・5700円+税)

 鬼才映画監督が走り抜けた夢のあと

 でかいよー、重いよー、ということがうれしい悲鳴という本も、たまにはある。『映画監督 増村保造の世界』は広告を見かけたときからずっと楽しみにしていた本だ。A4変型で500ページ以上。2段組み。でも、ちびちび読むのが楽しくて、この倍くらいあってもいいなーと思う。

 名作・傑作・怪作を世に送り出してきた映画監督、故・増村保造が映画雑誌などに書いた文章を編集し、おまけとして彼の映画に出演した俳優、スタッフへのインタビュー、座談会を収録したものである。

 増村保造ついて紹介しよう。

 1924年甲府生まれ。一高→東大法科を出て、大蔵官僚に内定してたにもかかわらず、なぜか大映へ入社。助監督のかたわら東大の文学部を学士入学して卒業、大映の留学制度を利用してイタリアのチネチッタ(イタリアのハリウッド)にある国立映画センターに留学。帰ってきて巨匠溝口健二、当時気鋭の市川崑の助監督に。『くちづけ』で監督デビュー。すぐに若手監督としてトップクラスの評価を受け、巨匠・名匠がゴロゴロしていた日本映画の黄金時代を肩に風切って作品を撮り続ける。

 大映時代の傑作には『巨人と玩具』、『兵隊やくざ』、『偽大学生』、『陸軍中野学校』、『妻は告白する』、『華岡青州の妻』、『妻二人』、『盲獣』、『千羽鶴』、『やくざ絶唱』などなどがある。
 怪作としては三島由紀夫主演の『からっ風野郎』(ぷっ)、とんでもないストーリー展開に脳味噌が沸騰する『セックス・チェック 第二の性』(緒方拳の映画デビュー作だったりする)、『でんきくらげ』(へんなタイトル)など。

、大映が潰れた後にも本数はぐっと減るが自主制作で映画を撮る。そのなかには代表作となった傑作『大地の子守歌』、『曽根崎心中』がある。遺作は角川映画の怪作『この子の七つのお祝いに』。撮った映画は57本にのぼる。

 加えて、みなさん、よくご存じの大映ドラマの、あのへんてこりんな世界を作り出したのがこの増村保造なのである。例の『赤い』シリーズから『スチュワーデス物語』、最後はキョンキョンピアニストもの。大映ドラマには初回の監督と、脚本監修をやってたみたいだけど、あの異様なテンションの高さは巨匠マスムラの作り上げた世界ゆえなのだと思うと、びっくりすると同時に納得させられるのである。

 で、本書は東大出のエリート映画監督であり、理論派であった増村が書いた映画論や、映画批評など、小難しい文章がテンコ盛り、そのへんも十分に読む価値があるけれども、やはり目玉はインタビュー。

 とくに、増村保造と言えば女優を育てることに定評があった人で、インタビューに登場する若尾文子、左幸子、岸田今日子、大楠(出演当時:安田)道代、高橋(出演当時:関根)恵子、原田美枝子がどんな話をしてるのかなーとかなり気になって先に読んだんだけど、意外だったのが、増村保造の思い出って言っても、みんなそんなにないんだよね(笑)。

 とくに、若尾文子とは大映時代に名コンビだったので、どんな逸話が読めるかと思ったら、全然出てこない。当時、ほとんど新人だった高橋恵子や原田美枝子の場合は、その出演映画で女優としての進路が決まったこともあって、印象が強いみたいだけど、若尾文子のころには日本映画も隆盛していたころで、監督と女優というのは職場の同僚みたいなもんだったらしい。それも、相当忙しい会社の。大映時代の増村は基本的に実力のある俳優をチョイスしていたから、特に演技指導も必要なかったようだ。むしろ、スタッフ(助監督・撮影)の増村礼賛の方が読みごたえがある。

 そのへんは、やっぱり、日本映画の黄金時代というのは才能のある人たちがしのぎをけずってたわけで、増村保造も全力で作品作りをした。そして最後にテレビで寿命を縮めて死んじゃった人のようである。

 撮影が終わるとさっさとうちに帰って翌日の撮影をどう撮るかをびっしり台本に書き込んで、翌日の通勤電車の中でも声を掛けられないくらい真剣に台本とにらめっこをしていたという。鬼ですね、映画の。

 で、その年のベストワンになるような映画を撮っているんだけど、どこか軽量級。大巨匠じゃない。なぜかというと怪作・珍作のたぐいも平気で撮っちゃうから。

 その点について宇津井健がインタビューでいいこと言ってる。

 増村保造が晩年に撮った大映ドラマの常連でもあった宇津井は、例えばバレリーナ一家を巡るサスペンスを描いた『赤い衝撃』のなかで、妻が大手術を受けている手術室の廊下で、その夫(宇津井)がたまらずバレエを踊りだしてしまうシーン(笑)について、そこだけ抜き出して笑うのはゆるせん!! と怒っている。

 つまり、増村保造という人は、人間のパッションをどう表現するか、その極
限をいつも考えていたんだ、と。芸術家一家をよく主人公に据えたのも芸術家
の持つ個のエネルギーを爆発させたかったらしいんだよね。

 増村はイタリアに留学して、そのラテン的な人間中心主義、ギシリア・ローマ的な明るい個人主義に強く影響されていて、個というものが自立しえない日本に飽き足らなかった。だからこそ、映画のなかで徹底的に人間の個の主張を描いた人なのだ。

 彼が作品に込めたメッセージというのは、結果的に大映ドラマに行き着いて笑われてしまうんだけど、その真剣さ、手を抜かないひたむきさがあればこそ、伝説となったのである。役者やスタッフが照れたり、手を抜いていたら、あんなとんでもないドラマは成立しなかったろう。そういう地場を作り出した要因の一つは増村保造のエネルギーであるとぼくは思う。

 だから、増村保造の撮る映画、関わったドラマというのは、見るとスッキリするんですよ。あり得ない世界でも、そこを突っ走るスピードがいいのだ。みなさんも、ぜひ増村暴走特急に乗ってほしい。ビデオも出てますよ!


オンライン書店bk『映画監督 増村保造の世界』

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