【アルカリ】0210号
99/04/15(木)

『UNTITLED』
(岡崎京子・角川書店・980円+税)

 新境地をめざした途上の作品集

  3年前に交通事故にあい、意識不明と伝えられたまま、その後の消息が絶えている岡崎京子の現時点での最近作品集である。去年の5月に初版が出ているのだが、あいにく存在を知らなかった。

 岡崎京子について特に説明は要しないだろう。同時代の作家という意味で、岡崎京子は80年代後半から90年代まで常に一番先頭のグループにいた。いわゆる女の子マンガ家ブームを引っ張ったのは彼女だし、たんにガーリイなテイストを商品化させるのではなく、その「ガーリイ」に付帯する広い意味での文化をマンガで表現できる希有の才能を発揮してきた。独白が特徴的なセリフは、一見、とても感覚的に見えるけれど、実はかなり論理的に仕組まれており、意外に理屈っぽい人なんだろうな、とはじめて『Pink』を読んだときに思った。

 60年代のフランス映画(ヌーベルバーグ)をはじめとして数々の映画、または音楽、小説など、彼女が好きなものをマンガのなかに組み込むセンスも抜群で、彼女の作品がなければ、その後の多くのフォロワーたちはマンガのセールスにかなり苦労したんじゃないかと思う。たとえばよしもとよしともとか。

『Pink』の男の子がいろんな小説を切り抜いて張り付けたもので文学賞を受賞するがごとく、岡崎京子のマンガも引用に満ちているが、その引っ張ってきかたは彼女一流のやり方で、たんあるオマージュに終わっていないところがすごい。

 この作品集『UNTITLED』に収録されているマンガも、岡崎京子らしい魅力にあふれている。

 まず『万事快調』。ゴダールの映画からタイトルを借用。しかし、中味はむしろ小津安二郎風で、岡崎京子が新たな境地を開こうとしている野心がうかがえる。主人公となるのはずでになくなってしまった家。その家の住人たちの当時の事情を掘り起こし、それぞれの視線で家族の営みを描こうとしたオムニバスマンガで、残念ながら未完成のままだ。

 家族は、女女男の三人兄弟とボケかかったおじいちゃん。母は男と駆け落ち。父は病死で、長姉が一家を切り盛りしてきた。おかげで、今は20代後半の地味OL。しかし、彼女は『東京物語』の原節子のごとく、誰を恨むでもなく、家族のために日々を送っている。

 次女はストーカーにつきまとわれ、末っ子はセンパイの借金のカタにマリファナの密生地を教えてもらい、仲間と山へ。それぞれのエピソードはどれも地味で、かつての岡崎マンガのハイテンションとは一線を画す。しかし、テンションがあがらないぶん、心理描写に重きがおかれ、このみなしごたちの小津映画風ストーリーに深みを与えている。このマンガが中断してしまっているのは本当に残念だ。

 『恋愛依存症』は岡崎京子読者にとってはなじみの恋愛もの。シリーズ全3作はどれも独立した短編だ。恋愛のおなじない、臨死体験、シスターコンプレックスとモティーフにひねりがあって、しかもちゃんと恋愛ものに着地する。

 村上春樹風を気取った『ロシアの山』には苦労のあとがうかがえる。手法としてかなりマジメに映画をとりこもうとしていて、トキワ荘グループがハリウッド映画とフランス文芸映画なら、こっちはヌーベルバーグだぜ、という心意気が感じられる。突然、『気狂いピエロ』のワンシーンが挿入されるのはご愛嬌。

 そして『お散歩』はちょっと吉田秋生的な世界とゆーか、女の子の追憶もので、あんまり岡崎京子らしくない題材。うまく消化しきれているとは思えないが、このバランスの悪さがかえっていいのかもしれない。『恋愛依存症』みたいなほうが、読む方は彼女らしさが出ていると思うけど、かえってそこに限定されてしまいすぎるのは作家としては可哀想だろう。

 岡崎京子の不在が悲しいのは、彼女のマンガが常に新鮮な魅力を持っていたからだ。基本的に、同じ歌は二度歌わないという人なのである。

 岡崎京子以降、雨後の竹の子のようにたくさんの女の子マンガ家が現れたが、彼女たちのすべてが岡崎京子のように常に新しい世界を切り開けたわけではない。だからこそ、多少バランスは悪くとも、いつもと違うモティーフに取り組む岡崎京子の方が、ぼくは好きである。そして、いつか、この『UNTITLED』が彼女自身の手を入れて、タイトル付きの作品集によみがえることを願いたい。


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